第7話 血が繋がっているだけの赤の他人の料理
「もっと、話せばよかった。恥ずかしがらず、もっと、突っ込んだことを話しておけばよかった。」
ぼそりと、口から、言葉がこぼれ出る。二十五年ぶりに帰省をしたとき、私の中で抱いた言葉が、疎外感であった。(血が繋がっているだけの赤の他人)私の頭の中に浮かんだ言葉が、これであった。当たり前の事であるが、私の二十五年間があったように、妹たちにも、二十五年間があったわけで、たまに、連絡を取り合うだけの兄より、周りの人間と密接に繋がっているのが、当たり前の事なのである。留美と母親、睦美と再婚相手、姪っ子の生蕗と亜美が交わされる会話の中に、私の存在は、皆無であった。
懐かしそうに話される会話を、私は、黙って聞いていた。笑みを浮かべて、時折、ムッとした表情になり、私のそんな言葉のラリーを、留美の家の台所に立ち、料理をしながら聞いていた。私の知らない世界、夕食を作るという作業があった事に、ほっとしている。今、この会話の中に、放り出されたら、ぽつりと一人立ち尽くすしかない。
産みの母親は、正直、料理が得意なほうではない。母親に再会した時期、何度か、手料理を食べた事があるが、うまいとはいいがたいものであった。私は、飲食店でバイトをしていた事もあり、交流のあった一年間に、何度が、妹たちに、手料理をふるまったことがある。その印象が強いのか、有無も言わず、私が夕食を作ることになっていた。十年前、小説が書きたくて、飲食業から、町工場製造工場に転職した。この十年は、年に数回、台所に立つぐらいで、まともに料理などした事がない。大勢の人間が集まった場合の食卓は、焼肉、すき焼き、鍋料理など、焼いて終わり、野菜や具材を切って、入れるだけ…そんな簡単なものに、選択すればいいものを、凝った料理を選択した私は、台所から離れられない。二十五年振りに、顔を合わせた母親、妹たちに、いい格好をしたかったのかもしれない。まずは、真鯛のアクアパッツァをテーブルの上に出す。本当は、真鯛をカルパッチョにしたかった。留美の病気の事も考えて、生ものはダメとなり、白ワインで蒸してみた。真鯛のアクアパッツァを目にして、わぁーと声を上げる光景に昔の事を思い出す。独り暮らしをする私の部屋で、妹たちに、私の手料理を振舞った時の光景である。今ほど、本格的なモノは出せなかったが、焼き飯や野菜炒めなんかの簡単なもの。おいしい、おいしいと云って、食べてくれていた。忘れかけていた感情で、私の表情も緩んでいた。再度、腕まくりをして、台所に立っていると、大人たちの会話がつまらなかったのか、生蕗がひょこり顔を出す。
「イブ、お兄ちゃんの邪魔したら、いかんよ。」
イブは、生蕗の愛称なのだろう。留美は、台所に視線を送ってそんな言葉を送っていた。生蕗を戻そうと、立ち上がろうとした時、私は、それを停止する。
ええから、ええから…留美に向かって、そんな言葉を届け、私はしゃがみ込んだ。
「生蕗ちゃん、手伝ってくれるんか。」
そんな私の問いかけて、力強く首を縦に振る。私は、ニコリと笑みを浮かべて、まな板の上に絹ごし豆腐を置いた。
「これを、ある程度の大きさで切って、これに入れてくれるかな。」
ミキサーの器部分を、生蕗に見せる。
