こいつマジでなんなのマジでこいつ
妖怪の中にも、友達ができた。
「しーくんも一緒に遊ぼ?」
自然と口から出た呼び名に、猫又くんはまんまるな目をさらに丸くした。あたしも自分で驚いた。あまりに脈絡のない呼び名だったから。
「ごめん、なんか自然に」
「……いいえ。よければ、そう呼んでほしいであります」
「なんですか? あだ名ですかぁ? アタイにもステキなやつをつけてください!」
「ラムネちゃんはラムネちゃんでしょ」
「だっ、だから、あれは、たまたまでぇ! いつもしているわけじゃ!?」
笑って過ごせていた。胸に注がれる温かい何かは縁で止まって、ぽっかり空いた穴に注がれることはなかったけれど。それでも、笑えていた。
新しい秘密基地も出来た。川田という男の家らしい。祖父母から相続したくせに一年に一回も訪れないから、周囲からは幽霊屋敷のように扱われていた。
幽霊が住むにはちょうどいい。流石に堂々と一階を占領する気にはなれなくて、屋根裏を少し貸してもらうことにした。
次の夏が来た。実は一度だけ、カイトの前にも姿を現した。
「こんにちは。えっと……ここらへんの子?」
その他人行儀な言葉で、知りたいことは全部わかった。何も答えずに立ち去った。何かをやり遂げたような気持ちも、全てを失ったような気持ちもあった。
念の為、ぬらりひょんにもう一度縁を切っておいてもらった。それから、その夏は一度もカイトに会わなかった。
夏が終わって、意外となんとかなるものだと、喪失感を抱えたままぼんやり思った。次の年も、その次の年も、おんなじようにやり過ごせると思っていた。
ところが、今年になって、秘密基地に厄介な同居人が住み着いた。
心を病んだニートのおっさんらしい。家主の友人で、療養のためにここで夏を過ごすそうだった。
そういう事情は田舎の狭いコミュニティにはすぐに広がる。幽霊のあたしが村のジジババの噂話から情報を掴むのは、さして大変なことでもなかった。
とはいえ、事情を知っても対処法は見つからなかった。友達のラムネちゃんが都会へ出ていってしまったこともあって、妖怪たちとも居づらく、実家にいても苦しいとき、秘密基地は気を紛らわせるのに丁度いい場所だった。
邪魔をされては困る。脅かしたら出ていってくれるだろうか。
そんな、自己中心的なことを考えながら、そっと顔を覗いてみた。家について家探しを終えて、すっかり眠りこける男の顔を。
うなされていた。顔を歪めて、身体を小さく竦めて、両手で抱え込んで、震えていた。
こいつは可哀想なやつなのだと思った。屋根裏で膝を抱えて蹲ることしか出来ずにいる時のあたしにそっくりだった。
そこで初めて、ああ、あたしは可哀想な子なのかと思った。あたしとこいつは同じなのだと。
まったくもって、見当違いだった。
あいつは夜中に家を飛び出して、盛大にお祭り騒ぎを繰り広げる妖怪達に怒鳴り込んだ。ぬらりひょんに揉み手をさせて媚びへつらわせたかと思えば、妖怪に混じって酒を飲み、夜道を練り歩き始めた。
その様子を、何を血迷ったか楽しそうだなんて思ってしまったあたしは、もしかしたら気のいい奴なのかもと、翌日姿を見せてみた。
部屋の外に放り出された。なんの遠慮もなく。戸をすり抜けて部屋に戻り、幽霊であると宣言しても驚きもしなかった。それどころか、ネチネチと正論であたしを追い出そうとする、嫌な大人だった。
ポルターガイストで暴れてなんとか追放を免れたけど、あたしもこいつを追い出すことができなかった。部屋の隅に自分の居場所を主張することしか出来なかったのだ。このあたしが。
そもそも、なんでこちらから一切干渉しようとしていないのに平気で幽霊に触れるのか。
そして、不機嫌極まるあたしの横で平気で布団に横になる。かと思えば、年はいくつだだの、死因はなんだっただの、無神経なことをずかずか踏み込んで聞いてくる。
無視して実力行使に出られるのも怖かったので、答えられる範囲で答えてやった。こちらが歩み寄ってやったというのに、気がついたらぐうすか眠りこけていた。
なにが可哀想な奴か。とんでもないノンデリカシー男じゃない。
−−−
その後も、そいつの快進撃は続いた。
最近現れた危険なおばけが夜中に襲ってきた時は木刀で撃退するし。日中また襲ってきたかと思ったら、膝裏チョップで倒しちゃうし。
正体はラムネちゃんだったのだけど、そのラムネちゃんにおもちゃのアヒルの姿でいることを強要するし。ヒヨ子なんてあだ名をつけるし。
釣りに行けば変なものを釣り上げるし。あたしが釣ったタコ、玄関で金魚鉢に入れて飼い始めるし。
しーくんと仲良くなって、ヒヨ子を懐柔して、キングくんも助け出して。いつの間にか、妖怪にばかり囲まれてるし。
めちゃくちゃな奴だった。ぶっ飛んでいて、いっそ清々しいくらい。こんなのがあたしと同じだなんて、的外れにも程がある。
かと思えば、夜中に震えながら飛び起きて、押し入れに閉じこもって夜明けを待つようなこともあった。
気丈なのか、そうでないのか。無敵なのか弱いのか。わけの分からない奴だった。
こいつにされて一番困ったのは、カイトと引き合わされることだった。
一度目は釣りに連れて行かれた。無理やり抱えられて、逃げることも出来なかった。
二度目は買い物に連れて行かれた。打算があって自分で決めたことだったけれど、カイトも来るとは聞いていなかった。
三度目は、あたしが自分が死んだ時のことを思い出したとき、偶然居合わせた。その間の悪さも、腹立たしかった。
あいつは知らないだろう。引き合わされる度に、あたしがどれほど心を痛めていたか。
『はじめまして、ナツキちゃん』
はじめましてじゃないでしょ。何年一緒に育ってきたと思ってんの。そんな他人行儀な呼び方、やめなさいよ。
『幼い頃祖母に教えてもらって以来、あまり触れて来なかったハズなんですけど』
何言ってんのよ。毎年毎年、散々あたしを負かしてくれたじゃない。あんたの都会自慢のおもちゃよりコレがいいってあたしが言ってから、あたしが負けて不貞腐れても、何度も何度も。一緒に遊んだじゃない。
『ナツキちゃんも、これ』
やめてよ。そんな年上ぶった気遣いしないでよ。今更そんな仲じゃないでしょ。幼稚なおもちゃとか、セミの抜け殻とか、お前にはこれがお似合いだって、笑いながら寄越してよ。
いつからそんな顔で笑うようになったの? 大人なんてちょろいって、腹の底で見下しながら綺麗な笑顔を貼り付けるのがあんたでしょ?
