第8話 簡単なこと


ガチャ


「おはようございます。‥‥あ、清水さん

 今日は早いんですね。」



暫くぶりにゆっくり眠ってしまった月曜日

それでもみんなよりは早いけど30分は

遅めに出て来たのだ



昨日慶くんと色々あったから、

感情や頭使いすぎて思いの外疲れて

ぐっすり寝れた



『おはようございます滝さん。

 月曜日は患者さん多いから、色々

 材料とか在庫切れないかもう一度確認

 しときたくて。』



そうですよね‥‥

事務員も少ないけど、看護師も外来のみの

診療所だけど3人でいつも回してる。



1人でも病欠したら、

事務も外来も待ち時間が出そうだから、

体調管理をしっかりしないといけない。



度会先生も勿論大変だけど、

処置室で採血や点滴、色んな説明してるのも

みんなうまくよくやってくださっている



小さい診療所だけど、

異例の患者数だから本当はもっと人手が

あってもいいんだけどな‥‥



「私もそんな感じですよ‥‥

 早く来て準備しておかないと

 落ち着かなくて。頑張りましょうね。」




『うん。あ!滝さん少しだけ時間いい?』



制服に着替え終わると、

清水さんに引き止められ、更衣室内の

小さなベンチに2人で腰掛けた


なんだろ‥‥


そんなに沢山話したことないし、

年齢は近いけど、改まってだと

変に緊張してしまう



『ふぅ‥‥あ、あの‥滝さんって度会先生と

 な、仲いいですよね?』



あ‥‥‥‥

いくら鈍感でも、なんとなくこの先の

話の内容が分かってしまう



初めて清水さんが先生を見た時も

固まって真っ赤だったし‥



『先生って好きな人とか彼女いるか

 滝さんは知ってる?』



ドクン



昨日の今日でまた頭がパニックになりそう



だって昨日その話してキスをしたばかり。

そんな状態なのに、何て答えればいい?



職場ではいつも通り過ごしたい

昨日家まで送ってくれた後にそう伝えたら、

ちゃんと了承してくれた。



オンとオフをしっかりしないと、

小さなミスならまだしも、大きなミスに

繋がってしまうと怖いから



「そういう話しなくて分からないです。」



自分で言ってて最低だって思う



でもこの環境を壊したくないから、

どうしても言えなかった



私に恋人ができてもどうってことないけど、

相手があの先生なだけに、

その相手が私となると今までの

雰囲気が乱れるだろうし、やっぱり怖い



清水さんごめんなさい‥‥



膝の上で両手を強く握りしめ謝ると、

ペコっと頭を下げてから先に更衣室を出た



これからここにいる限り、

こんなこと何回でも訪れると思う



その度に嘘をつき続けることが

出来るだろうか‥‥



社内恋愛のようなものは未経験。

みんなオープンにしてるのか秘密にしてるのか

ドラマや漫画の世界観しか分からない。



『おはよう、りっ‥滝さん。』



「おはようございます、課長。

 昨日はありがとうございました。」



『ううん、翠も喜んでたし、いつでも

 来ていいからね。』



デスクにお姉ちゃんと赤ちゃんとの

3人の写真を飾って幸せそうな課長のように

私もこんなふうになれる日が来るのかな‥



でもその前にやらないといかないことは

ちゃんと今まで通り頑張ろう



『滝さん、おはよう。』


ドクン



いつもは絶対いないそこに、

朝からまぶしすぎるほどの笑顔で立つ

度会先生にビックリしてしまう



新聞でも取りに来たのかな‥‥

それか何か急ぎの用事?



「‥おはようございます、先生。」



昨日の今日で、まだ色々と気持ちの実感が

沸かないことの方が多いけど、

向けられる眼差しは以前と変わらず

ニコリと笑ってくれている



とりあえずいつも通り、普通に‥‥



『滝さん、髪の毛纏めるの?』


「えっ?‥はい‥仕事で邪魔なんで」



ちょっと‥距離感!!


診察室に私が行く時と変わらない

距離感は確かにいつも通りなのかもしれない。



でもここは時間が早いにしても

部長や課長もいるし、

着替え終わった清水さんが処置室に

来るかもしれない



無視していつも通り、髪を一纏めに

束ねると大きめのバナナクリップで

挟むとパソコンの電源を立ち上げた



『僕は髪下ろしてる方が好きだけどね。』


「えっ!あ、そ、そうなんですね。」



慶くん‥ほんとどうしたの?


医事課に来ることだって滅多にないのに、

なんでこんな普通にしてられるんだろう‥



課長なんて口開いてるし、

部長だって立って固まったまま見てる



『クス‥‥‥顔見に来ただけだから。

 またお昼休憩の時に。』



ガタン!!



何事もなかったかのように立ち去る

先生に、私じゃなく目の前の課長が

椅子から転げ落ちた



昨日と話が違うよ‥‥

あ、いや‥‥先生的にはいつもと

変わらないのか?



