心配しない恋でした

T先輩

短編小説 第一章 

 「美優……」

時折、悪夢にうなされて目が覚める。

「注文いかがなさいますか? オススメはこの唐揚げですよ! 私もここでビール飲むときはこれなんですよ。こう、ガブっと一口食べた後にこの冷えたやつをグって感じでアハハハ…」

 彼女は居酒屋で出会った店員だった。ガヤガヤと賑やかで小さい居酒屋、負けじと人一倍声を張る店員の中、透き通った女性の声。タバコ臭い店内の空気、油でベタついている床、煙で黒ずんでいる看板の中で穏やかなオレンジの照明に照らされた彼女は太陽も同然だった。

「じゃあその唐揚げ二つと、生と…レモンサワーを一つずつ」

大衆居酒屋で友達と飲むのは大学生らしくて好きだった。店員に一目ぼれしてしまった。

「なあ、あの店員結構かわいいしアリだよなぁ」

「もしかして狙おうなんて思ってないだろうな」

友達があの店員に興味があったことへの驚きで牽制をしてしまった。

「狙っちゃだめかよ」

 あぁ、だめだもう思いだしてはいけない。想ってはいけないんだ。

 目を覚まし真っ暗な部屋でスゥと湿気た空気を吸い、ゆっくりと温かな息を吐く。ベッドから体を起こし窓から見える濡れた街を見下ろす。人は水溜まりをのぞき、光に群れをなしている。マンションの三階から見える景色などたかが知れているとは知りつつもこの気持ちを抑えるには十分すぎる冷たさだった。

 机に置かれた一世代古いスマートフォンがブルブルと震えた。

「なあ、今から会えないか」

 寝巻の上に軽く上を羽織り、雨の中足取り重たく光に吸い込まれていく。

「ご注文いかがなさいますか」

「おすすめは」

「当店としてはモツ串をお勧めしております」

「君のおすすめは」

「僕ですか?僕は……」

 店員の彼の言葉が詰まった時点でやってしまったと思い口を開く。

「じゃあモツ串を四つと生を一つ」

「かしこまりました」

 スマホのネットニュースをアテに早くにとどいたビールをこくりと飲む。カツカツという足音で顔を入り口に向けると目の端には裾が黒のグレーに濡れた男が立っていた。男の顔を見ようと顔を上げる、同じくして男は殴り掛かる。

「なんで、なんでなんでなんで……お前はあの子を離したんだ。」

 そうだ。僕はあの子が好きだった。バイト先を愛していた、そんな些細な人生の一部ですら全力を注いでいた。だからこそ、隣が怖かった。悲しかった、苦しかった。

「なんでなにも言わないんだよ。なにか答えてくれよ」

「ごめん」

「お前があの時、あの子の手をとったせいだろ。俺の気持ちも知っていたはずなのに一言で済むと思ってるのか」

「ごめん」

 分からない、が心と頭を埋め尽くす。もし、彼女がここに居たらどんな悩みでも苦しみでも振り切るんだろう。自分の情けなさに怒りが込み上げた。

 走った。男はついてこなかった。前を向くと電柱が目の前に現れた。

「もっと彼女を知って、守ってあげられる心が、勇気があれば」

 土砂降りの雨の中ゆっくりと目が閉じていった。

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心配しない恋でした T先輩 @Nupira

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