第4話 密室


あれからレセプト週間も無事に終え、

ようやく残業なしの日々がまた始まった。



先生とは時々顔を合わせるものの、

相変わらず冗談を言ってきたり、

軽く触れてくるのにもうまく交わしながら

過ごせるようにもなっていた



ただ一つ変わったのは、

アイツに対する気持ちだけ‥‥



前まではストレスに感じていたのに、

最近は忙しい時は嫌だけど、以前みたいな

嫌悪感もなくなったのに、会う度に

心臓辺りが変に動くくらい



『あれ、先輩まだ帰らないんですか?』


「あ、先月分の基スケの用紙だけ倉庫に

 閉まってから帰るだけだから。」


『私手伝いますよ。一月分重いですし。』


「ほんと大丈夫、

 無理そうなら課長に頼むし。ほら今日

 予定あるんでしょ?お疲れ様。」



本当は手伝ってもらえるなら助かるけど、

いつも文句言わずにレセプトも頑張ってるし、

帰れる日は早く上がらせてあげたい。



申し訳なさそうな顔をする由佳を見送ると、

カッターシャツを肘まで捲り、

ダンボールに日にちごとに閉じられた紙を

日にち順に丁寧に入れると台車に乗せた。



『滝さんあまり遅くならないようにね。』


「はい、部長お疲れ様です。

 倉庫の鍵借りますね。」



ボードにかけられた倉庫の鍵を手に取ると、

帰る職員さんや看護師さんに頭を下げながら

倉庫を目指した。



ガチャ



大事な書類がある場所だから、窓もなく

まるで大きな金庫のような場所は、

5月になってもヒンヤリとして肌寒い



早く荷物おろして私も帰ろう‥‥



台車からダンボールをおろし、

日付順に並べられ積み上げられている場所に

先月の分をまた積み上げる



この先エコとかで、こういう紙も

なくなっていくのだろうか‥‥



便利になるかもしれないけど、

沢山覚えることが増えるのは大変そう



よし、あとは台車を戻して帰ろう‥‥



ガチャ


ん?


ガチャガチャガチャ


えっ?

なんで開かないの?



ガチャガチャガチャガチャ



‥‥‥嘘でしょ‥‥?



何度も倉庫のドアノブを回しては引くのに

ガチャガチャ音が鳴るだけでドアが開かない



鍵はポケットに入ってるけど、

昔からある倉庫だから、内側には鍵がなく

何度もドアノブを回すしかなさそうだ



今まで何度も来てたのに、こんなこと初めてで

だんだん時間がたつとともに焦りが出てしまう



倉庫は1番奥だし、扉もかなり分厚い。


声を張り上げたところで、こんなところ

通りかかる人なんていないよ‥



スマホはカバンの中だし、どうしよう‥



30分くらい何度も何度も試みてはいるものの、

途中から少し諦め始めてきた。



今日に限って金曜日だし、警備さんが、

見回りに来る20時まで待つしかないのかも‥

最悪、警備がかけられた20時以降に

私が動けば警備のベルが鳴り、

誰かが気付いてくれないかな‥‥




「はぁ‥ついてないや‥」



ヒンヤリとした空間に捲っていたシャツを

元に戻してから、台車の上に腰掛けた



ここから出られたら鍵が壊れてるから

すぐにでも直してもらわなきゃ。



ここに今いるのが由佳じゃなくて良かった‥



2人なら心細くはないかもしれないけど、

1人だと嫌なことが思い出されて体が

ブルっと震える



やだな‥‥

何年も思い出さずに来れたのに、

薄暗い空間と窓もない閉塞感に

少し息苦しくなり膝を抱えた




「‥‥‥ん?」


あれからどれくらいたったのか分からなくて

ぼんやりとした頭で腕時計を見た



まだ18時か‥‥


こんな状況なのに疲れからかウトウトして

意識が戻ってくると身体が冷えているのか

体が大きく震えた



寒い‥‥

ほんとに誰も来なかったらどうしよう‥



寝ていたくせに、どんどん不安が大きくなり、

カタカタと体が小刻みに震えてくる



ガチャガチャ


ガチャガチャガチャ


はぁ‥やっぱり開かないや



『‥‥‥サン』


えっ?


扉にもたれて項垂れていると

微かに外から声が聞こえた気がした



「だ、誰かいますか?」



どんどんとドアを叩いてドアノブを回すと、

今度ははっきりと声が聞こえて安心からか

涙が一気に溢れ出す



『滝さん!?そこにいるの!?』



近づく声がハッキリと聞こえた時に、

警備さんではなくて、その声が誰なのかが

分かって余計に涙が溢れる



なんでいつも私が困ってると来てくれるの?



倒れた時だって、ご飯の時だって‥



先生にしたら、ただの事務員でしょ?

それなのに‥なんで来てくれるの?



