第14話 研修医


社員旅行も終わり、お盆休みを得て

残暑が残る9月が始まった。



お盆休みは両親が戻ってきてお姉ちゃん

夫婦も集まり、慶くんも恋人として

挨拶に顔を出してくれたのだ



『莉乃にこんな素敵な人がいるなら

 安心ね。度会さん、私達はなかなか

 帰れませんがどうぞよろしくお願いします。』



お母さん達が帰る前に

嬉しそうに笑って慶くんに挨拶して何かを

話していたけど、改めて紹介となると

少し緊張してしまった



「お父さんたちと何話してたの?」


『ん?秘密』


えっ?


『ハハッ、そんな変なこと話してないよ。

 良い人たちだな。』


「‥‥うん」



本当に、良い人すぎるくらい良い人たち。



幼いながらにもちゃんと自分を産んだ両親

達のことは覚えてる。


部屋はいつも汚くて、ご飯なんて

毎日食べれなかったりでパン一つで

1日過ごすこともあった。



今の両親は実の娘じゃないのに、

お姉ちゃんと私を一切差別なく

変わらない育て方をしてくれた。



怒られる時も勿論あったけど、

あまりにも本当の両親と違って

最初は、いつかこの人達もあの人達みたいに

変わっちゃうのかな‥‥なんて

思ってしまった日もある



だから本当の親ではなくても、

ちゃんと親孝行したいんだ‥‥

大事に育ててくれたから。



慶くんが何を話してたかは

家に送ってくれて別れた後も

ずっと気になったけど、

お父さん達笑ってたから私も安心した



『こんなカッコいい人テレビの中以外でも

 いたのね、お母さんドキドキしたわ。』


『とうとう莉乃にも素敵な人が見つかったか。

 嬉しいけどお父さん寂しいな‥』



慶くんを見た人はだいたいその容姿の

凄さに見惚れてしまうのは仕方ない



私だって最初はそう思ってけど、

あんな勤務態度だったから悩みのタネの元

だったし苦手な人になってたって言ったら

2人とも笑ってたもんね‥



なかなか会えないけど、

電話もするし寂しくはないけど、

いつまでも元気でいて欲しい‥そう思った




『滝さん、本宮先生に変わって明日から

 1ヶ月間研修医として入られる先生が

 来るから案内頼めるかな?』



本宮先生は度会先生と同じ内科医で、

いつも第三診察室で働いている先生だ。


第一、第二の先生は常勤で、第三診察室の

本宮先生は隣の市の救急病院と兼任の為

週に3回内科の呼吸器科の医師として

診療所にはいってくださってるのだ。



9月から一月、アメリカに

勉強の為渡米するためお休みになり、

代わりに市の呼吸器科で現在研修医として

働く先生が短期で来てくださることになった。



研修医と言っても呼吸器系のみのことで、

内科医としては普通に診察出来るので

診療所としては内科医常勤が

3人対応となりかなり診察はラクになりそう



どんな先生が来るのか楽しみだ‥




新しい先生のロッカーの掃除をして、

説明書や真新しい白衣を2着準備すると、

部長が新品のネックストラップと

名前が印字された物を持ってきてくれた



平塚 千尋 (ひらづか ちひろ)?



ん?

なんか何処かで聞いたこともあるような

名前だったけど気のせいかもしれない



準備を整えた後帰宅して、

午後から大学病院に行った慶くんに

メールだけして寝ることにした。




ガチャ



「おはようございます」



いつも通り朝早く医事課の扉を開けると、

部長の席の前に立つ人物に足が止まった



勝手に男の医師が

来るものだと思っていたのに、

立っていたのが女性で呆気に取られたのだ



千尋って‥‥確かに女性でも

多い名前だったな‥‥


男性って思い込んでいたため、

白衣のサイズを大きい物で用意してしまい

後で変えないとと焦った



「お、おはようございます、医事課の

 滝 莉乃です。」



クルッと振り返った女性がこちらを見ると、

見間違いかなと思ったけどクスッと

笑った気がした



清水さんとは違ったまた綺麗な人‥



綺麗にコテで巻かれた巻き髪と

派手ではないけどバッチリ整ったメイク



少しだけ強そうに見えるのは、

自信に満ち溢れた証なのだろうか‥‥



『あなたが滝さんね、平塚 千尋よ。

 短い期間だけどよろしくね。』



差し出された手を軽く握ると、

ギュッと握り返され驚いてしまった



『あなたに会ってみたかったから、

 自分からここに来たいって言ったのよ?

 フフ‥色々楽しみだわ。

 それより慶はどこ?』



えっ?



キョロキョロと辺りを見渡すと、

先生の髪から大好きなあの香りが

フワッと舞い固まってしまう



慶?って‥‥‥慶くんのことだよね?



