第4話 酒入れば舌出づ
僕は先程の戦闘を振り返っていた。
やはり、脳裏に浮かぶのは逢坂さんの散開した後の見事な木葉返し。
僕が1機落とすのに時間がかかっている間にも、逢坂さんは既に1機を落とし、奇襲を仕掛けてきた敵機に対しても優位に立ち回った。
最後の下方からの突き上げはタイミングも考えるときっと燕返しをしたんだろう。
彼は根っからの格闘戦至上主義者かつ、その腕は恐らく第一線でも随一の筈だ。
僕だって航高校を出た飛行士だ。空を飛び始めて7年になる。同期の中でも上手い方だという自負があった。しかし、そんな僕よりずっと飛ぶのが上手い。
航高校設立前に飛んでいる先輩との差がこんなにも果てしなく遠く感じてしまうとはショックだった。
しかも彼の乗る機体は既に一線から退いた機体。
それに対して僕の機体は現在の主力機。
その性能は基礎設計に10年以上の差があることからも圧倒的だというのに、僕の機体は後方銃座にやられ翼からは燃料が吹き出ている。
情けない。惨めだ。
更に言えば逢坂さんの操縦は機械の限界を知っているような無駄のない、踊るような操縦なのだ。
ダムの壁面に沿って急上昇した時、本来あれだけエンジンを吹かすと吸気系が異常をきたす為に、息継ぎ(出力を弱めて再び吹かす動作)をする必要が出てくる。
その点、針花IIの搭載しているエンジンは改良が加えられており万人が乗っても到底人間ではなし得ない素早いレスポンスで息継ぎを行う為、スロットルを入れたままでも問題はない。
しかし、彼の乗機はきっとそういった改良がなされていない筈で実際、一度減速する傾向があった。
それにも関わらずグングンと昇っていき、その後急上昇した後の体制を立て直す行動がすこぶる早く、最初から水平飛行していたのかとすら感じたほどだ。
この歴然の差は、飛んでいる期間だけでは測れない経験の差を痛感させた。
この痛みはやがて嫉妬心になる筈だし、自身の矮小なプライドが刺激されるのが痛いほど実感出来た。この感情は危険な種類の物だと理解するのは容易かった。
「飛行場が見えて来ましたね」
逢坂さんの声が伝声管を伝う。
「...そうですね」
僕は彼の前で笑うことが出来るだろうか。いや、きっと複雑な顔をしてしまうに違いない。
日はまだ沈んで居らず、滑走路を夕日が照らして輝いていた。
その情景が、酷く心を揺さぶる。
燃料系に損傷を受けていた為、残り10%の残燃料で基地に着いた。
時刻は1648だった。
焦りつつも、先に竹中さんに降りて貰う。
この着陸方法は海軍式だろうか。
失速ギリギリで着陸する様は、まさに制御された墜落と評する事の出来る物だ。
僕は普通に降りる。
と、言うべきか燃料が漏れ続けているので下手なことをして炎上させないように注意する方が先決だった。
地上では既に消防車が待機しており、万が一が起こっても大丈夫だろうと少し安心する。
そのままアプローチへ入り、いつもどおりに着陸する事が出来たので一先ず安心した。
逢坂さんはといえば、駐機したあと、管制塔の前で待機しているのが見える。
僕も駐機して、機体を降りたあと駆け足で逢坂さんの元へ向かう。
「それでは行きましょうか」
「はい」
どこか居心地悪さを感じながら僕は逢坂さんに着いて神南司令の部屋へと向かう。
カツカツとタイルを叩く靴の音だけが木霊する。
無言は気まずいが、話しかけて来られない事に内心安堵していた。
逢坂さんが司令室のドアを3回ノックして声を出す。
「逢坂飛行士、他一名の者、入ります」
少しすると神南司令の声が中から聞こえてきた。
「入れ」
その声に合わせて僕達は前進する。そして、神南司令に正対し、逢坂さんの号令に合わせ、敬礼。
神南司令は自分たちが敬礼するのを見て答礼し、下げる。
答礼が下がったのを見て直り、逢坂さんが要件を言う。
「逢坂飛行士他、一名の者は神南司令に対し、戦闘詳報の報告をしに参りました」
「分かった、早速頼む」
戦闘詳報を逢坂さんが神南司令に報告する。特に褒めも咎めもせず淡々とまるでラジオの天気予報を聞くみたいに彼女は報告を聞いた後、
「お疲れ様。尚、タケナカの機体は損傷を受けている為、本日補充された針花II D型への機種転換とし、明後日以降のフライトはそちらを使うように。では以降外出自由を宣言する」
突然の新型への機種転換に驚きつつこれまでの愛機をこんな不注意で潰してしまったことを悔いる。
「逢坂飛行士、他1名の者は神南司令に要件終わり、帰ります。気を付け、敬礼」
逢坂さんの号令に合わせて敬礼し、二人で執務室を後にする。
カツカツと再び編上靴が床を鳴らす。二人の足は自然と談話室へと向いていた。
逢坂さんがガラス扉を開けて中に入る。帰ってきてからお互いに無言だった。
