第3話 家族を亡くした戦士

 冥界で2人が出会う数日前。

 サクレアと呼ばれる島国の村では男達が頭に血を昇らせながら声を荒げていた。

「おい、また大陸のやつらが攻めてきたぞ!じい様、もうこんな戦いはやめにしよう。昔とは違うんだ」

「ならん。大陸のやつらは耳障みみざわりの良い言葉を吐いているだけだ。わしらに戦う意思がないことに気が付けば女子供は襲われ、サムライの血は絶えてしまう」

 オニバス大陸の東端とうたんに広がるボタレア国は海の向こうにある島国サクレアと長きに渡り戦争を続けていた。

 桜の国という意味で名付けられたサクレアという地名はあくまで大陸に住むシタニール人による呼び名であり、島の住民たちは良質な茶がなる土地を誇り、この土地を茶室さむろと呼び、自分達をサムライと称した。

 ボタレア国は西に大国ハセリア、東を海に隔たれており資源に限りがあった。怪物の棲む海を開拓するという発想はシタニール人にはなく、あくまでもマーテルの恵みは大地から与えられると考える。

 陸続きに出くわす民族を支配しては得られる資源を増やしているものの、ハセリアやその更に向こうにある国との力関係を対等なものに近づけ維持させることが精一杯であった。

 領土を広げることが出来ても民衆の経済格差の広がりによる不満増大、異民族の統治、既存の貴族達による政治的ないさかい、王家の中での後継者争いとボタレアは国として問題を大いに抱えている。

 それをしずめる為の表面的な解決策が、より強大な国への発展であり、サクレア侵攻が目下もっかの政策とされていた。

 そして今、それは遥か西方せいほうで起こった「アイレシアの悲劇」により過熱する。

 海の向こうの大国との武力衝突はサムライ達を二分し始めていた。

「ボタレアの奴らがこの島を完全に占領することは不可能だ!何十年も前からこの土地を守ってきたのだ。だからこそ、この戦争を続けること自体が無意味なんだ!奴らもそれを分かっている。拮抗きっこう状態にある形だけの戦いでお互いが疲弊していくことに利益はない!」

 興奮した男が周りをき付ける。

 車座くるまざに囲む男達には同調するもいれば、首長しゅちょうの意見を何よりも重んじる派閥はばつも存在した。

 今にも殴り合いに発展しそうな口論におさまる気配はなく、次第に会議の場に殺気が立ち込めてきた。

 ダンッと床を踏む音が響く。

 重く口を閉じていた一際大柄な男が立ち上がり、全員がそちらを向いた。

「我々が争っていては奴らの思う壺だ。これについてはおきてに従って決闘で決めるしかあるまい。じい様、それでよろしいですか?」

 サムライ達は形式的には年配の意見に従うが、実際は代々受け継がれてきた掟を何よりも大事にしている。それはいくつもの言葉で紡がれていたが、実のところは強い者の意見が正しいというシンプルな内容に帰結きけつした。

 溜息と共に首長は首を縦に振る。

「じい様の言う通り、ボタレアの言葉を信じないという意見に私も賛成だ。このナガレが相手になろう。さあ、ボタレアと和平を結びたいと言う者は誰を立てる」

 ナガレと名乗る大柄な男が周りを見渡した。先程まで血気盛んに意見を述べていた男達は口を紡ぐ。それはごく自然なことであった。なぜなら、ここにいる男達の中でナガレに敵うとされる者はいなかったのだから。

 周りをはやし立てていた男にナガレが呼びかけた。

「ハヤテ、お前が始めた話に思えるが。俺に勝てばお前の意見に皆従うぞ。どうするのだ」

 ハヤテと呼ばれた男がナガレの顔を睨みつける。だが、先に視線を切ったのはハヤテだった。幼い頃から共に時間を過ごし、ナガレに勝つ事が出来ないことをハヤテ自身が一番分かっていたからだ。

