第六話:四兄弟の思惑

「確かに左近を狙うだけの備えをしていたが故のおごりや。驕るほどに備えとったんや」

 必ず仕留めるつもりだったのだろう。清大夫にやられるとは思いもしなかっただろうが。


「左近を人知れず殺すには、守らなならんことがある。一つは誰にも見えやん所で殺すこと。もう一つは、すぐに屍を始末できる所で殺すことや。前者はともかく、あんまし離れを出やん左近を始末できる場所は少ない」

「……私の狼煙の火種か」


 早朝、左近は一人で海辺に出る。火薬を持ち出していることが人に知れぬように、人のいない朝の海辺の松林を狙う。そしてそれは、格好の暗殺場所でもある。なにせ左近は人を避けているのだから。


「彦太郎殿は朝に左近が離れを出ることを知らんかった。やのに、かように朝の海辺で左近を殺そうとした。誰かに教えてもろうたんやろなァ。左近、誰が知っちゃあると思う?」

「まさか、晴姉様が⁉」

「正気で言うとんのけ? 晴殿が寝返ったら、寝首掻かれてしまいやろ!」

 鬼の形相で晴の座る方に振り返った左近の頭を、ぺしんと清大夫が叩く。


「他にもおんで、寝首は掻けんが、左近に詳しいもんが。お主の烏帽子親、弥三郎や」

「弥三郎殿が⁉」


 左近は大きく口を開けた。弥三郎は兄弟平等を説き、最も左近に優しかった。貰われっ子を、それでも男だからと船に乗せるように進言したのは弥三郎だ。面従腹背と言うには、あまりにも左近に心を砕きすぎている。

 それをいきなり、彦太郎が左近に刺客を送ると言いだしたのに、こっそり乗る性格でもない。左近を出て行かせたいのなら、直に出て行けと申し出てくるか、或いは自らの手で斬り殺す。侍のように、この上なく筋を通そうとする男だ。


 信じられなかった。裏切られたような心地がして、左近のただでさえ白い顔が青ざめる。


「弥三郎殿。お主は祝いの品を、朝には会えんからと晴に渡したやろ。なんで朝には会えんと考えた? 祝言の当日の朝は、会えるに決まっちゃあるやろうに」

「……当日は忙しないからと」

「朔殿は、使いが朝に寄越してきよったぞ。尋常ならば、そうするのが常や。知っとったんやろ? 左近が毎朝、必ず離れから姿を消すことを。そして、海辺に向かうことをよ」


 左近が他にも曲者を招き入れているという疑いが彦太郎によってかけられたとき、弥三郎は左近を庇った。

「弥三郎殿。他の日においては、曲者を引き入れておるかは、左近しか知らんと言うたな? 他の日も左近は海辺を一人で歩いとると知ってやんと、そういう言葉にはならんな?」


 言い訳の余地はある。清大夫の言葉には穴がある。しかし弥三郎は食い下がる男ではない。潔く清大夫の言葉に頷いた。左近は驚きで言葉が出ない。目を二度、ぱちぱちとまたたくばかりであった。


「烏帽子親やからと、祝いの品を己の手で渡しにくる実直さ。左近を庇う情の篤さ。見上げたもんや。しかし己で墓穴ら掘ったなァ」

「…………」

「な、左近。分かったやろ、彦太郎殿に左近が朝出かけるんを教えたんは、弥三郎殿や」


 弥三郎は、左近を狙う場所がないか考えている彦太郎に、ふと教えてしまった。左近は毎朝、日の出とともに起床し、海辺のあちこち、あるいは松林に出て歩き回る。その時、必ず一人になる。狙いやすく、仕留めやすく、誰にも知られずに身内を始末できるこの上ない機会だ、と。


「……弥三郎様が、かようなことを?」

 左近の心の内を代わりに呟いたのは、晴であった。弥三郎だけは味方だと思っていた。しかし違った。弥三郎は彦太郎や父親に盾ついてでも、左近を守ってくれた。

 先ほどもそうだ。弥三郎は左近をかばってくれた。船に乗せ、水軍衆として育ててくれた。烏帽子親にもなってくれた。


 もしその彼が、船の上で左近が死ぬことを、長年望んでいたとしたら。死を望まれていることに動揺しているのではない。弥三郎の性分は裏表がないはずと思っていた己の認識が永らく間違っていたことに、落ち着いていられぬのである。


「……小田原合戦じゃ」

 ぽつり、と弥三郎は呟いた。左近ははっとして、すぐに弥三郎の思うところを解した。小田原合戦と言えば、豊臣および徳川軍が小田原の北条軍を攻め落とした合戦である。北条水軍が根城とした下田城は、今年の四月に豊臣軍の猛攻により落とされた城であった。


「……小田原合戦がなんや?」

 話についてゆけぬ清大夫は、場の流れを乱さぬように左近にそっと耳打ちをした。

「小田原合戦の、下田城攻撃軍には、私の叔父で来島家の当主、通昌みちまさ(注:正式名は通総みちふさ)殿がいる」


 通昌は兄弟の父親である村上武吉とも仲が悪い。また、真っ先に水軍としての生き方を捨て、秀吉について陸で戦う武将となった。それにもかかわらず、毛利水軍に編入されていた村上水軍を差し置いて、来島は下田城征伐で海賊として手柄を立てた。


「それがつい先日のことじゃ。依る者のない身内の力にならずしては海賊でおれぬという、わしの昔からの信条に偽りはない。じゃが下田の話を聞いて、ああ左近はかの男の血を引いとるんじゃと思うてな。魔が差したと申すのは弁明にしかならんが、そうとしか言いようがない。すまんかった」


 弥三郎は決して、左近に頭を下げるような立場ではない。しかし弥三郎は左近に対し、丁寧に頭を下げた。実直で勤勉、人望においては並ぶ者のいない人格者の名は伊達ではない。


「……先の兄上のお姿は偽りではなかったと。左近は幸せにございます」

 左近が心の底から幸せだと思って頭を下げかえしたのを見て、弥三郎は刹那に目を見開いた。ああやはり、と左近は思った。弥三郎は善人である。侍にも海賊にも向かぬ、芝居の下手な男だ。能島で顔を合わせて八年、左近を可愛がってくれた思い出は、崩れ去ってはいなかった。そして、自らの血は、そんな弥三郎にすら迷いを与える血でもある。


「……弥三郎のやつ、昔から変わらんな」

 表情の変化に乏しい源次郎が、熱く左近に語る源次郎の背にめをやり、ふっと笑った。

「源次郎こそ、彦太郎の弓部隊を殺してまで左近をかばいよって」

 それを揶揄ってみせたのは、姉の朔であった。


「情があるんは左近やのうて、鉄砲にございまする……。彦太郎兄上には申せませぬが」

「食えない男なんは変わらんの」

 源次郎は頷いた。そして情の揺れぬ彼に、あの日度肝を抜かせた雑賀の男は、満足そうに左近と弥三郎の様子を見ている。


「さて。大見得を切るのは楽しかったか? 清大夫」

 足音を消して動いていた左近が、いつの間にか清大夫の背後にあらわれ、低く尋ねた。左近が怒り心頭であることは、顔を見ずとも声の調子からすぐに分かった。

 左近が狙われたあの日、何があったか。能島村上五兄弟の当人ですら知らぬ事情を一つずつ紐解いた清大夫は、表情さわやかに立っている。しかしそれを面白く思っていないのが、左近であった。


「これが祝言の儀であることを忘れとってか」

「…………」

 土橋清大夫は、都合の悪い問いには、決して答えぬ主義である。


「私の祝言をかように荒らして、楽しかったか? 清大夫」

鏑矢かぶらやは俺ちゃうぞ。俺は鉄砲撃ちやさけな。そんなに祝言をつつがなく終えることに執心しとったんけ? 生涯に一度やからか?」

「違う! これは能島村上家の祝言だぞ! 我が家に恥を塗ろうというのか!」


 実は違わないのだが、己の中でかような心の揺れ動きを認めるのが癪で、左近は大きくかぶりを振った。

「ほう。それを聞けば、きっと筑前ちくぜんの父上もお喜びになってじゃ。来島の子が、真に能島になったとな」


 能島村上家総大将たる彼らの父親は、小早川隆景と共に筑前国で過ごしている。左近の祝言は知っているが、相手は能島に背くものでないという程度で、それ以上は詳しく知らない。恐らく女だとも知らない。


「左近はともかく、この鉄砲撃ちが、真に能島を背かぬかどうか分からんが!」

「この島から出さねば良い。彦太郎の言う通り、能島に詳しい左近を島から出すつもりは私にもない。雑賀の者がついているとなれば、なおさらじゃ。敵に回せばおえんとは、皆分かっとるじゃろう」

 彦太郎を戒めたのは、男たちのやり取りを静かに聞いていた朔であった。


「源次郎の言う通り、火薬に長けた左近を考えなしに殺すのも下の下じゃ。ならば手は一つじゃろう。飼い殺しでも構わん。取り立てても構わん。左近も清大夫とやらも、能島村上の外には出さぬ。身の行く末は、お主らがいかに村上のために働くかにかかっておってじゃ」


「言うたやろう。俺は秀吉の命を狙っとる。そのための、ただ一つの拠り所が村上家や。尽くせるもんは全部尽くしたる」

「当主一族にその口の利き方はなんじゃ! 真に村上家の為に身を尽くすとは思えん!」

「もう輿入れは終わったさけ、俺は村上左近や。村上左近としての口の利き方をしちゃあるだけや」

「村上左近の口の利き方としてもおえんぞ。もんが」

 左近が清大夫をこづく。


「……好きにせぇ。雑賀の者が村上左近時重と名乗ろうが、船に乗ろうが、能島村上家が栄えればわしは構わぬ」

「源次郎、あの清大夫とやらを認めるんか! わしは認めんぞ。煙硝蔵にでも閉じ込めェ」

「しかし兄上、火縄銃の扱いは必ずや戦の要となってございますぞ。奴に火縄銃を教えさせれば……」

「海賊が火縄銃など使えるかッ!」

「しかし左近、これからわしはそなたを何と呼べば良いのじゃ。あの男も左近じゃろう」

「……私も困っております、弥三郎兄上殿。しかしながら、あの男が村上左近を名乗るんは外だけでございますけぇ、変わらず呼んでいただければ」


 話が錯綜し、まるで纏まらない。姉の朔がパンと手を大きく叩き、収拾のつかなくなった祝言の場に無理矢理片を付けた。

「これ以上やっても時間の無駄じゃ。何かやりたいなら、機を改めェ。私はせわしいけぇ、これにて帰る」


 大きな目で一同を見渡した朔は、従者を連れて立ち上がった。乳母子の晴に手を振って去ろうとした朔だが、ふと戸の前で振り返る。

「左近よ。面白い﹅﹅﹅じゃじゃ馬を見つけたな。夫婦めおとの極意を教えたろう。女が手綱を握ることじゃ。確か左近は馬は得意じゃったが」


「……心得ます」

 朔は左近の礼に、目を細めて頷いた。真意は分からないが、皮肉ではなさそうだった。言葉通りに受け取るならば、清大夫を信用している訳ではないのだろうが、しかし敵とは見做していないようだった。

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