そんな、人の顔色を窺って、波風立てないために貼り付けるみたいな、寂しい笑顔をするやつじゃなかったじゃない。
気遣いに見せかけて煽ってくるような奴だったじゃない。
会う度に、話す度に、あたしの知るカイトが消えてしまったことを実感して苦しくなった。カイトが変わってしまったのは、あたしのせいなのに。自分で決めたことの結果なのに。
あの男にカイトがご飯を持ってくる度、会うのが怖くて屋根裏に逃げ込んだ。逃げたくせに、下から聞こえてくる声に耳を澄ませた。声を聞けて嬉しかった。そんな自分の浅ましさが嫌いだった。
あいつが釣り上げたあたしの遺品も、最初はカイトが思い出さないように捨てようとした。
それがあたしの秘密基地の記憶を呼び覚まして、何かを忘れてることに気がついたら、心当たりがあって恐ろしくなった。
確かめたくて、キングくんを直すのを手伝った。あの子なら昔基地があった場所も知っていると思った。
いざ教えてもらった場所に行っても、最初はよくわからなかった。ようやく残骸を見つけ出して、それから思い出して。
『誰を心配しているのよ……人間風情が』
あたしは今度はちゃんと、カイトを突き放した。二度と思い出してしまわないように。念の為、またぬらりひょんに縁も切ってもらった。
そのくせ、あたしが思い出したことを知って、ごめんなさいと謝るしーくんは上辺だけの言葉で慰めた。
「あたしは大丈夫よ。しーくんがいてくれたから、今日まで頑張れた。だからもう、一人で背負い込まないで」
そんなこと、どの口が言えるんだろう。自分でそう思ってしまえば、もう耐えられなかった。
人のことは慰めるくせに、自分は耐えられなくなって引きこもった。あのうるさい男にも、カイトにも会いたくなくて、ぬらりひょん達にも会いたくなくて、元実家の屋根裏で塞ぎ込んだ。
あたしは卑怯な弱虫だ。自分では何もできず、蹲って泣くことしかできない、あたしの大嫌いな弱虫。
どうしてこうなってしまったのだろう。
しーくんが悪いのだろうか。あの日川に飛び込まなければ、こうはならなかったのだろうか。
カイトが悪いのだろうか。あの日カイトがついてきていれば、誰も死ぬことはなかったのだろうか。
あたしが悪いのだろうか。あたしが大事なものを基地に置き忘れたりしなければ、しーくんを家で飼えていたら、こうはならなかっただろうか。
そう考えると、あたしが悪いように思える。だからこそ、自分が悪いと、カイトやしーくんが思う気持ちもよくわかる。
誰のせいでもいいわよ。誰のせいじゃなくてもいいわよ。皆のせいだって構わないわよ。
大事なものを置き忘れたりなんかしなきゃよかった。指輪なんか見捨てていいから、しーくんに生きていて欲しかった。死んじゃってもまた会えてよかったって、また来年って、そう言って笑って欲しかった。
それだけでよかったのに。どうしてそれだけのことがままならないんだろう。どうしてあたしは、失うばかりで何もしてあげられないんだろう。
前を向いて、一緒に生きていく。それだけのことができない。
消えてしまいたい。
ガタガタと、下から音が聞こえてきた。古い建物だ。ちょっとした風で襖は音を立てるし、家鳴りもする。
音は、規則的に動き回った。誰か入ってきた? 盗んで得になるようなものなんて何もないのに。
話し声が聞こえる気がする。よく聞き取れない。声は、ある場所で止まった。すり抜けられるから一度も使ったことがない、位置だけ把握している通用口の下だった。
ぎゅぴ、ぎゅぴ。奇妙な音がする。なんだか、とても、聞き覚えのある音。
蓋が開いた。そこから見覚えのある男が、肩に黒猫を乗せて、あたしの領域にずけずけと入り込んできた。
「探したぞ、この引きこもりめ」
「あんたには言われたくない」
最悪に、間が悪くて、デリカシーのない、あたしの大嫌いな男だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます