この間、ヒヨ子はどうにか自分も登ろうと四苦八苦していたらしい

「ナツキ殿、大丈夫でありますか?」


 心配そうに駆け寄る猫又を撫でてやりながらも、ナツキは僕から目を離さなかった。さぞ警戒されているようだ。ナツキの警戒なんぞどうとでもなるであろうが。


「なにしてんの? 早く出てってよ。不法侵入よ」


「うむ。早く出てゆこう。お互いいつまでも空き家を不法占拠するわけにもいかぬからな」


「あ?」


 まるで尖りに尖って社会的圧力にポキリと折られてしまいそうな不良青年が如き威圧である。それが小学生女児から放たれたとて、精一杯毛を逆立て自分を大きく見せようとする小動物のようにしか見えぬ。最早愛嬌であろう。


 そうまでして抗わねばならぬのだ、こやつは。散々建物の所有権やそれにまつわる法律の話は出会った頃に交わした。今更僕の言葉の意味が分からぬはずがない。


 分かるからこそ抗う。ここはまだ自分の家なのだと。僕はそれを、へし折ってやらねばならない。


「ここが貴様の家だったのは既に過去の話だろう」


「あ、んたに……っ!」


 奴の家族の置き忘れか、ぽつりぽつりと点在していた小さな箱がひとりでに浮かび上がる。


「何がわかるのよ!」


「そうだな。そんなことは貴様の方が良くわかっているだろう」


 怒りとともに弾き出されるように飛んできた箱をひょいと躱しながら、詰め寄り言い返す。ナツキが歯をきつく噛みしめる音が聞こえた。


\ ぴぎゃー! /


 下からも珍奇な悲鳴が聞こえてきた。ポルターガイストで投げられた箱が綺麗に入口に吸い込まれていったのだろう。それを食らったであろう哀れな脚立には、今は構うまい。


「大体の事情は猫又やぬらりひょんから聞いたぞ」


 横から飛んできた箱を上体を反らして躱す。壁にぶつかる音が聞こえて横目で確認すれば、歪んだ箱から子ども用の冬服と思わしき布がはみ出していた。


「貴様の痛み、察するに余りあるが、ここで蹲っていても仕方があるまい。まずは出るぞ。ちょうど先程いいことを思いついたのだ。貴様も手伝え」


「勝手なことばっか……! 何がいいことよ! ほっといてよ! あたしの問題に、無責任にずけずけと踏み込んでこないで!」


「責任なら僕が負ってやる。ほら行くぞ」


「イヤッ!」


 ナツキの手首を掴んだ僕の手が、不思議な力に弾かれた。ポルターガイストとはこんなことも出来るのか。まるでバリアのようだ。


 不思議なものだとしげしげ眺める僕の目の前で、ナツキはより身を縮こめた。猫又はそんなナツキに寄り添いながら、こちらに責めるような視線を向けてくる。針のむしろである。


「簡単に! 責任取れるなんて言わないでよ! 何もできないくせに!」


「責任を取るなんて言ってないだろう。僕は責任を負うと言ったのだ」


 ナツキはぐしゃぐしゃに歪んだ顔で、どうにか意味がわからんという顔を作り出した。僕は猫の表情には明るくないが、おそらく猫又も同じような感情を表す表情をしているのだろう、あれは。


「責任なんてものはな、取るものではない。無かったことに出来ぬもの、取り返しのつかぬものに出来ることはな、たった二つだけだ」


 言葉に合わせ、指を順に立てて見せてやる。未だ怪訝な顔の奴らに。


「負うか。目を背けるか」


 これは持論である。持論であるが、僕はこれが事実であると確信している。決して消えず、変わらず、付き纏う。過去とはそういうものである。


 いくら向き合おうと変わりはしない。目を背けようと消えはしない。例えタイムスリップなどがあり得たとして、やり直すことが出来たとしても、書き換えたという事実が上から積み重なるだけである。


 他に出来ることなどありはしない。であれば少なくとも今回、この件に関しては、僕が負ってやると決めたのだ。


「無責任に踏み込むなと貴様は言ったが、貴様の現状を知っていながら放っておく方が無責任であろう。貴様の事情だ。貴様が自分でどうにかすることだ。そう吐き捨てることこそ、ただの責任逃れに他ならぬだろうが」