「‥ツッ‥先生‥」



ガチャガチャっと外からもドアノブを

何度も回す音がすると、暫くして

勢いよく扉が開いて、倉庫内に

廊下の光が差し込んだ



『滝さん!!』



どれだけ探してたんだろう?



そう思えるほどに感じた私は、

ホッとしたのかその場に

崩れそうになるところを力強い腕に

引き寄せられた



『はぁ‥‥やっと見つかった‥

 帰らずにほんっと‥何してるの? 

 また倒れてるかと思った‥‥』



腕の中に閉じ込められたまま、

背中に回された腕が私を安心する香りへと

包み込む



寒さからなのか怖かったのか分からない‥



ただただその空間があったか過ぎて

私は不覚にもその胸に思い切り

しがみついてしまう



『もう大丈夫だから‥‥はぁ‥良かった』



「ヒック‥鍵が‥‥壊れてて‥

 もう開かないかもって‥ウッ‥」



泣きたくないのに止まらない涙が溢れる‥



その後も私が落ち着くまで

ずっとその場で抱き締めてくれ、

医事課まで震える私の体を支えながら

一緒に歩いてくれた



『はい、これ飲んで。』


思ったよりも体が冷えてしまったのか、

デスクの椅子に座らされると、そのまま

処置室から持って来た毛布を肩から

かけられ、温かいお茶が入ったマグカップを

手渡された。



「ありがとうございます‥‥」



カタカタと震えながら口にするお茶が

あったかくて、ホッとしたのかまた

頬を涙が伝っていく



目の前にしゃがんだ先生の長い指が

その涙を優しく拭ってくれる



いつもだったら、やめてくださいって

声を出してるとこだけど、何故だか

今は1人になりたくなかった



『まだ寒い?』



心配している声になんとか笑って

首を横に振るものの、きっと泣きすぎて

すごい顔になってるのだろうと思う



警備さんにも説明してくれたし、

また今日も迷惑をかけてしまったな‥‥



『滝さんのことだからまた謝る前に

 伝えるね。今日も送ってくから、

 落ち着いたら帰る準備出来そう?』



飲み終わった私の手からマグカップを

取ると、冷えた私の両手を先生が握った

だけでまた涙が出そうになるので、

私は小さく頷いた



暫くして落ち着いた私は

パソコンの電源を落としてから更衣室で

着替え終え、もう乗ることのないと思っていた

先生の車にまた乗ったのだ



『もう寒くない?』


「はい‥平気です。」



平気って言ってるのに、さっきまで

羽織っていたジャケットを膝に掛けてくれると

車はゆっくりと動き出し、私は家に着くまで

あの香りに包まれながら何も話せないでいた。



なんであそこに先生がいたのか、

どうしてそばにいてくれたのか、



色々分からないことだらけだけど、

唯一ハッキリしてるのは、あそこに

来たのが先生で嬉しいって思ったことだ。



あんなに近寄りたくなかったのに、

あの腕の中がビックリするほど安心した



『滝さん着いたよ。部屋まで送るから』



そう言いながら車から降りようとする

先生の腕を咄嗟に掴んでしまい、

慌てて離す



「‥すみませ‥‥なんで私‥」



自分でもどうしてそんなことをしたのか

分からなくて恥ずかしくなり車を

急いで降りようとすると、今度は

私の手首を先生が掴んだ



『滝さん、もう少し今日は一緒にいようか。』



ドクン



綺麗な顔が、切れ長の瞳が

腕を掴んだまま私を捉えて離さない



いつもなら振り払って逃げるのに、

今日はこの腕を離してほしくないなんて

思うなんて相当心が弱ってる



伸びて来た腕が私のシートベルトを

カチャッと締め直す時に香ったあの香りに

私は抵抗するのをやめて大人しくした



『それじゃ少し移動するから、

 疲れたら寝てもいいからね。』




倉庫で閉じ込められたことが

怖かったんじゃない。

それよりも思い出したくない小さい時の

怖かった経験をした時のようになるのが

嫌だっただけ



先生にこれ以上迷惑かけるのも嫌だ‥‥


でも今だけはどうしても

このまま1人になりたくなかった



『着いたよ。』



ほんの10分ほど走ったところで

停められた場所に着くと、また

車のドアを開けてくれゆっくりと降りた。



素敵な和風の街灯が照らされ、

その淡い光と共に白い暖簾が

建物の入り口を飾っている



『大丈夫だから行こうか。』



さりげなく背中に添えられた手に、

先程包まれていたことを思い出すと

今更になって恥ずかしさが出てくるけど、

ゆっくりと暖簾をくぐり建物の中へと

2人で入った。



『いらっしゃい‥‥あら度会さん

 お久しぶりですね。』



『ええ、予約もないですがお部屋を一つ

 用意できますか?』



品のいい藍色の着物を着た女性が

出迎えると、先生と知り合いなのか

挨拶をかわしている



『空いておりますよ。ささ、こちらへどうぞ』



もう一度入り口を出ると石畳を女性の後ろをついて歩き、小さな和風の建物の入り口へ

今度は案内された。



『お食事はどのようになさいますか?』



えっ?