恋人の名前を聞き間違えるほど

聴力はまだまだ衰えてないし、

この診療所で慶って名前は1人しかいない



呼び捨てにしたのも気になるけど、

何より2人だけの好きな香りと思っていた

あの香りが彼女からしたことで

偶然かもしれないけど不安が募る



『おや、平塚先生は度会先生と

 お知り合いだったんですか?

 大学病院も同じですしね。』



『フフ‥どうかしら。

 知り合いよりももっと深い関係だったら

 どうします?』



ドクン


なんとなくこの場所にいるのが息苦しくて、

彼女と目が合うと思いっきり逸らしてしまった



深い関係って‥?



清水さんの先生への思いは受け入れた。

あれから何も聞かないし、清水さんも

いつも通りだったからこちらから触れないでも

変わらない日常ならと頑張れた



けど‥‥この人はなんか違う気がする



『あっ!!慶!!!』



ドクン

 


この場から逃げ出したいのに、先生は

なんて悪いタイミングでここに来たんだろう。



前には平塚先生


後ろから度会先生に挟まれてどこにも行けない



やっぱり慶くんのことだったんだ‥‥

目の前の現実にこの後の2人のやりとりに

どう反応するのが正解なのか答えがすぐに

パッと出て来ない



とりあえずいつも通り‥‥笑わなきゃ。

落ち着いて‥‥



『滝さん、おはよう。

 この書類午後までに〇〇病院宛てで

 用意してもらえるかな。」


えっ?



呼吸しづらくなっていたのに、

いつも通り話しかけてくれる声のトーンに

張り詰めていた糸が簡単に緩む



おんなじ香りなのに、

なんで慶くんの香りは安心するのだろう‥



泣いてはいけないのに、思わず

涙が溢れそうになりグッと堪えた



「先生‥おはようございます。

 書類ですね、用意しておきますね。」



振り返ってペコっと頭を下げてから

先生を見上げると、優しい笑顔で

いつも通りだったので、ホッとして

私も笑顔を返した。



『慶ってば!!なんで無視するの!?』



『無視してませんよ‥平塚先生。

 名前で呼ぶの辞めてもらえますか?』



少し低めの声を出すと、

私の前に移動して立ち

まるで私にそのやりとりを見せないかのように

平塚先生と話し始めた。



怒ってはないけと思うけど‥‥なんか

いつもと雰囲気が違うから部長と課長も

ソワソワし始める



ヤダな‥‥

せっかく診療所の雰囲気がいいのに、

期間限定だとしてもギスギスしたくない



『フフ‥‥いつもそう呼んでるのに、

 仕方ないわね。じゃあここでは

 度会先生って呼ぶわ。

 1ヶ月よろしくね?』



『こちらこそよろしくお願いします。』



いつもそう呼んでるってところだけ

少し引っかかってモヤモヤしてしまったけど、

診察室に帰る前に目があったら、

やっぱり普通にいつも通りの先生に

戻っていたので大丈夫って思えた。



2人がどんな関係なのか分からないけど、

慶くんは絶対私を不安にさせないって

分かってるから、話してくれるまでは

私も普通にお仕事頑張ろう‥




月曜日に始まった新しい先生との

お仕事は特に問題はなかったものの、

女性の医師がいるだけで患者数は増え

慶くんとのお昼ご飯も一緒に食べられず、

仕事の後もレセプトで私が疲れてたり、

慶くんも仕事や幼児が重なりなかなか

ゆっくり会えないまま数日が過ぎていた



「由佳、頑張って今日中に

 レセプト終わらそう。

 今のうちにゆっくり休憩行っておいで。」



平塚先生も忙しい中での業務なので

病名がつけれてないものが多く、

レセプト点検がいつもより時間がかかっている



大学病院とはやり方もきっと違うし、

慣れない環境で疲れも溜まっていそう‥‥



丁寧に付箋を貼りながら先生ごとに

分けていると、コツコツとヒールの音がして

平塚先生が給湯室にやってきた



「お疲れ様です。お昼行かれないんですか?」



平塚先生も社食のはずだから

今行かないと片付けられてしまう‥‥



相変わらず綺麗にメイクされ、

丁寧に緩く巻かれた髪の毛には艶があり

白衣を着ていても女性らしさが溢れ出る

美しさを持っている



『そういう滝さんは?』


「あ、私は留守番というか‥‥

 誰か1人は残らないと電話応対できないので

 いつも交代でみんなが帰ってきたら

 行くんです。お弁当なので。」



『へぇ、えらいわね。』



コーヒーを淹れ終わったので、

診察室へ帰られるのかなと思っていたら、

私の隣の椅子に腰掛けたので、

業務中だったけど手を止めて固まった



静かな空間に2人だけで、

変に緊張が増していき嫌な汗が出そうになる



なんでここでコーヒー飲むんだろう‥‥


ただでさえ話すの得意じゃないのに、

仲が良くない人とかは尚更ツラい



「‥‥あの」


『ねぇ、慶と付き合ってるんでしょ?』


えっ?