とにかく医事課に来てこういうこと

言うのは辞めてもらわないと。



『りっちゃん、昨日も思ったけど

 なんか急に仲良くなったんだね‥。』



そりゃそうだよね‥‥

お姉ちゃんには先生が施設にいた時

そばにいてくれた慶くんとは伝えたけど、

課長にとっては職場の先生と事務という

立場関係だから昨日家に一緒に

赤ちゃんを見に来た時は驚いてた



お姉ちゃんにもまたちゃんと話さないとな‥



その時いつの間にかそこにいた清水さんと

バチっと目が合い咄嗟に逸らしてしまう



後ろめたいことなんて何もしてないし、

いつも通りなんだけど、変にビクビクして

いつもより更に弱気な気持ちになる



清水さんだけじゃない‥‥

先生に接した人はみんな好きになると思う



ほんとどうしていこうかな‥‥

とりあえず午前の仕事はミスしないように

していかないと。



モヤモヤしていたのも束の間、

診療が始まってしまえば、そんなことを

考える余裕もなく、今日は課長までもが

受付のヘルプに入るまでだった。



こんな忙しさなら、先生休憩来ないかも。

診療がら終わったものの、入力や、書類の

スキャンなどやることの山に目を背けたい



「はぁ‥‥」


レセプト期間以外は残業したくないし、

頑張ろ‥‥



肩をコキコキ回しながら自分の席に移動して

パソコンに向かうと、よしっ!と気合いを

自分に入れてみる



『先輩お先でした。交代します!』


月曜日から元気だね、由佳は‥


歳なんて少ししか変わらないのに、

肌艶の良さが違ってキラキラして見える



「ありがとう、この入力の続きお願い。

 頑張ったけどやっぱり終わらなかった。

 休憩急いで行ってくるね。」



『急がなくていいですよ、先輩だから

 こんなに終わらせれてるんですから。

 木戸君も手伝ってくれるみたいなので』



いいのか?木戸くん?

由佳のことが気になってるのはわかるけど、

自分の仕事溜めない程度にね。



嬉しそうに手伝う気満々な姿が

微笑ましくて私は書類を渡すとカバンを

持って休憩室に向かった



やっぱり電気まだ付いてる‥

今日は検査とか多かったからカルテとか

入力大変なんだろうな。



昨日も付き合わせてしまったし、

何かしてあげれるといいんだけど‥‥




ハイスペックな人だと何が喜ぶ?

前に連れて行って貰った個室の料亭も

凄そうなとこだったし、

うーん‥‥手料理とかマッサージとか?



ガチャ



あ‥‥やっぱり誰もいない



1人の時は、部屋の窓際に置かれた

ソファに腰掛けておにぎりを食べるのが

私のリラックスタイムになっている



意外にフカフカだし、

寝れそうなくらい気持ちいいから、

時々30分とかアラームかけて寝ているのだ




おにぎりだけだと、また色々買ってくると

困るから、有り合わせの惣菜や、朝焼いた

卵焼きなどおかずも持って来てみたけど、

先生いないしおにぎりだけでも良かったな‥



ガチャ



『あ、良かった間に合って。』



食べ始めて少ししたら慶くんが

少し疲れた顔をしてやって来た。



「お疲れ様です‥‥えっ!?

 ここに座るんですか?」



3人は座れそうなソファだけど、

他に空いてる席がたくさんあるのに、

横並びで!?



「ちょっと、誰か来たら‥‥」



社食を片付けてる人ももういないから、

多分誰もこないと思うけど、先生と

事務員が仲良く座ってランチなんて

普通じゃありえない!!



『大丈夫だから一緒に食べよ?

 誰か来たら滝さんに聞きたいことあったから

 って言うから、ね?』



うっ‥‥



白衣ってカッコいい人を更にカッコよく見せる

最強なアイテムな気がしてしまう



ご飯食べる時は汚れないようにか、

白衣をちゃんと脱いで椅子にかけてるけど、

ほんとによく似合ってるんだよね‥‥



『今日はね、家の近くのパン屋さんで

 クロワッサンサンド買って来たんだ。

 美味しいから一緒に食べよう。』



オシャレな紙袋から二つそれを取り出すと

私の前に一つ置いてくれる



「先生、私今日おかずとか持って来てて

 結構量が多いから先生がちゃんと

 2つ食べてください。」



忙しかったんだし、たくさん食べないと

午後からの仕事も頭がきっと回らない。



デスクの上もいつも綺麗だし、

どういうスピードでこなしてるのか

不思議なくらい‥‥



『莉乃が作ったの?そっちが食べたいから

 交換して?』



「えっ!!?嫌ですよ‥適当に作った

 卵焼きと昨日の夜のお浸しと肉巻きで、

 残り物ですし。」



どう見比べてもクロワッサンサンドの方が

美味しそうなのに、どこを見て食べたいのか 分からないから、お弁当箱を手に取って

胸の前で隠した



『なんで?それが食べたい。

 ね、食べさせて?』


なっ!!



体を私の方に前のめりに近づかせると、

あろうことかあーんと口を開けて待っている



これって‥食べさせろってこと?



こんなこと今まで付き合った人とも

やったことないから、ものすごく

恥ずかしすぎるのに、目の前の人は

ニコっと笑うとまた口を開けた



食べるまで絶対引かないやつじゃん‥‥



「‥‥‥不味くても知りませんからね」



本当は嫌だけど、震える手で卵焼きを

挟むと形のいい唇の前に持っていき

口の中へ入れた。



はぁ‥‥‥心臓が痛い!!

モグモグと食べる姿も美しくて、

こんな卵焼きを口に入れたことが

恐ろしいくらい噛んでる!!



『ん、美味しい。』


「いいですよ、お世辞なんて‥」


『嘘じゃないよ、そっちもちょうだい?』


「えっ?ちょっと、先生!」



1人だと悩んでしまう時間の方が多いのに、

2人でいると悩んでるのがバカらしかなるほど、

先生が普通に接してくるので、

自然と笑顔が出てしまう



普通に過ごす‥‥



簡単なようで、簡単じゃないほど、

これからも慶くんに振り回されて

いくんだろうね。





『ごちそうさま。』



「お腹痛くなっても知りませんからね。」



『大丈夫だよ‥僕は内科医だから』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る