総大将・ぬらりひょん
分からぬはずがなかろうと、僕はホズミくんに詰め寄った。あれこれと思い出を語り、証拠品としてメンダコを彼の前に突き出しもした。
しかし彼はそんな少女は知らぬと首を横に振り続けた。まだまだ詰め足りぬところであったのだが、彼は気分が優れぬと訴え引き上げていってしまったため、何もわからぬままに送り返してしまう。
とくれば、発散されぬ疑問の向く先は、現在我が家に唯一滞在している物の怪の他に余地がなかった。
「一体どういうことなのだ」
「ふぇぇ……アタイに聞かれても知りませんよぅ」
自棄酒という言葉がある。怒りや不満で酒が進むことがあるそうだが、僕の場合は麦茶である。麦茶をがぶ飲みし、コップをテーブルに叩きつける度にヒヨ子が震え上がる。
アヒル姿でテーブルに乗りブルブル震えるヒヨ子。こうして睨みつけるのはもう何度目になるだろうか。
「本当に知らぬのか? このようなことが出来る怪異を」
「知りませんてばぁ。そもそもアタイ、こっちじゃ浮いててなっちゃん達以外にあんまり友達がいませんし……」
「こっちでは?」
「あーッ!? 酷いですよ! そこを突くのは本当に酷いです!」
歯もないクチバシで噛みついてこようとするヒヨ子を押さえ付け思案する。こういうとき、頼りになるのは猫又であろう。
懐から鈴を取り出しチリンと鳴らす。押さえつけられたヒヨ子の抵抗が弱々しくなり、代わりに何かを期待するような視線がきょろきょろ動く。
しかしいくら待っても、猫又は現れなかった。
「少し出る」
「アタイも行きますッ!」
とうっ、とヒーローのような掛け声で飛びかかってくるヒヨ子を右手で振り払おうとする。その右手をうまく足場にして、華麗な二段ジャンプで僕の頭にしがみつくヒヨ子。
ええい、こんなやつに構っている余裕はない。
「邪魔だけはするなよ」
「合点!」
やけに威勢だけは良い返事を耳に残し、僕は平屋を飛び出した。向かう先は、川原である。
−−−
明け方に虫を探して山奥を練り歩き、夕方まで寝て、日暮れ時にまた山奥に入っていく。ハードスケジュールである。山に入るときはどうしていつもこうなのか。
しかも日暮れ時で山中は光量が足りず足元が不確かである。それでも、足取りは緩まなかった。
この時間に向かったことはない。それでも居る確信があった。あの髪のないリーゼント型頭の、名ばかりの総大将が。
果たしてたどり着いてみれば、やはりそこに奴はいた。僕が驚いたのは、その隣で人の姿をし、膝を抱え込んでいる少年がいることであった。
「猫又? こんなところにいたのか。どうかしたのか」
声をかけるも反応はなく、自身の膝に顔を埋め続けている。猫又に無視をされるのは初めての体験であった。
同じく異常を検知したヒヨ子が頭から飛び降りて寄り添いに行った。ドサクサに紛れて変なことをせぬか気になってしまう。クチバシの端からよだれが見えたような気がするのは、見えなかったことにした。
猫又は一旦ヒヨ子に任せれば問題なかろう。そんなことより問いたださねばならないやつがいる。
「ぬらりひょん、聞きたい事がある」
「儂は何も知りませんが」
「何も聞く前にそう言うからには、心当たりはあるようだな」
ぬらりひょんは、いつものように川に糸を垂らす。視線はそこから動かない。あまりにもいつも通りであったが、僕はその態度や声色に確かな警戒を読み取っていた。
「いるのだな。記憶を消すことの出来る妖怪が」
「そんな者はおりませんな。少なくともここらには」
「嘘をつくな」
「嘘ではありませんとも」
「ではどう説明する。ホズミくんの異変を」
「さあ。儂には分かりかねますな」
「嘘をつくな」
事実として事象は発生した。物事には原因がある。なんのきっかけも繋がりもなく、ある日あるところから突然発生する事象などあるはずもない。
そしてそれを、目の前の爺が関知せぬはずはない。僕は黙り込むぬらりひょんを、ただ睨めつけた。
「ごめんなさい……」
沈黙を破ったのは、ぬらりひょんの方ではなかった。膝を抱え丸くなったまま、顔もあげずに猫又は謝罪をこぼしていく。
「ごめんなさい……ボクのせいであります……ボクの、せいで」
「大丈夫、しーくん? お姉さんのおっぱい飲む?」
ヒヨ子がポンと大女形態に変化して素っ頓狂なことを言うせいで空気が壊れかける。それでも、猫又は変わらなかった。弱々しい虚ろな声で、謝罪ばかりを並べ立てる。
「何があったのだ」
追い詰めぬよう声色に気をつけながらも、聞かずにはいられなかった。知らねばならぬ。知らねば、異変を察知していながら見て見ぬふりして黙殺することしか出来ぬのだ。
「思い出してしまわれたのです」
猫又の様子を見てか、ようやくぬらりひょんが折れた。ため息をつきながら、重そうに腰を上げ立ち上がる
「彼は、ナツキ殿との縁を、思い出してしまわれたのです」
「何を言っている。綺麗さっぱり忘れていたではないか」
「ええ。無くした縁を思い出してしまわれたから。だから、もう一度忘れていただいたのです」
初めて圧を感じた。目の前の、古ぼけた老人としか思えなかったぬらりひょんに。
「何を、言っているんだ。無くした縁? 忘れていただいた? 貴様は、人の家に上がり込むだけの妖怪ではないか」
「どうやって上がり込んでいるのだと思われていますか?」
なんだ。何を言っている。どうやって、だと?
「そんなもの、どうもこうもなかろう。田舎に来て分かったが、わざわざ戸締まりなどしている方が稀な文化ではないか」
言っていて間違いであることは分かっていた。それがどこなのかが分からぬのだ。しかし知っているはずであった。それを間違いだと断ずることができる材料を。僕は知っているはずだ。
いつだ。どれだ。いつ誰に聞いた、何だった?
「人のいない隙に上がり込んでどうするというのですか」
ほっほっほ、だかひょっひょっひょ、だか分からぬ奇妙な声で笑い飛ばされた。そうだ、僕は聞いていた。
畑仕事で人がいないから朝は釣りをしていると、昼頃になれば仕事もあると、目の前の爺から。
大事な客をもてなしたがそれが誰だか思い出せぬという怪談を、ホズミくんから。
確かに僕は聞いていた。
「普通に、人を呼んで招き入れてもらうのですよ。そうして、ご飯をいただいて、ご馳走様でしたと普通に帰るのです。その間だけの、縁を結んで」
「縁?」
「そうです。儂は、結ぶべき縁を結び、切るべき縁を切る。そうして妖怪を束ねる総大将」
妖しく歪む奴の口元から聞こえてきた単語は、これまでにも何度も耳にしたものであったのに。なぜだか妙に、恐ろしいもののように感じられた。
「ぬらりひょんでございます」
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