第2話 自殺?
その場所は、平成の頃に整備された、
「新興住宅地」
にあったのだ。
K市では、いくつかの選挙事務所が乱立していた。
「K県の第七選挙区の中心地」
となっていたのだ。
ここでは、従来だったら、政府与党が、ずっと幅を利かせていたのだが、その幅を利かせていた人は、前述のような、
「政治家家系」
として、サラブレッドだったのだ。
実はこの地区では、そういうサラブレッド的な人が多く、野党側にもそういうところが多かったのだ」
この野党第一党の事務所は、元々、世襲ではなかった。ただ、叩き上げでここまで来た人で、政治家としても、今まで何期も、政治家として、貢献してきた。
この人が強かった理由としては、
「地元を大切にする」
ということが強かった。
衆議院議員としては、3期目になるのだが、これまでは、極端なほどの、
「地元ファースト」
を貫いてきた。
さすがに一期目は、なかなかやりたいこともできなかったようだが、自分がやりたいことを貫いていくうちに、結果を出せるようになってきた。その状態が、実によく、地元民に写っていて、今では、
「世襲の政権与党」
の人を脅かすほどの票を集めていた。
だから、この選挙区からは、2名が国会議員に選出されるのだが、選挙前から、
「当選確実」
といってもいいほどだった。
ある意味、
「一騎打ちなのだが、問題は、票差がどの程度か」
というだけで、それによって、中央での、
「微妙な位置関係が変わる」
という程度で、地元では、
「二大政権」
ということで、ほとんど、どちらが上ということはなかったのだ。
そういう意味では、政党の位置関係は、平和であった。だが、それぞれの事務所においては、
「白黒つけたい」
という思いが強いのか、そのままで、
「どちらが強い」
ということがないので、それぞれに、士気が下がるというのか、お互いの立場が分からないことで、モヤモヤとしたものがあった。
どちらの事務所側には、
「名参謀」
と呼ばれる人がいる。
昔から、特に戦国時代などでは、
「名参謀」
であったり、
「軍師」
と呼ばれる人がいなければ、有力大名になれたり、天下を取ったりなどできなかっただろう。
軍師や名参謀というのは、
「何人いてもいい」
というわけではないが、少なくとも、
「軍事面」
あるいは、
「政治面」
と、それぞれに長けている人がいるというのが、当時の常識だっただろう。
群雄割拠の戦乱の時代には、
「軍指摘立場」
の人が重宝される。
その中には、
「諜報部隊」
の人間も当然必要で、例えば、
「わっぱ」
などと言われる、
「忍者」
のような人であったり、スパイのような形で入り込み、戦になると、内部から、裏切ろモノを出させるような人もいたりするのだ。
だから、戦における勝敗の裏には、必ず、
「裏切り」
であったり、
「謀反」
のようなものがあり、それが、前々から決まっていたということも少なくなかったりするだろう。
その代表例が、
「天下分け目の関ヶ原」
だったといってもいいだろう。
戦が長引けば、攻める方も不利だったりする。どちらもm、基本的には、
「短期決戦」
を挑みたいだろう。
長期にわたると、間違いなく陥るのが、
「消耗戦」
といってもいいだろう。
金銭的な、そして、人員的な犠牲もハンパではなく、どちらも、損ないたくないものだろう。
戦において、優秀な参謀が戦死するということになれば、たとえ勝利できたとしても、その痛手は計り知れなかったりする。
関ヶ原で見えたのは、
「動かないだけでも、大いなる裏切りになる」
ということであった。
何と言っても、西軍の、
「毛利一族」
が最初はまったく動かなかった。
これは、西軍側から見れば大きかっただろう。
それでも、だいぶ盛況をよくした西軍だったが、とどめが、毛利家の分家といってもいい小早川家の秀秋軍が、一気に西軍に襲い掛かっただけで、西軍は総崩れだった。
何と言っても、今まで味方として布陣していた
「一万の兵」
が、一気に内部から、
「味方」
に襲い掛かってきたのだ。
せっかくの陣形も崩されるということになり、それを予期していた、
「大谷吉継軍」
が、必死の抵抗により、ちょっとの時間稼ぎはできただろうが、結局はそこまでだった。
小早川軍の裏切りが、まわりに波及し、結局、裏切る武将が続出した。
それだけ、
「暴漢していて、状況によって、態度を変えると思っていた大名がたくさんいたということであろう」
さすがにそうなっては、勝ち目もなく、逃げるところを捕まったということである。
