第3話 第1ソーティ

僕は乗機の針花しんかIIをまじまじと見つめていた。

針花IIのコックピットは少し小さめだ。

恐らくはキャビンが与圧式の為スペースを小さく取っているのだろう。

しかし操縦系はまとまりが良く苦労は無い。

また、C型からはキャノピーが先が細く後方は膨らんだ形状に変更され後方視界がかなり良くなった。

他にも翼内の二門の機関砲が廃され機首に集中四門の配置となり慣性モーメントの改良、翼内燃料タンクの増加、翼厚の低下等いい事づくめだった。

後継のD型ではマグネシウムを多用した高馬力重量比のエンジンに換装されているそうだ。

そんなプッシャ式の機体が大多数を締める中、逢坂さんが搭乗する機体は牽引式の桜雷おうらいというのでかなり驚いた。

桜雷は既に一線級の機体ではなくその殆どが連絡機か練習機に転用されており前線で運用している人は居ないと思っていた。


「逢坂さん。これから宜しくお願いします」


「ええ。宜しくお願いします」


華奢な躰をした枯れ木のような紳士である。

しかし声から察するに格納庫前で整備士と言い争って居たのは逢坂さんと断定した。

第一印象では考えられないほど物腰が柔らかい人だった。


「早速で申し訳無いんですけど、逢坂さんは何故桜雷に?」


「やはり気になりますか」


クツクツと笑い声を上げて、少し考え込んでから逢坂さんは答える。


「うーん。手に馴染むというのが一番ですかね。幸い主要な部品は針花IIの部品と共通部品も多いですし乗れなくなるまでは此奴に乗って居たいですね。尤も、こいつが乗れなくなる頃には私の方が先に飛べなくなっていそうな物ですが」


