第10話 ほろ苦い味


『ねぇ、先輩?

 最近の度会先生って前にも増して

 優しさプラスされてませんか?』



「ハハッ‥‥そうかな?」



いや‥‥実際そうなんだよね。



以前は笑顔を見せるものの、

どちらかと言えば近寄り難い空気感が

あったのに、最近はずっとニコニコしてる



看護師さんや、技士さん達の声色も

より高くなってる気がするし‥‥



診療所の雰囲気が悪いわけじゃないから、

直してくださいとも言えない



『そうですよ!前は先輩にだけ特に

 ちょっかい出してたのに、なんで

 最近はなくなっちゃったんですかね?』



ちょっかいって‥‥

間違ってはないけれど‥‥



その一つの原因が清水さんとのこともある。



やっぱりここではうまくやっていきたいから、

慶くんに少しキツく言ってしまったのだ。



仕事中だから、

オンオフはしっかりしたいって。



少し寂しそうではあったけど、

全く話さないわけじゃないし、

みんなと同じようにして欲しいだけ。



清水さんがものすごく嫌な人だったら

いいのに、仕事は出来るし優しいし

話しやすくていい人なんだよね‥‥



時々見かける2人のやり取りに、

なんとも思わないわけじゃない‥‥



ただものすごく自然でお似合いで

並んで立ってても絵になるような2人だ



『うわっ!先輩!先輩!!』


「えっ?‥‥うわっ!!」



ぼーっとしていて、書きかけだった書類に

診療所の宛名インクをかなり滲ませてしまった



しまった‥‥‥

大事な書類なのに、これじゃあ作り直し

してもらわないといけないよ‥



ファイルに保存されてるなら

印字するだけだけど、聞きに行かなきゃ。



午後の業務もやれるうちにやらないといけないのに考え事してミスするなんて情けない



「ごめん、先生のとこ行ってくる。」



汚してしまった書類を手に取ると、

第一診察室を目指して行ったけど、

電気も消えていて珍しく不在だった



トイレかな‥‥


特にそんな外出の用事もなかったはず‥‥



勝手にパソコン見るわけにいかないし、

仕方ない‥‥一回戻るか。




『あ、滝さん、どうしたんですか?』



処置室からコットンや消毒などの補充にきた

清水さんが偶然診察室に来て少しビックリした



相変わらずスラリとして綺麗な人‥‥

いつ見ても本当にそう思ってしまう



「先生に一通書類を作成してもらおうと

 思ったんですけど出直します。」



『それなら戻って来たら伝えておきますね。

 多分今放射線科に行ってると思うので。

 この後‥‥その‥‥先生と少し

 お話しするつもりなので待ってようかと。』



話し?



少し顔を赤らめて話す清水さんから、

不自然じゃない程度に視線を外す



前はお似合いだと思えた2人が、

今は一緒にいて欲しくないなんて

自分勝手な思いが出て来てしまうから



「‥‥じゃあお願いします。

 今日中なら大丈夫なので。」



なんとなくこれ以上ここにいると

息苦しくなりそうで、ニコっと笑うと

その場を離れた。



ここでは普通にしたいって言ったのは

自分なのに‥‥矛盾してる



先生に対してちゃんとヤキモチを焼くのは

これが初めてな気がする



自分にもこんな醜くてドロドロした

部分があったんだなって気づいて

大きな溜息を吐いてしまう



モヤモヤしたままの状態で17時まで

事務作業をしつつも、先生に書類を

また作ってもらいなんとかその日は

仕事を終えれた



まだ木曜日だし明日も仕事あるけど

なんか真っ直ぐ家に帰りたくないな‥



お姉ちゃんは育児からの寝不足で

夜なんて誘えないし、由佳も当日だと

誘いにくい



ダメ元で大学からの友人に連絡だけ

入れてみようかな‥‥



『お疲れ様でした、先輩』

『お先に失礼します。』



みんながどんどん着替えて帰る中

今日に限って急ぎの仕事もなく、

また溜め息が出てしまう



『滝さん珍しいね、いつもなら

 早く上がれる日は嬉しそうなのに。』



部長‥‥か。


こんなくだらない悩みを部長にしてもねぇ‥


既婚者といえど、若者の恋話なんて

聞きたくもないだろうし‥



「なんか色々悩んじゃって‥

 このまま帰っても寝れなさそうだから

 飲みに行っちゃおうかなぁって。」




『それなら飲みに行く?』


えっ?