僕はしびれをきらし、入って早々に逢坂さんに声をかける。
「逢坂さん」
しかし、逢坂さんからの返答はない。
「逢坂さん?」
「ああ、いえ。少し考え事をしておりまして」
「そうでしたか...」
何故だか浮かない顔をしている。あれだけの完勝を納めたというのに。
僕に説教でもするのだろうか。だったら何か言われる前に僕から仕掛けてみよう。
「そういえば、さっきの空戦お見事でした。教本でしか見た事無かったんですけどあれは木の葉落としですよね?」
不意の質問に驚いたように一度目を見開いた後逢坂さんは僕に視線を向けて答える。
「えぇ。よくご存知ですね。もっとも、あれは奥の手というか、そもそもあんな不利な状態で勝負をするのは飛行機乗りとしては三流なんです。特段誇れる事でもないのですよ」
逢坂さんは、子供が親の言い付けを破った後のような罰の悪い表情で苦笑いしていた。
自分よりも遥かに熟練者たる人物に謙遜はプライドを逆撫でした。それと同時に己の矮小さをまじまじと見せ付けられるような気さえして来るのだから勘弁して欲しい。
そんな不満の現れか、僕はまた煙草を探し求めて手が動いていた。そんな僕をよそに逢坂さんは顔を切り替えて口を開いた。
「そうでした。新人さんに教えるのは同僚の役目でしたね。竹中さんはこの後お時間ありますか?」
「ありますが一体なんの事です?」
「ステーキはお好きですか?」
「はい。...はい?」
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状況の掴めぬまま軽いツーリングをする。
逢坂さんが単車に乗るのはなんだか意外だった。
というのも逢坂さんはスポーツバイクに分類されるような華奢な割に力強いタイプの物で加速度が凄まじい奴だ。
どこか、愛機に特性が似ている気がする。
対して僕はハーレーのようなとにかくパワーの凄まじいタイプの物に乗っていた。これも僕の愛機の特性に似ている。
全身に当たる風が心地いい。
かつての複葉機に乗るような、そんな爽快さは今の航空機では味わう事が出来ない分、本来風を受けて飛んでいる筈の空ではなく、陸でこういった感覚に触れるというのは一周回って稀少な感じがする。
途中、恐らくは昔は鉄道用の鉄橋だったであろう連絡橋を横断する。
下方は川だったのだろうか。
今は既に遷移が始まっているのか低木が生え始めていた。
何気なく後方を確認する。
逢坂さんも度々後方を確認していた。
何度も陸では後方確認は必要ないと言い聞かせるがもう手遅れだ。何故か加速度を受けると自然と体が後方を確認しようとするのだ。
逢坂さんがハンドサインを送ってきた。目的地がそろそろらしい。
ドライブインが見えて来た。
逢坂さんのバイクが首を振ったのを見計らい、自分もそれに続く。適当な駐車スペースに車両を止めて下車した。
「ここは?」
「ここは飛行場周辺で唯一のご飯屋さん?です。特に牛ステーキが好きでね」
「なるほど」
「まぁ、今日は奢りますからのんびりしていきましょう」
店内に入ると紫煙が照明から差し込む光を曇らせ、ダウナー系のbgmが仄暗い印象を与えていた。
これが飛行場周辺で唯一のご飯屋さんとは如何な物か。
まぁ、非番の日くらいこういう静かな所で過ごすのも悪くないのかもしれない。
そうして僕は、逢坂さんに促されるまま奥の席へ座った。
「少し暗いでしょうか。でも不思議と落ち着くでしょう」
「そうですね」
隣にいつの間にかウエイトレスが立っていた。
メモをとる仕草をする。注文をしろという事だろうか。
すると逢坂さんが先に口を開いた。
「ステーキ、ミディアムウェルを一つ」
逢坂さんが目配せをしてくる。
「ステーキ、ミディアムレアを一つ」
「竹中君は何を飲む」
「ではビール一つ」
「じゃあ私は食後にコーヒーを貰おうかな」
「お酒は飲まれないのですか?」
「うん。下戸でね。味は好きなんだが翌日も残るから嫌いなんだ...」
「そうでしたか。これは失礼いたしました。では......」
逢坂さんが途中で遮る
「良いから。気にせず飲みなさい。以上でお願いします」
ウエイトレスは頷いて、颯爽と厨房へ消えて行った。
そして間を置かずにビールと、水の入ったグラスをウエイトレスが持ってきた。
「気を遣ってくれてありがとう」
逢坂さんがウエイトレスに簡単な謝辞を述べる。
「さて、無事の帰還と歓迎の乾杯をしましょうか」
杯を天へ掲げる
「「乾杯」」
グラス同士をぶつけないささやかな乾杯。
少し弱い照明が顔の彫りの深い逢坂さんの顔を一層引き立たせ、妙に様になって見えた。
暫くの沈黙が辺りを包む。何だかこういう沈黙は苦手だ。間がどうにも持たない。
「すみません。煙草、大丈夫でしたか?」