きぃいつけてや、手を切らんようにな…そんな言葉を添えて、包丁の柄の部分を向けて、手渡した。生蕗の作業に気にしつつも、コンソメの元の入った片手鍋を火にかけた。豆腐のポタージュを作ろうと、私は考えていた。豆腐のポタージュも、胃の消化に優しく、留美の身体を考えてのものである。手順は、こうである。豆腐をミキサーにかけ、液状にする。それを裏ごしして、コンソメを加えて、温める。本当であれば、包丁を使わず、潰しながら、ミキサーの中に入れればいいだけの話なのであるが、私は生蕗に、包丁を握らせた。あまりにも、料理をしたがったているように思えたからである。豆腐のポタージュは、ほぼ生蕗に任せる。所々で、私が手伝い、極力、生蕗にやらせる事にした。大葉の刻んだものをちりばめ、オリーブオイルを軽く垂らす。器に盛ったものを、生蕗に運ばせる。とびっきりの笑みを浮かべ、私が作ったんだよという自慢が、全身から出ている。そんな生蕗の頭を撫ぜて、顔を近づけて、笑みを浮かべる留美は、母親の顔になっていた。
「ほんと、すごいじゃないの…」微かに聞こえてくる留美の言葉と一緒に、とてもきれいな留美の表情が、印象的に残っている。
私は、そんな光景を視界に入れつつも、大きなお鍋に張ったお湯が、ぐらぐら煮えだしたのを確認すると、多めに一掴みした塩を入れる。フライパンに、多めのオリーブオイルと包丁の甲で潰したニンニクの欠片を入れて、中火を炒め始めるニンニクの欠片が、きつね色づき始めたら、弱火にして、ニンニクの欠片全体にきつね色づくのを待つ。このタイミングで、生蕗が、台所に顔を出した。私は、煮ぎり立つ鍋の状況を見て、これもまた、多めに一握りしたパスタを入れた。こんがりとキツネ色づいたニンニクの欠片を取り出すと、生蕗の作業を横目でみながら、5ミリ角に切っておいたジャガイモとニンジン、赤のパプリカを、ニンニクの香りが漂うプライパンの中に入れ、フライパンを振って、一返しをする。この一返しには意味はない。まあ、生蕗に格好をつけただけである。
「生蕗、かわりぃ…」と一言言って、脇で見ていた生蕗に声を掛けた。次は、何をすればいいのだと云わんばかりの生蕗に対して、具を炒める作業を任せてみる。変わる瞬間、何気なく、弱火をする事を忘れない。
「軽く、プライパン振りながら、菜箸を動かせとけばええねん。焦がすなよ。」
コンロの火を弱にしているだから、最悪焦がすことはないだろう。私は、あえて、その言葉を添えてみた。生蕗が、真剣に、フライパンとにらめっこしている間、私は横で、始めに下処理をしていた、エビとホタテを1センチ角に切り始める。普段であれば、じゃがいもなどの野菜も、エビなども、細かく包丁は入れないのだが、これも、留美の身体を考えての事である。
生蕗、これも…私は、1センチ角に切った、エビとホタテを、皿に持って、生蕗に渡した。弱火でも、水気のある魚介類。水に、油が跳ねるかもしれへんから、気をつけるんやでぃ…、そんな言葉を添えた。さすがに、手を止めて、動向に目を見張っている。間違いなく、普段から、台所の手伝いはしていないと、確信できる鉄来て、腰を引きながら、フライパンに近づていた。エイ!と微かに聞こえる言葉に、フライパンが、ジュゥ!と鳴いた。
「これ入れて、完成や。」
豆腐のポタージュをプライパンの中に流し込む。パスタのソースにする為に、残しておいたものであった。後は、茹で上がったパスタと絡めるだけである。普通、アルデンテ。芯が残る程度のゆで方がいいとされているが、そうはしなかった。乾パスタに、水分を吸わせるだけ吸わせて、やわやわにする。麺も茹でる前に、バキッと半分に折って茹でていた。これも、胃の消化の負担を軽くするもので、あえてそうしてみた。
