第3話 動き出す心


『はぁーー先輩ー疲れました!』



今朝も朝から受付、会計が止まることなく

医事課はてんてこまいで始まり、

私と由佳だけでは回らず、職員さんも

忙しいのに、課長や我妻君も手伝う羽目に。



患者さんのための病院だけど、

こうも来院数が多いと疲れてしまう。



小さな診療所だから、大きな病気の人は

紹介状や病診連携を取り違う大きな病院に

行っていただくことも多い。



私たちも疲れるけど、

度会先生も疲れるだろうな‥‥



言ってはいけないけど多分半数は

先生に会いに来てて大した病気ではないから、

診察が終わるのがすごく早い。



それでも中には治療が本当に必要な人、

早く見てあげないと行けない人だっている。



それを文句一つ言わずに診察してるから

あんなんだけど(←失礼)

やっぱりスゴイって思う。



「由佳、入力ある程度やっとくから、

 今のうちにみんなと休憩行っておいで。」



『ありがとうございます。

 いっぱい食べて来ます!』



窓口のシャッターを閉めて、

職員さんもゾロゾロと休憩に行く中、

うーんと伸びをして溜まりに溜まった

住所入力などをこなすことにした。



あれから不思議なくらい

前より良く眠れてる‥



いただいたアロマを調べたら、

自律神経やホルモン、リラックス効果があり、

あまりに良かったから玄関にも置き、

帰宅した時に嗅ぐとホッとできてるのだ



あれから忙しくて

ちゃんとお礼言えてないからどうしよう

とは思ってはいるんだけど‥‥



誰もいない空間で、カタカタとパソコンの

キーボードを打ち込む音だけがする中、

フワッと私の好きな香りが鼻に届いた



『滝さん、お疲れ様。

 フフ‥また1人で頑張ってる。』



ドクン



1週間ぶりに間近で聞く声に

手が不自然に止まってしまい、

振り向けないでいると、またこの前のように

隣のキャスターに静かに座ったのを

横目にチラッと見た



「あの‥‥この間はお礼も言えずすみません。

 ご飯も美味しかったですし、アロマも

 ありがとうございます。」



何故だか顔が見れなくて、

失礼かと思ったけどそのまま俯いて

話したのに返事がなくて不安で横を見た。



『あ、やっとこっち見た。

 クマなくなってるからもしかして

 よく眠れてたりする?』



スッと伸びて来た指が、躊躇することなく

私の目の下を軽くなぞり私は咄嗟に

椅子のキャスターを後ろに引いた



「そういうのやめてくださいって‥‥。

 でも眠れてるのはあのアロマのおかげなので

 ‥‥ありがとうございます。」



ほんとに無駄に綺麗な顔してこっち見られると

心臓がザワザワして落ち着かない



『‥‥じゃあ滝さんと今同じ香りなんだ。』


「えっ!?‥そんな同じって‥違う‥ツッ!」



後ろに引いた椅子のキャスターなんて

意味がないくらい腕を引き寄せられると、

あの香りがまたフワリと舞う



『どう?香り違う?』



どうって‥‥言われても‥‥

そんなことより唇が先生の首筋に

触れてしまいそうで慌てて顔を背ける




「そ、それよりお昼休憩いいんですか?」



掴まれた腕から手を離そうとしてるのに

思ったより強く掴まれていて逃げれない



1週間前のことがデジャヴのように感じる

セリフにまた眩暈がしそうだ



『あ、逃げられた‥滝さんは今日は

 何食べるの?』




「に、逃げるってそりゃ逃げますよ。私は

 今日もお弁当なので後で食べますから!」



『そうなんだ‥ちょうど良かった。

 僕も今日はお弁当なんだ。

 じゃああとでね、滝さん。』



えっ?



何?

後でって‥どういうこと!?



引き寄せられた腕に、アイツの手の感覚が

嫌なほど残ってる。



「もう‥‥ほんとなんなの。」



入力しないといけないものがあるのに、

香りが頭から離れなくて

私はその場でまたデスクに突っ伏した。






『先輩お待たせしました。休憩交代します。』



ああ、もう1時間経ったんだ。


あーどうしよう‥‥休憩室行きたくない。


いつもは社食なのになんなのお弁当って‥


話さずに席を遠くにしたとしても

同じ休憩室で1時間は居心地が悪い



どうしよう‥‥他に食べる場所‥‥



『先輩?』


「あ、うん、行ってくるね。

 入力全部終わらせておけなくてごめん。

 戻って来たらやるから。」



モヤモヤしたままデスクから

カバンを取り出すと、医事課を出た後

診察室のガラスをチラッと見た



まだ電気付いてる‥‥


ほんとにどうしよう‥‥


今のうちに早く行って

さっと食べて早めに戻るしかないか‥



小さな診療所だから、

屋上があるわけでもなく、

中庭にベンチのようなオシャレな空間もない



こんな時、車通勤だったら車の中に

逃げ込めるのにな。



心の中で大きな溜め息を吐くと、

私は重い足取りで休憩室に歩き始めた。



ガチャ




『あ、滝さん遅かったね。』


は?



誰もいないと思っていた休憩室には

まさかの渡会先生が既に座っていて

驚きのあまり口が開いたまま塞がらなかった



なんで!?

診察室電気付いてたのに?



