第5話 四半世紀

私は、小説を書いている。二十歳からであるから、もう二十五年になる。四半世紀書き続けて、全く芽が出ていない。一時期、書くのをやめた時期があった。妻と結婚をしたときである。私には、小説を書く才能がないと気付き、十年ぐらい書いていなかった。でも、やっぱり、書きたくなかった。長男坊が生まれた時の自分の感情、行動を書き留めたかったのだ。小説は、非現実である。私の頭の中の世界を、文字で起こして、現実にあった事にする。一種の現実逃避と、私は考える。キーボードを叩いている時だけ、本当の現実を忘れられる。自分の頭に浮かぶ世界、どんな風に文章に綴ろうか、そんな事を考えている時だけ、自分の世界に入り込める。その文章を繋ぎ合わせ、書きあげた時の達成感を感じたくなったのだ。小説が書きたくて、今の仕事。町工場に転職した。定時の帰り、一時間でも、小説を書ける。そんな生活をしたかったのだ。一年、一作品、小説を書き、出版社に応募をする。そんな生活を、五年続けたある日。私は、爆発してしまう。書いた小説を、妹たちにも読んでもらっていた。応募しても、結果が出ない。自分が書いたものの評価がほしかったのだと思う。才能がないのは、わかっている。じっくり考え、一年かけて、一作品を書いている。自分では、いい作品を書いている自負は持っていた。でも、結果が出ない。この一方通行の状態に、耐えられなくなったのだろう。思わず、妹たちに愚痴ってしまった。情けない内容の文章を、書いてしまった。情けない兄の心情、姿を見せてしまった。そんな時、留美が、自分のブログを作って、そのページに、お兄ちゃんが書いた小説を上げてみればと、提案してくれた。正直、私は乗り気ではなかった。アナログ人間の私は、SNSというモノを、信用していなかった。そんな私に、一通の手紙が届く。留美からである。メールで事を終わらせる昨今、後にも先にも、留美からもらった手紙をこの一通であった。その手紙を、引き出しの中寺、取り出すと、目の前に置く。書きかけ便箋の上、八十円切手が捲れ上がっている横には、私が前に住んでいた団地の住所が書かれている。くすんだ空色の封筒には、留美の直筆の可愛らしい文字が浮き上がっていた。手紙の内容は、何回も何回も読んだので、覚えている。この手紙に綴られた文章を励みに、今でも、小説を書き続けている。

私は、ジィと手紙を見つめていた。留美への書きかけの最後の手紙の上にある。くすんだ空色の封筒。手に取り、読み返せばいいものを、私は、それをしなかった。出来なかったという方が正しいかもしれない。何も考えられないまま、時間が流れる。背もたれの全体重を乗せたまま、一点だけを見つめていた。そんな時、不意に、天井に視線を送る。ペイントなのか本物なのか、天板の木目を見つめ、椅子に左右に回してみる。全体重を乗せた椅子の軋む音が、すんなりと、耳に入り、鼓膜を揺らす。しばらくすると、思考が働き始める。冷たくなった足元を温めようと立ち上がる。私は、書きかけの便箋を引き出しにしまい、くすんだ手紙を手にして、階段を降りていた。

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