第三話:揃いし村上四兄弟
能島の総大将一族たる村上家に、左近の祝言の話はすぐに伝わった。
「
「来るさ」
清大夫の無邪気な問いに、左近は暗く答えた。
「村上左近の嫁の顔を見ておきたいのだろう。完全なる野次馬根性だ。気に入らない人間について、知らんことがあるんが気に食わんのさ」
「ああ……」
曖昧に、だが納得したように清大夫は答えた。左近が演じる女、つまり村上左近役の妻には「夏の方」という偽名が与えられている。晴が考えたものだ。
「お主には兄上が三人、姉上が一人おるんやったな。祝言の最中にでも刀抜きよるような奴はおらんのか」
「……強いて申すならば、長兄の
いずれも左近より十だか十五だかは年上である。左近が十年ほど様子を伺うに、特別仲の良い兄弟ではないように思えるが、左近を共通の敵としてまとまっている節も見受けられた。
「んじゃ、彦太郎と源次郎に気ィつけたらええんか」
「わざわざ祝言で奇襲を仕掛けようとするのはな。まあ、源次郎は常にくたびれたような顔をしていて大人しく、
「あかんのか」
「おえんに決まっとろうが! ここは能島ぞ。兄上たちに刃を向けてただで済むと思うな」
念のため聞いておいてよかった。清大夫が目を細めたのを見た時、嫌な予感がした。企みの予感である。清大夫と関わるうえでは、石橋を叩いて渡るに越したことはない。
「何を諮っておった? 言うてみろ」
「いやァ……。俺らを狙ったんは……誰なんかと、そう思うてよァ」
清大夫はきまり悪そうに、ぼそりぼそりと白状した。
「突き詰めてどうする。何を成せるというんだ」
左近は溜息をついた。幼少期から幾度も狙われ、諦めの境地だった。
左近がなまじ
配下の水軍の者の手前、表立っては何も言わないが、船で左近だけ死んだら全て片が付くのに、と酒を飲みながら彦太郎が笑ったのを聞いたこともある。
「それ、
「な、誰だか分かったろう。もう要らぬことを諮るなよ」
左近がそう言うと、清大夫は肩を竦めて返事とした。
「頼むから私を悩ませてくれるな。そなたまで私の敵になるというのか」
「……お主が手前勝手に怒っとるんやろ」
清大夫が口を尖らせると、左近の眉根がぴくりと動いた。口が過ぎたと悟った清大夫は、
§
これ以上形ばかりの祝言も他にあるまい。嫁入り道具も高い品ではない。
「おかえりなさいませ」
「只今戻った」
「先ほど、朔様から刀をいただきました。こちらは弥三郎様から。お祝いの小袖です。朝にはお会いできぬだろうと、昨晩預かってございます」
朝の離れでは、祝言の備えが進んでいる。左近が離れに戻ると、その姿を認めた晴が紙包みを開き、着物を広げた。男物で繊細な柄が染め抜かれており、質の良さを感じさせる。左近は弥三郎が朝に来なかったと聞いてほっとした。朝から弥三郎が離れに姿を見せ、花嫁衣装に身を包んでいるのを目にしたら卒倒するだろう。
「なあ左近、殺されかけてもまだ狼煙の火種ら毎朝替えに行くんか」
「火種は一日しかもたん。船で出ている日ならともかく、屋敷で寝た日は、必ず替えねば狼煙の意味がない」
「祝言の日もやるんか。ほんまに強情やな。なあ、この貰うた小袖、俺が着てもええか?」
左近もまだ触っていないのに、清大夫は祝いの刀や小袖をぺたぺたと触る。そういうところだぞ、と苦言を呈しそうになって、まあどうせこの男は耳を傾けまいと左近は眉間に皺を寄せて言葉を飲み込んだ。
清大夫と左近が畳の上に並び、少し離れて村上家の兄と姉が四人座っている。祝言の始まりだ。時間を守ったのも、祝言の儀に出るにふさわしい格好をしているのも、真面目で鳴らす三男の弥三郎だけだった。残りの兄弟は皆、普段の格好と変わらぬ服装で祝言に臨んでいた。
それからというもの、兄たちの興味はもっぱら夫側の男が誰であるかに移り、もはや祝言どころではない。三献の儀の最中、後ろでごそごそと何かを不穏な低い声で喋っている。左近は途中で祝言を終わらせてやろうかとすら思った。
「生きとったか、どこぞの
一通りの流れが終わった途端、我慢できずに立ち上がって清大夫の胸倉を掴んだのは、豪胆と言えば聞こえはいいが、最も感情が昂りやすい長兄の彦太郎であった。清大夫の顔を知っている。つまり、あの日左近に刺客を送ったのは彼だということだ。
「左近ッ! こいつは
彦太郎の怒りは、すぐさま左近へと向く。清大夫の胸倉は掴んだままである。ここが屋敷の中で良かった。外なら刀を抜かれていたかもしれない。花嫁衣裳の下で、左近は怒鳴られた恐怖で心臓の高鳴りが止まない。他人ならいくら怒鳴られても気にも留めないが、村上家の兄たちを相手にすると話は変わる。だが清大夫は、彦太郎に堂々と立ち向かい、彼の言葉を鼻で笑ってみせた。
「曲者ちゃうから輿入れしとんのや」
「は、その方が曲者でのうてもな、他に左近が曲者を引き入れておるやも知れんが」
「それは存じ上げませぬ、兄上。私が拾うたんはこの男一人にござります」
「左近の言うことを、おいそれと信じられるかッ!」
彦太郎は拳を緩め、次に左近に迫った。女として頭の低い位置で束ねた左近の髪が恐怖に揺れ動く。それを静かに止めたのは、最も左近に甘い三男の弥三郎であった。
「落ち着かれませぬか。あの日はともかく、他の日に左近が余所者を拾うておるかは、左近しか知らぬことです。かようなことを左近に任せっきりであった我々にも責がございます」
「黙れ弥三郎! いつもいつも左近の肩ばかり持ってからに!」
「ははは、俺を曲者や言うんは、やっぱり村上家の血やの。初めて会うた時も、左近に曲者や言われて、殺されかけた。そんくらい血の気がないと、水軍なんざやっとれんやろ」
清大夫は水軍の大将たちと、度胸ならば何ら引けを取らない。修羅場を潜り抜けて生きてきた男だからだろうか。それとも生まれついての性分か。
「……その
彦太郎の背後から、極めて落ち着いた低い声音が響く。次男の源次郎だ。
「何で分かった?」
「畿内の喋りと、鉄砲撃ちという話からじゃ……。伊予に何をしに来た? 秀吉に水攻めにされ、天王寺に首を並べられたくせに」
「おのれも同じやろ。海に出られん海賊さんよォ?」
剣術は空っきしのくせに、清大夫の返す刀は鋭い。
「左近がいつか嫁を貰うことは分かりきったことやろ。それが俺やったっちゅうだけの話や。今更ガタガタ抜かすなや」
清大夫が左近を指差した。左近は痣のある眉根を寄せた。その堂々たる態度に、三兄弟は揃ってざわめいた。
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