因果応報なのよ、全部

 あたしの死は、思ったよりも大事になった。当然と言えば当然なのだけど、誰かが事故死するなんて身近で起きることじゃなかったので、少し面食らってしまった。死んだのが自分なので、尚更だ。


 正直、見ていられなかった。家族の反応も。カイトの反応も。あたしの前で、あんな顔したことなかったくせに。泣いたりなんか、絶対にしなかったのに。


 たくさんの初めての泣き顔を見た。どれもこれもあたしの胸に鋭く刺さって、あたしは逃げ出してしまった。


 急に喋れるようになって困るだろうと、しーくんを言い訳にして山に籠もった。ずっと彼に縋り付いていた。


 あたしの葬式が終わって、あたしも家族も少し落ち着いて、カイトも都会へ帰って、秋になったとき。ようやく家に帰れるようになった。


 家に帰っても、あたしの居場所はなかった。どこで何をしても、言っても、誰にも届かなかった。


 両親が、どうして、どうしてと泣く姿を見てからは、家にいても屋根裏に閉じこもるようになった。空に浮け、壁をすり抜けられる幽霊の身体は便利だった。


 便利じゃなくて、よかったのに。皆に見えて、話も出来て、一緒に年をとって生きられるなら、それでよかったのに。


 どうして、どうして。あたしも一人のとき、何度も問うた。答えてくれる人はいなかった。


 そうしているうちに、気づいたら家族は家を出て、都会へ行ってしまった。帰ってこないなんて、思っていなかった。


 逃げなければよかった。辛くても、苦しくても、彼らの言葉に耳を傾けるべきだった。あたしが目を背けちゃだめだったんだ。気付いた時には、すべてが遅かった。


 あたしの世界を構成していたものは、あっけなく崩れ落ちた。残ったのはしーくんだけ。せめて、しーくんだけは守らなければ。それは、縋るような決意だった。


 ぬらりひょんと出会ったのは、そんな頃だった。あたしが自分の家の屋根裏にこもっているうちに、しーくんが築いたコミュニティだった。


 あたしは一目見て、ヤバい奴だと思って、飛び出た頭に噛みついた。隙を見せたらやられると思ったのだ。


 予想に反して、ぬらりひょんは気の良いお爺ちゃんだった。噛んだことも許してくれた。本当の孫のように、いろいろ便宜を図ってくれた。


 ポルターガイストの起こし方もぬらりひょんから教わった。他の幽霊から聞いたというコツを又聞きで把握するのは大変で、習得には時間がかかったけれど、ぬらりひょんは根気強く練習に付き合ってくれた。


