後に拷問のようでありましたと彼は語る
余計な茶々を入れてしまったせいか、ナツキはその後、ホズミくんの家の前で彼と別れるまで一切口を聞かなかった。
が、元々ナツキにムードメーカー役など求めているわけでもなし、特に問題はない。
暫く放っておくと、平屋へ帰り着く少し前に向こうから話しかけてきた。内容は、これからの作業についてであった。
「材料しか買ってないけど、裁縫道具はあるんでしょうね?」
「押し入れに救急箱に詰められたやつがあったであろう」
「あれ中身裁縫道具だったの?」
随分と呆れ果てた声を出されたが、見つけたときに僕も呆れた顔をした。僕に向けられたとてどうしようもない。持ち主は川田である。
「川田のやつが何に使うつもりだったのかは知らぬが、ミシンもアイロンもしっかり押し入れの肥やしとなっていたのだ。事足りんこともなかろう」
「まともに使えりゃいいけどね。言っとくけど、あたしは裁縫なんか出来ないわよ」
威張ることか。そう言い返そうかとも思ったが、そう言えばこの少女は小学四年生で亡くなっているのだった。僕の記憶が確かなら、都会の小学校では裁縫を習うのは五年生からだったはずである。
義務教育の内容とはいえ、まだ習ってもいないことを当然のようにやれというのも理不尽な話であろう。
「では、帰ったら家庭科の授業だな」
僕が言えば、ナツキは少し面食らった顔をして、それから挑戦的な笑みを寄越してきた。
「授業〜? あんたに教師役が務まるとは思えないけど?」
「受けてから言え」
僕も挑発を返す。視線が火花を散らす幻影さえ見えた。並んで帰宅し、真っ直ぐに居間に畳まれたボロ布に向かう姿は、まさしくこれから決闘を行う戦士たちのようであったことだろう。
しかし実際に取り掛かってみれば、それは授業にも、決闘にもならなかった。
『マスイヲ! マスイヲ カケテ!』
「なにが麻酔か。大げさなことを言うでない。手術でもあるまいし」
『シュジュツ デンガナ!?』
なんと言っても、素材が暴れるのである。家中であれば静かにしているだろうと思っていたら、いつの間にか押し入れから壁掛けのホワイトボードを探し出してきたらしい。本当によくわからぬものが置いてある家である。
奴はガツガツ音を鳴らしながらホワイトボードに文句を書きたて、自分の身体で拭い消しては新たな文句を書きつけるという作業に熱を上げている。
こら、身体で拭うでない。またヒヨ子に洗わせなければならなくなるではないか。
「しかしまあなんだ。穴を塞ぐものではないな、アップリケというのは」
『アタリマエ ダヨ!』
「ねえ、あんたコレ本当に縫い方合ってるの?」
「たてまつりと言ったろう。斜めになってるではないか」
『イト ノ イロ カエテ!?』
「なんでよ。カワイイじゃない」
黄色い花のアップリケに赤い縫い糸とは、流石に女子といったところか。いいセンスである。僕もうさぎをピンクの糸で縫い付けてやるとしよう。
『グワァ! シワガ!』
「し、仕方ないじゃない! 初めてなんだから!」
「おい、針を通すたびに暴れるでない」
『ソンナ ムチャナ!』
無茶でもなんでもじっとした方が身のためであろうに。おっと、そらみたことか。あまりに暴れるものだから僕の針も通す場所がずれてしまった。ナツキなど、先程から何度も自らの指をチクチク刺している。
「流石に長く裂けちゃってるところはこれじゃ無理ね」
「店で貴様が言っていたように、余り物の着流しを当て布にするか」
『フルギハ イヤダ! フルギハ イヤダ!』
「文句言わないの。あ、ごめん。アップリケ、アイロンで付けるって書いてあるやつも紛れてたわ」
「なんだ、そちらの方が楽ではないか。火傷せぬよう気をつけるのだぞ」
『オイラガ ヤケド シチャウヨ!?』
二人がかりで一反木綿の身体に針を突き立て、糸を通し、時にアイロンを押し付ける。
その度に一反木綿はのたうち回り、ホワイトボードに悲鳴を書きなぐり、触手を床に叩きつける。
その様子が見るに堪えないのか、最初のうちは優しくしてやってくれと懇願しに来ていた猫又は、すっかり両手で顔を覆いながら丸くなってしまった。
後半は一反木綿もピクリとも動かなくなったので、もう大丈夫だと声をかけたにも関わらず、猫又は全てが終わるまで、外界の全てを遮断し自らの世界に閉じこもり続けた。
流石に目の毒であったかもしれぬ。僕は日に一食で足りるので、「食欲が戻ったのでしたら朝食にでも」とホズミくんが多めに持ってきてくれるようになった食事を彼やヒヨ子に分け与えるのが常であるが、今度ちゃんとした猫缶でも与えてやるべきだろうか。
商店には見当たらなかったが、頼めば取り寄せてもらえるかもしれぬ。
心のタスク表にメモをしておいてから、すっかり女児向けに可愛らしくデコレーションされた妖怪アップリケまみれを再びヒヨ子に踏み洗いさせた。
猫又はまた顔を伏せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます