留美へ 出せなかった手紙

一本杉省吾

第1話 12月24日

 『妹が、死んだ!』

 私は、こたつの前に座り込み、ちらりと、壁にかかる時計に視線を向けた。深夜零時二十分。やけに、秒針が速く動いているように感じた。十分程前に、産みの母親から、携帯に電話がある。そこで、

 『今、留美が、逝ってもうた。』

 そんな言葉が、耳の奥で響いた。母親の名前が、携帯に表示された時、嫌な感じがした。働いてほしくない第六感。電話に出たくない感情を、押し殺して、通話のボタンを押していた。

 『ほう、そうなんか。とにかく、しばらくしたら、電話するわ。』

 私は、そんな言葉しか発せず、携帯を畳む。十二月二十四日。クリスマスイブって、どうゆう事なんや。お前は、キリスト教信者か。そんな言葉が、不意に、頭に浮かんできた。それから、何も考えられず、正面の一点だけ、見つめていたような気がする。なぜか、悲しくない。溢れるような涙が流れてこない。以外と平気な自分に、驚きつつも、立ち上がり、冷蔵庫に足が向く。スリードアの冷蔵庫。冷蔵室のドアを開けると、温まっていた部屋の空気の中に、冷気が立ち込めるように流れていく。私の顔に、冷気がぶつかる中、缶ビールを手に取り、冷凍庫に冷やしていたビア用のタンブラーを取り出し、また、こたつの前に座る。キンキンに冷えたタンブラーに注いだ、ビールを一気に胃の中に流し込んだ。別に、ビールを飲みたいと思ったわけではない。自然に、行動に移していた。真っ白になった頭のまま、勝手に体が動いていた。この一連の行動に、理由などない。胃の中に、麦色の液体が、チャッポと音をたてているだけであった。

 私は、不意に、目を閉じる。幼き留美の表情だけが、クローズアップされた映像が浮かび出た。私が初めて、留美に会った時だ。間違いない。一生忘れるわけがない、留美の表情。怯えたように、ジィーと私を見上げていた。今思えば、私に少しぐらい、興味を持っていてくれたのかもしれない。

 宮崎と鹿児島の県境。緑という緑に覆われた、ファミレスだったような気がする。私は、産みの母親と待ち合わせをしていた。妹達に会わせると云う母親を、十七歳の私は、待っていた。目の前に、氷一杯のアイスコーヒー。その氷が解ける音が聞こえるぐらい、緊張していたのを、今でも覚えている。セーラー服を着た姉睦美の身体で、自分の姿を隠し、私と視線を合わせようにしなかった。時折、顔を見せると、怯えた表情で、ちらりと私を見るだけであった。もう何十年前の光景が、今、頭に浮かび上がっている。私は、思わず、表情を緩ませた。八歳、年が離れているから、多分、小学四年生ぐらいか。かわいかった。とにかく、かわいかった。幼き日の留美。そんな妹が、死んだ。一気に、表情が固くなる。享年、三十八歳。早すぎるやろ。まだ、まだ、これからやろ。そんな言葉を吐き出すと、タンブラーに残りのビールを、荒く注いだ。

 『あほか!』

 そんな言葉を呟いて、又、一気にビールを胃の中に流し込んだ。明かりのついた部屋に、大阪ローカルの深夜番組。大阪芸人の騒がしいさが、この空間を包み込んでいる。私は、内容など覚えていない。ただ、見ているだけで、瞳に、流れる映像だけが映っているだけであった。何も考えず、考えようとせず、この空間で息をしている。空になった缶ビールを確認すると、又立ち上がる。空になったビールの缶とビア用のタンブラーを両手に持ち、台所に向かう。流し台のたらいの中に、タンブラーを置き、蛇口をひねった。シャワー状になった冷たい水が、たらいに勢いよく流れこみ、タンブラーとたらいに当たり、冷たい水が跳ね返ってくる。慌てて、蛇口を閉めた私は、水切り場にあった小さめのグラスを手にした。グラスに、溢れるほどの氷を入れて、二リットルサイズの紙パックの日本酒を持ち、また、こたつの前に座る。ビールの次は、日本酒である。私の晩酌の一連の流れであった。いつもは、妻が用意してくれるのであるが、なんせこんな時間である。二階の寝室で、もう寝ている。だから、自分でやるしかない。そういえば、妻に報告せねばと思うが、朝方でいいっかと、自己完結してしまう。

 二級酒の独特のアルコールの臭いが、鼻に付く。この臭いが嫌いだから、氷を入れて、冷たくする。紙パックの日本酒を飲み始めたのは、いつからなのだろうと、考える。私には、三人の息子がいる。三人の子供達を、大学まで出そうと考えれば、日本酒のランクを下げる必要がある。多分、妻からの提案だったような気がする。それまで、一升瓶で、二千円ほどの吟醸酒しか、呑まなかった私が、

 『晩酌のお酒、もう少し、安いのでいい。』

 そんな妻からの提案に乗るしか、選択肢はなかった。息子の将来の事、当時の家計状態からすれば、当然の事だった。紙パックの二級酒は、喉の通りが悪い。うまい日本酒は、喉の通りが水を飲んだのかと思う程、スムーズに流れていく。だから、氷を入れて、冷たくする。幾分か、ましになるからである。今は、十分慣れたが、呑み始めた当初は、それが嫌だった。仕事のストレスもあったのだろう。アルコールに逃げる大人の典型であった。だから、今も、酒をやめられていない。

グラス一杯に入れた氷が、徐々に小さくなってくる。大阪ローカルの深夜番組を見つつ、何杯のグラスを傾けただろう。一向に、酔っている感覚がない。そんな事を考えるという事は、酔っているのかもしれない。でも、眠気が襲ってきたり、身体が沈んでいく、私の酔っている目安の感覚が、全くない。悪酔いした時の、視界がぐらりと揺れ、頭の奥の方で、意識が遠ざかる感覚がこない。以外にも、呑めば飲むほど、頭の中が、はっきりとし出していた。

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