部長と話してるのに、

聞こえて来た違う声に驚き

ぼーっとしていた頭が一気に覚醒する



「‥‥ビックリ‥しました。」



『部長さんも一緒にいかがですか?』



白衣姿の先生が私の後ろに立ち、

肩にポンっと手を置いた。



何処から‥‥というか、いつからここにいて

話聞いてたんだろう‥‥



『い、いや私は遠慮するよ。

 た、滝さん、じゃあお先に失礼するね。』



部長!!


さっきまで暇そうだったのに、

どうしてそんなに逃げるように帰るの!?



前から思ってたけど、もしかして

先生って部長と課長の弱みでも握ってる?



あの2人は特によそよそしいんだよね‥‥



『帰っちゃったね、じゃあ2人で行こうか。』


「えっ?い、行きません!

 それより早く上がれる日は帰った方が‥」


『ねぇ、何を悩んで眠れないの?』


「‥‥‥‥」


やっぱり話聞いてたんだ‥‥



「えっと‥‥あ、あれは嘘ですよ!

 毎日眠れてるし元気ですから。」



傷つけないように、

肩に置かれた手を握って外すと

ニコッと笑ってそのまま更衣室に移動した



ガチャ


ふぅ‥‥


自分のことでモヤモヤしてるのに、

先生の顔見たらなんか泣きそうで逃げた



いつも通り接してくれるのに、

変われずに、割り切れない自分のせいだから。



ガチャ


えっ!!?



「ちょっと、先生!!!

 ここ女子更衣室ですよ!?」


『ん、知ってる。みんな帰ったから

 いいでしょ?』


はぁ!?


誰か戻ってきたりでもしたら、

変態扱いよ!?



慌てて外へ追い出そうとすると、

先生が後ろ手にガチャリと鍵をかけたのが

思いっきり聞こえた。



「‥‥‥‥」


『で?さっきの答え聞いてないんだけど。』



腰に回された手が私を逃さないよう

しっかりとホールドすると、見上げた先に

笑いつつも少し怒っているような顔で

私を見下ろしている



「‥‥‥話すので、着替え終わったら

 ご飯行きませんか?」



話すまでかえしてくれないことは

もう今までの経験上分かってることだ



でも、ここはダメ!!



男性禁止の場所にこんなにも堂々と

いては絶対ダメ!!



『うん、じゃあ車で待ってる。』



頬に軽く触れるキスを落とすと、

先ほどとは違い嬉しそうに笑い

鍵を開けて先生は出て行った



やっぱり今日の私の態度がおかしかったの、

慶くんならすぐに気づくとは思ったけど、

どこまで話せばいいのだろう‥‥



溜め息を吐きながらも着替えると、

医事課に鍵をかけてから

裏口から出て先生の車にさっと乗った。




「あっ!!」


『どうかした?』



普通に先生の車に当たり前に乗ったけど、

誰かに見られてなかったか今更不安になり

キョロキョロしてしまう



最初の頃なんて、乗るのにも躊躇してたのに、

人間の慣れって恐ろしい‥‥



「ううん!大丈夫。」



『それじゃあ行こうか、飲めるところに。』



ウッ‥‥



ハンドルに少しもたれかかりながらも

意地悪く笑う先生に、気まずさから

笑いを返しつつも返事できなかった



金曜日ならまだしも、明日もお互い仕事だし、

お休み前の金曜日は混むから早く切り上げて

家に帰れる方向にしないと‥‥



診療所と言えど働きすぎなくらい働いてるし、

休んでるところ見てないから心配になる



『さ、着いたよ。行こうか。』



えっ?


てっきりまたオシャレなご飯屋さんか、

BARにでも行くかと思いきや、普通の

ビルのような建物の駐車場に車が停まった



「あの‥‥ここですか?」



車から降りても静かな場所で、

お店の看板すら出ていないので

キョロキョロしてしまう



診療所から近かったけど、

こんな場所にお酒が飲める場所なんて

あったの知らなかったな‥‥



手を繋がれて一緒に歩くと、

エントランスからエレベーターに乗り

10階で降りると違和感に気づく



あれ‥‥なんで鍵なんて出してるの?



