第四話:左近を狙いし兄者とは

「左近、男同士で祝言なんか挙げて、どうするつもりじゃ⁉」

「勘働きの鈍い奴じゃのう、彦太郎。左近は女じゃ」

 長兄の肩をトントンと叩き、にやにやしながら真相を教えてやったのは、姉の朔であった。な、と一同は目を丸くする。振り返った先の左近は花嫁衣裳を身に纏っている。確かにそう言われてみれば、女に見えなくもない。


「女ァ⁉ 来島くるしま村上家からは男じゃと聞かされておったが……」

「されば、我々は来島に騙されたと……」

 真面目で通っている弥三郎が首を縦に振る。八年来の衝撃の事実を真っ先に受け入れる、聡い三男坊だ。


「左近の元服も付き合わされて、あん時も我々は騙されとったんか⁉」

「かようにございまする。来島村上家め、舐めた真似を……!」


 過去のあれやこれやを確かめては、都度驚愕する三兄弟を、清大夫は半笑いで眺めていた。笑いを堪えてはいたつもりだが、明らかに堪えきれていなかった。

 自分よりも十五ほど年上の男たちの焦る光景が、面白くて仕方がない。野次馬根性とはいえ、彼らが祝言に顔を出してくれて良かった。


「なあ左近、お主のいみなら、何やった?」

時重ときしげだ。村上左近時重」


 清大夫に尋ねられ、左近が小声で囁く。元服の時に付けられた名前だ。実際にはほとんど呼ばれたことがない。元服した男子の諱を呼べるのは、主君か父親か兄くらいのもの。そして左近は兄たちを避けて生きてきたからだ。


「誰にどの字ィもろた?」

「……弥三郎──武重たけしげ様に『重』の字を」

「ほぉん」


 清大夫は不敵な顔で笑った。嫌な予感のした左近だが、もう手遅れである。元服の時、形式上の後見人である烏帽子親から、諱として名前の一字を貰った。それを尋ねるということは。


「お主が烏帽子えぼしおやか」

 清大夫は弥三郎武重の顔を覗き込む。初めて左近と会った時と同じように、あまり品のない笑みを浮かべていた。


 三人とも能島村上氏の大将の子として、多くの武人たる海賊衆を束ねている男たちだ。左近ごときが逆らえる人物ではない。

「やめろ。弥三郎様には永らく世話になっているんだ」


 えらく無礼な口を利く清大夫の有様に、左近の顔は凍りついたままであった。弥三郎は左近を疎んでいるそぶりこそ見せるが、さりげなく気遣ってくれたことは何度もある。罪のない子の血を憎むな、と彦太郎に進言し、顔を殴られたこともあったと聞く。


「いやいや、騙されとったやと? 面白い言い様やの、弥三郎殿。烏帽子親までやっちゃあった癖に、左近ら女や気づけやんかったと、そう言うとるようなもんやぞ。恥ずかしないんけ? 俺ですら、すぐ気づいたのによォ」


 恥を盾にされて、言い返せる弥三郎ではない。ぐっと声を詰まらせた。皆が清大夫と弥三郎のやり取りを、固唾かたずをのんで見守っていた。その時のことであった。


「ははははは!」

 明るく高い声で笑い声が響く。

 やや色黒で三兄弟の後ろに座っていた女が、快活に笑い声をあげていた。よく見れば齢三十半ばだろうと想像はつくが、その自信に満ちた表情は明らかに若者のそれであった。


「そりゃそうじゃ。男三人が揃いも揃って、気付かんかったんが悪い」

「何だと?」

「私は左近が女だと、一目で気づいたぞ。あの娘が十一、能島に参った将にその日にな」

「何じゃとォ、さくッ!」

 彦太郎が顔をしかめて振り返る。清大夫は突然声を挙げた女に視線をやって、左近に耳打ちをして尋ねた。


「あれが姉ちゃんか」

「ああ。下々の者は朔姫さくひめと呼んでおるが、兄上たちはさくと呼んでおってじゃ」

 豪快に笑う朔は、聞けば長女、彦太郎の二つ下だという。そんな彼女は、彦太郎にすら対等に話してみせ、兄弟は誰も言い返せぬほどの発言力があるらしいと、清大夫も見て取れた。


「晴と二人で笑うたもんじゃ。来島家は娘の御祓箱おはらいばこに能島を使いよった、とな」

「晴姉様だけではなかったのでございますか……⁉」

 左近は動揺に目を開き、唇を震わせて朔に尋ねた。朔はいたずらっぽく片目を瞑ってみせる。


「晴は私の乳母子めのとごじゃからなァ。以心伝心じゃ」

 女としてわきまえつつも、妙に聡くて気の回る晴。女だてらに危険極まりない船に海賊として乗り、こちらも気の回る朔。乳母子だと言われたら理解できる。だが言われるまで全く気付かなかった。