 荒れていた会議の場が嘘のように静まり返り、ナガレの出る幕もなく首長の意見が通りボタレア国との和平協定は断ることになり会議に参加した男達は帰路に着く。

 ナガレの背中を恨めしそうにハヤテが睨みつけるが、当のナガレは意に介さずに家族の元へと歩んで行った。

 自宅に戻るナガレは出迎えた妻との会話も少ないまま離れにおもむいた。

 サクレアでは良質な茶が栽培されており、多くの国が酒を口にする文化が栄える中でサムライ達は茶を口にする。

 自分が茶をてる為の部屋を設けられてようやく一人前のサムライであると言われる程に彼らにとって茶は身近なものであり、だからこそその時間は大事にされていた。

 離れの外では虫の鳴き声が夜を賑やかなものにしている。

 ナガレは家族と仲間を何よりも大事にしていたが、この自分だけの時間が日々の糧でもあった。

 そのひと時は戸を叩く音により終わりを迎える。

「親父、聞いたぞ。ボタレアと仲良くやろうなんて言ってる奴らが増えてるらしいな」

「子供が口を挟むな。大人になりたかったら早く孫の顔でも見せろ」

「ハッ、余計なお世話だ。そんなことより誰も決闘に応えてくれなかったそうじゃないか。俺で良かったら相手になるぜ」

 長い黒髪を後ろで束ね、楽しそうに肩を回す青年がナガレの至福の時間を台無しにした。

 眉間に皺を寄せ睨みつけるも青年はジッとナガレから視線を外さない。

 熊を思わせる大柄なナガレはその名声に恥じぬ闘志と風貌であったが、その姿には似ても似つかない美丈夫びじょうぶも瞳の奥には同様の闘志が宿っていた。

「ナギよ。お前も妻をめとり男になった。剣の腕もいつか俺を超えるだろう」

「サシなら俺の方が強い」

「ああ、お前の強さは認めているし父として誇りに思っている。未熟で礼儀を知らない子供だが、このサムロでは強さに最も価値がある」

 棚から茶碗を取り出し、ナガレ自らナギに茶を入れる。

 1人の時間を過ごす為にある離れではあったが、成長した息子と茶を飲むことがナガレの夢でもあった。

「だが、お前は一対一でしか俺に勝てない。場を整えれば勝てるというのは最強とは言えないな」

詭弁きべんだ。例え相手が100人だとしても俺はサシでの勝負を100勝するだけだ」

 サムライ達は海の向こうから攻めてくるシタニール人を倒す為に戦闘技術を磨いてきた。

 地母神ちぼしんマーテルをあがめ、大地に眠る資源から恩恵おんけいを得るシタニール人は土を掘り、岩を砕くことで力をつけている。

 その為、シャベルやツルハシ、ハンマーが武器として発展し、それらから少しでも身を守る為に分厚い鎧を身に纏う兵士が主流となった。地の底に近いほど神聖であるとした文化の中で重いもの程、良いものであるという価値観が生まれており、シタニール人はとにかく大きな武器を扱えることが強い兵士としての証であり、厚い鎧で自らの重さを増していく。

 採掘技術の発達したシタニール人達は武器や防具に大量の鉄を使用することが出来たが、対してサムライ達はシタニール神への信仰を持たない異民族であった。万物に神が宿るとし動物と共に自然の中で暮らす彼らは無闇に土を掘り起こすことはせず、鉄は限られたものに利用されている。

 その少ない鉄はサムライの武器として剣に変わっていた。

 刀と呼ばれるサクレア独自の剣は大陸のものとは違い薄い片刃の形状であり、その製造方法もシタニール人が持たない技術だった。溶かした鉄を叩いて延ばしては折り畳み、叩いて延ばしては折り畳みをコツコツと繰り返す。貴重な鉄を鎧には使わず、生活用品にも農具にも用いず、数人の強者の為に。

 ナガレは刀を持つことを許される実力を持ち、ナギはその刀を受け継ぐことを目標とし、この国と家族を守るべく将来を期待されてきた。

「ボタレアの奴らも一筋縄ではいかない。あの大きなハンマーを受けてしまえば刀は折れ、腕も二度と使い物にはならないだろう」

「ハッ、あんな大振りしてるだけのノロマなんて受ける必要はないさ。全部かわして両腕を斬り飛ばしてやる」

 注がれた茶をぐいと飲み干し、ナギは首を鳴らす。

「そんなことを言っているうちはお前に刀を継がすのはまだ先になりそうだな。どれ、俺はもう寝るぞ。お前もナミの布団に帰って夫としての務めを果たしてこい」

「言われなくてもそのつもりだ。明日から俺は山籠りだからな。こうたぎっちゃ眠れやしない」

 嬉しそうに膝を打ち、親子の茶会はお開きとなる。

 母屋に戻るまでの道を満月が二人を照らす。

 その日が新月であったのであれば、これが最後の茶会にはならなかったのかもしれない。しかし、この国に並ぶ者無しとする親子であっても月が夜を照らしてしまえば、島に近づく敵の船に気付くことは出来ない。


