第五話:村上の鉄砲使い

「まさか。信長に負けてから、我らは焙烙を捨てた。種子島も陸の武器じゃ! 我らは使わぬ」


「村上家当主たるお主らの父上は、秀吉に睨まれて九州におるんやろ。いくら嫡男の彦太郎殿が火縄銃を嫌うててもよ、他の兄弟が従うんは彦太郎殿やのうて父上や。お父上は水軍が焙烙火矢ら使うてた代やろ。左近のように火薬に執着しやんまでも、戦いに鉄砲が必要やと思うとる奴らはおってもおかしない」

 誰だ、と彦太郎は兄弟を睨む。


「私じゃ」

 そう言って姿勢を崩し、胡座をかいたのは朔であった。

「私が火薬を作らせておった。左近に余った火薬を譲っとったんは私じゃ」


「勝手なことをッ!」

「勝手は手前じゃろうが!」

 かっとなった彦太郎に、朔は更に大音声だいおんじょうで怒鳴る。

 朔の方が年下であるにもかかわらず、乱暴な言葉遣いと勢いに彦太郎は気圧されたように、眉をひそめるだけひそめて押し黙った。


「確かに今は海賊としての出番もないけぇ、火薬を使うことはないな。じゃが焙烙火矢を作っとった者たちはどうする。いきなり火薬業は御免じゃから暇を出す、なぞ言えるか? おえんじゃろう? じゃから私は、数は減ったが火薬は作らせたし、焙烙も作らせた。晴を通じて左近に譲るんはわけないことじゃった」


「……晴姉様を通じて、火薬を譲って下さりましたのは朔殿でしたか。かたじけのう存じます」

 左近が花嫁姿で下げた頭を、朔がぽんぽんと撫でて返事とした。


「妙やと思わなんだか、左近? 高い火薬を忌まわしい貰い子にやる筈がないやろ。晴殿が融通してくれる言うても、目方は知れとる。晴殿に火薬を回したってる、誰かがおるはずや」


 清大夫にそう説かれ、左近は元来白い顔を白粉おしろいの下で赤らめた。知らなかった。晴に言えば融通が利くのだから、それでよかった。晴が煙硝蔵の鍵を持っていたのは知っていた。

 だが晴がどうやって煙硝蔵の鍵を開けていたのか、なぜ火薬をくすねても誰にも咎められなかったのか。そもそも、どの程度の火薬なら、くすねても分からないのか。考えたこともなかった。


「私が晴に、我が名を出すなと言うたんじゃ。左近に恩を売りとうて渡しとらんけぇな」

「かたじけのうございます」

 左近が火薬に興味を持って、もう五年以上になる。その間、飄々と生きながらも、ずっと左近の力になってくれていた彼女の恩に、左近は気付いてすらいなかった。


「……雑賀じゃ火薬の分け方でよう揉めるさけな。今まで何もなく貰えてたんやったら、そこまで気付かんのも無理はない」

 目に見えて動揺し、しょんぼりした左近に、清大夫は一つ溜息をついて、そっと耳打ちをしてやる。左近は二度ほど頷いたが、やはりやや気落ちして見えた。


「ならば、我らを鉄砲でねろうたんは朔か?」

「知らぬわ。あの清大夫とかいう、左近の夫じゃろう」

「ちゃう。あの日、あの浜には、彦太郎殿ご一行の他に、もう一人隠れとったんや。弟殿の中の誰かがよォ」

 朔と彦太郎の争いに割って入ったのは、目を細めた清大夫であった。


「はじめ、俺らは鉄砲では狙われてへんかった。俺がはじめに狙うたんも弓使いや。せやけど途中から鉄砲で撃たれるようになった。怪しいと思わんか?」

「……いや」

 左近は首を捻る。火薬には詳しかれど、鉄砲で何かを狙ったことのない彼女には、その違和感が分からない。


「鉄砲があるなら、弓で狙わんと、はじめから鉄砲使うやろ」


 火縄銃は扱いこそ容易たやすいが、狙いは定めにくい。余程の上手じょうずの者でなければ狙撃には向かない。しかし左近たちがやられたように、数を揃えて乱れ打ちをすれば、確実に二人を殺せる。それが火縄銃という新鋭の武器だ。


