つまらん

 唾を飲む。音が鳴る。なのに喉の奥がひりついて仕方がない。


「貴様がナツキとホズミくんの縁を切ったから、彼はナツキのことを忘れたと?」


「ええ、そうですとも」


「なんのために」


「なんのためでも。儂はただ、ナツキ殿の頼みに応えただけですんでなあ」


「理由になっていないぞ」


 目の前の翁は確かに妖怪であった。その長にふさわしい妖気すら見えるようである。そのプレッシャーに圧されていたことは否めない。声も震えた。


「頼まれて、どうして応えようと思った。何故それを選んだ。頼んだのがナツキであったとして、応えたのは貴様だ。貴様がそれを選んだのだ」


 それでも、退いてやる理由など無い。


「責任転嫁の理由なぞ聞いていない。僕は貴様の決断の理由を聞いている」


 身体の芯から湧き上がるエネルギーが僕を押し進めた。奴の妖気に真っ向から。


 譲れぬのだ。これだけは。


「耳の痛い話ですなあ」


「さらに痛めつけられたくなければ、早く答えるがいい」


「おお、怖い怖い」


 飄々とした態度に戻るも、圧を消さぬぬらりひょん。虚仮威しなど通用しないことはわかったであろう。何を思案しているのか知らぬが、逃がすものか。全て明らめるまで問い詰めてやる。


「ボクのせいであります」


 僕とぬらりひょんのにらみ合いに耐えられぬのは、やはり端で膝を抱え続ける猫又であった。


「ボクが、ナツキ殿を、殺してしまったから」


「なに?」


 あまりにセンシティブな話題であった。ナツキは、自分の死因を覚えていないと言っていたはずだが、猫又が原因だと?


「いい加減答えてもらうぞ。何があった」


 僕にももう配慮してやれる余裕がない。さらに身を竦める猫又に詰め寄る。側でこちらと猫又の間に視線を巡らせ慌てるヒヨ子にも、構う余裕はない。


「溺死ですよ。ナツキ殿も、猫又殿も」


 猫又へと向かう最中、背後からぬらりひょんの補足が入った。猫又も、という部分に引っかかりを覚えぬでもないが、それよりも詰めねばならぬのは。


「どうやら猫又を詰めた方が、貴様は話す気になるようだな」


「まったく、恐ろしいお人だ」


 ぬらりひょんはついに飄々と煙に巻こうとするのをやめ、静かに、簡潔に語る。彼らの過去を。


「ナツキ殿は、この村で生まれ育った子でしてな。昔から夏になるとやって来る彼とは、それはそれは仲良く過ごしておりました」


 聞けば、村には他にも子どもはいるのだが、度重なる合併以前の名残が今も残っているそうで、元々別の村であった地域とは今でもしこりがあるそうだ。


 古くから同村であったコミュニティ内の子どもはナツキと、都会へ出ていった家の子、ホズミくんだけであったという。そのこともまた、二人がお互いのみをここでの友としたことにも寄与しているのだろう。


 ホズミくんは言っていた。この集落には他に子どもなんていないと思っていたと。集落、という呼び方も、ここでの複雑なコミュニティを加味した表現であったのだ。


 そして、他に子どもがいたことを、忘れさせられていた。


「猫又殿は、彼らの保護した野良猫でございました。民家の軒下などより彼らの秘密基地を好むような、奇特な子でしてなぁ」


「秘密基地、か。彼らの基地は川に近かったな。だからといって、川に飲まれるほど近くもなかったように思うが」


「話が早くてようございますなぁ。えぇ、えぇ。基地そのものが危険な位置にあったわけではないのですが……その日の前日まで、大雨が続きましてなあ」


 大雨。増水。溺死という死因に近づいていく。が、まだ遠い。


「それで?」


「雨で川の水が増えました。その日は雨は止んでおりましたが、風の強い日でした。基地の中まで吹き荒らすほどに」


「風に飛ばされ川に落ちたとでも?」


「ええ、そうでございます」


「舐めているのか?」


「滅相もない。落ちたのは彼らではなく、基地に置かれていたナツキ殿の大切なものだという話でしたが」


 そう言えば、ホズミくんも昆虫ゲームのカードを持ち込んでいたと言っていた。恐らくナツキも。


 そこで、気付いた。ホズミくんは基地の鍵を持っていた。同じ鍵が川から釣れた。あれは、あるいは、鍵以外の二つも。元はナツキのものだったのではないか。


「それを取り戻そうと、猫又殿は川に入りました。それを見たナツキ殿が、後を追いました。そうして二人は亡くなり、人間を川に誘き落として殺した猫の死体は、尾が二つに割れ物の怪と成りました」


 ぬらりひょんは、まるでおとぎ話のように語ってみせた。お陰で身近な者の死の情報より、猫又とはそういう生まれ方をするものだっただろうかという思考が前に出てきてしまう。


 そんなことは今はどうでも良いのだ。そんな事があって一体、ナツキは、猫又は、どんな気持ちで互いと一緒にいたのだ。


 いや、おかしい。ナツキは自分の死因を覚えていないと言った。僕は幽霊になったことはない。よく知らずにそういうものなのだろうと思っていたが、目の前の爺の力を知った今では余計な疑念が浮かんで仕方がない。


「貴様、切ったのはホズミくんとナツキの縁だけか?」


「貴方様のことを侮っておりました……もっと鈍いお方だと思っておりましたが」


 切ったのだ。猫又と、彼らとの縁も。こいつが。


「最初の質問に戻ろうか。何故だ」


「頼まれたからですな」


「そこからやり直さねばならんのか?」


「子どもの健気な願いを断れぬのは人情でありましょうや。自らの過ちで亡くなってしまった飼い主の苦しみを取り除きたいと思う気持ちも、生き残った友に前を向いて生きて欲しいと願う気持ちも、分からぬ訳では無いでしょう」


「物の怪が人情を語るとはな。それが答えか」


「えぇ。不足はございませんでしょう?」


 不足はない。分からぬわけじゃないだろう、という言い方は分からぬ方がおかしいとでも言うようで、否と答えづらく卑怯であったが、事実想像もつかぬわけでもない。


 想像してみた。ナツキらの思いを。その決断に至るまでの経緯を。僕のあらん限りの想像力を振り絞って。


 想像して、出した僕の結論は一つであった。


「つまらん」


「は?」


「つまらんと言ったのだ」


 間抜けな声をあげるぬらりひょんに背を向ける。もうよい。話はわかった。今、これ以上奴と話すことはない。


「どこへ行くつもりですかな?」


「どこでもよかろう」


「よくはありませんな。ナツキ殿の所でしょう。行かせるわけにはいきませぬ」


 後ろから制止がかかる。構うつもりはなかった。よぼよぼの爺一人振り切れると思っていたのだ。何より僕には、行く先があった。


 だというのに。


 その全てを押しのけて、優先順位の頂点に奴の存在が滑り込んでくるのを脊髄で感じ取る。


 何かをされる予感があった。それが何かが分からなかったため、僕の脳裏に様々な言葉や行動が浮かぶのに、それはどれも形を成さない。


 振り返ってみれば、ぬらりひょんは左手の掌を上に、腹の前に構え、右手の甲をこちらに向け左手の少し上空に構えた。


 危険信号が脳髄を走る。止めねばならない。身体が動かない。右手が降りる。


 しわくちゃの手と手がぶつかる軽い音が聞こえた。同時に、僕の視界が暗転する。遠くでヒヨ子が何かを叫んでいる。聞こえない。聞き取れない。だというのに、ぬらりひょんの声だけが妙にはっきりと聞こえた。


「あの日、貴方を宴に誘うべきではありませんでした」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る