 空が薄ぼんやりと白む頃、ナギは身支度を済ませて家を出る。

 玄関では妻のナミが山籠りの為に数日帰らない夫を愛しそうに見送った。

 ナミのお腹の中には二人の子供が命を宿していた。まだ人の形を成す前のそれには次の生を全うする為の魂が定着したところであった。

 が、それが産声うぶごえをあげることはない。

 ナギの留守中にボタレア国の兵士達が海岸から上陸しサムライ達を襲うことになる。

 ナガレを始めとした強者が居て何故負けるのか。

 それはボタレア国に内通している裏切り者がいたから。ハヤテが自らの利益の為にサムライに見つからずに上陸できるよう手引きをしていた。

 戦いの準備が満足にできなかったサムライ達は出鼻をくじかれる。重いハンマーやスコップの攻撃をくぐり返り討ちにするサムライの兵法へいほうは練られた陣形と緻密ちみつな連携が無ければ意味を為さなかった。

 正々堂々と一対一での戦いなんてものは稽古でしか起こり得ないものであり、本当の強者はナガレのように的確な判断と迅速な指示を出しながら戦える者に相応しい。

 しかし、それも強襲には弱い。指示をしたところで相手に手の内がバレていては裏目に出る。判断は間違い仲間を傷つけた。

 劣勢の中でナガレの脳裏には早いうちから裏切り者の存在がちらついていた。何回も何十回も侵攻してきたボタレア国が何故今日に限って自分達に気づかれなかったのか。これまでと何が違うのか。

 喉が裂けんばかりの怒声を上げながら、どこか頭は冷静であり、この窮地の中で自分が出来ることを考える。

 ーーここにナギがいてくれたら。

 連携を取り合って一撃を躱し、一瞬の隙を突いていく死闘の中で、現状を打破出来る個人が欲しくなってしまう。

 あいつがいてくれれば孤立したあの兵士を1人で討ち取ってくれるだろう。

 あいつがいてくれれば陣形を広く取って相手を分断しながら着実に敵の数を減らすことが出来るだろう。

 あいつがいてくれればーー

 ボタレア兵の力任せの一撃を躱すことは難しくない。だが、その一撃が何度も何度も四方から繰り出されれば鼻先をかすめるようになる。撫でる程度の一撃でもサムライの身体を壊し足を止めさせた。

 俊敏さを奪われれば待っているのは重い一撃。骨が砕けて頭が割れる。辛うじて身を捩っても肩から先が飛んだ。

 鼓舞する大声が悲鳴に変わり、統制の取れていたはずの陣形が意味を無くした頃、ナガレの頭は勝利ではなく如何に負けるかを思考し始める。

 誇りの為に1人になっても戦うという絵図えずはなく、撤退の命令と共に殿しんがりつとめず敵に背中を見せた。

 それは情けない敗走に他ならないがナガレがこの島に、受け継いできたサムライの血筋に、出来ることはそう残っていなかったのだ。

 ーーナギなら、ナギさえ無事であればサムライの血は絶えず雪辱せつじょくを果たしてくれる。

 痛めた足であっても地の利のおかげで重装に身を包むボタレア兵から逃げることは出来た。

 妻と義理の娘に口数少なく最後の言葉を残す。

 覚悟を決めたナガレの妻は彼に肩を貸し、ナミに別れを告げた。

 泣きながらナギの辿った山道を駆けるナミは肺を潰しながら獣道を進み、土に隠れた木の根に足を取られ山の斜面を転げ落ちる。

 ボタレア兵に辱めらなかっただけ彼女は幸せだったのかもしれない。敗れた男達の家族はあちこちで大陸から攻めてきた異人達に蹂躙じゅうりんされ、日が高く昇る頃にはサクレアは無惨にも壊された。

 ナギはその脚力があだとなり、山を越え同胞の危機に気づくことが出来なかった。


「しっかし、見つかるのは猪や鹿ぐらいだな。これじゃあ村に肉を持って帰れねぇや」

 獣を仕留めては山籠りの食事にして奥へ奥へと歩を進める。村に肉を届ける仕事として若い男が代わる代わる山に潜るが目当てとなる獲物には出会えなかった。村を出てから数日が経過しているのでここで獲物を仕留めても持ち帰る中で肉は傷んでしまう。

