そうして、あたしたちはおばけになった

 初めてカイトと会ったのは、小学校に入る前だったか。入ってからだったか。もうそんなことも定かじゃない。


 ただ、何をしたのかは覚えている。川に落としたのだ。


 親に紹介されて、一緒に遊んでやれと言われて。ニコニコしながらよろしくと差し出してきた手を叩いてやった。貼り付けたような笑顔がいかにもいい子ぶっていて気に食わなかったのだ。


 それから川に案内してやった。そして背中を蹴って突き落としてやった。


「都会臭いから洗ってあげたのよ。感謝しなさい!」


 川の中から不思議そうな顔をこちらに向けるあいつに、あたしはそう言い放った。あいつはニコリと笑って立ち上がると、ずぶ濡れのまま黙って一人帰っていった。勝った。私は勝ち誇った。


 伸びた鼻っ柱をへし折られたのは、川で十分に涼をとってから家に帰ったときだった。待ち構えられていたのだ。


 何かが飛んできたと思った時にはもう、それはあたしの顔にぶつかって破裂した。水しぶきが盛大に弾ける。


「うぺっ!? なにこれ、水風船!?」


 混乱するあたしに、あいつは水風船の残弾を片手で弄びながら言い放った。


「田舎臭さは落ちた?」


 取っ組み合いの喧嘩が始まった。あの時は確か、親に止められて引き分けになった気がする。


 それからも、顔を合わせる度に喧嘩をした。いい子ちゃんかと思いきや、あいつは爽やかな笑顔を顔に貼り付けて陰湿な仕返しに熱を上げるクソ野郎だった。


 だけど、べそべそ泣いたり、自分で戦わず親に泣きついたり。あいつはそういうことは一度もしなかった。そこだけは褒めてもいいと、どこか認める部分が出てきて。次第にそれが大きくなって。


 顔を合わせても軽口を叩きあうだけになったのは、いつ頃からだったか。いつから四六時中一緒にいるようになったか。いつからあたしは、あいつと顔を合わせる度に、笑顔になれるようになっていただろうか。


 全部、いつの間にかだった。夏の間の一ヶ月くらいの時間が、あたしの一年の大半を占めるような気さえしていた。


「なにこれ」


「くじ引いたら当たった。年相応でよく似合うよ」


「はっ倒すわよ」


 そんないつもの軽口で光るおもちゃの指輪を渡されたのは、三年生の時の、夏祭りに連れて行ってもらった時のことだった。


 この時のことはよく覚えている。内心とても嬉しかったのも。左手の薬指にはめてみせるなんて、ませたことをしたことも。


 似合う似合うって、茶化しつつも受け入れてくれたから。それで許嫁にでもなったような気になったのも。よく覚えている。


 好きだったのだ。ゴミ同然の汚い材料で山の奥に秘密基地を作ったり、鍵がないと入れないだなんて設定を作ったり、古臭い虫のカードや漫画やゲームなど、都会のものを自慢気に持ってきて解説してみせたり。


 そういう子どもみたいなところも好きだった。あたしが同じように田舎の自然物を自慢すれば、芋臭いだなんて鼻で笑ってマウントを取ろうとするみみっちさも好きだった。


 本当は知っているのに、流行りの曲なんて田舎には入ってこないと嘘をついて、あいつの好きな曲を教えてもらった。


 本当は持っていたのに、そんなハイテクなものは田舎にはないと嘘をついて、同じイヤホンを二人でつけた。


 蒸し暑くて、風通しが悪くて、床がガタガタして、狭苦しい二人の秘密基地が大好きだった。


 ある時、二人の秘密基地は、二人と一匹の秘密基地になった。黒猫に好きな漫画のキャラクターからシュバルツなんて名前を持ってきてつけてしまうところも可愛いと思った。


 あたしは流石に気恥ずかしくて、しーくんとあだ名で呼んだ。センスがないと笑われたけど、あたしもあいつにそう思っていたのでお互い様だ。


 しーくんはとてもいい子だった。あんな場所で飼うことになって申し訳ない気持ちも、可哀想だと思う気持ちもあったのに、しーくんは秘密基地が気に入ったようだった。親のいない隙に家に連れ込んだこともあったけど、居着くことはなく基地へ帰っていって、いつもそこにいてくれた。


 大好きな場所を気に入ってもらえて、私は嬉しくて堪らなかった。嫌がられるまで構ってしまう日もあった。それでもしーくんは出ていくことなく、次の日も気持ちよさそうに撫でられてくれた。


 ある日、基地に入らず、外から聞き耳を立てた事がある。カイトが一人で、しーくんに話しかけていたからだ。


 漫画を読み聞かせているみたいだった。名前の元になったキャラクターを教え込んでいるらしい。


 あたしはすぐさま入っていって笑ってやった。少しは恥ずかしがるかと思ったのに、恥ずかしがるどころか平気な顔で、あたしに女キャラクターのセリフを担当させた。お陰であたしの方が恥ずかしい思いをしたのは、やはり、やり込められてしまったんだと思う。


 そんな日も、幸せな日々の一ページだった。将来のことなんて何も考えていなかった。今が、あまりにも幸せだったから。


 いつまでも続くと信じるとか、終りが来るなんて信じられなかったとか、そういう次元ですらなく、幸せだけで頭が一杯だったのだ。


 大雨が降った。雨は何日も続いた。私は、基地に置いてきた宝物のことを心配していた。


 誰かに自慢したくて、でも自慢する相手がいなかった宝物達をしーくんに見せびらかして、そのまま置きっぱなしにしてしまったのだ。特に鍵と指輪。あの二つだけは失くすわけにはいかない。


 あの時、あたしの頭にあったのはそればかりだった。きっとしーくんへの心配なんて、その十分の一くらいだったと思う。


 雨が上がった日の朝、あたしはすぐに基地へと向かった。途中でカイトにも会った。


「ナツキ? どうしたのさ、そんなに急いで」


「えーっと、鍵! 基地に置きっぱなしだったの!」


「バカだなあ。僕も後で行くから、それまでに見つけてなかったら出入り禁止だよ」


「うるさいわね! 見つけるから大丈夫よ!」


 こんないつも通りの軽口が、生前最期のやり取りになるだなんて思わなかった。


 風の吹く山道を走った。バランスを崩して木の根に躓いたりした。転んでもすぐ起きて、また走った。


 ボロボロになりながら基地について、シートが風で捲れ上がるのが見えて、鍵が、指輪が、カイトのカードが、飛んで。


 しーくんが、それを追いかけて川に飛び込んだ。


「しーくん!!」


 あたしもすぐに追いかけた。川の水は簡単にあたしの足を掬い、押し流す。立っていることも出来ず、ただ押し流された。その中で、どうにかしーくんだけは捕まえた。


 力強く抱きしめた。しーくんが岩なんかにぶつからないように。抱きしめることしか出来なかった。どっちが川の上なのか、中なのかも分からなかった。


 気づくと、あたしは川岸に立っていた。目の前には横たわるあたしと、鳴きながらあたしを舐める、尻尾が二つに増えたしーくんがいた。


 しーくんはあたしの指を舐めた。髪を整えてくれた。あたしは起きなかった。当然だ。あたしはここにいるんだから。


 背後からしーくんを撫でた。きっと気づかれないだろうと思っていたのに、しーくんは振り返った。それは、そうか。しーくんもなのだ。尻尾を見ればわかるじゃない。


「大丈夫よ、しーくん。あたしはどこにもいかないから」


「本当でありますか? 生きてるで、ありますか?」


 しーくんが喋ったことには、思ったよりも驚かなかった。それよりも、カイトが教え込んだ喋り方を、変な形で覚えていることに笑いそうになった。


 だから、それを伝えるのも、自然と出来た。


「ううん、死んじゃった。ほら、しーくんも」


 指をさした。ゆらゆら動く、彼の二本の尻尾。


「おばけ同士、おそろいね」


 おばけという言葉が、自分の口から出たとは思えないほど自然に出てきた。それでようやく腑に落ちたような気がする。


 あたし達はもう、死んでしまったのだということが。

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