ずっと、この約束が欲しかったのよ
あたしは目の前の、いや、眼下の光景に顔を青白くしていることしか出来なかった。その目の前で、あいつは高らかに笑っていた。
「フハハハッ! ファーッハッハッハッハッハ!」
魔王だ。魔王がいる。魔王なんて見たこともないけれど、もしいるとしたら、それはきっとこいつのことだ。
「笑い事じゃないでしょ! ねぇこれどうすんの!? 収拾つくんでしょうね!?」
「何を言うか! 見ろ! この光景を!」
「見てるから言ってんのよ!」
両手を広げて高笑いするニート。あいつと、あたしが立つのは頭の上。骨の巨人、がしゃどくろの真っ白な頭蓋骨。
がしゃどくろが這い進むのは、人間の祭りのど真ん中。背の高い山鉾すら悠々と跨いで、立ち並ぶ屋台の間に影を落とす。
空には、提灯おばけに人魂に、一反木綿に火車。一反木綿や火車からは他の妖怪が次々に、人の祭り目掛けて飛び降りていく。化け狸に、首無し、ろくろ首、すねこすり。あれは確か一つ目小僧で……ああもう! 多すぎてもうよくわかんない!
ここらに住む大体の妖怪とは知り合ったつもりだったけど、ぬらりひょんはあまり出てこない子や少し遠くに住む子まで招集したらしい。知らない顔がいっぱいある。
もうそういう次元じゃなくない? みたいな奴もちらほらいるけど。あのタコ、あたしが釣ったやつじゃない? 何で飛んでるの?
絶対日本の虫じゃないでしょ、みたいな見た目のでっかいカブトムシも飛んでるし。ペンギンも飛んでるし。いや、ペンギンはおかしくない? いや全部おかしいんだけど。いやもう、本当に訳がわかんない!
「ねえ! もういいから! あたしのことはもういいから、さっさとこの子たち引き上げさせてよ! 大事になっちゃう!」
「何を言うか! こやつらが全員貴様の為を想ってこうしてるとでも思うのか? 思い上がるなよ。どいつもこいつも己の好きなようにしているだけだ」
「尚の事問題じゃない!」
「ええいうるさい! 貴様も自分のしたいことをしに来たのだろう! さっさと済ませるがいい!」
ポルターガイストで無理矢理に抑え込んでやろうかと思ったのに、逆に無理矢理振りほどかれて放り投げられた。ポルターガイスト振りほどくってどういう理屈よ。もう分からない事だらけで頭がおかしくなりそう。
こいつはいつもそうだ。こっちは真剣に悩んでいるのに。こんなの滅茶苦茶なのに。絶対、おかしいのはこいつの方なのに。
これじゃまるで、真剣に悩んでいるこっちの方が馬鹿みたいだ。
あぁもう! 知るか! こうなればヤケだ。こいつや妖怪たちや、町の人間がどうなったって知ったことじゃない。なんであたしがそこまで責任を負ってあげなきゃいけないんだ。こっちはただの子どもの幽霊なのに!
もうどうにでもなってしまえ!