つまりは、
「一人でも裏切りがあれば、どれだけの裏切りが潜んでいるのか分からない」
そうなると、
「味方を、すべて味方として見ているのは、恐ろしい」
ということになる。
下手に裏切りを前提にしてみていると、
「大将としての、器を疑われる」
ということになりかねない。
それが、すべてにおいての疑心暗鬼につながることで、
「ストレスによって、神経がやられてしまったり、情緒不安定となり、常軌を逸するような命令を出しかねない」
そう思うと、
「大将がこんなことをいうなんて」
と、あまりにも無謀なことを言い出したとしても、もう、戦が始まってしまったが以上、大将を諫めるということもできないだろう。
そんな暇はないのだ。
だから、諜報活動は、
「戦前からしておく必要がある」
ということだ。
「戦が始まった時には、すでに勝敗は決している」
といってもいいだろう。
すべては、
「戦が始まる前に、見た目の勢力図と、実際の勢力図で、違いが大きく、自分に有利に表れていれば、戦において、勝ち負けが、戦前から分かっていた」
といっても過言ではないだろう。
関ヶ原ほどの規模には、
「足元にも及ばない」
ということになるが、それでも、戦国時代に、
「激戦」
が行われた場所でもあった。
実際に、その戦の勝敗が、
「今のK市の土台を作った」
といってもいいだろう。
その後に、江戸時代や、明治以降の近代にいたるまでの歴史が、すべて、この戦以降に影響しているのだ。
この街の発展は、江戸時代にその礎があって、それ以前というと、元々から、国衆などの小規模な勢力が均衡した地区だったのだ。
それが、
「勢力図から、国衆の力を吸収し、でかくなっていった」
という意味で、特筆すべき土地でもあった。
元来、このあたりには、大きな戦というと、前述のものくらいで、それ以前は、ちょっとした小競り合いくらいで、戦のあとには、完全に領主が決まり、そこから、時代の流れを見ているとすると、
「これが街本来の姿だ」
ということにあるのだった。
この時の勝者である領主が、今の与党政治家の、
「祖先であった」
ということは、結構有名なことだった。
昔の、
「地元の英雄」
が、
「今の地元の英雄」
を応援するという形にしたことで、有権者の心を掴んだといってもいい。
特に、かつては、
「戦後からこっち、特に、民主主義が根付いてきた頃からは、保守という意味で、利害が一致する政権与党と、街の伝統である保守が結びついた」
ということで、この土地における力関係が、大きくのし上がってくるのだ。
ただ、いつも、
「よきライバル」
として存在している野党第一党の歴史は、かつての戦の時に、
「裏切りを前面に押し出し、一気呵成に、勝利に導いた」
という勢いを買って、江戸時代になっても、旗本として、大いに、政治的発言力も影響力もあるといってもいいだろう。
そんな時代を乗り越えて、
「明治以降も、参謀として、力を発揮していたが、彼らは、軍に対しての力を持っていたのだ」
という状態だった。
歴史の中で、
「裏切った過去がある」
ということが、明治以降では、
「あまりいいイメージを持たれない」
ということで、
「過去の歴史を封印する」
ということで、身内でさえも、そのことは、他言無用となっていた。
下手にそれを公言してしまうと、家から干されてしまうようになり、下手をすると、
「縁を切る」
と言われかねない状況になりそうなこともあったくらいだ。
だから余計に、
「過去の封印した歴史に抵触するのは、タブーだということになっている」
ということで、結局、そのまま分家の立場を貫いてきたのだった。
それは、
「生き残るために大切なこと」
ということで、
「守られてきた歴史」
というのか、それとも、
「公言することのできない、黒歴史」
ということになるのか難しいところだ。
しかも、この政党は、
「清廉潔白」
ということをスローガンとしている。
「まるで、潔白ではない。つまり、何か曰くがある」
と言わんばかりのことだったのだ。
そんな歴史を持った政党が、今は、野党第一党となったのだ。
野党第一党が、
「清廉潔白」
というのを、スローガンとするというのは、何もこの地区だけのことではない。
それは、政党が全国に影響を与えるのだから、当たり前のことであり、それだけ、現在の政府与党が、
「汚職に塗れている」
ということを示しているのだ。
数代前のソーリがいい例ではなかっただろうか?