まさか食事をするところだと思わず、

慌てて先生の方を見上げると、

ニコリと笑っているだけだった。



泣き腫らした顔なのに、

こんな高そうなお店に普通の服で

来てしまって大丈夫だろうか‥‥



薄暗い入り口で慌てて俯くと、

先生が女性に何かを話すとそのまま

また向こうへ歩いて行ってしまった。



「先生、私場違いなんじゃ‥‥」



靴を脱いで部屋に上がると、

小さいけれど素敵な和室で、

足元は掘りごたつ式になっていた。



『場違いなんて思わないでいいよ。

 知り合いの店だから。

 少しまだ時間あるから

 こっちは来てごらん。』



先生は仕立ての良さそうな服装だから

こんな空間でも違和感ないけど、

私なんてカットソーに細身のスカートと

スーパーにでも行けそうな格好だ



先生についていくと、目の前の

障子を開けてくれた先に見えた毛先に

思わず小さく声が漏れる



「‥‥‥すごい‥綺麗」



『ここはとても落ち着くでしょ?』



日本に産まれたのに、勿体無いと

思えてしまうほど美しい広めの坪庭に

感動すらしてしまう



ほんとに先生が言うように、

さっきまでの不安もなくなるくらい

心が落ち着いていく



まさか食事に来るとは考えなかったけど、

私のせいでこんな時間まで付き合わせてしまい

先生もお腹空いてるよね‥‥



こんな泣き腫らした顔だから、

誰にも会わないような場所にしてくれた?



そうじゃないって思うけど、

こんな素敵な景色を見せてくれたりするから、

勘違いしてしまいそうになる



『お待たせ致しました。お食事のご用意が

 整いました。』


『滝さんご飯が来たみたいだから座ろうか』


「あ、はい。」



向かい合わせに座ると、

開けられた襖の向こうから、

大きなお盆に乗せられた食事が

いくつも目の前にどんどん並べられていく



ちょっと待った‥‥


お金は持ってるし最悪カードもあるけど、

絶対値段が高そうなとこだよね‥‥



今更食べませんなんて言えないし、

なんとかなると思うけど‥



『ごゆっくり』



まるで懐石のような料理に若干ひいていると、

目の前でクスクス笑う先生と目が合った



『温かいうちにたべよう。

 まだ体冷えてるだろうし、

 少食の滝さんでも食べやすい豆腐の

 コースにしといたから。』



目の前ではぐつぐつと熱そうな小さな

1人用の土鍋に湯豆腐や美味しそうな

湯葉だろうか?とにかくたくさんの料理が

並んでいる



ホッとしたのもあって、

お腹もかなり空いていたから、

手を合わせると緊張しながらも

温かい料理をいただくことにした。



「‥美味し」


優しい味付けで、どれを食べても

本当に美味しい‥



家でやる鍋も美味しいけど、

出汁からやっぱり全然違って、

こんなの食べたことないって思えるもの

ばかりだった。



やっぱり住む世界が違うな‥‥

私にはこんなご飯は眩しくて堪らない‥



不釣り合いな場所だけど、

怖かった不安も忘れれる時間を

今はただ誰かとずっと過ごしたかった。



「先生‥‥あの‥ありがとうございました。」



『ん?どうしたの急に。』



この間みたいに言えないまま帰るのが

嫌だったし、ちゃんと今日は伝えたかった


運転中なら顔見なくてもいいし、

この暗さが私にはちょうど良かったから



「‥‥私言葉にするの下手ですけど、

 今日、‥‥その一緒にいてくださって

 良かったなって。」



緊張からか、少し声が震えてしまう



面と向かってこういう話をするのに

慣れてないし、色んなことがあったから

まだ怖いのかもしれない



大好きな香りを吸い込むと、

一度大きく深呼吸をする



「‥‥先生があの時来てくださって

 本当に嬉しかったです。だから‥

 ‥‥何かお礼させてください。」



たくさん助けてもらったから、

やっぱり何かお礼がしたいと思えた。



さっきの食事だって、いつの間にか

会計は済んでて、払わせてもらえなかったし‥



『‥‥お礼?そんなのいいよ。

 滝さんが無事で良かったから。』



ドクン



そういうストレートな台詞を先生は

恥ずかしげもなく伝えてくる。



ただの同僚なんて言ったらおこがましいし、

同じ職場のただの事務の人なのに、

どうしてこんなに関わりを持ちたいのだろう?



「‥‥何かあれば呼んでください。」



『えっ?』



「つ、次は‥私が助けに行きますから‥‥

 ‥‥お、おやすみなさい!!」



自分の気持ちを上手く出せないから、

この伝え方があっていたかは分からないけど、

車を降りて見送る先生に頭をもう一度下げて

部屋に入った。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る