「おっ、一角兎いっかくうさぎか……。まぁ、収穫が無いよりはましか……」

 それは猪や鹿よりも可食部が少ない獲物だったがナギは目の色を変え、草むらの向こうから相手に気付かれる程度の殺気を飛ばした。

 一角兎はその殺気を弱者が放つ抵抗だと捉える。自分が狩られる側だとは思うことなくナギの潜む草むらに向かっていった。

 それはナギが自らの力を最大限に活かす為に編み出した技であった。敵に向ける殺気を微量にすることで敢えてこちらに注意を向けさせ得意である一対一の勝負になるように仕向けることが出来る。

 狩りの中でもその技術を洗練させ、自ら動かず獲物を誘き寄せ、そして仕留めた。

 猪や鹿よりも身体が小さいそれは、その見てくれからは想像がつかない獰猛どうもうさをはらんでいたがナギの振る木刀により一撃で動かなくなる。

「なんで魔獣ってのはこうも気性が荒いのかね。まぁ、腐らない肉ってのはありがてぇけど」

 薄く鋭く削られた石で一角兎の四肢に切り込みを入れ、慣れた手つきで皮を剥ぎ取っていった。

 地母神マーテルを崇めるシタニール教徒でないサクレアの地であっても生物の進化は変わらない。

 土より生まれた動物や植物とは違う海より生まれた魔物は同じように存在した。

 鉱物に魔力は宿る。それが大きな塊となれば大陸では魔石と呼ばれる。そして砂のように細かく海に溶け出せば塩と呼ばれた。

 塩には微量の魔力が含まれており、海ではその魔力をふんだんに孕む魔物が跋扈ばっこしている。大昔に海から陸に上がった魔物はそのまま独自の進化を経て陸上の動物のように暮らしていた。

 陸上で魔力を得る為に人を始めとした別の生物を襲い、その血肉からわずかばかりの魔力を食らう。

 それが魔物が獰猛どうもうな理由であり、それと同時に人に狩られる要因でもあった。

 塩を多分に含む彼らの肉は動物の肉よりも腐りにくく、保存食として人の食文化に大いに貢献する。

 シタニール人の間では土中に実る根菜が重宝ちょうほうされるようにサクレアを始めとした非シタニール人は魔物を食らうことが多い。

 ナギも御多分ごたぶんれることなく家族の為に魔獣を狩る為に山籠りをしていた。

 より大きな魔物を狩る為に村から離れ、それゆえ侵略者に気づくことが出来なかった。

「さて、鰐熊わにぐまでも探してサッサと村に帰るかな」

 ナギは大の男が5人がかりで仕留める魔物を意気揚々と探しに山を歩き始める。

 仕留めた肉を喜ぶ家族も、称賛しょうさんする村人ももういないことを知らず、小さな兎を布に包み大事そうに鞄に仕舞う。


 ナギがその地獄を目の当たりにしたのは悲劇から5日が経過した雨の中だった。

 担がれ引きられた鰐熊の足が粗く削られた様が、長い旅路を思わせる。

 狩りによる疲れと獣臭、木々を打つ雨音がナギの五感を鈍らせ、自身の家の戸が破壊されているのを見るまで異変に気が付かなかった。

「ナミ!」

 放り出してバシャリと大きな音と飛沫ひまつを立てる鰐熊など気にもせず、ぬかるみに足を取られながらナギは家の中へ駆け込んだ。

 一目で、家族が無事でないことを悟る。

 母と妻が食事を用意してくれていたかまどは砕かれ、4人で卓を囲んだ居間の畳は泥と血で汚れていた。

 母の着物から覗く肉には蝿が飛び回り、首のない大きな屍が纏う毛皮は父が戦闘の際に利用するそれと同じものだった。

 ナギは自分が尻餅をついたことにも気が付かず、血と肉が雨の中で腐った臭いと、死体と漏れ出た糞便に集る虫のおぞましさを見て、吐いた。

 吐いて、泣いて、震えて、また吐いた。

「おやじぃ……、おふくろぉ……」

 ナギは両親が自分を愛してくれていたことをよく理解していた。生意気な自分を受け入れ、傲慢ごうまんな態度に呆れるも、立派なサムライとして腕を磨いたことを誇りに思ってくれていたことを知っている。

 そんな両親に愛されていながら親孝行らしいことなんてしていない。

 強いて言うなら妻をめとり、大人になったことーー

「ナミ!」

 そこに愛する妻はいなかった。

 それを喜んで良かったのかはわからない。

 この光景が妻の無事に結びつくはずもないのだから。

 ナギの愛する妻は山道の途中、崖下で冷たくなっていた。ナギがその冷たい手を握ることはなく、この数日後野犬の群れがその肉を分かち合う。

「ナミィ!! いないのか!!」

 答える者はいないのに、やかましい蝿の羽音と屋根を打ち雨粒がナギの鼓膜を震わせる。

 家を出て他の村人を探す。

 そして知る。

 自分が唯一の生き残りだということを。


 ナギは村人達をとむらい終わるのに3日を要した。

 物心ついた頃から共に山を駆け剣を学んだシグレは海岸で勇敢に戦ったことが伺える。身体は半壊していたものの、その顔は比較的綺麗に原型を留めていた。

 大人に口答えをしがちだった自分を目の敵にしていたウメ婆はもうすぐ60回目の誕生日を迎えようとしていたのにそれも叶わなかった。

 ナミと結婚することを知り、泣きながら祝福をしてくれたツバメは衣服を纏っておらず屈辱的な最期を迎えた様子だった。

 ナギはこの狭い村がさして好きではなかった。自分と父親が村を守っているという自負が傲慢さを育てたのだろう。

 だが、村人の遺体に火をつけて周る中で自分が彼らに育ててもらっていたことを痛感する。

 父親と母親を燃やすのに随分と時間をかけてしまった。手が震え上手く火がつけられない。息が出来ず情けなく逃げ出しては再び火をつけに戻り、そしてまた逃げ出す。

 自分の弱さを支えてくれた妻はどこにも見つからない。しっかりしろと叱ってくれる大人はもういない。時間をかけながら、心を壊しながらナギは自らの力で震えを抑えた。

 母屋おもやごと焼いて2人の墓標ぼひょうとしたが何故か離れは燃やす気になれなかった。

 憔悴しょうすいしきったナギは残った離れで横たわり、虚な瞳で天井を見つめる。

 父親と最後に茶を飲んだあの夜を遠い昔のように感じながら。

 ーーあの日、山籠りに行かなければ俺もみんなと一緒に死ねたのか。

 ーー俺も一緒に戦えばボタレアのやつらを返り討ちに出来なかっただろうか。

 父親の首が奪われていた事から相手がボタレア兵だろうことはナギにも予測が出来ていた。

 戦った相手の中で特に強かった戦士の首を持ち帰る文化がボタレアにあったからだ。

 海岸に打ち捨てられた数人の見知らぬ男が裸だったこともそれを示していた。

 奴らは自国の兵士が討ち死にすればその装備だけを持ち帰っている。

 仇討ちがしたい。だが、そのすべがない。

 自分の剣の腕に絶対の自信があったナギだが1人でボタレア国を滅ぼすことが不可能であることは回らなくなった頭でも容易に想像が出来た。

 ーーせめて共に戦ってくれる仲間がいれば。

 一対一での戦いを好み、一対一であれば誰にも負けないと思っていたのに、こんなにも誰かの力を必要とするなんて。

 散々父親に言われていた事がこんな状況で腑に落ちるなんて、と目頭を熱くしたところで屋根裏がカタリと音を立てた。

 それは先日の雨を凌ぐ為に屋根裏に潜んだネズミが立てた音に過ぎなかったが、その音を聞いたナギの虚な瞳に欠片程度の光が灯る。

 ーーあそこの天井板だけ微かに血がついている。これだけ破壊されたのに微かに汚れるなんてあるか?あれはきっとーー

 ナガレは離れで1人茶を楽しむことが多かった。だからこそナガレは物を隠す時には離れに隠した。いたずら好きなナギにはバレバレで天井板を外して屋根裏に置いておくなんてのは見つけてくださいと言っているようなものだった。