「ええ。大丈夫ですよ。うん。私も一服しましょうか」
すると逢坂さんは今時めずらしい
「煙管とは珍しいですね」
「......ええ。珍しいでしょう?こいつは形見なんです」
「形見...... ですか」
逢坂さんは懐かしい物を見るような恍惚とした表情で立ち上る紫煙を見ていた。
踏み込んで聞きたい気持ちを抑える。
紫煙が滞留する。
逢坂さんは滞留した紫煙をじっと見つめて大きく息を吸って吐いた。ため息とは違う、どこか気合を入れるような、そんな仕草だった。
逢坂さんはこの煙に何を重ねて見ているのだろう。
口を開きそうになったが、ちょうど良いタイミングで注文していたステーキが届いた。
ざっくり250g前後という感じだろうか。付け合せはジャガイモと人参という具合のオーソドックスな感じ。
使い捨ての前掛けを盾にソースをかける。
「では冷めないうちに頂きましょう」
「合掌」
「「頂きます」」
暫く黙々と食べ続ける。
ステーキを殆ど平らげ、ビールがニ本空いた頃にずっと聞きたかった事を聞いてみることにした。
「逢坂さんは空戦機動をどこで習得されたのですか?」
すると逢坂さんは水の入ったグラスを大袈裟に煽って「ふぅ」と一息つく。
「この空戦機動はイークラッド帝国に派遣されていた頃に暁帝国の者たちで研究し続けた成果なんです」
「えっ、イークラッドですか!?西側の?」
イークラッドといえば、西側大陸の縁に位置する島国であり、大戦中の激戦区、航空機開発の聖地だった。
「ええ。そうです」
「ということは、逢坂さんは大戦に参加されていたのですか...?」
「いやいや、そこまで年老いてませんよ」
逢坂さんはクツクツと笑う。
「私が派遣されていた頃は終戦こそしていましたがまだ、イークラッドが東方大陸に植民地を持っていた頃でね、暁とイークラッドは同盟関係でしたから、それで、イークラッド側で義勇兵として飛んでいたんです」
逢坂さんは昔を懐かしむように煙管を撫でながら話す。
「義勇兵ということは、まだ傭兵事業が本格化する前の...」
「そうですね。あの頃はまだ、暁製の機体というと木管布張りの複葉機ばかりで、高馬力のエンジンを作ろうとすれば冶金技術がダメダメでね~、エンジンシャフトが溶け落ちた!なんて言ってた時代ですよ」
僕はそんな昔話にただただ、苦笑いするしかなかった。
「あの時代はね、まだ空は犠牲に血塗られてなかったんですよ。確かにしがらみはありましたが、真の意味で自由だったと思ってます」
「...」
僕は何も言葉を返せなかった。
確かにそうだ。僕が憧れた空というのはまさにその時代の空なのだから。
今の、どこか窮屈な空じゃなくて、もっとスッキリとして秋晴れのように澄んだ空を飛びたかった。
僕の前に居るのは、その時代に空を飛んでいた僕らの憧れた英雄なのだ。
嫉妬心がどうにも膨らんできてしまう。
酔いのせいだろうか、僕はその嫉妬心を止めることができなかった。
「具体的にはどうやってそこまで練達されたのですか?」
「うーん......」
「もったいぶらないで下さいよ〜。そんなにお強いのはどうしてなんですか?」
壊れた機関銃のように一度開いた口は塞がらない。
暫しの沈黙があたりを包む。
そして意を決したかのような面持ちで逢坂さんは口を開いた。
「貴方の前任者との模擬空戦ですよ。独立戦争時代からのバディだったんです」
「では前任者もさぞお強い方だったのでしょうね」
皮肉混じりに問い掛ける。
すると少しだけ悲しそうな顔をして逢坂さんは答えた。
「ええ。凄く強かった。私が敵わない程に......」
追い詰めきって初めて気が付く。明らかにやりすぎた。やりすぎてしまった。
「すみませんでした......」
謝った。気付いてからでは遅いと知りながら一途の望みを託して。
すると苦悶の表情から無理に笑顔を滲ませて逢坂さんは云う。
「竹中さん。あなたは少し飲みすぎですよ。まぁ、明日は休暇であるから良いのですが程々になさって下さいね」
そう言って逢坂さんは代金をテーブルに置いて立ち上がる。
「私はお先に失礼しますけど、ここから基地までは約40km程ありますが、くれぐれもお酒の残ったままで単車に乗って帰るなんて事は為さらないように」
と、忠告を残して先に帰ってしまった。後悔後先たたずとはこのことだろう。酒で失敗する談議は古今東西事欠かないがこれはその典型例だ。
(あぁ...... 何をやってるんだ僕は)
悶々とした気持ちで半ば自暴自棄になり、中々帰る気にもなれないままグダグダとビールを飲み続け僕は気がつけば意識を手放していた。
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