後は、トマトのリゾット。本来であれば、生米からの調理が基本で、米の芯を残すのが通常であるのだが、これもまた、留美の胃の消化の事を考えて、炊飯器のご飯を使う事にした。だから、リゾットというより、おじやである。簡単なトマトソースを作る。生蕗にも手伝ってもらい、玉ネギを二玉、乱雑に切ってもらい、ミキサーの器の中に入れる。そのまま、オリーブオイルを引いた鍋の中に入れて、塩コショウで下味をつける。生蕗には、トマト二つ、これも、乱雑にカットしてもらい、プチトマトは、半分にカットするように指示を出した。その間、焦げないように、鍋の中を見つめる。もちろん、生蕗の、包丁作業にも、意識を向けている。なんというのだろう。母親の為に、何かをしたかったのか、単にみんなが、褒めてくれることで、調子に乗っているのかは、わからないが、生蕗は、楽しそうであった。木べらを回しながら、私はそう感じた。相変わらず、リビングでは、私の手料理を摘まみながら、ワイワイガヤガヤ賑わっている。あの輪の中にいない自分が、寂しくも、ほっとしている。もし、あの輪の中に自分がいても、何もしゃべれないだろう。ただ黙って、話を聞いているだけだったと思う。血が繋がっているだけの赤の他人、みんなの思い出の中には、私の存在など、微々たるものだ。
出来たよ。おじさん…私は、視線を生蕗に見せる。さぁ、仕上げや。そんな言葉を頭に浮かべた。
「じゃあ、これから後は、生蕗ちゃん、やってみるか。」
私は、思わず、そんな言葉を口にしてしまっていた。大きく頷いた生蕗に、私は、ニカッと笑ってみる。これから、私と生蕗のちょっとした料理教室が始まった。
「よし、カットしたトマトを、鍋の中に入れて、あっ、まずは、火を弱めて弱火…」
その場を離れて、生蕗に指示を出す。生蕗が手伝いに来るで、呑んでいたビール缶に手を伸ばすと、グビィッと一口、喉に流し込んだ。ちょっとした休憩。片手を台所の脇に置いて、全体重を預ける。缶ビールを片手に、足なんか組んでみる。
「木べらで、焦げないように混ぜながら、トマトの色が変わるのをまってや。」
目尻がキリッと吊り上がり、指示されたとおり、鍋とにらめっこをしている生蕗を眺めながら、もう一口、ビールを流し込んだ。
「具が浸るぐらいまで、水入れて、固形のコンソメを二つ入れて…そこで、火を強くして、焦さんように、気ぃ付けるんやで…」
空になったビール缶を脇において、冷蔵からもう一缶取り出した。鍋の中が、ぐらぐら煮えたぎるのを待つ。
私は、コンロに手を伸ばして、弱火にした。スプーンを鍋に突っ込み、煮え炊きるソースをすくってみる。
「味身や、確認してみ。」とすくったソースを生蕗に差し出す。スプーンを受け取ると、フーフーしながら、口の中に運ぶ。首をひねっている。私は、すかさず、スプーンですくって、口に入れた。
こんなもんやろ。と炊飯器からご飯を盛ると、そのまま、生蕗に渡す。
「ご飯入れて、ソースと絡ませて、ボトンと入れへんで、そぉうと、入れるんやで…」
その脇で、プロセスチーズをカットし始めた。本当は、パルミジャーノ・レッジャーノチーズ、ゴルゴゾーラチーズ辺りを使用したいのであるが、ぐっと我慢する私がいる。
後は、これを入れて・・カットしたチーズを小皿に持って、手渡しする。
これ、おまけな。そんな言葉に口にして、パルメザンチーズ(粉チーズ)を手渡した。
「後は、蓋をして、チーズが解けるのを待つだけ…」
生蕗は、慎重に、粉チーズを数回振ってから、蓋をした。視界には、生蕗の肩が、急に沈んでいくように映った。私を見上げ、安心しきったような表情を浮かべる。私は、無意識に、両手を生蕗に向かって挙げていた。
パン!大きく空気の中を振動が揺らしていく。同時に、リビングのみんなが振り向くほどの音が、この空間に響いた。小さな生蕗の手の平が私の手の平が重なり合った瞬間、気持ちいい痛みが、全身に伝わってくる。生蕗は、今日一の笑みを浮かべていた。
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