 ナギはそれが宝探しのようで楽しく、ナガレはそんなナギを楽しませるように物を隠していた。

 昔はとてつもなく高く感じた天井裏も、今では手を伸ばし跳べば簡単に外せてしまう。

 壁を利用しよじ登ると、そこにはナガレの刀が置かれていた。

「親父……」

 常に綺麗に手入れがされていた刀は、鞘に拭われた血が走っており、ところどころ紫色の柄糸が黒く霞んでいた。

 一刻を争う窮地の中で父は形見を残し、母はそれを少しでも綺麗にしようとしてくれていた。

「おふくろ……」

 誰よりも強い父が誇りだった。

 何よりも自分を愛してくれた母が大好きだった。

 孫を抱かせてあげられなかったことを悔やまれるが、2人の意思となったこの刀を無事に抱けたことが喜ばしい。

 虚だったナギの目に涙が滲む。彼の瞳には再び父親譲りの闘志が宿っていた。


 家族の為、村の為に獲ってきた鰐熊の肉を食べられるだけ食べると旅支度をし、ナギは村を出た。

 小舟を海に浮かべ、仇であるボタレア国を目指す前に浜を伝って入江に訪れる。

 そこは村の人間が島を出る時、祭を行う時に訪れる先祖が祀られているとされた祠だった。

 サクレアで亡くなった者は火葬され、立ち昇る煙は雲になる。その雲が雨を降らし土に染み込み、死者の魂は地下深くの世界で死後安らかに眠ると言い伝えられていた。

 大陸のシタニール人から伝わった死生観が形を変えてサクレアに広まったが、大きく違ったのは冥界との距離だ。

 海底が隆起し島を形成したサクレアは冥界へ続く道のりが短く、入江はそのまま異世界への入り口となっている。

 旅の安全を祈り、弔った村人と家族に別れを告げる為、ナギは静かに手を合わせた。

 ーー必ず、みんなの無念を晴らしてみせる。

 見つからなかったナミが生きていて欲しいと思いつつ、ボタレアの兵士に連れ去られて辛い思いをするぐらいであれば、いっそ苦しまずに冥界で待っていて欲しい。

「ナミ、叶うのであればもう一度だけお前を……」

 それは無意識の祈りだった。

 しかし心からの強い想いだった。

 鉱石を繰り返し折り畳み打たれた刀は、最早人工的に作られた魔石とも言えるほどに凝縮されている。

 異世界から程近いその祠でナギの想いに刀が応えた。

 ぼんやりと発光したそれは陽の光が満足に届かないその祠を照らし出し、深く冥界へ続く横穴をナギに示す。

「な、何だこれは……。まだ奥があったのか」

 突然光る刀に気味の悪さを感じながらも導かれるように横穴へ足を運んだ。

 それは果てがないかと思わせる程長く長く続く。

 刀から放たれる光では一寸先の闇を払う程度でどこに続いているのかは見当もつかず、ただ歩き続けることしか出来なかった。

 ナギは振り向くこともなく、前を向いて奥へ奥へと。

 これだけ歩き通しているのに腹が減らないこと、足に疲れがないことに疑問を持った頃、穴の奥から鋭い殺気が伝わってきた。

 咄嗟に刀に手を掛けるが、ナギはその殺気に応えることを止める。

 ーーこれは俺に向けられていない。怒り……悲しみか……。

 自身の殺気をコントロールする術を磨いてきたナギは僅かにではあるが気配から感情を読み取ることが出来るようになっていた。冥界の瘴気が気配の伝播やナギの感受性を高めていたのだが、それでもナギはその怒りや悲しみに共感をした。

 大切なものを一度に失い、まだその感情を誰にも吐露することも共有することも出来ず、1人で全てを抱えざるを得なかったナギは無意識にその気配の元へと足を早めた。

 穴の先の風景をナギは青い雪原と見間違う。

 足元には見慣れぬ植物が生え、降りしきる光の粒子は雪というよりは蛍に近い。

 ここが自分の生きてきた世界とは違うことに直感で気づくが、それよりも目の前の光景に目を奪われた。

 3つの頭を持つ巨大な狼。そしてそれを蹂躙する鬼がいた。

 鬼は血で汚れた人にも見えたが、怒り狂ったように魔獣を屠るその姿は元が人であったとしても既に人には思えない。

 ーーあいつは俺より強いのだろうか。

 自分をここまで導いた気配の持ち主が目の前の鬼であることをナギは確信していた。

 だからこそ、戦ってみたくなってしまった。

 一対一なら誰にも負けないという矜持と、理不尽に全てを奪われたことへの八つ当たりと、両親から託された刀を試したいという気持ちが、身体中に熱い血液を巡らせる。

 しかし、それとは違う新しい感情が芽生えていたことにナギ本人も気が付かなかった。

 それは狭い島の狭い村で育ち、物心着いたころから周囲の人が顔馴染みであったナギが初めて抱く感情であり、その発露は闘争心として現れていた。

「おい!お前!」

 刀を抜いて殺気を飛ばす。

 こちらに気がつく鬼と目が合った。

 ナギはその鬼と友達になりたいと思っていた。




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