「少なくとも、三つくらいのどこかの学園を自治体の認可に関して、ソーリが、金で口利きした」
などという疑惑があった。
確かに、
「宗教団体から、金や票を買うことで、悪徳宗教団体を支援してきた」
という経緯もあることから、
「地方の学園を支援するくらいのことは朝飯前」
だと思っていたのだろう。
しかし、それが、暴露されてしまった。
「ソーリは、マスゴミを甘く見ていたのか」
それとも、
「善意の第三者」
なる人物がいて、その人が、新聞社などにリークしたのか。
どちらにしても、
「ソーリの悪行」
あるいは、
「ソーリの横暴」
が明るみに出たのだ。
野党は追及したが、どこか歯切れはよくない。
「それはそうだろう。自分たちだって、叩けば埃が出るくらいだ」
と言えるのではないだろうか?
そんなソーリ、いや、政党だから、野党ともなれば、そのスローガンは、
「清廉潔白」
というのが、一番の言葉となるのだ。
しかし、彼らも、
「党の存続」
を考えると、
「賄賂くらいはしょうがない」
と思っていて、
「これが、政治家だ」
というくらいに思っていたのかも知れない。
しかも、遠い昔のことではあるが、
「裏切りで成り上がってきた」
という過去があることから、
「裏切りには敏感だ」
と言えるだろう。
しかし、彼らの党は、皆が皆同じ方向を向いているわけではなく、一種の、
「烏合の衆」
であった。
「政権与党を潰すまでは、どうしても、烏合の衆では仕方がない」
ということで、過去の裏切りの事実を、表に出せないという事情を抱え込んでしまったのだった。
「もし、政権を奪取することができれば、すぐに空中分解する」
という懸念はあった。
実際に、政権を取ると、彼らは自分たちの主張から、閣議の決定にも、どうしても時間が掛かったのである。
実際になりかかったこともあったが、それが目立たないくらいに、最後は壮絶だった。
世間からは、
「こんなはずではなかった」
と思われ、災害があった時の対応を間違えてしまったことで、余計に窮地に追い込まれることになるのだ、
しかも、それをソーリが口にしたのだ。
「被災者には絶対に言ってはいけないことを言ってしまった」
しかも、
「罵声であるか」
のようにであった。
もし、それが、愚痴が嵩じての、開き直りのようなものであれば、
「政治家失格以前に、人間失格だ」
と言われても仕方がないことではないだろうか?
そんなこんなで、結局、
「空中分解してしまった」
ということであったが、ちょうどその頃には、前の政権が、少し持ち直してきたのだ。
総裁も、前のソーリに変わった。
その人は、以前、病院に逃げ込んだということで、
「卑怯者あつかい」
をされたが、今回の野党第一党による政権交代からの、政府としては、あまりにも情けなかったということになれば、ちょうど、衆院選が迫っていることで、リセットされたかのようになった政権の座は、すでに、
「再度の政権交代」
によって、結局、
「徳川慶喜が、企んだ、大政奉還が、約150年越しにうまくいった」
といってもよかっただろうか。
疑惑がアリながらでも、交代した政権は、
「曲がりなりにも、結果として、長寿記録を更新することになるというのは、実に皮肉なことだった」
といってもいいだろう。
「今の世の中を動かすものは、清廉潔白だと言ってみたり、公約をまったく守れなかったりということもあるが、ある意味一番悪いのは、烏合の衆だったということになるのではないだろうか?」
ということであった。
時代の背景には、何が関わっているかというと、
「歴史は繰り返す」
ということになるのではないだろうか?