見上げてもニコニコしてるだけで、

手は離してくれないし、着いていくしか

ないのだけれど、その鍵で扉をガチャリと

開けているのを見て立ち止まった



「先生?まさかとはおもうけどここって‥‥」



『ここ?僕の家だけど?はい、どうぞ』



ええっ!!!?



冗談で言っただけで、何言ってんの、

ここは中はお店だよっていう答えを

待ってたのに本当に普通に家で

口が開いたまま先生を見てしまう



「私‥‥ここはお酒飲めるとこかなって。」


『飲めるよ、色々あるから。』


「‥‥‥‥」



のこのこと安心して着いてきたけど、

完全に私の悩みを全て吐かせるつもりなんだと

悟ると、その笑顔を見て口元がひきつく



逃げ場のない入り口に足を踏み入れるような

恐怖すら感じる



普通は付き合って初めて彼の家に行くなんて、

ドキドキしたり緊張したりするはずなのに、

違う緊張感を抱えて来ることになるとは‥



「お邪魔します‥‥」



私が入るまで、入り口のドアを抑えて、

入ったのを確認すると、背後で閉じた

ガチャリという鍵の音に背筋がピンとなる



『お腹空いてるでしょ?

一緒に何か作ろうか。』



「えっ?あ、うん‥一緒に作ろう‥」



すぐに誘導尋問されると思いきや、

そうじゃないんだとホッとして、

靴を脱いでから慶くんに手を引かれ

家の中へと進んで行った



『クーラー付けるから、向こうで手を

 洗っておいで。』



広々としたLDKはシンプルでそんなに

物もなく大人な落ち着いた空間で、

私の家とは全然違う雰囲気だ。



ここが先生、いや‥慶くんが生活してる

場所なんだなぁ‥‥



カバンを部屋の隅に置いてから

洗面所を探して手を洗ってから戻ると

冷蔵庫を開けて何か考えていた慶くんの

側に行ってみた。



『そんなに材料豊富じゃないけど、

 何か食べたいものある?』



ひょこっと隙間から冷蔵庫を除くと、

本当に調味料やチーズ、生ハムなどはあり、

冷凍庫にはお肉や魚介類、野菜室には

沢山色々な野菜が入っていた。



「んー、サフランはないけど、

 シーフードパエリア風なもの

 とかどうですか?