「俺と違うて、あんまり上手の者ではなかったな。撃ちはじめて日ィ浅いんやろ。ま、左近を狙うてた輩が、彦太郎の他にもう一人おると考えて、違いない」

 清大夫は低い声で呟いた。屋敷は静まり返っている。その静寂の中で、朔がくくくと笑った。


「私を怪しの者の内から外すのは助かるがな、そのほうよ。何故外す? 訳がなければ腑に落ちるまいぞ」

「朔殿だけが、左近を女子おなごやと知っとるさけな。それを知っとって、わざわざ女の命を狙う奴はおらん」


 左近を殺そうとしたのは、左近を男だと思っていたからだ。来島村上家の左近が、海賊の一員として能島村上に堂々と加わるのが許せずに狙ったのである。だが女と知っていれば、その話を広めれば済む。命を狙う意義はない。


 そうなれば、左近を火縄銃で狙ったのは、次男の源次郎か、三男の弥三郎になる。

「ほんまにそうけ? 彦太郎殿、お主は俺の姿を初めて認めた時に言うたな。『生きとったか』と『殺したと思うておったが』とも言うたな」

 その言葉の裏には、彦太郎は清大夫を殺したと思い込んでいた、という意味が含まれる。


「見たんやろ。鉄砲撃ちの屍が転がっとるんを。それを見て、左近に弓を射かけたら撃ち返してきた鉄砲撃ちは、きっと死んだんやと。つまり、俺が死んだと思い込んだんや」

 彦太郎は何も言い返してこなかった。やや悔しそうな表情を浮かべるのみであった。


「だが清大夫、それで兄上たちのどちらかが鉄砲を持っておったか分かるのか? 私は分からん」

 頭の回る左近だが、自身にその覚えはない。分からぬことは分からぬと、素直に尋ねられるのが左近の長所だ。


「俺は左近を狙うた鉄砲撃ちの頭を、トモエで割った。しかし鉄砲で割られた屍を見て、自らが射抜いたとは思わん。弓で死んだ鉄砲撃ちもおったんや。それを見て殺したと思い込んだんやろ。せやけど何もないところに弓を射かけて、鉄砲撃ちを殺せるはずもない。あいつらは撃たれたんや。撃たれた方向に射返したんや。俺らの他におった鉄砲撃ちは、弓部隊を撃ったんや」


 そんなはずはない。左近は白い衣装の下で拳をぐっと握った。弓部隊が彦太郎の配下だと決まり、鉄砲隊が兄弟のどちらかだと決まった以上、兄弟同士で撃ち合いになっているということではないか。

「待て。我々は雨と同時に松林を逃げたろう。騒ぎの拍子に、鉄砲隊が誤って弓部隊を撃っただけでは……」


「忘れたんけ? 俺らが松林を逃げたのは雨と同時や。雨が降ったら尋常の鉄砲は撃てん。鉄砲隊は、明らかに俺らの小屋から外れた位置に張った弓部隊を撃ったんや」

「ならばなぜ、清大夫をも撃った?」

「一つは俺らを小屋に籠城させるためや。雨が降ってそれは叶わんかったがな。もう一つは左近を殺しに行くという名目で銃を取ったさけ、撃たざるを得んかった。つまり、己の従えとる鉄砲撃ちにすら、左近を殺さぬとは言えん立場の者が、鉄砲を撃たせたっちゅうことになる」


 清大夫は顔を上げ、一人の男に視線を定めた。男もまた、清大夫を睨み返した。

「先刻、俺に『伊予に何をしに参った』と言うた者がおったな。雑賀は人に雇われて鉄砲を撃つ。左近に雇われたと思うんやのうて、伊予に何かをしに来たと考えるんは妙や。あの日、俺が能島に流れ着いたんを見ているものでなければな。村上むらかみ源次郎げんじろう景親かげちか。おのれやろ、左近を鉄砲で狙うたんは」