片付けをしてる給仕の方が2人見えるから

全くの2人きりではないものの、

離れて座ったら変に思われそうで

仕方なく先生の真向かいに座った



『来ないかと思った。』



「ハハ‥‥そんなことしませんよ。」



いや‥

さっきまで逃げる場所ガッツリ考えてたけど。



「‥あの、どうしてお弁当なんですか?」



一刻も早く食べて戻りたいから、

仕方なくカバンから保冷バックを取り出すと

先生も椅子の上に置いていた紙袋から

何かを取り出し始めた。



『実はね、お弁当は作れないんだけど、

 これ一緒に食べたいなって。』



えっ?

あ‥‥これ‥あの時の?



倒れた時に買ってくれた

ほんれんそうのキッシュが目の前に置かれて

他にもおかずが沢山入ったデリバリーが

机の上に並べられた



『いつもここで

 おにぎりしか食べてないでしょ?』



ドキッ


なんでそれを

知ってるのか分からなかったけど、

目の前で少し寂しそうに笑う先生が

小さくため息を吐いた



『前にも言ったけど、痩せてるし、

 貧血ぎみなのは変わらないでしょ?

 僕、ここの惣菜好きで良く買うけど

 1人だと食べきれないから、一緒に

 どうかなって。これ美味しくなかった?』



そんなの‥‥

ものすごく美味しかったに決まってる



自炊はするけど、

ずっと社会人になってから節約してるし、

そんな豪華なものたまにしか食べれない。



「‥‥勿体無くて‥いただけません。

 私は何も返せませんから。」



節約してるのにはわけがある。

高校の時も短大もバイトして

ずっとそうして来た。



本当はもっと高給取りな仕事につけたら

良かったんだけどね‥



確かに人より痩せてるとは思うし、

クマを作ったりもするから、先生からしたら

私が不健康に見えてしまうのだろう。



『んーじゃあそれ一つくれない?』


「えっ‥‥それって?」


『滝さんのおにぎり。』



えっ!!?

 


ええっ!!?



長い指が私の保冷バックを指差し

その後掌を表にひっくり返している



「そんな‥冗談ですよね?」


『ん?なんで冗談言うの?』


いやいや‥


目の前にこんなオシャレなデリバリー

並べられてるのに、こんな普通のおにぎりと

交換なんておかしいでしょ!?



『あのさ、今日すごく患者さん多かったよね?

 頭すごく使ったのに炭水化物ないから

 困ってるんだよね‥‥だからくれない?』



確かに今日はほんとに患者さん多かった‥


補助の先生がいるものの、

診療時間なんて過ぎるって覚悟してたくらい。



先生のことはなんとなくわかってる。

きっと何言っても手を引っ込めないって。



「はぁ‥‥ほんとにただのおにぎりですよ?

 口に合わなくても知りませんから。」



そう口で言ったあと躊躇いながら

バックからおにぎりを取り出すと

大きな掌にそっとそれを乗せた。



『ありがとう、

 じゃあこれと交換だね。』



ドクン



ただのふりかけのおにぎりなのに、

高価な物でももらったかのように

嬉しそうに笑う相手が可笑しくて

思わず小さく笑ってしまう



「先生」


『ん?』


「その‥‥ありがとうございます。

 ‥‥いただきますね。」


『‥‥うん、僕もいただきます。』



こんなにもただのおにぎりが似合わない人って

いるんだなって思うけれど、今日のおにぎりが

今まで食べた中で1番美味しく感じた。




「あの‥‥

 どうして社食にしなかったんですか?」



社食の方がご飯もお汁もおかわりできるし、

おかずだってまぁまぁ豪華でバランスいい

 

私だって節約してなかったら、

食べてみたいけどな‥‥



『ん?それだと滝さんと

 永遠にお昼食べれないでしょ?

 それにこの時間静かでいいからね。』



時々出遅れた先生がたまに残ってはいるけど、

基本的には給仕さんが片付ける時間があるから

遅いと片付けられるらしい。



「先生いないと、みなさん探されるんじゃ

 ないですか?」



『えっ?なんで僕を探すの?』



えっ?

まさかだけどこの人無自覚なの!?



先生が赴任して来てから、

看護師さんや職員さんの雰囲気変わってるし、

みんな一目見たくてソワソワしてるのに。



患者さんだってそういう人多いし、

気づいてないってどれだけ鈍感なんだろう‥‥




「ごちそうさまでした、美味しかったです。

 あの‥‥私そろそろ戻りますね。」



まだ20分近く休憩時間はあったけど、

思ったより長居していた自分に

少し恥ずかしさを感じて片付け始める



こんな人と一緒に休憩室にいたなんて

他の人に知られたら怖いし、気まずい。



『滝さんは?』


えっ?


『滝さんも俺のこといないなら

 探してくれるの?』



はあ?



「私は用事があれば探しますけど、

 探しません!!」



『なんだ‥‥残念‥‥

 滝さんになら喜んで探されたいし、

 僕は探しに行くけどね。』



ドクン‥‥



またいつものようにおかしなことを

言ってると思い、逃げれなくなる前に

慌ててお辞儀をすると

その場を急いで後にした。

 



「戻りました!!」



『先輩、どうしたんですか!?

 そんなに息切らして。』



「えっ?あ、うん!仕事早く終わらせたくて

 走って来たから。」



そう言いながらも

カバンを引き出しの下に仕舞いながら

そこに座り込むと、

無駄に早い心臓の音がうるさくて両手で抑えた



ほんとアイツといるとどんどん

自分がおかしくなってく‥‥



もうこれ以上距離詰めないようにしないと‥





また1人になって傷付くのは嫌だから。

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