ただし、法に触れれば責任は保護者が負う

「ヘラクレス以降、全然見かけませんね」


「虫も過疎化しているのやもしれぬな。それより、疲れてはないか? 重ければ虫かごを預かるぞ」


「いえ、大丈夫ですよ」


「そうか。話は変わるが、知り合いにとても可愛らしい純朴な少年がいてな。レアな虫を捕まえていけば喜ぶだろうと思うのだが」


「では、頑張らなければいけませんね」


 頑張った。頑張ったのだ。頑張った結果、僕の網はヘラクレスオオカブトを見事に捉えてみせた。だというのに、その後ホズミくんとの尋常なる決闘において、僕の繰り出した硬い石は彼のしなやかな紙切れに包みこまれ、戦利品は彼のかごへと仕舞い込まれてしまったのだ。


 全てを出し切り燃え尽きてしまった戦士にまだ頑張れとは、些か酷ではないだろうか。


「最も、ちらほら見かけるのもカナブンばかりですけど」


「罠でも仕掛けておけばよかったか……材料もないが」


「お酒で発酵させたバナナとか、よく聞きますけどね。処理が大変そうで」


 結局、益体もない雑談を交わしながらハイキングをするだけの時間が過ぎてゆく。ハイキングと言っても、暗闇に包まれていては字面ほどの陽気さは微塵もない。


 陽気なのは豪華な戦利品を手に入れたホズミくんと、彼のかごの中でキシキシと四肢を軋ませる昆虫のみである。


 他に誰もいないこの状況ではそちらが多数派であることを考えると、むしろ僕のみが陰気であると考えられるのではと思えて息が詰まりそうだ。


 鬱の症状から逃れに来て憂鬱を抱えているのはいかなる皮肉であろうか。全く世の中ままならぬものである。


 俯きながら歩いていると、ふと光を失った。先程から定期的に起こることだ。ヘラクレスの譲渡とともに光源係を交代してくれたホズミくんが、電灯の向ける先を地面から樹上に切り替え、獲物を探してくれているのである。


 先程までは僕も血眼でその先を追い、こうなればギラファノコギリクワガタでも捕まえて帰りたいと目を皿にして探し回ったものであった。しかしその期待の先にあるものがカナブンばかりであったため、もう目を向ける気すら湧いて来ぬ。


 レアモノがいればホズミくんの反応でわかるであろう。そう思っていたのに、ホズミくんの反応はなかった。反応はないのに、いつもの間隔で地面に降りてくるはずの光が降りてこない。


 頭に疑問が浮かんだ、その時だった。


「……山田さん、ヘラクレスですよ」


 樹上を見上げた。もはや反射であった。脳を介さず脊髄で反応し向けられた僕の目が捉えたのは、確かにヘラクレスオオカブトであった。


「……取りますか?」


「………いや、いらぬ」


「レアカードですよ」


「そうだな。で、あれを使える筐体はどこにあるのだ」


 樹上にはカードが張り付いていた。ゲームセンターに置かれている筐体に、コインを投入すると手に入るおもちゃのカードであった。


 最も、あのゲームは僕が子供の頃、とうに絶え果てたはずのものであったが。田舎には掘り出し物が眠っているものである。かなり古いものであろうし、持ち帰ればマニアに高く売れるやもしれぬ。


 しかし、虫取り網は虫を取るものである。紙を取るものではない。実物を期待しているところに紙切れを差し出されたとて、その節理を歪めることはない。


「というか、よく知っていたな。君の世代では目にすることもないだろうに」


「実は従兄に譲って貰ったものを所持していまして。あれと同じカードも持っていましたよ。どこかに行っちゃいましたけど」


「それはまた、いい趣味の従兄弟がいたな。無くしたことも仕方あるまい。あの手のカードは盗まれたり紛失したりは日常茶飯事だからな」


 かく言う僕も、大して多くもない小遣いを注ぎ込んで集めた大してレアでもないカードをホルダーごと失くしたときは、人知れず涙で枕を濡らしたものである。


 少年はそうして大人になるのだ。見れば、ホズミくんも何やら感慨深げな表情をたたえて木に貼り付くカードを見上げている。彼も今、大人になってゆく渦中なのだろう。


「そういえば、昔この辺に秘密基地を作ったんですよ」


 道の先を征く者として生暖かい視線で見守っていると、彼は突然、これまた少年らしいことを言い出した。


「子どものすることなので大したものでもないんですが、木材やら段ボールやら枝やらブルーシートやら、いろいろ掻き集めて。あのカードも、誰に見せるでもないのに持ち込んだりしましたね」


「誰しも一度は通る道だ。僕だって作ったことくらいはある。都会はどこもかしこも誰かしらの私有地であるから、一日で全て撤去されたが」


「わかりますよ。だから僕もわざわざこんな山の奥に作ったんです。……この間、山田さんから預かった鍵があるじゃないですか」


 そう言われて、ボロ臭いおもちゃの鍵を思い出す。川で釣れた曰く付きの鍵だ。預けたきり存在を忘れていたが、そんなことはおくびにも出さず、僕は答えた。


「君が同じものを持っていたアレか」


「そうです。僕が持っていた方、実はあれが秘密基地の鍵なんですよ」


「ほう、鍵付きか。思いの外セキュリティがしっかりしているのだな」


「いえ、ただの設定……ままごとですよ。僕一人しか使わないのに合言葉を設定していたようなものです」


「……虚しくはないか」


「今思うと。でも、当時は楽しかったんですよね」


 そう言われると、途端になんだかとても尊いことのように思えた。


 子どもは無知である。それ故に自由である。突拍子もない事、無駄なこと、場合によっては悪事ですらもそうと知らず嬉々として行うことがある。


 僕だってどうしてあんなことをしたのだろうと、思い返して頭を抱えたくなるような思い出は一つや二つではない。


 だが、意味や価値やしがらみに囚われた大人となってから思い返すと、無垢なる情熱のままに、自分で好きに物事に価値を見出していたあの時間が眩しく思える。


 そんな日が、きっと誰にも訪れるのだ。


 それはきっと悪いことではない。ただ彼は、まだその情熱の中に在ってもいい年頃なのではないだろうか。


「見に行ってみますか?」


 そう思う故に。ホズミくんからの提案には二つ返事で頷いた。

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