直球過ぎる質問に、目を逸らすべき?

冗談っぽくあしらう?

嘘を突き通す?



他の人なら同じ質問が来たとしても

こんなことがサッと思いつくのに、

平塚先生の雰囲気は真っ直ぐ過ぎて

おそろしく感じて逸らせない



この人が慶くんにとってどんな

存在なのか分からない‥‥



元カノ?

本当にただの同僚?



慶間に限って、二股とは考えにくいけど、

分からない‥‥



信用してるし信用したいけど、

まるで私が悪いことをしている悪者にでも

なったかのように責められてる感覚だ



クーラーが聞いてる室内なのに、

頸筋を本当に汗が伝いはじめ

私は生唾をごくんと飲み込む



どうする?

まだみんな休憩から帰って来ないし、

電話の一つでも鳴ってくれたらいいのに‥



『俺と付き合ってたら問題あるの?』



喉がカラカラになる寸前で聞こえた

愛しい声に、我慢していたのか涙が

勝手に溢れ出る



先生‥‥

今はっきりと付き合ってるって言ってしまった



まだ誰にも言ってないのに、

よりによって平塚先生にバレてもいいの?



「先生、違っ」

『お前は俺の恋人を泣かせて何してんの?』


ビクッ!



聞いたことのないような怒りが混じった

慶くんの声に私の方がブルっと震える



『何の目的でここに来たか知らないけど、

 大切な人を傷つけたらどうなるか

 分かってるなら良いけど?』



腕組みをして平塚先生を睨みつけるのを

見たら、私の方が慌てて立ち上がり

慶くんの目の前に立った



小さく首を振り私は大丈夫だからと

口パクでなんとか伝えるも、慶くんの

表情は強張ったままだ



『‥‥ごめんなさい』


『何?聞こえない!』


「先生!もういいですから!」


『ごめんなさいお兄ちゃん!!』





お‥にいちゃん?

聞き間違えじゃない‥よね?

えっ?‥‥ええっ!!?お兄ちゃん!?



慶くんは相変わらず腕組みをしながら

平塚先生を見下ろし、平塚先生は

俯いたまま少しだけ震えている



私の方が焦ってしまいキョロキョロと

2人を交互に見ていると、

肩に手を置かれたあと近づいてきた先生が

私の耳元で小さく話した



『今日の夜ご飯に行こう。

 ちゃんと説明するから』



その言葉に小さい頷くと、

ニコッと笑って私から離れてしまう



『平塚先生、ちょっといいですか?』



また低めの声でそう話すと、

歩く慶くんの後ろをトボトボと着いていく

平塚先生をただただ見ているしかなかった



お兄ちゃん?



力が抜けたようにそのまま椅子に

ドスンと座ると、頭の中が全く整理できずで

ボーッと考え込んでしまう



顔立ちは2人とも綺麗だけど、

名字も違うし‥‥本当に兄妹?



レセプト点検をしないといけないのに、

由佳が戻ってくるまで一枚も見れずに

ずっと考え込んでしまった



『先輩、体調悪いんですか?』


「へっ?あ、全然大丈夫!

 レセプト終わったし先生たちに

 持ってくだけだから由佳帰って大丈夫!」



しまった‥‥

業務時間終わって残業させてしまったのに

いまいち頭が働かない



『ほんとですか?午後からなんか

 おかしかった気がするんで心配で。

 また倒れたらダメですからね、週末

 ゆっくり休んでくださいよ?』



「う、うん、ほんと大丈夫!元気だから。

 気をつけてね、お疲れ様!!」



由佳にまで心配されてしまうとは、

先輩として情けない‥‥



両手を組んで伸びをすると、

纏めたレセプトの直しを先生たちの

デスクに置きに行く事にした。



「お疲れ様です‥‥」


18時近くになると誰もいないのに、

やっぱり第一診察室だけは主人がいるんだよね



相変わらず誰よりも忙しいのに、

レセプトの直しは誰よりも少ない



『終わった?』


「はい、着替えてきます。」


『ん、僕も帰る支度するよ。』



これからどんな話をされるか

分からないけど、悩みの種は無くしたい。


仕事でミスしなかっただけ良かったけど、

前よりも慶くんのこととなると、

集中力がなくなってる気がするから



戸締りと電気を消し、

鍵を管理室に戻したあと慶くんの車に乗り

ご飯を食べに行くことにした。

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