洗濯表示マークのない布はこう洗えばよい
ヒヨ子作メンコの絵柄はナツキと猫又の教育に悪い。そう判断した僕は、一枚一枚手に取り検閲を始めた。
その横で顔に石札を叩きつけられたヒヨ子が酷い酷いと泣き喚く。すると猫又が心配そうに寄っていき、味を占めたヒヨ子がさらに大げさに喚く。
お陰で検閲が遅々として進まなかった。ヒヨ子が喚くだけなら勝手にしていればいいと放置するのだが、猫又が取って食われぬか目を光らせておかねばならぬので油断ができない。
全く厄介な奴である。ヒヨ子一匹で手に余るというのに、あろうことかナツキまでもがこちらの集中を削ぐようなことを言ってきた。
「それよりあんた、今度は何連れてきたのよ」
「今更何とはなんだ何とは。貴様もよく知る猫又ではないか」
「しーくんのことなわけないでしょ! あっちよあっち」
そう言ってナツキは指を差した。指の向く先は空であった。どこまでも青く澄み渡る大空。絵葉書にでもすればどこぞのコレクターが買っていくであろうその景色を汚す、一点の茶黒い染みであった。
見つめていると不思議なことに、その染みは青空を溺れるように移動して見せた。悠々と流れ行く綿雲の群れの中に在し、したばたと藻掻き苦しむように浮遊する姿はなんとも滑稽である。
そして、そんな滑稽な飛び方をする雑巾を、つい先程見たような気がする。
僕がその正体に思い至ったのと奴がこちらに向け降りてくるのは全くの同時であった。近づいてくるにつれ次第に鮮明になっていくボロ雑巾の姿が、これまた次第に僕の眉間の皺を深くしていく。
『マタアッタネ ダンナ』
「そうだな。では帰れ」
『タスケテケロ』
庭先で早速手頃な枝を拾ってくると、ボロ雑巾はこちらの言葉にまるきり取り合わず、やたらと気安いSOSを地面に刻んでみせた。
「知らん。帰れ」
もちろん僕も取り合わなかった。しかし、雑巾もなかなか折れず、無い頭を下げ続ける。
『ヨゴレデ カラダ オモイ』
「知らん」
『アナヤ ホツレデ バランス ワルイ』
「知らん」
『レース デキナイ (´・ω・`)』
「知らん……レース?」
『説明しよう! 一反木綿レースとは、山の大自然が織りなす複雑かつダイナミックなステージをいかに効率よく! 格好良く! かつ素早く通り抜けられるかを競うものであり、大都会のビル群で行うパルクールに勝るとも劣らぬスタイリッシュなスポーツで――』
「突然なんだ貴様!? 片言喋りはどこへ行った!」
それまでの形式から一転、ガリガリと激しい音を立てながら怒涛の勢いで解説を地面に書き並べる雑巾。今まで出会ったどの怪異よりも一等驚かされた。
僕が読みやすいよう、向かい合う奴からは上下逆に見える描き方であるのに一向に崩れぬ書体やその筆記スピードなどは実に見事である。見事すぎて気持ちが悪い。なぜ最初からそれをしない。
『ヲタクデ スマヌ *(ゝω・)v』
「やかましい。何にせよ僕の知るところではない。競技者でいられなくなったのなら大人しく観客に堕ちるがいい」
「観れないわよ」
いつもいつも都合の良いところで口を挟んでくるこの娘は、もはや自分から解説役に落ち着こうとしているのではないか。
ナツキの声に、そんなことを考えながら振り返ると、雑巾の相手で手が塞がった隙に僕からメンコを取り返し、ヒヨ子の機嫌をとっていたことが手元のいかがわしい札から伺えた。何をしているんだこの娘は。
「ボロボロで分からなかったけど、その子キングくんでしょ?」
僕の胡乱な視線にたじろぐ気配すら見せないので、仕方なくそちらは不問にする。それより、今は雑巾のことだ。
「キング?」
「レースのルールを決めたのも開催者もその子。いつも優勝するのもその子。あまりに圧倒的すぎて誰も相手にならないから参加してくれる子が居なくなっちゃって、今や参加者もその子だけなのよ」
「それはレースではなく一人遊びというのだ。名前も大げさすぎる。キングというより
『ケンプト カカッテテ カッコイイ!』
どうやら愚の字には思い当たらなかったようだ。哀れな絹愚はうねうねと体をはためかせる。
そんなことはどうでもいいのだ。
「ということは、今日でそのレースは廃止であるな」
『ソンナ! タスケテクダセェ ダンナ!』
「こら! ドロドロの身体で纏わりつこうとするでない! 汚れるであろう!」
こちらとしては必死であるのだが、僕と雑巾が格闘する様子を見て、ナツキは鼻でフンと笑い飛ばした。
「いいじゃない、暇なんだから助けてあげれば。あんたが助けてあげたんでしょ? 最後まで責任持ちなさいよ」
このドロ布を樹上から下ろしてやった話はナツキにしていなかったと思うが、と心当たりのある方をつい見てしまう。
返してもらったメンコで嬉しそうに遊ぶヒヨ子の相手をしながら、猫又は僕の視線に気づき、申し訳無さそうに頭を下げた。ボロ布とのくだらぬ問答の間に後ろであれこれ進行し過ぎではなかろうか。
しかし相手が猫又では怒るに怒れぬ。それにしても、この娘も大概僕に効く単語を理解してきている節があるな。いい加減大人を掌の上で転がそうなどとは思わぬ方が良いと、教育を施してやるべきだろうか。
そのときふと、僕の脳裏に妙案が浮かんだのだ。
「僕にそこまでの責任はない。そこまでしろというのであればやってやらんこともないが、人にやれというからには貴様も手伝うのだろうな?」
「なんであたしがそんなこと」
『タスケテケロ!』
「うわっちょっ! こないで! 臭い!」
『( ゚Д゚)』
よしよし、上手くターゲットが移ったようである。無論、そこがゴールではない。
「とりあえず洗濯から始めんことにはどうしようもないな。ナツキは洗剤を持って来るがいい。僕は風呂場にあった無駄にデカい桶を持って来る。ヒヨ子、貴様も手伝え」
「はぁい? なんですか旦那様ぁ?」
「まだ手伝うって言ってないんだけど」
ナツキはジロリと睨めつけてきたが、ヒヨ子と猫又が手伝う姿勢を見せ始めたので、必然的に遊び相手を失ってしまい渋々混ざってきた。
ぶつくさ言いながら僕が水を張った桶に洗剤を溶かし込んでいく。なんだかんだ押しに弱いことは既に見抜いているのだ。諦めるが良い。
「明日は繕うための布を買いに行くぞ。貴様もついてこい」
「はぁ……仕方ないわね。あんたじゃどんなダサい布買ってくるかわからないもの。キングくんが可哀想だから、仕方なくなんだからね」
ツンデレのテンプレートのような台詞を吐くナツキ。これで連れ出すまではつつがなく済ませられるだろう。
あとは行く先でばったり出会ったホズミくんにきちんと礼が言えれば満点である。
「旦那様ぁ〜これ楽しいですねぇ〜!」
視界の先ではヒヨ子が例の大女姿で踊っていた。足元には洗剤溶液入の桶とボロ布。
ヒヨ子に踏み洗いされる布は、ゴボゴボとはげしく泡を吹きながら、生やした黒い触手を桶の縁に投げ出し側面を激しく叩き続けていたが、白い身体を取り戻し始めた頃にはすっかり動かなくなった。
遊び疲れて寝てしまったのだろう。楽しそうで何よりである。
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