初めてまともに化かされたような心地であった

 その場所は意外とすぐ近くにあった。木々も切れ目が見え、その向こうが開けている事が分かる。川辺が直ぐ側にあるのだ。


 その分月明かりもいくらか差し込み、視界も良好だというのに、そこがそうだと気づくのには幾ばくかの時間を要した。


「流石に、何も残っていませんね」


 ホズミくんはそう苦笑するが、かろうじて明らかに人為的な加工物である木の板材やら、土に還りかけた段ボール紙などの残骸をかろうじて見つけ出すことができた。


 彼の記憶とこの残骸の二つでもって、どうにかここがその現地であると断定する事が出来たのである。


「これらは床材か?」


「そのさらに下にブルーシートを敷いてましたけどね。屋根も枝木で骨組みを作ってシートで覆っていたので、まあ風通しが悪くて」


 僕の時はダンボール紙のみを直置きしていた。それに比べれば、防水なども考えて対処しているだけ賢い方であろう。


 最も、僕が同じような対処をしていたところで雨など降る前に撤去されることになるのだが。


「子どもに出来ることなど限られているからな。シートの残骸は、見当たらぬようだが」


「目立ちますから。さすがに回収され――」


 会話の途中でホズミくんは言葉を失った。視線は木々が途切れたその先、川の方である。


「どうかしたか?」


「誰かいませんか?」


 よくよく観察してみれば、確かに川沿いにぼんやり浮かぶ白い光点があった。思わず震え上がる。まずい。例の百鬼夜行の日以来目にしていなかったが、あれが人魂などであればホズミくんへの誤魔化しが困難になる。


 もう明かしてしまってもいい気もするが、しかしやはり、彼の常識をあんな妙ちくりんな奴らに汚させるのは忍びない。


 なんとか弁明の糸口を見つけ出さねば。その一心で光点を凝視すれば、闇に紛れ、光とともに瞬く黒い何かがあることに気がついた。


 その白と黒のコントラスト。見覚えがある。


「もしや、ナツキではないか?」


 なんだ、脅かしおって。子どもがこんな時間に山奥で何をしているのだ。あまり早くに夜更かしを覚えると碌な大人にならんぞ。


 心配が霧散したことで、頭に好き勝手な文句を並べながらずかずかと歩み寄った。


 近づいていくほどに輪郭がはっきりしてくる。やはり月光を反射するあの白ワンピースはナツキではないか。


 僕の足が速まっていくのと反比例するように、ホズミくんの歩調が緩やかになっていく。それに気づいてどうしたのかと僕が振り返るのと、ナツキが僕らに気づいたのは同時のようであった。


「カイト」


 耳慣れぬ名をナツキが呼んだ。思わず口から漏れ出したというような声だった。それがホズミくんの下の名であったことに思い至るまで、僕は少しの時間を要した。いつの間に仲を深めたのか、と思ったのだが。


「……ナツキ、ちゃん?」


「話しかけないでって言ったでしょ」


 どうやらそういうわけでもないらしい。


「貴様から呼びかけたのであろう。というか、こんな時間に何をしているのだ」


「あんたに言われたくないわよ。いい齢して小学生みたいな装備で」


 余計なお世話である。それに、何をしているのかは知っているはずだ。


「貴様にも声はかけたであろう」


「朝にやりなさいよ」


 そういえば、参加を拒否された時点で時刻の話まではしていなかったか。それにしても、今日はいつにも増して剣呑な態度である。機嫌が悪いのだろう。


 だからといって、こんな時間に少女を一人山奥に置き去りにするわけにもいくまい。


「次回検討しよう。一先ず今日は引き上げるぞ」


「一人で帰れるわ」


「ま、待って! ……一人で夜の山を歩くのは危ないよ」


 一人先に去ろうとするナツキをホズミくんが焦って引き止める。奴はここらで暮らす幽霊であり、物の怪共とも親交がある。危険などなかろうが、それを知らぬホズミくんが心配するのは当然であった。


「問題ないわ」


 そんな彼の心配を、ナツキはバッサリ切り捨てた。いくらなんでも彼に対して冷たすぎるのではなかろうか。


「でも」


「うるさい。関わらないで」


「待ってよ!」


 尚も一人で立ち去ろうとするナツキにホズミくんが追いすがる。仕方ない。言うことを聞かないなら無理やり担ぎ上げて運ぶしかなかろう。


 やれやれと肩を竦めて歩み寄る、僕のその緩慢なる動作の間に、ホズミくんはナツキの手を掴もうとした。


 掴もうとして、掴みそこねた。ナツキの手がするりとすり抜けたのだ。


「……え?」


 ホズミくんの目が驚愕に見開かれる。僕の口からも、思わずあっという間抜けな声が漏れかけた。バレるようなことなどせぬだろうと高をくくっていたが、どうやら見誤っていたらしい。


「誰を心配しているのよ……人間風情が」


 トドメとばかりに、ナツキはふわりと空に浮いて夜の闇に消えてみせた。一体誰がそのフォローをすると思っているのだ。あやつは帰ったら折檻確定である。


「あー、ホズミくん」


「……今のは」


「言い忘れていたが、あやつは幽霊なのだ。ああ見えて、生きていれば君と同じ歳だそうだから、そう怖がることもあるまい」


 我ながら下手くそなフォローである。しかし、ああもはっきり見せつけてしまえば言い逃れようもあるまい。


 覚悟を決めてはっきり伝えたのだが、やはりホズミくんが処理するのには情報量が多かったらしく、幽霊、と舌先で転がすように呟いた後、なんの反応も返さなくなってしまった。


 ヘラクレスの軋む四肢の音ばかりが空虚に響く帰り道は、それはそれは気まずいものであった。



−−−

 


 帰ってすぐ、僕は眠りについた。睡眠の周期がずれたせいであるのかどうかは知らぬが、昨日今日と発作は起きていない。


 起きたとき、時刻は既に十六時を回っていた。寝すぎて頭痛がするのに顔をしかめていると、ヒヨ子がぽてぽて歩いてきた。


「アタイを置いて遊び呆けて、さらにこんな時間までぐっすりですか。いい御身分ですねぇ旦那様ぁ」


「ナツキは来たか」


「今日は来てくれてないんですよぉ! お陰で暇だったんですからねぇ!」


「なら、猫又も来てはおらぬのだろう。僕も気分があまり優れぬし、夕飯が余れば全て食べていいぞ」


「ホントですか!? 旦那様ステキ〜!」


 ゴム製アヒルの身体を、機嫌とシンクロさせてぴょんぴょん跳ね回る。脳天気なこやつと話していると少しは気が休まるような気がした。


「アップリケはどうした」


「見てないですよぉ? 昨日なっちゃんとコソコソ話してたので、一緒に何か企んでるんじゃないですかねぇ」


 アタイを除け者にしようったってそうは行きませんよ、だのと独り言が漏れているので、僕にそれを伝えたのは意趣返しのつもりなのだろう。ヒヨ子の前で内緒話とは、迂闊な奴らである。


 そんな他愛のない話をしているうちに、ホズミくんが夕食を届けに来た。無害なおもちゃを装うべく硬直するヒヨ子をテーブルの上に置いてやり、玄関へと出向く。


「お食事、お持ちしました」


 いつもどおりの挨拶であった。それ故に、どこか元気がない様子であるのを過敏に感じ取ってしまう。


 僕はまともな出会い方をしていないから例に漏れるが、まともな人間がまともに幽霊なんぞに遭遇すれば、まあ平生通りといかずとも仕方あるまい。


「明け方はナツキが悪かったな」


 家に上げたホズミくんに、僕は何気なく話題を振った。


「えっと、ナツキさんってどなたですか?」


 今度は、僕の目が驚愕に見開かれる番であった。

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