 あとは野菜多いのでサラダと、

 おつまみ用にいくつか簡単なもの

 作りましょうか。」



『ん、いいね、美味しそう。

 お肉も使っていいよ、日本酒もビールも

 ワインもあるから。』



「慶くんお酒強いの?」



『たしなむくらいは飲めるかな。

 たくさん飲めば酔うかも。』



疲れてるだろうし、ここからなら駅も近いし

私は電車で帰れるから慶くんが美味しく飲めて

食べれるおかず作ろう。



2人で並んでキッチンに立ち料理をすると、

ついこの間うちでお昼ご飯を作ったことを

思い出す。



お弁当作らない割に、料理も

手際良くて上手だったし、一人暮らしでも

ちゃんと買い物行っててすごいなって思うし、

あんなに忙しいから、冷蔵庫の中なんて

空っぽかと思ってたから驚いた



「酔った慶くん見てみたいかも。

 フフ‥‥いつも完璧だから」



『酔ったら莉乃のこと離さないけどいい?』



「な、何言ってるの!じゃあ少しだけね!」



こんなキッチンでいきなり甘い言葉を

耳元で囁くなんて卑怯だ



焦ってパエリアに使うお米を

盛大に床にこぼすとこだったし‥‥



クスクスと面白そうに笑う慶くんと

簡単なパエリアと生サラダ、

クラッカーがあったので、トマトと

クリームチーズと生ハムでおつまみを作った




『莉乃、白ワインでも大丈夫?』


「うん、少ししか飲めないけど、ありがとう」



オシャレなワイングラスと白ワインのボトルを

持ってくると、丁寧にオープナーで開けて

グラスに注いでくれる



1人だったらこんなオシャレなディナーを

こんな平日に食べることはまずないし、

誰かと食べれることがなんだか嬉しい

気持ちになる



「いただきます。」



アサリの出汁が美味しいパエリア風のご飯が

すごく美味しくて慶くんもすごく喜んでくれた



今度家でも作ってみようかな‥‥



白ワインも飲みやすくて、

1杯だけにする予定が2杯も飲めてしまい、

食べ終わる頃には少しだけ頭がふわふわして

ほろ酔いカバンになってしまっていた



慶くんの方が飲んだのに、全然強いじゃん‥



洗い物を2人でしながらも残ったワインを

グラスに注いでまだ飲んでいる



飲み方一つが普通のことなのに

カッコいい人がやると、どんな仕草も

別なものに見えてしまう



こんな優しくて素敵で、そばにいて

居心地がいい人が私の恋人なんだね‥‥



『莉乃?どうした?』



洗い物をしながらも、気付かないうちに

頬を伝っていた涙を止めたくても、

お酒のせいなのか感情がうまく

コントロール出来ない



ビックリするよね、こんな急に泣くなんて‥



涙を拭きたいのに手が泡まみれだから

あんまり見られないように急いでお皿を

すすいでいく



洗い物終わったら、このまま急いで

帰ったら慶くん怒るかな‥‥

上手く話せそうにないから怖い‥‥



ビクッ!!



隣から伸びてきた指が頬を伝う涙を拭うと、

そこに唇を寄せてペロっと舐めていく



頬、目尻、瞼に舌を這わせては舐め、

気付くと涙は止まってしまい、

水道を止められるとそのまま慶くんが

私を抱き締めた



「服濡れちゃうよ‥‥」


泡だらけの手のままだから、両手を背中に

回すことも出来ない



『なんで泣いたか話せる?』



背中をあやすようにさする手に、

体の力を抜いてその胸にもたれかかる



「くだらないことでも‥‥わ、笑わない?」


『くだらないの?』


私にとっては悩むことでも、慶くんからしたら

ほんとにどうでもいいことだから口にするのも

躊躇してしまう



「私、本当の両親から愛情貰わずに育って、

 今は新しい家族と幸せだけど、大切なものが

 できればできるほど失う日が怖い‥‥。

 慶くんはカッコいいし優しいしモテるから、

 取り柄のない私より他の人の方がって

 どうしても考えちゃう。

 ‥‥ごめんね‥

 こんなに大切にしてくれてるのに。」



自信を持って隣に立ちたいのに、

綺麗で優しい清水さんと並んでる姿を見ると、

その隣に立つのは自分じゃなくてもって

思ってしまう



節約して時間がかかっても

お金貯めてやらないといけないことがあるし、

料理も平凡、容姿も普通以下、

事務仕事しかできないのに、

こらからもそばにいていいのか分からない



『莉乃は俺のこと欲しくない?』


えっ?


私から離れると、途中だった洗い物を

慶くんがし始めてわたしの方を向いて

少し悲しそうに笑っている



呆れたなんて言われると思ったのに、

何も言わずにいてくれる優しさに

また涙が出そうになってしまう



一緒にそこへ手を伸ばして洗い物を

手伝い全部終わったあと後ろからそっと

慶くんに抱きついて両腕を回した



『莉乃?』



「‥‥欲しい。」


『えっ?』



「‥‥慶くんのこと‥‥‥ツッ‥欲しい。」



気持ちを伝えるのが下手すぎて、

欲しがったらなくなった時が怖いけど、

慶くんだけは失いたくない



他のものは諦めれるけど、

どうしてもこの温もりだけは、

努力してでも離したくなかったから



「普通にしてって‥自分から言ったのに、

 寂しくて悲しくて勝手に不安になって

 ‥‥ほんとごめんなさい。」



また涙が溢れてきた私は、

お腹に回していた腕を離して

涙を拭おうとしたらその手を大きな掌が

包み込んだ



『‥‥良かった‥‥欲しがってるの俺だけかと

 思ってたから。』



慶くん‥‥



私の手を取るとそのまま自分の唇まで

持っていき指先にキスをして、

そのまま振り返った慶くんに背伸びをして

自分からキスをした



ワインのほろ苦い甘さと、慶くんの

舌の甘さが降り注ぎ、

長くて深いキスをしながら思いを伝えた






『もしかして抱いていい?』


「えっ!!!き、き、今日は待って!!

 ちゃんと準備したいから。それに‥‥」


『それに?』


「‥‥次の日は‥‥休みの日がいい‥」



顔を真っ赤にして言う私を見て、

慶くんはプッと吐き出すと

大笑いしながら抱き締めてくれる



これからも悩みは全部をうまく伝えられない

かもしれないけど、ちゃんと伝えたい。

大事な人だから‥‥

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