第6話 後悔
テレビをつけっぱなしにしていたまま、ストーブをつけたまま、今に入ると、温かい空気と、騒がしい雑音が、身体覆っていた。私は、真っ先に冷蔵庫の前に立つ。五百巻の発泡酒を取り出す。仕切り直しと言わんばかりに、発泡酒を手にしている。氷一杯のグラスを手にすることなく、こたつまで移動すると、腰を降ろす前に、プシュッと、蓋を空けた。缶の飲み口を口に運びながら、体重を座椅子に乗せた。くすんだ封筒は、目の前のこたつの上に置く。手を伸ばすことなく、発泡酒を一気に胃に流し込んだ。
また、不意に、時計に視線が向く。午前二時を、少し過ぎていた。二階の寝室に、三十分しかいなかったのかと、そんな事を思い、テレビのリモコンを握る。乱雑に、チャンネルを変えてみるが、差し当たって、見たいと思う。興味を示す番組には出くわさない。仕方がなく、チャンネルを元に戻し、大阪芸人がやかましいバラエティに落ち着いた。只々、やかましい雑音が片方の耳から入り、片方の耳から流れる。さっきまでの状態が続く。そして、目の前には、留美からの手紙、くすんだ空色の封筒が置かれている。私は、ある場面を、頭に思い浮かべる。「生蕗」姿であった。留美の一人娘、生蕗が、玄関前に立つ姿。
えっ!と、息をのむ私がいる。自分の目を疑ってしまう。私の記憶の中にいる小学四年生の時の留美が、目の前にいるのである。一瞬ではあるが、タイムスリップしたのかと、本気で思ってしまった。幼き留美と瓜二つの生蕗に、見惚れていると、
『こんにちは、初めまして…』
と、先に挨拶をされてしまう。私は、慌てて、その場にしゃがみ込み、生吹に目線を合わせる。
『初めまして、お前のオカンの兄の省吾です。』
そんな言葉を言ってみる。知らん、四十五のおじさんの顔が、目の前に現れたものだから、少し怯えているようにも、思える。その表情をどこかで見た覚えがある。そうだ、留美に初めて、会った時だ、睦美の身体を隠れ蓑にして、私を観察していた留美の表情が頭に浮かんだ。
お名前は、という私の時に、思い切りの笑みを浮かべて、「生蕗です!」と言葉が返ってきた。
「生蕗か、生蕗ちゃんか、ほんまに、留美にそっくりやな。ホンマに、ちいちゃい時の、留美を見ているようや。」
私は、しゃがんた状態のまま、そんな言葉を続けて、生蕗の頭の天辺に手の平を置いた。数回、ポンポンと手の平を上下させると、恥ずかしそうに俯くと、勢い良く、家の中に走っていった。
数か月前、二十五年振りに、大隅と云う土地。私が、青年時代を過ごした土地に帰った時の事である。初めて、姪っ子の生蕗と、顔を合わせた時、生蕗を抱きしめたくなる衝動にかられた。幼い頃の留美、私の記憶の中にある小学校四年生の留美と、瓜二つの生蕗を、抱きしめたいという衝動を、必死に抑えていた。それだけ、かわいかったのである。抱きしめたまま、大きく左右にゆすり、そのまま、赤ん坊を高い高いするように、抱きかかえ、持ち上げたかった。
ぷっ!発泡酒の缶を口に運ぶながら、噴き出してしまう。
「犯罪やな…」そんな言葉を呟くと、顔がにやけてしまう。留美と二人で、カレーを作った、遠い遠い記憶が蘇ってくる。電話口で、下ネタを口にして、最低!と言われたあの日が蘇ってくる。
「お母さんに、お兄ちゃんに会って来たっていう証明…」って、腕を組んで撮ったあの写真は、まだ持っているのだろうか。数少ない記憶の中にある留美の姿が、浮かんでは消えていく。正直、この二十五年間、無理して、帰ろうと思えば、帰れていた。しょうみな話、月二千円、五百円でもいい、(帰省貯金)なるものを作って、お金を捻出していれば、五年に一回は、帰れていた。妹たちの中学卒業、高校入学。高校卒業、成人式、結婚、出産、この中の一つは、立ち会えたかもしれない。この二十五年は、あまりにも長い。私が結婚して、長男坊が、もう大学生なのである。色んな理由をつけて、帰省を拒否してきた結果が、今、後悔という言葉になってしまっていた。
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