第5話 同じ香り




「おはようございます部長‥‥あれ?

 ‥‥新しい方ですか?」



月曜日、

いつものようにかなり早く出勤すると、

医事課に見たことのない看護師さんがいて、

思わず頭を下げた



そう言えば6月から1人看護師が増えるって

言ってた気がするのに自分のことで

バタバタしていてすっかり忘れてた



同い年くらいかな?

すごくスラッとしてて顔立ちが綺麗な人‥



『滝さん、おはよう。

 今日から勤務予定の清水 奈々さん。

 清水さん、今来たのが、

 医事課の窓口や先生方の補助をしている

 滝 莉乃さんです。』



「滝です。よろしくお願いします。」


『初めまして、清水です。」



笑った顔も綺麗で、同棲なのに何故か

ドキドキしてしまうほどで、顔も小さく、

綺麗に切り揃えられたボブが良く似合っている



『り、りっちゃ‥あ、滝さん‥あの‥

 悪いけどこの書類と手紙を先生に』


「またですか?」


『い、いや今日は頼まれてないんだけど、

 僕今から外出で出るから‥‥その』



相変わらず何に怯えてるのか

モジモジと話す義理の兄こと課長に

イライラしてしまう。



お姉ちゃんの方が私の何倍も強いから、

家でもこんなんなのだろうか‥

もうすぐ父親になるのに大丈夫か心配だ



「はぁ、分かりました。

 渡すだけなんで別にいいですよ。」



差し出されたそれらを勢いよく奪うと、

パソコンを立ち上げカバンをしまうと

仕方なく診察室へ向かうことにした



『滝さん、ついでだから清水さんも

 先生のところに連れて行ってあげて。』



「えっ?あ、分かりました。

 じゃあすぐそこですけど行きましょうか?」



よしっ!!

1人だと掴まったり、からかわれたりするけど、

誰かいるなら今日は

ささっと持ち場に帰れる!!



気づかれないようにガッツポーズをすると、

清水さんと一緒に処置室、

第三、第二診察室を抜けて

すぐに第一診察室にたどり着いた。



シャー



「失礼します、度会先生、

 課長から預かった書類を

 お待ちしました。」



カーテンをそっと開けると、

まだ早い時間なのに、レントゲン写真を

見ていた先生と目が合った



疲れを知らない人なのか、たまには

ゆっくり出勤すればいいのに‥‥



『滝さん、おはよう。今日は髪の毛

 おろしてるんだね。』



えっ?髪?

書類を持ってくことしか考えてなくて、

クリップで束ねるの忘れてた。



いや、そんなことどうでもいいから!と

私はカーテンを全部開けると、横から

清水さんが顔を出して先生を見た。



『ツッ!!お、おはようございます。』



「先生、今日から診療所に入られる

 看護師の清水 奈々さんです。

 ‥‥では私は用もないので失礼します。」



『えっ?来たばかりなのにもう行くの?』



へっ?



もう行くのって‥

ここにこれ以上いる理由ないし‥‥



真っ直ぐ私の方に向き直りニコリと笑うと

変に心臓がざわつくので、私はそのまま

無視をして清水さんの方を見た。



うわっ‥‥顔真っ赤‥‥

そりゃそうなるよね‥

ぱっと見この容姿だもん。



みんな先生に会うと

最初こういう反応をするのは

もう見慣れて来たからなんとも思わない。



「清水さん、こちらが診療所の内科医の

 度会 慶先生です。」



『は、初めまして清水 奈々です。

 よろしくお願いします。』



先生は文句のつけようがないくらい

容姿端麗な顔立ちだけど、

清水さんもやっぱりすごく綺麗な人‥



2人が挨拶がてら仲良く話し始めたので、

私は今のうちにと静かにそこを

離れようとした。



『滝さん、ちょっといい?』



えっ?



「‥何ですか?」


『今日見える患者さんの病診で

 レントゲンとデータ渡したいから、

 紹介状と一緒に準備したいんだけど。』



あ‥‥

なんだほんとに仕事の用事だったんだ。

(殆どがどうでもいい絡みが多いから)



一年もこういうウダウダしたやりとりが

続いているからてっきり今日もかと思って

失礼しました。



『清水さん』


『はい、先生!』


『僕たち大事な仕事の話があるから

 席外してもらっていいかな?』



はっ?



清水さんの顔が真っ赤になるような笑顔を

優しく向けると、私の方を向いてまた

ニコリと笑った。



残念ですね、私は顔が赤くならなくて。



清水さんは何も言わずにまた医事課の方へ

行ってしまうと、立ち上がった先生が

カーテンを勢いよく閉めた。



「それ閉める必要あります?」


『うん、じゃあこっちに座って。』


良く分からないまま患者さんが座るスツールに

座ると、引き出しから何かを取り出して

目の前に置いた。



「なんですか?これ」


『滝さんへ渡したかったから、

 今朝ここに来てくれてちょうど良かった。』



小さな箱を慣れた手つきで開けると、

見慣れた物に思わず先生を見てしまう



「これ‥あのアロマですよね?」



蓋を開けてくれたので、それを受け取ると

鼻を近づけて香りを嗅いでみる



ん?

いつもと同じようで同じじゃない?



『クス‥いい香りでしょ?

 ネロリにゼラニウムとラベンダー、それに

 オレンジもブレンドしてもらったから』



「はい‥‥すごくいい香りです。」



『そう?良かった。じゃあ今日から

 使ってみて?』



「えっ!?そんな貰えませんよ。」



香りに癒されてたけど先生の一言で

一気に現実に戻る



一つ目のアロマの小瓶は頂いたけど、

そのあとは気に入って同じものを買っている。



当たり前のようにあげるって差し出すけど、

貰う理由が見当たらない



『疲れが取れるし、良く眠れるから、ね?』



ドクン‥



長くて細い指が私の頭を撫でると、

そのまま胸上まである長い髪をゆっくりと

梳くった。



『髪の毛おろしてるとこ初めて見た。』


「ちょっ‥‥だからこういうのやめて 

 くださいって。それより書類を早く

 もらえますか!!」



私の反応が面白いのかクスクスと笑いながら

瓶に蓋をしてくれると、それを私の

胸ポッケに勝手に入れて来た



あーまたダメだ‥

多分もらってくれるまで絶対書類くれない。



いつも断れないように仕向けてくるから、

どうやって上手く逃げようかが分からない



嬉しそうに笑う先生に

大きなため息をこぼすと、

ようやく書類を作成してくれた。



また貰っちゃったな‥‥


なんかいつも貰ってばっかりじゃない?


いい加減何かお返ししないとダメな気がする。



静かに作業するのを待つ間、

もう一度ポケットからアロマを取り出すと

香りに包まれてリラックスしてしまう



『はい、じゃあこれ頼むね。』


「分かりました、受付でお預かりします。」



大きな封筒を受け取り立ち上がると、

また腕を引かれてしまい、私は慌てて

先生から離れる



「先生、2回目で」


『僕も好きでこれ

 使ってるからまた一緒の香りだね。』


「ツッ!じゃあ使いません!!」



朝から先生のフェロモンに当てられて

おかしくなりそうな私は、カーテンを開けて

クスクスと笑う先生を無視したまま医事課へ

戻った。



はぁ‥‥


一度でいいから、普通に渡して

ささっと戻りたい



『先輩おはようございます、またですか?』


「あ‥‥うん、なんなんだろうね。

 からかいがいがあるのかな‥‥」



医事課の人たちは、先生がわたしに

ちょっかいをかけてることをみんな知ってる。



だからこそ、あんなふうに指名して

持って来てと言われたり休憩中にここに

来たりすることを不思議にも思わないらしい




『先輩それ本気で言ってます?』


「なに本気って?」



受付の準備を2人でしながら、

由佳が呆れたように盛大な溜め息を吐く



『あんな美形な先生があんなに

 分かりやすく態度に出してるのに、

 なんか同情して来ました、わたし。』



分かりやすい?

わたしをからかうのが面白いってこと?



きっと違うよ‥

みんなみたいに赤くなったら、感情出したら

しないから珍しいだけなはず



カッコいいと思うし、あんなんだけど、

ご飯食べた時や送ってくれた時、

それに助けてくれた時はすごく優しいのも

分かる



ただその相手が

なんで私なのかが分からないだけ。



なんの接点もないし、

特別仲がいいわけじゃないからこそ、

この一年がいまだに不思議で仕方ない。



もっとそういうことされて、

清水さんのように喜ぶ人にいっぱいしてあげたらいいのに‥‥



受付が始まると月曜日ということもあり、

患者さんが多くて看護師じゃなくて

事務員が欲しいって部長に叫びたかった



小さな診療所がこんなにも賑やかなのは

本当に異例だと思うから



「はぁ‥喉カラカラ‥由佳大丈夫?」



『なんとか‥‥』



「交代で水分補給しよ。このままだと

 倒れそうだから。」



由佳と交代で給湯室へ向かうと、

冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して

ごくごくとかなりの量を飲み干す



夏がこのままだと怖い‥‥

ペットボトルをしまう時に、

胸ポケットに入れたままのアロマの瓶が

目に入り、蓋を開けて香りを体に取り込む



《一緒の香りだね。》



「‥‥ほんといい香り」



なんで私なんかと同じ香りにしたいんだか‥

私が仕方なくも受け取ったことを

嬉しそうに笑う顔を思い出して

伸びをした後仕事に戻った







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