彼の選挙事務所は、自宅の奥にある
「昔は蔵だった」
という場所を改造して作られたものだった。
当初はプレハブのようなところであったが、今は、きちっとした建物になった。それは、数十年前に起こった、
「大地震」
にことを発するのだった。
そもそも、このあたりは、
「地震被害というのは、比較的なところだ」
と言われていた。
それが、いきなりの大地震が襲った。近くの木造建築のところは、倒壊するところもあった。それは、下町のようなところで、マンション地区や、ちょうどこの当たアリになる、
「平成の住宅地」
と言われるところは、比較的、被害は少なかった。
ただ、選挙事務所として作ってから、数年が経ったプレハブは、見事に崩れていて、
「このまま使うには、あまりにも損傷がひどい」
ということで、建て替えることにしたのだった。
震度6強というから、木造住宅であれば、全壊であっても不思議もないくらいで、特に、「余震が続いている間に倒壊した」
というところが、その後に結構あったということだ。
最初のひどい地震だけで安心できないのが、地震による被害というもので、実際にそのひどさに驚嘆したのは、地震の瞬間よりも、ライフラインが壊滅したことの方が大きかった。
建物は何とか大丈夫だったが、停電と、断水とには、かなり苦しめられた。
時候的に、比較的過ごしやすい時期だったから、まだマシだったが、これが、真冬や真夏だったらと思うとゾッとする。
冬は凍えるような寒さで凍てつく状態。夏になれば、暑さと、水分補給ができないことでの熱中症などが恐ろしいところであった。
実際に、この間も、
「給水車などが回ってきたが、それによって、十分な水分が補給できるか?」
ということが難しいのであった。
水分補給は、何とか給水車で賄えたが、それ以外の電気、ガスなどはそうもいかなかった。まだ、避難所に避難するほどではなかったのが、
「不幸中の幸い」
であったが、やはり、パイプラインと食料だけは、どうにもならなかったのだ。
電気は、数日で復旧したが、元の生活に戻れるまでは、それから一週間はかかった。
「選挙の時期でなくてよかった」
ということである。
当然、選挙の日にちは延期されるだろうし、計画がすべて、水の泡になるので、再度計画を立て直す必要があるということであった。
だから、プレハブも。
「耐震構造のしっかりした形として、事務所としての機能を装備する形としての建築」
を行ったのだ。
母屋の方も耐震構造を見直したが、そこまでひどくはなかった。ちょっとした改修で済んだのだ。
何しろ震度6強でも、ビクともしなかったのだから、それも当然のことだった。
おかげで、
「選挙事務所」
の方だけの改修だったので、そちらに手を掛けられるということだ。
しかも、支援者からも、寄付という形で得られたので、キチンと耐震構造だけではなく、多目的に使える事務所にしたのだった。
家が昔からの、財閥が使っていたような豪邸なので、蔵を改造したというだけでも、かなりの敷地が得られる。
「この場所を二階建ての事務所にしたとしても、公民館くらいの設備は作れる」
ということで、
「選挙事務所兼公民館」
としての装備にしようと思ったのだった。
基本的に、石塀になっていたところを、表に向けた事務所という形にして、表を、コンビニの駐車場のような形にして、数台が停車できるようにした。元々の選挙事務所の駐車場は、敷地内にあり、そこを、選挙カーなどを置けるようにした。そちらは、自家用車と同じところに置くようにしたのだ。
建物の中は、一階部分は、選挙期間は、選挙事務所にして、選挙期間以外は、
「選挙事務所」
を電話連絡として使うだけで、それ以外には、
「デイケア」
などの福祉関係の事務所として使ったりしていた。
二階部分では、地元の社会振興のための事務所として設立した。
彼が、地元の代表として国会議員を行うのは、地元振興のためであり、その最初の目標としては、
「地元産業の新興」
を考えていたのだ。
地元産業を、他県に売り込むための、新興事務所を設立し、そこから、政治家としての人脈などで、売り込んでいこうという方法であった。
その方法では、一定の成果があり、二階を事務所として使っていることも、十分な力になっているということであった。
実際に他県からも、
「この街の特産物を宣伝したい」
という話が舞い込んでいる。
その見返りとして、
「彼らの特産物の販売に一役を買う」
ということで、それぞれにメリットがあり、しかも、特産品も売れるというありがたいことになっているのだった。
そのおかげで、二階部分を、
「他県の名産の特売所」
ということで、特売価格で提供できることから、利用者から、喜ばれていた。
休みの日などにんあると、二階は、特産品を買いもとめる人でいっぱいになり、
「我々の打った特産品も、向こうで、これくらいの賑わいを見せているんでしょうね?」
というと、
「そうですね、売上推移を見れば、かなりのものでしょうね」
と、この企画を始めてから、一気に伸びる売上グラフを見ると、一目瞭然だったのだ。
「今回は、そろそろ選挙が迫っている」
ということで、二階の賑わいだけではなく。一階の選挙事務所としての、忙しくなってきた。
二階部分は、以前から、
「休日のみの営業」
としていたので、それで、何んら問題はなかった。
一階部分の忙しさは、やはり、
「選挙といえば、戦も同じ」
と言わんばかりに、関係者はいきり立っている。
頭に鉢巻きを巻いて、ダルマを用意しているあたりから、次第に、
「選挙という、戦モード」
に入っていくのであった。
投票日は、ちょうど今から一か月後、そろそろ、メンバーも決まっていて、作戦会議が、毎日のように、行われていたのだった。
完全な臨戦態勢というには、まだ少しかかるが、気持ちの上では、完全な臨戦態勢であった。
特に、後援会長ともなると、いろいろな人脈に繋ぎをつけたりと大変である。
もちろん、議員の秘書も大変だろうが、そちらは、
「表の仕事」
であり、裏の仕事は、
「後援会長」
の仕事ということになるのであった。
そんな選挙前夜ともいうべき選挙事務所において、前日までとまったく違った様相を呈するようになったのは、
「そろそろ選挙ムードが、世間でも、ニュースになったりし始めた頃だったのだ」
ということであった。
選挙関連の報道で、マスゴミが来るのであれば、それは当然のことであるが、翌朝やってきたのは、パトカーに、救急車であった。
「何があったんだ?」
と、それは世間でも騒がれることであろう。
何しろ、もうすぐ衆議院選挙であり。
「現職として、続投を目指している」
というのだから、この選挙区では、注目を浴びるのは、当然のことであった。
「夜の静寂をつんざくように、パトカーと、救急車のサイレンが、交差して走ってくる。いかにも、喧騒とした雰囲気は、身体を凍り付かせるだけの十分な力が漲っているかのようだった」
と考えれば、どれだけの大騒ぎになったのかということも分かりそうなものだった。
しかも、問題が、
「選挙を控えている、現職の衆議院議員」
ということもあって、問題は、大きかった。
さらに、何があったのかというと、
「結局、救急車に乗ることはなかった」
ということであった。
というのは、警察が駆けつけた時、救急救命の人が倒れている人を見た時、
「死んでいる」
ということが分かったことで、すでに救急車には、載せられないということになったのだ。
となると、後は警察の問題だった。
状況から、
「自殺なのか?」
「事故なのか?」
あるいは、
「殺人なのか?」
ということになるわけだが、まずは、通報者がいるわけで、その人に話を聴くしかないということだったのだ。
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