「カイトーーーーーーーーっ!」
頭蓋骨の縁から、あたしは力いっぱい叫んだ。それで十分だとニートには言われていた。そんなわけないでしょって、思っていたのに。
目があった。ポカンと口を開けてこちらを見上げるカイトと。一瞬で、お互いがお互いを見つけた。
「あそこ!」
指を指すと、キングくんが飛んでいってくれた。ここからでもわかるくらい慌てて藻掻くカイトを、キングくんは後ろから抱き上げて、ここまで飛ん、……飛ん…………。
「ちょっと! しっかり飛びなさいよ! 墜落したら当分筋トレ以外禁止だからね!?」
重量オーバーぎりぎりなのか、よろよろと不安定になりながらも、どうにかここまでカイトを運んでくれて、それからキングくんは頭蓋骨の上で伸びた。
あの子は今度、ヒヨ子の踏み洗いの刑ね。
「……ナツキ」
引き上げられたカイトは、まさしく幽霊を見た顔をしていた。
ここに来る前、ぬらりひょんに言われたことを思い出す。
『お二人の縁はお返ししておきます。再び巡り合えば、記憶は全て戻るでしょうな。正しく、全て。……よろしいのですな?』
あたしは答えられなかった。あたし自身驚いていたんだ。あの時、また秘密基地で遊びたいって、そんな気持ちが自分から出てきたことに。
まだ受け止め方が分からずにいた。望んでしまってもいいのか分からなかった。分からないまま、押し流されるようにここまで来た。
ここに来て分かったのは、あたしは頼る相手を間違えたということだけ。こんな大事にしてくれちゃって。あのニート、マジで覚えておきなさいよ。
そして、今、痛々しいカイトの顔をまた、目の前にして。やはりあたしの望みも、間違っていたんじゃないかという気がしてくる。
あたしはいいんだ。死んだのはあたしなんだから。どれだけ苦しくても、寂しくても。カイトにこんな顔させるくらいなら、あたしが、一人で。
……でも。
あたしはもう、死んでいても、一人じゃなかった。心配してくれる人がいる。蹲っていたら連れ出してくれる人がいる。
……〝人〟じゃ、ないけど。〝人〟は、心配とかじゃなさそうだけど。それでも、今、あたしは一人じゃなかった。
あたしが苦しむことが、どれほど周りを傷つけるのかも、ようやく分かった。
縁を切られるという事がどういう事か、忘れてしまうということがどれほど痛いか、それも分かった。
カイトが昔のように笑えなくなってしまったのがあたしのせいだとしたら。悲しい出来事を悲しむ時間を、苦しい出来事に苦しむ時間を、あたしが取り上げなかったら、こうはなっていないだろうか。
「ナツキ、ごめん、ぼく、どうして」
だから、いつかのように光の消えた目をしたカイトを。
あたしは思い切り、引っ叩いた。
ばしーん。気持ちの良い音がする。幽霊なのに、手がヒリヒリする。勢い余って尻もちをついたカイトは、いつかのように、呆気にとられた顔であたしを見上げた。
「辛気臭いのよ。いつもいつも」
懐かしい。あの日もこうして叱って見せた。あの日はきっと、間違えていた。
「そんなだから、忘れさせるしかなかったのよ。あんたが全部投げ出そうとするから」
あたしの口から出るのは、いつも言い訳ばかりだった。だけどやっぱり、嘘のない心からの言葉だった。
「あたしはもう死んじゃったから、大人にはなれないの。怖くて、ここを出ていくことも出来ないの。でも、あんたは違うでしょ。なりたいものになりなさいよ。やりたいことをやりなさいよ。ちゃんと成長して、大人になって、あたしに出来ないことをしてよ」
いつも通り、心からのわがままだった。無責任で身勝手で、子どもの癇癪みたいなわがまま。
「待ってるから。ここで、待ってるから。夏になったら帰ってきて、またあたしの知らないことを、いっぱい教えてよ」
カイトは不思議そうな顔で見上げていた。あたしが泣いているからだろうか。こんな風に、一方的に弱みを見せることは、そういえばほとんどなかった。
強くあろうとしてた。強く見せたかった。いつだって胸を張ってみせた。
泣かないで欲しい。謝らないで欲しい。そう願って、それを怒って、無理矢理前を向かせようとしていたあたしはきっと、カイトの悲しみにちゃんと寄り添えてなかったんだ。
でも、今は、分かるから。あたしもちゃんと、見せるから。
「夏の終わりが近づいたら、いってらっしゃいって、見送らせてよ。また夏が来たら、おかえりって、出迎えさせてよ」
一夏の間だけ、全部、一緒に。そのくらい、願わせてよ。
ぼたぼた涙を溢しながら、一切自分を繕わずに。あたしは初めて、カイトにあたしの願いを告げた。
「……ははっ」
あろうことか、カイトはそれを笑ってみせた。
「何笑ってんのよ! 人が真剣に話してるのに!」
「いや、だって、ははははっ」
「カイト!!」
いくら叩いても、頬を抓っても、カイトは笑うのをやめなかった。あたしの真剣な想いの何がそんなに面白いのか。
胸に手を当てて、少しずつ呼吸を整えて、落ち着いてから、カイトは言った。
「……消えてしまうと思ったんだ」
「……何が?」
「君が。幽霊は、いつか成仏するでしょ?」
えっ。
「あたし成仏するの!?」
「いや知らないよ。
「あたしだって知らないわよ! 幽霊になるの初めてなんだから!」
「そりゃそうだろうけど……はははっ」
「笑うなー!」
寝耳に水な話だ。でも確かに、どうして今まで考えなかったんだろうってくらい、幽霊には当たり前のように付き纏う話のはずだ。
明日も、明後日も、来年も。こうなってもまだ、あたしは当たり前のようにそこにあるものだと思ってしまっていた。
「なんかの映画みたいにさ。君の死に僕らが折り合いをつけて、君の最期の言葉を僕が聞き届けたら、君が消えて、君の言葉を糧に僕が前を向いて生きていくみたいな。そんな終わりが来ると思ってたんだ」
「もしかして、残るってそれまでのつもりだったの!?」
「一、二ヶ月で消えるかなって思ったんだけどなぁ」
「バッカじゃないの!?」
あたしは自分が消えてしまうなんて考えてもいなかった。だから、カイトは自分の一生を自分に捧げようとしてるんだなんて、そんな、勘違いを……!