 社会に出ればそんな大人は山ほどいた。奴らの吐く責任という言葉は、人に押し付け、自らが逃れるためのものばかりであった。


「僕が負ってやる。どんな結果になろうとも梯子を外さず、最後まで向き合ってやると約束してやろう」


「それが、何になるって言うのよ……! あんたが向き合ったって現実が変わるわけじゃないのに!」


「ならここで膝を抱えていれば何かが変わるのか? 僕にはそうは思えんがな」


「それでいいの! あたしが自分でそう決めたんだから、それでいいじゃない!」


 良くなどない。そう言うために、材料をわざわざ見つけてきたのだ。


「なら何故、思い出の品などを集めてウチの屋根裏になど置いておくのだ」


「はぁっ!?」


 重く、暗く、身体の底に沈む苦しみを絞り出すような叫びばかりを上げていたナツキが突然、素っ頓狂な声を上げる。顔には絶望を覆い隠すほどの羞恥が張り付いていた。


 効果覿面のようでなによりである。


 屋根裏で見つけた缶の中には、アクセサリやサンダルなど、どのような想いが込められているか分からぬものもあったが、一つだけ。


 写真立てごと仕舞い込まれた写真があった。出会ったばかりの頃だろうか。そこには幼いホズミくんとナツキが写っていた。


 ホズミくんはニコニコと、今よりずっと気持ちの良い素直な笑みを浮かべていて、ナツキは膨れ面を斜め下の地面に向けていて。


 それを見てもなお、今でも奴が望んでいることが分からずにいるほど、僕はナマクラであるつもりはない。


「花札をしたりメンコに興じたり、楽しそうに遊んでいたではないか。あんな時間の過ごし方を、本当は彼とも過ごしたいのだろう」


 腕を組み、頷きながらしたり顔で断言してみせる僕に対し、ナツキの拒絶はやはり過激であった。


「知ったようなことを言うな! 隠しただけよ! あいつに見つかったら、思い出させちゃいそうなものは全部!」


「なら大事に仕舞ったりせず、処分してしまえばよかったのだ。埋めるなり燃やすなり、やりようはいくらでもあったはずだ。だが、出来なかったのだろう?」


 顔を怒りで赤く染め、パクパクと口を動かしながらも吐き出す言葉を見つけ出せずにいるナツキは、うむ。風情があるやもしれぬ。鯉のようで。


 生憎パン屑など口に放り込んでやれるものは持ち合わせておらぬので、代わりに核心をねじ込んでやることにした。


「そもそも、何故思い出してはいかんのだ。体験してみて分かったが、あまり気分の良いものではなかったぞ」


「仕方……ないのよ…………」


 弱々しい声だった。掠れて聞き取りづらい。叫び続けて喉も疲弊しているのだろう。睨みをきかせ続けていた目すらもう伏せて、ナツキは声だけをこぼし続けた。


「捨てようとするのよ、あいつ……自分の生活も、未来も全部……あたしが、死んだせいで」


「ホズミくんがそうしなければいいのだろう。ならば一つ策がある。おそらく効果はあるだろう」


「バカ言わないで……どうにもなるわけないじゃない。あたしやしーくんが生き返るわけじゃあるまいし」


「そんな奇跡など起こさずとも、それだけならどうとでもなる」


「ならない」


「なる」


「ならない」


「なる」


「ならないっ! ならないの!」


 最早癇癪であった。ナツキは震えた鼻声で、涙とともにありのままの感情を撒き散らした。


「もう死んだの! 一緒には生きられないの! どうにもならないの! 仕方ないの!!」


「百歩譲って、貴様の言う通りだったとしてだ。貴様はどうしたいのだ」


「話聞け! どうしようもないって言ってるでしょ!」


 聞いている。聞いているとも。聞いているから言うのだ。


「仕方がないなどという言葉は、それでいいと思っている時には出ぬものだ。何かを諦めなければ出ぬものだ。貴様がどうしたいのかとは関係がない」


 ナツキは言葉を失ったのか、唸り声を上げることしか出来なくなったらしい。だが、「ゔー」では僕の質問の回答にはならぬ。


「重苦しい現実など今は捨て置け。貴様はただ、理想だけを述べればいいのだ」


「そんなの……っ、言ってどうするのよ……叶わない理想なんて、苦しいだけじゃない……」


「叶えてやると言っているんだッ!」


 ナツキがびくりと震えた。猫又など飛び上がってさえ見せた。ここに来てからは叫ぶことも多かったが、これほど腹から声を出したのは久しぶりな気さえする。


「どうしようもない! どうにもならない! 叶わない! 当たり前だろう! 貴様のような小娘のちっぽけな頭を振り絞ったところで大した案など出るものか! 思い上がるな!」


 恐ろしいものを見るような目すら向けてくる少女に、僕は一切の遠慮を排した。遠慮で想いが届くものか。


「世間すら知らぬ田舎者のくせに、一丁前に現実ばかりに目を向けて絶望しおって! 貴様は子どもであろうが! そんなもの考えるな! わがままを言え! 問題なんぞ大人に丸投げするがいい!」


 僕は、負ってやるなどと言った覚えはない。負ってやると言ったのだ。


「僕がどうとでもしてやる。だから好き勝手のたまうがいい。貴様は、どうしたい」


 嗚咽が絶えず漏れ続けた。鼻も鳴らし、涙もぼたぼたこぼしながら、その隙間に吐き出した答えを、確かに僕は聞き取った。


「また、秘密基地で、あそびたい……っ」


 それだけ聞ければ十分である。僕は泣き止まぬナツキと側を離れぬ猫又をまとめて担ぎ上げ、寂れた空き家を後にする。


 ナツキの居場所なら、もう次の場所が出来ているのだ。

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