第2話 寝ずの番

(寝ずの番)そんな言葉が、頭に浮かんできた。お通夜の時、線香の火を絶やさないように、言葉の通り、寝ないで、線香の火を見守る事。

「寝ずの番か、昔、そんな映画があったなぁ。」

思わず、発してしまう言葉に、表情を緩め、呑みなれた日本酒を口に含んだ。あいかわらず、ツーンとした嫌な臭いがした。本音で言えば、酔いたいのだろうと思う。いつもの私よりも、多い量を、口に含み喉に通している。逝ってしまった留美。そんな現実から、目を逸らしたかったのだ。

グラスに氷を入れるために、立ち上がった際、視線が、掛け時計に向いてしまう。午前一時三十分。訃報を聞いてから、まだ、一時間弱しか経っていない。この間、どのぐらいのアルコールを、胃に流し込んだのだろう。年をとり、めっきり、アルコールの摂取量が減った。酒が弱くなったのである。いや、元々弱かったのか、若い時は、勢いで酒を煽っていただけなのか。お酒が強い=大人の男。そんな大人を、演じていたのだけなのかもしれない。そんな事を考えながら、又、グラスにいっぱいの氷を入れた。冷凍庫のドアを閉めた時、私を大事な事を思い出す。今日は、土曜日、いや日曜日になっているのか。とにかく、週末は、私にとって休肝日なのである。二日間、お酒を飲まない日と決めていた。アルコールは、四十八時間。つまり、二日間飲まないと、アルコールは抜けないと、会社の健康診断で、医者から言われたからである。平日は、仕事終わりにビールを飲みたい。特に夏場は…だから、平日は除外して、週末の二日間とした。一年以上続けていた休肝日を、今日、今破っている。ハッと思い、しまったと呟いているが、後の祭りである。飲んでしまったものは、しゃあない。特に、今は飲みたい。留美という妹を偲んで、呑みたいのである。


なんで、私は、涙を流さないのか。まだ、妹が死んだという現実を受け入れられていないだけなのか。私は、そんな冷酷な人間だったのだろうか。そんな事を考えていると、二か月前の事を思い出す。場所は、鹿児島県志布志湾、大阪南港行きのサンフラワーフェリーの乗り場。痩せこけた留美の手が、私の前に差し出されていた。私は、一瞬、えっと思う。なんで、握手。と戸惑っていると、留美が、

『お兄ちゃん、本当に、ありがとうね。こんな遠くまで、来てくれて…』

留美の顔に視線を向けると、笑みを浮かべていた。私は、思わず、留美が差し出した手を握っていた。

何言ってんや。年末、貴子と息子たち、連れて来るんから…そんな事を言った記憶がある。咄嗟に出てしまった言葉であった。妻貴子の了解も得ていないし、息子たちの承諾も得ていない。正直、その時の記憶があまりない。溢れてきそうな涙を、必死で堪える事が精いっぱいで、冷えるから、はよ、いね。身体に悪いやろ。そんな言葉を言い、突き放していた。それが、留美と交わした、最後の言葉になってしまった。

産みの母親から電話があったのは、十月の頭だった。母親いわく、一番下の妹、留美が、癌に侵され、末期だという。余命宣告を受けている状態で、今年の六月に、手術もしていたと言う。私は、その事を聞いた時、目の前が、真っ暗になってしまった。淡々と留美の病状を説明してくれ母親の言葉など、耳に入ってこない。そして、わかったとだけ、言葉を発して、携帯を畳んでいた。呆然としている私に、妻が声を掛ける。どうしたの。私は、多分、留美が癌や!と言葉を返した。妻を、意外と冷静であった。今、どんな状態なのか、ここ細かく聞いてくる。私は、産みの母親から、聞いたことを、細かく、妻に説明した。そして、妻が、

『で、あなたは、行かなくていいの。』

私は、その時、初めて、帰らな!と思う。二十五年振りの帰省である。二十歳の時、帰って以来、宮崎、都城には帰省していない。なぜなら、父親も、育ての母親も、現在、大阪にいるからである。父親が故郷に錦を上げるつもりで、自分の生まれ育った故郷に建てた家。結局、地元には仕事もなく、出稼ぎという形で、父親一人、大阪に仕事を求める事になったのだが…父親が、家族と別れて生活をする事になったこだわりの家も人手に渡り、帰省する理由がなくなった。宮崎、都城の父親の故郷である。私が、十八になる年まで、八年ほど在住していた。

衝撃な事実を突きつけられた翌日、会社の上司に話をして、週末も入れて、五日間の休みをもらう事にした。産みの母親から、電話があったのが、火曜日であったから、水、木と仕事に出て週末金曜日、仕事を昼上がりにしてもらい、半休をとる。夕方五時出向予定の、鹿児島志布志行きのサンフラワーフェリー。一度、家に帰って、妻に見送りしてもらい、大阪南港に向かう。でっかい太陽が、ペイントされた船体を目の前にして、この太陽は、朝日なのか、夕日なのか。そんなどうでもいい事を考えしまう。でも、どれぐらい振りだろう。このサンフラワーフェリーに乗るのは…二十歳の時、帰省した時は、飛行機だったので、十八歳の時、大阪に向かうときは乗った。それ以来だから、二十七年振り、途方もない年月を感じる。

『頭も、剥げるはずや…』そんな言葉を呟いていた。

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