死にたい。もう死んでるけど。もういっそ今成仏したい。消えてしまいたい。そんな映画知らないし、ハッピーエンドだなんて思わないから、いっそ今殺せ!
「それも、嫌だったんだけどさ。また、目を離した隙にいなくなられたらって、それが一番怖かったから。だから、意地でも最期まで側にいるつもりだったんだけどさ」
あたしの羞恥心と反して、晴れやかな声でカイトが言うから、つい顔を見てしまった。そしたらやっぱり顔もすっきり晴れやかで、視線の先には、相変わらず滅茶苦茶な百鬼夜行と、いつの間にか妖怪たちにあれこれ指図し始めたニートの背中があった。
「これが、今のナツキの世界なんだね。勘違いしてたよ。僕が思っていたほど、儚いものじゃなかったみたいだ」
確かにこの光景を見て、明日には彼らは消えてしまっているかもしれない、なんて考える人はいないだろう。明日には人類が消されてしまっているかもしれない、と考える人は、いるかもだけど。
もしかして、それを伝えるためにこんな大仰なことをしでかしたのだろうか。……いや、あいつがそんなことまで考えている筈がない。
「……あいつが、言うのよ。一緒にいたいなら、あんたに頼れって」
策がある。屋根裏であいつはそう言った。聞いてみれば、それは理に適っているようで、でも机上の空論と言うか、当たり障りのない一般論のようで、あたしにはしっくり来なかったのだけど。
『よいか。ホズミくんの人生はホズミくんのものである。他人に口を出す資格はない。それでも貴様の願いを叶えたいならば、彼がこなすべき役がある。彼の人生のレールを勝手に敷ける人間は居らぬが、貴様なら、こっちに進んで欲しいとおねだりするくらいは許されよう』
あいつがそこまで言ったので、どんな結論を出されても文句を言わないと覚悟した上で、頼んでみるくらいはしてみようと思えた。
「こんな村、いつまでもそのままは残らないって。生きている人間が好き勝手に開発していくだろうって。だから、守りたいなら、あんたに頼れって」
『目標を与えてやるのだ。貴様と、彼の二人の為になる目標だ。さすれば、彼は達成のために都会へ帰って勉学に励むであろう。貴様は疲れた彼が休みに来たとき、支えてやればよい』
そう言うあいつにけしかけられるまま、あたしはわがままをカイトに託した。
あたしの居場所は、あんたが守って欲しいって。
「それは、責任重大だなぁ」
カイトの口調は軽かった。だけど、その目に確かに火がついたのが、分からないあたしじゃない。
「出来るだけのことはやってみるよ。死ぬまで。それで、ちゃんと生きれるだけ生きて、僕が死んだ時に、君がまだ消えてなかったらさ」
急に、カイトはあたしの手を握った。何かを取り出して、それが何かを察したあたしが、少し手を開いたら。
カイトの手が離れたとき、思った通りの指に、思った通りの物が光っていた。
「その時、一緒になろう」
「……あんた、バカじゃないの? いくつだと思っているのよ」
こういうとき、嘘を吐くのが下手くそで良かったと思う。
言葉で悪態をついても、声で気持ちが伝わるから。
「もっと、ちゃんとしたの用意しなさいよ」
「僕が死ぬ時は、そうするよ」
目に溜まる涙に、光が滲んで前が見えなかったけれど。きっと、あたしたちは笑えていた。
あの日のように。無邪気な子どものままで。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます