第七話:ふたりっきりの硝煙使い

 「ええ部屋やのぉ」

 祝言の後は、婚儀の衣装のままで同じ部屋に入るのが習わしである。


 それらも全て、晴が用意してくれたものだ。殺風景な板張りの部屋に、しとねと畳が置かれていた。

 式自体よりもこの状況の方が、祝言を結んでしまったのだという実感が湧く。左近の肩がずんと重くなったような気がした。


「覚悟はしとったけどよ、すさまじい祝言やったな。一生笑い話にできそうや」

「引き金はそなただぞ」

「すまんかった!」


 清大夫は頭の後ろで手を組んで、けらけらと笑った。部屋の隅には、やはりトモエが置かれている。清大夫は彼女﹅﹅を目の届かぬところに置く気はないらしい。


「だが、こちらも悪かった。かような見苦しいいさかいを見せてしもうてな」

「俺ん家もあんなもんやった。血の気が多ないと、水軍もやってられんし、鉄砲撃ちもやってられんやろ。気に食わん奴に毒を盛らんと、直に殺しに来るだけ、彦太郎殿も男気あるわ。そんな中に俺みたいな余所者が飛び込んできたら、そらァああなるでよ」

 清大夫は大きく伸びをすると、上蓆うわむしろに寝転がった。


「この方法しか良かったんか? 他にもっとええ方法ら、何かあったんちゃうか」

「それを今言ってどうとする」

 左近は苦笑した。ここまで来て戻れるものではない。妙に気まずい、新婚としての夜を過ごすことまでは考えていなかったのだろう。清大夫は色直しも知らなかった。田舎育ちのせいか、案外純朴な男だ。


「祝言の時、あんだけ怒っちゃあった奴らやぞ。また刺客ら送り込んで来たらどうすらよ?」

「私も清大夫も、能島村上のために生きておるというのは兄上たちに伝わった。秀吉が憎いのも同じだ。あれだけ痛い目もみておいて、なかなかまた殺しに参るとはならんさ」


 祝言を荒らしたのは清大夫だ。それに腹が立たないわけではない。だが清大夫の立ち回りのおかげで、左近が命を狙われたことがいかに大きな話であるか、彼らに伝わった。こちらは全て分かっていると目の前で啖呵を切られれば、誰しもひるむ。


「私の火薬のことを認めて下さっていたのも、弥三郎兄上が下田城のことで来島を憎んでいたのも、それで初めて知ったのだからな」

 兄弟の心の内まで解いたことで、左近は忌まわしの存在ではないかもしれぬ、という流れが言外に生まれたのは確かだ。何を考えているか分からない源次郎が、左近の側に付いたことも大きい。


「しかし畢竟、源次郎兄上が身内に撃ちかけたのは確かだ。彦太郎殿と源次郎殿が仲違いしたら……」

「身内を撃つってもよ……。そもそも殆どは俺の手柄やろ。仲違いするほど殺し合うてたか?」

 そう言う清大夫も、実際に何人を殺したかではなく、誰に射かけて撃ちかけたかが大事であるのは知っている。


「私が大人しく死んでおった方が良かったと、悔やむことになるやもしれん」

「は、そんなおもしゃいことあるかよ。身内なんてのは、仲が良うてもある日いきなり憎んだりするもんや。仲のええまま死に別れた方が、いくら幸せか分からんな」

 清大夫は視線を部屋の隅にやった。それがトモエか、と左近は尋ねそうになって、口をつぐんだ。


「別に俺は、あの兄弟らまとめて撃ち殺しても構わんよ。そうすれば家督は村上左近が継ぐしかなくならよ」

「……兄弟を殺して継いだ家督に何の意味がある。誰が私についてくるんだ」

「そういうことや。あの兄弟は左近を邪魔じゃ殺すと息巻くが、ほんまに殺した先のことは、殺してみんと見えやん」

「殺したことがあるのか」

 清大夫は黙って首を横に振った。


「逆や。俺の父上は孫一に殺された。やけど、その手引きをしたんは父上の弟、俺の叔父上やった。どこかで見た話やと思わんか?」

「……私を揶揄うな」


「でもよ、父上を殺したとて、家はまとまらんかったし、そんあとに信長も死んで、父上を殺してええことは何もなかった。俺らも、孫一も、叔父上も。そういうもんや。自分が死んだら家のためになるなんて考えんな」

  清大夫の鋭い目が左近を睨む。普段にやにや笑っている目が真剣にこちらを向くと、どうも気おされてしまう。


「……それで清大夫は私を守ってくれたのか」

「守る? 何がや。俺は左近を守ったつもりはあれへんぞ」

 清大夫は心底不思議そうに尋ね返した。謙遜しているのではなく、本当にそう思っているようだった。


「私は清大夫に借りがある。それを返させずに共にいろというのか」

「なあ左近。村上家は確か真言宗やったな。般若心経を唱えるやつや」

「……ああ、そうだが」

「俺は浄土宗やさけ、細かいことはよう分からんが、真言宗では無為に人を殺せば地獄行きやろ」

「……そう、だな。地獄についてはあまり考えたことがないが」


 加護、冥護、あるいは天祐を求め、武人の多くは神仏に縋る。だがそれは死後のためのものではなく、今生のためのものであることが多い。左近もどちらかというとそうで、冥土の話に面食らった。

 真言宗そのものが、死後の話をあまりしないこともある。だが浄土宗はそうではないらしい。清大夫が信心深いとは、左近はやや意外であった。


「悪いが、私自身は地獄など信じておらんのでな」

「俺も信じとらんがよ、秀吉が極楽浄土に行くのもつまらんやろ。仇敵を叩き落とすために信じるんが地獄や」

 左近は思わず笑った。清大夫はやはり底抜けの根性曲がりである。


「一人では討てん。左近がどうしてもおらなならんのや。それまで身内に殺されんなよ」

「私が死ぬのを待つ身であると笑ったのは、どこの誰だ」

「……ほんまはよ、お主のことやなかったんや。ほんまに死ぬんを待つんは、俺や」

 清大夫は、灯し油の火を吹き消した。部屋が暗くなり、互いの顔はほとんど見えなくなった。


「だから何だ。そなたの言葉がまことでなければ、私だってあんなに怒らぬわ」

 婚礼の白装束のまま寝所に入るのを知っていたのに、妙に左近から清大夫は距離を取る。あんなに大見得を切ったのに、実際は緊張していたらしい。


「いつ死んでも構わんさけ、俺は好きにやっとるけどよ。こんなんやったら、すぐ死ぬかもしれんな」

「その時は、二人で地獄に行けばいいさ。いや三人か。秀吉も道連れにしてな」


 月明りが少しだけ部屋に入っていた。清大夫は答えずにふふと笑って、左近に広い背中を向けた。

 あれ、と左近の心に何かが引っ掛かる。左近がこう言えば、清大夫は乗り気で首肯するだろうと思っていたのに。

 あるいは、左近がなにかまずいことを言ってしまったのか。しかし詳細を尋ねるほど、仲が深いわけでもない。左近も寝返りを打って、清大夫に背を向けた。

 虫の音がかすかに響いている。静かな夜だった。

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