「……おう」

 源次郎は相変わらずのぼやけた口調で首肯した。


 源次郎に撃たれたと分かり、むっとした顔になったのは彦太郎である。

「源次郎、なぜわしに黙って、種子島など持ち出した! 配下の者まで撃ちよって!」

「わしとて火縄銃が海賊の武器とは思うてはおりませぬ。しかしながら……。敵は火縄銃を使うて参ります……。火縄銃を使わぬまでも、知らぬとは申せませぬ……!」

 やはり言葉に抑揚はないが、滔々と源次郎は喋る。


「それでなぜ我らを撃った! 何人死んだと思うておってか!」

「左近は殺せませぬ……。あれは水軍一の火薬の上手じゃ。今殺せば、家の行末まで決まりますぞ……?」


 左近が火薬に執心であるのは、源次郎もなんとなく知っていた。晴が煙硝蔵の鍵を開けるのを何度か見ていたからだった。左近を殺しに行くと聞きつけた源次郎は、ひそかに買った数丁の鉄砲を持たせ、こっそり様子を伺った。

 案の定、彦太郎の配下の者は左近を狙っているのが見えた。源次郎は舌打ちを一つすると、同様に左近を狙う鉄砲撃ちに、弓部隊の方を指さした。


「弓部隊を味方じゃと思うとる者ですけぇ、味方を撃たせるたァ、酷なことをしました……。じゃが弓部隊が射返して参ってからは、引き金を引くんに懸命じゃったろう……。撃ち合いになって皆死んだけぇ、心の内をあらためることは叶いませぬが……」


 源次郎が雑賀の腕を見たのは初めてだったが、見事な鉄砲撃ちであった。雨でも撃ってくるとは思いもしなかった。付け焼刃、見様見真似でかじった程度では、倒されるのもやむなし。かなうはずがない。


「源次郎……」

 己の弟に銃を向けられていたとは今の今まで思っていなかった彦太郎は、源次郎に恨みの籠った視線を送る。


「おい待てや、弓使いの者らを殺したんは大概が俺や。恨むなら俺やろが」

 手柄﹅﹅を奪われそうだと思った清大夫は、不満気に彦太郎の言葉に口を挟む。

 彼にとっては、生業なりわいとして殺した者の数が、そのまま自らの鉄砲の腕に直結するからである。


「なんで鉄砲で割られた鉄砲撃ちを見て、彦太郎殿が自らと俺らの他にも勢力がおると、ちィとも気付かんかったかは分からんがよォ。頭に中身ほんまに詰まっとってか?」


「剣術が不得手なくせに、要らぬことを申すな清大夫! 斬られても知らんぞ」

 左近が清大夫の尻に蹴りを入れる。ぐらりと清大夫の身体が傾いて、大きくすっ転んだ。晴が駆け寄ってきて、構わず左近を叱り飛ばした。ここが祝言の儀が終わって間もない場であることを、ここにいる者は揃いも揃って忘れている。


「左近様! 花嫁がそんな! 足など上げなさいますな!」

「蹴らずにいられるか! むしろもっと蹴り飛ばしとうてならん!」

「おうおう、やってまえ。それでこそ村上の女子おなごじゃ!」


 朔が煽る。それに乗せられるように、左近は清大夫にもう一つ蹴りを入れた。左近がそうしなければ、本当に清大夫が刀を抜かれて斬られるおそれすらある。

 清大夫では彦太郎の太刀を受けられまい。左近の蹴りで片を付けてやっただけ、清大夫には感謝してほしい。


「お主……力が強いな……流石は海賊……」

「彦太郎兄上を舐め腐るからであろうが!」

 命を狙われてなお、左近は彦太郎に味方する。命を狙われているから、と言えるかもしれないが。


「ほんまに彦太郎殿の頭が空っぽやとは思うとらんわ。鉄砲撃ちの同士討ちやと思ったんやろ? 己の他には誰もおらんと信じきっとったんやろ? おのれの策に溺れるには、溺れるだけの訳がある」

 褒めているのか、貶しているのか。答えはその両方であった。

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