「私が気付いとって、彦太郎も源次郎も弥三郎も気づかんかったんなら、今更祝言に怪事けちつけても詮無いじゃろ。諦めェ」

 朔に一喝され、かなり不満げではあるが、彦太郎と弥三郎は元の場所に戻ってしおしおと腰を下ろした。源次郎は興味なさげに欠伸をひとつしていた。


「お待ちください、姉上……」

 しかし欠伸を終えた次兄の源次郎が口を挟む。うすぼけた小さな声にもかかわらず、やけに通る声であった。一同が一斉に振り返った。


「わしも女じゃとは存じませんでした……。しかしいずれにせよ、村上左近時重を名乗りょる曲者と祝言を挙げようとしとるんは確かにございますけぇ……。あの曲者を何とかせなおえんでしょう?」

 源次郎は清大夫を指さした。こうなることも、大方おおかた折込済である。


「そのほうは雑賀の者じゃろう。村上左近を名乗る理由は何じゃ?」

「俺は秀吉を討ちたァて、紀伊から伊予にやってきた。名前は捨てたさけ、名乗るつもりはない。俺はこの祝言を以て、村上左近になるさけな。村上氏も秀吉にそれなりの恨みはあるんやろ。悪いことはせんさけ、俺を村上に加えたってくれや」

「左近ッ! こんな無礼な輩を家に入れよって! ただで済むと思うな!」

 怒鳴って返したのはもちろん彦太郎である。左近は震えながら兄たちに頭を下げる。


「こんなことになるんなら、左近など早う殺しとけば良かったわ。この男も、すぐに殺せばええんじゃ」

「……左様ですな、兄上」

「弥三郎もそう思うじゃろ」

「わしは左近の烏帽子親ですけぇ……」

 吐き捨てた彦太郎に、源次郎がすぐさま同意する。気まずそうに目を逸らしたのは弥三郎のみであった。


「家の中を血で染めるなよ。汚すなら己で掃除せぇ」

 朔がため息をつく。やはり飄々としていて、敵味方と安易に断ずることのできる女ではない。

 ずっとこの家で、肩身の狭い中で生きてきた左近には、彼ら兄弟に反論しようという思考は全くなかった。だが清大夫は違う。


「お主らん中の誰が、村上左近に刺客を送り込んだんかは知らんがよ」

「わしじゃ!」

 怒りに顔を歪めるのを押さえられぬ彦太郎が名乗りを上げた。


「まあ……そのさまら見たらすぐ分から。せやけど、俺を地獄に叩き落とすんは難儀やで。俺に何人撃たれたか忘れたんか? 村上左近の首は、狙って手に入るもんちゃうぞ」


「やはり、わしの配下の者を皆殺しにしよったんは己かッ!」

「っちゅうことはお主け? 血の繋がった女を殺せと家来に言うたんけ。そんな肝っ玉の小さいこと、俺ならよう言わんがよォ」

「来島の男じゃろうが! 殺すに決まってらァ! 能島の話を持って、来島にでも寝返られたらどうとする? 蔵事情すら知っておるあの男を、島の外に生かしては出せん!」


「娘にございます、兄上」

 真面目な末弟の弥三郎が、激昂する兄に茶々を入れる。彦太郎の怒りが更に増したのは言うまでもない。猛烈な兄弟喧嘩が始まりそうなのを、次兄が渋々ながら仲裁に入る。その光景すら、清大夫には面白くて仕方がなかった。


「十五ほど年下の女を怖がって殺そうとしたにせよ、十年来離れに住んじゃある小娘を、男やと思い込んどったにせよ、恥の上塗りやさけ、もう殺さんほうがええ。ま、俺を殺したいならいつでも来いや。撃ち返したるさけな」

 清大夫は煽るのが上手い。豪胆な彦太郎、冷静な源次郎、真面目な弥三郎の顔を全員凍らせたところで、左近が清大夫を後ろから殴りつけた。


「いい加減にしろ、清大夫ッ! 余計な事は言わんでええ!」

「おのれの名は清大夫なんかッ!」

「おう、土橋清大夫っちゅうもんや。見知っとけや」

「は、見知ってどうする。ここで我らに目をつけられて、命があると思うてか?」

 露骨に清大夫を馬鹿にした彦太郎に、清大夫は力強く頷いた。


「鉄砲撃ちを簡単に殺さん方がええ。この鉄砲の時代に、火薬と鉄砲がいかに大事か。お主ら兄弟は知っとるはずやぞ」

「何ィ⁉︎」

 彦太郎が振り返る。源次郎、弥三郎は互いに顔を見合わせている。朔はきょとんとしていた。左近には清大夫の言葉の意味がわかった。二人は火縄銃で狙われた。左近に刺客を差し向けた人間は、火縄銃を持っている。しかし村上家は火薬を捨てたのではなかったか。

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