 これで、現世の物に干渉できるようになった。なったところで、干渉したい相手はいなかったけれど。


 他の妖怪たちとも会ったけれど、あまり馴染めなかった。ヒヨ子と出会ったのは、もう少し後のことだった。


 冬が過ぎて、春が過ぎて、また夏が来た。カイトが帰って来る。嬉しかった。嬉しくて、でもどうしたらいいのか分からなかった。


 もう死んでしまったあたしが。一緒に生きていくことのできないあたしが。顔を合わせてもいいのか分からなかったから。


 迷っている間にカイトは帰ってきた。あたしの葬式で見せたような顔は、もうしていなかった。それを見て、あたしは決めた。


 顔は合わせない。カイトにはもう会わない。乗り越えた傷をほじくり返す必要はない。あたしはもう、過ぎた過去なのだ。


 だけど、せめて。せめて、見守ることだけ許してほしい。一夏の間、ここで過ごす間、あなたが無事でいることを。


 言い訳を並べるように、物陰からそっと見守った。まさに、草葉の陰から、だった。得意気なカイトに教え込まれた慣用句が不意に出てきて、少しだけ笑ってしまった。


 笑い事ではなかった。カイトはクスリとも笑わなかった。思い詰めた顔はしていなかったけれど、笑顔もなかった。あんなにいつも顔に貼り付けていた笑顔が。


 乗り越えたなんてあたしの、自分にとって都合がいいだけの期待でしかなかった。あいつは毎日事故現場へ足を運んだ。何もない水面を見つめ続けた。


 あたしやしーくんが、帰ってくるのを待つみたいに。


 何時間でもそうしていた。天気がどうだって構わなかった。雨も降っていないのに顔をびしょ濡れにしていることもあった。


 過ぎたはずの過去がいつまでも目の前にあるような顔をしていたので、あたしは思わず後ろから蹴っ飛ばした。


 派手な水しぶきをあげるカイトを見て、ポルターガイストを覚えておいてよかったなんて思った。自分で投げ捨てた決定事項には、目を瞑って。


 川の中から驚いた顔を向けるカイトに、あたしは吐き捨てた。


「辛気臭いのは落ちたかしら? まったく、いつまでも泣いてるんじゃないわよ」


「ナツキ……? うそだ、なんで」


「嘘じゃないわよ! 仕方がないじゃない! あんたがいつまでもうじうじしてるから、化けて出てきてやるしかなかったのよ! 仕方なくなんだからね!」


 本当に、本当だった。他にどうしようもなかったのだ。そうでなければ、見守るだけのつもりでいたのに。


「ご主人様……」


 しーくんも、あたしを追うように出てきて、その姿を見て、カイトは余計に泣いた。


「だからっ! 泣くなって、言って……っ」


 カイトはいつも天邪鬼で、あたしの言ったことを素直に聞いた試しなんてない。今回もそうだった。それでいつも、あたしが困らされるのだ。だから。


 あたしの目からも涙がこぼれて止まらないのも、カイトのせいだ。


 三人で抱き合って泣いた。少しだけ、積もっていたものが軽くなった気がした。それからまた、一年前をなぞるように、一緒に夏を過ごした。


 川で遊んで、山で遊んで、縁側で採れたばかりの野菜を食べて。その隙間に差し込むように、カイトは謝った。その度にあたしは怒った。カイトはすっかり泣き虫になっていた。


 遠慮のいらない軽口の叩き合いがぎこちなくなったのが嫌だった。謝られるのが嫌だった。泣かれるのが嫌だった。


 それでも、側にいられるのが嬉しかった。それだけでいいと思っていた。いいはずなんてなかったのに。


「今年も帰る日はいつも通り? 来年は上等なお供え持ってきなさいよ。こちとら故人様よ?」


 夏の終わりが近づいて、吐き出した強がりは、喧嘩の原因になった。


「今年は、帰らない。ここにいる」


 耳を疑った。当たり前のように、夏の間だけ会える関係が続いていくのだと思っていた。


 カイトの両親には数えるほどしか会ったことはないけれど、子どもが優秀で嬉しいと、顔を綻ばせてカイトの学校の成績を自慢するような人だった。


 あたしがカイトと取っ組み合いの喧嘩をしても、遠慮なくぶつかってきてくれる子がいてくれて嬉しいなんて言うような、気のいい人だった。


 そんな人たちが聞けばどんな顔をするか。想像すれば、とても手放しで喜べる話ではなかった。


 カイトには帰る場所がある。待つ人がいる。学校がある。将来もある。その全てを投げ出してここで生きると、カイトは言った。あたしは俄に恐ろしくなった。


 声を荒げて喧嘩した。しーくんも必死で止めに入った。でも、止まれなかった。


「帰ったって、その先にお前はいないじゃないか! 僕には、ナツキだけがいればそれでいいのに!」


 カイトには、きっと都会にもたくさんの友達がいて。あたしは夏の間しか一緒にいられなくて。カイトがあたしを占める割合と、あたしがカイトを占める割合は釣り合わないんじゃないかって。


 そんなことだけが唯一の不安だった頃に聞けたら、飛び上がるほど嬉しい言葉のはずだったのに。


 一緒にいられればそれでいいなんて嘘だった。カイトに背を向けて歩き出す。早く、早くどうにかしなくちゃ。頭の中はそればかりだった。


「ナツキ殿、よかったでありますね。秋も冬も一緒でありますよ。きっと、三人ならもう寒くないでありますよね」


 後ろからかかるしーくんの言葉には何も返さなかった。唇を噛み締めて耐えた。でなければ、言ってはいけない言葉が飛び出してしまいそうだった。


 ぬらりひょんの下へ向かった。あいつがいつもどこにいるのかは知っていたから。


「ぬらりひょん。あんた、縁を結んだり切ったり出来るって言ってたわよね。それって、自分以外の人同士でも出来るの?」


「えぇ、出来ますとも」


 顔を合わせてすぐ、挨拶もせずに疑問を投げつけた。ぬらりひょんは何も聞かず、疑問に簡潔に答えてくれた。


「本当に、よろしいのですな?」


「ええ」


「待ってほしいであります! 嫌であります! 待って、ナツキ殿、待って!」


 縋り付くしーくんの悲鳴を浴びる度、心が壊れそうになった。いっそ壊れてくれた方が良かったのかもしれない


 ぬらりひょんが手を合わせただけで、あっけなく事は済んだ。何事もなく明日は来た。カイトとの繋がりが消えた明日が。


 最初の予定通り、カイトが帰るまでこっそり見守って過ごした。カイトはあっさりと都会へ帰っていった。


 一緒にいられなくなるよりも怖いことがあるのだと、自分でこの結果を選んだはずなのに、苦しくて仕方がなかった。涙が溢れて止まらなかった。


 しーくんはずっと寄り添ってくれた。恨まれると思っていたのに。恨んでくれた方が、気が楽だったかもしれないのに。


「ごめんね」


 気がつくと口をついて出た。何度も、何度も。自分もそれをされて、苦しかったくせに。


 そして、しーくんは、あたしとの縁を切った。

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