逢坂さんは苦虫を噛み潰したかのようなしかめっ面を何とか押し込んで笑うかのような苦しい笑いを浮かべて答えた。


「もしも心配なさるようなら午後のフライトでその不安を少しでも払拭出来ると良いのですけど......」


そんな台詞で会話を切り上げ僕と逢坂さんは空へ上がった。


滑走路へ侵入しながら改めて桜雷に目をやる。

プッシャ式の針花に比べ、足が短く背が低い。

練習機以来の牽引式だからどこか懐かしく映るのは哀愁だろうか。


そうこう物思いにふければ離陸の時だ。

僕はこの空へ空へと上がる加速度が好きだ。

どんどん自由を得るような感覚。

落ちていくのは終わりに近づいてるみたいで何だか嫌だ。


上空5000mまで緩やかに上昇しつつ、

僕は逢坂機の上空前方に位置を取っていた。

雲が厚いため地上は見えない。

時刻は1431。

丁度太陽は正中といった具合で少し眩しいくらい。

太陽に被さって敵機が突っ込んでくると嫌だなぁ。

とか考えながら目標地点に差し掛かったので雲の中へ入る。

上層の雲は灰色で重たく。下の雲は白く軽やかだ。

暫く飛んで、逢坂機が翼を2回ほど振った。

そろそろ降下しなくてはならない。


機体が僅かに振動する。

軽く浮き足立つような感覚。

雲を抜け、下方に森が見える。

ここら辺は広葉樹林が1面に広がっているようだ。

今は雨季なので黒々として見える。

降下をやめ、逢坂機を探す。

ほぼ同高度。

森の上を暫く飛行する。近くに川が見えて来た。

山岳の河川にしては少々幅が広い。

きっと目標近辺のダムが近いからだろう。

川の様子はかなり濁っている。

あれには飛び込みたくない。

先日雨が降った影響もあるかもしれない。

その遠方には農地がちらほらと見えた。

湿度が高く、小雨が降っているのか霞んでいる。

キャノピィにも水滴がついている。

それ以上遠くは見渡せない。


時計を見る。そろそろ偵察対象に着く筈だ。

僕の神経は下方に集中している。

上空警戒は逢坂さんの役割だ。


逢坂機がさらに高度を下げる。

川を遡上するような形のため橋があると危険な高度だ。

スロットルは殆ど絞っていない。


エンジンの音は一定。

油温、各種操作系に異常はない。


どんどん木々が盛り上がってくる。

川幅も狭まる。

付近には家や道もなく木々はきっと太古のままではないかとさえ錯覚する見事な景観だ。

川は緩やかに左手へカーブする。

逢坂機が主翼を傾ける。それに合わせて僕も左翼を下げる。

下げている主翼の先には泥色の水面が広がる。

土手は飲み込まれているのか両脇は草木が生い茂る。

翼端をかすめれば水面が機体を持っていくだろう。

そうしていると予定通りダムが前方に聳えている。

バットレスダムのためかはたまた天候が悪いせいかダムは黒黒として見えた。


逢坂機の機体が僅かに傾いた。エンジンの回転数を上げたのだろう反動トルクが作用したのだ。

機首が上向いて行く。逢坂機が上昇する。

続いて僕もエンジンの回転数をあげる。エンジンが高鳴る。機体は振動し、機首から白い水蒸気の帯が伸びる。

加速度を背中に感じる。実に最高の気分だ。


機速は徐々に落ちるが何とか上昇し続ける。

そして漸くダムを上がり切り、機体が失速する前に思いっ切りエルロンを切って、背面に入れてから半ロールで体制を立て直す。


ふぅ。


息をつく。

目標の工場を見下ろす。

動目標は認められず。

特に迎撃もない。

つまりこの目標には何も無かったという事だ。

それにほっとする気持ちと残念な気持ちが交互に入り交じる自分が居る。



しかしこの状態もまずい。

今は位置エネルギーも変換できず、速度がない。

ここで襲撃されるとかなりしんどい戦いを強いられる筈だ。

一度反転し、更にスロットルを上げ増速し上昇。襲撃をされても大丈夫なように高度を取る。

後方上空には既に体制を立て直した逢坂機が飛んでいた。


(既に体制を立て直してる...... 流石だな)


もう一度目標の工場を見る。

長いベルトコンベアがあり、それも動いていない。

稼働していない事を再度確認した。


「帰りましょうか」


逢坂さんから無線が入る。


「了解」


僕は返事をする。

しかしその返事もつかの間


「敵機後方。散開」


緊迫する声色で逢坂さんが指示を飛ばす。

敵機に後ろを取られた。

かなり近い。

降下してきている分、相手の機速は充分。

僕達はエネルギーで負けているし、機数も少ない。

彼我の戦力差は劣勢だ。

しかし最初の一撃は躱すより他ない。

僕は右へ旋回した。

追っては来ない。

一度体制を立て直すために高度を稼ぐ。


逢坂機はというと相手機が後方に着いたタイミングでスロットルを全開に垂直上昇。

左ラダーを当て、その後スピンが確立したタイミングでラダーを踏んだまま右に舵を切る。

そのタイミングで優速の敵機は押し出されてしまう。

機種が下を向くとラダーをスピン外側に当て失速から回復し敵機の後ろへ着いた。


所謂いわゆる、木の葉落としだ。

これは一撃離脱向きの針花IIにはできない芸当で、この動き自体も今日の機体は殆どプッシャ式のため教本でしか見ることが無い。


嫉妬する程見事な切り返しだった。


自機も体制を立て直した頃、別の機体が自機目掛けて降ってくる。

今度は左へ切り、ダイブ気味に逃げる。

さっきもそうだが仕掛けられたら基本的には躱すより他ない。

フルスロットルで水面を舐めるように飛行し、手近に逃げ込める隙を探す。

後方を幾度となく振り返る。

この時ばかりはプッシャー式特有のエンジン後方配置故の視界の悪さを呪ってしまう。

しかし敵機は未だ撃って来ない。

再度上から来るつもりだろうか。

機体の各部を計器で点検する。

異常はない。

増槽を切り離す準備をする。

もう一度後方を確認する。


肩の力を抜いて。


「行こうか」


僕は呟く。

腰を浮かして座席に座り直す。

ゆっくりと膝を屈伸し、ペダルの踏み込みに備える。

その間も周囲警戒は怠らない。

前方に水柱。

遅れて激発音が聞こえた。

やはり上から来た。

増槽を切り離し、その反動に合わせて急上昇する。

被弾をしないようにトルクに任せてロールをする。

相手の位置が確認出来た。

1機は自機へ、もう1機が逢坂機へ食ってかかるのが見える。

意識を向けたいがすかさず無線を入れる。


「1機そちらへ急降下」


短切に


「了解」


とだけ帰ってくる。


敵機が撃ってくる。

突っ込んできた。

相手の方に機首を向け被弾面積を少なくし、

短く射撃する。

しかし被弾したくは無いのでバレルロール気味に回避し、45度バングし斜め上方に宙返りする。

機速は失うが高度を得られるので次を優位にしかけやすい。

敵機は下へ行き過ぎたのかターンしようとしている。

明らかなプレイミスだ。

敵機は双発のP83。

低空での機速は向こうが上だ。

早めに蹴りをつけたい。

敵機が旋回しようとする。

ピクピクと撃ちたくてウズウズする右手を静止する。

敵機の角度が移りゆく。

そろそろだろう。

息を止めて、

右手が引き金を引く。

敵機が炎上した。

しかし相手の後部銃座が打ち返してきた。

少しの被弾。


「くそっ。最後に貰ってしまったか」


悪あがきとは腹立たしい。

上空をくまなく観察する。

下方で爆発音と水柱が上がっている。

1機撃墜。

敵影はない。

今度は低空を捜索する。

黒煙を上げて敵機が水平をゆるゆると飛行している恐らくは最初にかかった方だろう。

もう一機を探す。

見つけたと思ったら、鮮やかに敵機下方から逢坂機が突き上げる。

敵機は機関砲が直撃したのか左翼がポッキリと折れきりもみしながら墜落して行った。


「お見事でした」


すかさず無線を入れる。


「そちらもご無事なようで」


すました声色で返信される。

あの機動をして息切れ一つない胆力に畏敬の念を抱きつつも、僅かな嫉妬心が芽生えていた。


「帰投しましょう」


戦果も損害も確認してこない必要最低限な会話。

きっと彼は根っからの軍人肌なんだろうと、僕は同僚を評価した。


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