第2話 着任

 朝、目が覚めると既にベッドの下は抜け殻になっていた。

 時刻は0900。特に起床時刻の指定は無かったのでゆったりとした起床だ。

 昨晩は機体の収容と軽い報告を済ませて案内された部屋に入り、空いたベッドで眠りに就いた。


(ベッドの上側が空いている事は珍しいので思わぬ幸運だと思いつつ脇目も振らずに横たわったが不躾だっただろうか......)


 そうは考えつつも一人で押し問答をしたところで仕方がないので編上靴へんじょうかを履いて部屋を出る。

 外では轟々とエンジン音を立てて2機の双発機が哨戒飛行に上がっていく様が見えた。

 宿舎の造りは古巣と変わりがないので迷うことなく外へ出る。


 昨晩着いた時は気が付かなかったが、この空域には牽引式のレシプロ機が配備されているようで、何やらパイロットと整備士が議論を交わしているのが見えた。

 挨拶をすべきかとも考えたが先ずはこの空域の司令に配属の挨拶をしなければならない為そそくさと管制塔に向かう。


 ここの管制塔も造りは大差ない為、やっぱり迷うこともなく執務室に辿り着いた。

 神南かんなみ 弥耶やや司令官という表札が扉にかかっている。


 コンコンコンと小気味よい音がホールに響く。


「新たに配属された竹中です。入ります」


「入れ」


 女性の声が中から聞こえてくる。

 扉を開け部屋に入ると葉巻の甘い香りが香る。この部屋の主が重度の愛煙家であることが伺い知れた。僕は煙を纏う上司は無差別に信頼する事にしているから少し嬉しかった。

 僕は5歩進み、敬礼をする。


「竹中飛行士は、神南司令に着任と搭乗機の引渡しのご報告に上がりました」


 白髪を後ろで纏め、鋭い目付きを隠すかの如く大きめの古風な丸メガネを掛ける淑女が凛と立ちはだかっていた。


「急な転属命令並びに単独での夜間飛行、実にご苦労だった」


 声が低く、綺麗な標準語。

 軍属特有のアクセントに短切明瞭な物言いが心地の良い魅力的な声だ。


「恐縮です」


「さて、早速だがこれが最初の辞令だ」


 そういって資料を手渡そうとするので更に近づいて資料を受領する。


「正午には最初の指令が来る。待機しておくように」


「了解」


「オウサカは?」


 神南はスケジュール帳を開きながら問う。


「申し訳ございません、どなたでしょうか」


 真っ直ぐに聞き返す。

 神南は少し驚いたような顔をして僕を一瞥した後、眼鏡を直して少し怒気を含めた声でもう一度聞き返した。


「君の同室のオウサカだ」


「彼なら私が起床した時には既にベッドにおりませんでした」


「そうか」


「ご指示を」


 一瞬の間を置いて神南は言う。


「誰もオウサカと組めと言わなかったのか」


「はい。誰も」


 神南は再度僕を一瞥する。


「訂正。私は昨晩の報告以降誰とも話をしておりません。よって組めと言われる事が無かったと申し上げます。加えて......」


「もういい。掌握した」


 彼女が言葉を遮った。そして彼女は改めてスケジュール帳に目を通し時計を確認した後に、


「10分後に現在地へ」


「了解。竹中飛行士は神南司令に要件終わり、帰ります」


 僕は敬礼をして彼女の部屋を出た。

 律儀に返礼をしてくれたところを見るに彼女は信頼に足る上官だろう。


 現在時刻を確認し、一度自室に帰ることを検討するがそんな時間もなさそうなので談話室に入り煙草を吸うことを試みる。

 後ろからカツカツと音を立てて近付いてきた神南さんが僕を一瞥もせず横を通り抜け外へ出て行った。

 古巣と同じようなガラス戸を開き中へと入る。

 中は黄ばみやヤニ臭さはなく小綺麗だ。

 その中央で猫のように中性的な顔立ちの人がカフェモカを飲んでいた。


「こんにちは。見ない顔だけど新入り君かな?」


 猫撫で声のような軽やかな響きのする可愛らしい声の人だ。


「こんにちは。今日付で配属になります竹中です」


 そういうと彼女が少し値踏みするように僕をじっと見るが


「そっか。君が...... 私はひいらぎ。宜しくね」


 何か含みのある間を置いて挨拶してきた。

 疑問にも思ったが、初対面でそれを聞く勇気は僕には無かった。


「はい。よろしくお願いします。煙草、大丈夫ですか?」


「吸っても全然良いけど窓際でね」


「了解」


 僕は窓を開け放ち、煙草を懐から取り出す。残数が少ない。


「神南さん怒ってたみたいだけどどうしたの?」


 少し気まずい質問だ。


「いや...... 逢坂さんを探しておられるみたいです」


 僕はなんとなく濁して答える。


「あぁ。なるほどね......」


 柊さんは何時もの事と言わんばかりに納得の表情でカフェモカを啜っている。


「逢坂さんってどんな人なんですか?」


 紫煙が空へと昇る。雲一つない快晴だ。この様子だと明日も晴れだろう。

 煙草が揉み消すには丁度いい寿命となった時、少し顔を緩ませて柊はぶっきらぼうに言った。


「会えば分かるよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る