事実は怪談より珍妙なり

「そして、雨戸を押さえた黒い目の女が、隙間からするりと節くれだった手を伸ばしてくると――」


「の、伸ばしてくると……?」


「男は木刀で、女の頭をしばいたのだ」


「なんですかそれ」


 またあくる日、僕はホズミくんの家に来ていた。いい加減お祖父様方に食事の礼を兼ねた挨拶をしたかったのと、ホズミくんに頼みたいことがあったためである。


 しかし、彼のお祖父様もお祖母様も、挨拶を済ませてすぐに出掛けてしまった。村内の会合があるとかなんとか。


 そして僕らは二人きりになった。暇であるため何かをしようという話になったのだが、唯一の玩具である花札は現在我が家でナツキに占有されている。


 困り果てたその時、彼の方から提案してくれたのだ。


「怪談でも話しましょうか? 祖母に仕込まれた話がいくつかあるので」


 こうして、彼の家で、庭先から聞こえてくる蝉の声をBGMに彼の話す怪談に耳を傾けることになったのであった。


 彼の話す物語は、怖いと言うより不思議な話のように感じた。


 やれ山で遭難した時、山中を高速で駆け巡る白い何かを見かけ、導かれるようにして帰還を果たしただとか。


 やれ死にかけの狸を助けたら翌朝玄関先に野菜がてんこ盛りになっていたが、それはどれも自分の畑から盗まれたものであったとか。


 やれ大切な客人に馳走を振る舞った記憶と食糧の減少が確かにあるのだが、それがどこの誰だか思い出せぬだとか。


 知った顔が思い浮かぶ話ばかりであった。そうでないものも、最初の夜に酒を飲み交わした中にそれが出来そうな者がいるような、そんな話であった。


 そんな知り合いのことのように感じられる話を、彼は実に親しみ深く語ってみせた。僕の周りにはこんな不思議な者たちがいるのだとばかりに。聞けば、祖母の語り口を真似ているのだそうだ。


 そのことがなんだか嬉しくて、お礼に僕の方からも何か語ってみせようと申し出てしまった。


 言ってから後悔した。怪談の在庫などあるはずもない。仕方なく、僕はヒヨ子と出会った時の話をしたのであった。


 これは知り合いが実際に体験した話である、ということにして。


「それで、その後はどうなったんですか?」


「大女は敗北し、配下となったのだそうだ」


「では、今も?」


「花札でも嗜んでいるであろう」


 ヒヨ子は弱いくせに、誰より花札にのめり込んでいるようだった。いずれ旦那様を倒すのだと意気込みながらナツキに弟子入りしていたが、仇敵より弱い者に師事したところでそんな夢は叶うまい。


 調子に乗って天狗になり、折り頃まで鼻が伸びたらへし折ってやることにしよう。最も、調子に乗れるほど勝ち星を稼げるかはかなり怪しいが。


「もしかして、山田さんも面識があるんですか?」


「さて、どうであろうな」


 面識どころか居候させてやっているのだが、全てを語る必要はあるまい。肝要な部分を濁してこそ怪談というものである。


「そんなことより、今日は頼み事があって来たのだ」


「頼み事、ですか?」


 露骨な話題転換であったが、彼は苦笑一つでそれに乗ってくれるようだ。


「いや、大したことではないのだがな。これらのことだが」


 ホズミくんの前に差し出してみせたのは、おもちゃの小さな鍵と、おもちゃの小さな指輪。あの日釣り上げたガラクタ共であった。


「訳あって保存しておきたいのだが、家に置いておくとナツキが勝手に捨てようとするのだ。ゴミも同然のものを押し付けるようで申し訳ないのだが、ホズミくんの方で預かっておいてはくれぬか」


 人が何を所持していようと勝手だろうと思うし、ガラクタ度合いはあの平屋の押入れの中身も大して変わらぬだろうと思うのだが、ナツキは何を言っても聞く耳を持とうとせず、頑なにこの二つを遠ざけようとしてきた。


 それを見てか、それとも個猫的にも思うことがあるのか、猫又までもが複雑そうな顔つきでガラクタを見つめてくる。


 その反応がまた、これが呪物か何かである可能性を匂わせてくるのであるが、しばらく所持していても特に害があるわけではなかったので預けても問題はなかろう。


 強いて言うなら、妖怪共の悪戯の証拠である可能性があるということを差し引いてももう要らないと思っているはずなのに、なんとなく捨てようと思えなかったことが異変と言えば異変であろうか。


 ホズミくんに預けようか、という考えが浮かんだ時、不思議とそれが最適解であるように思えたのも、もしかすると異変かもしれぬ。


「いいですよ」


 そして、彼も二つ返事でそれを了承してみせた。


「実は僕もそれ、気になっていたんです」


 これが? 一応ある程度は洗ったとはいえ、どちらも薄汚れているし、指輪の方など光る機能がついていたであろうことは察せられるが、もう壊れているだろうことも試すまでもなく明らかに見えるが。


 やはり何かおかしな力が働いているか? と首を傾げながら眺めていると、ホズミくんが自室から何かを持ち出してきた。


 見ると、それは幾分か綺麗であることを除けば、僕が持ち込んだものと全く同じ鍵であった。


「おそろいでしょう? これ、確かお菓子の食玩だったと思うんですけど、ここらでは売っていないものなんですよね」


「そうなのか?」


「ええ。山田さんのお宅の反対方向にしばらく行けば小さな商店くらいはあるんですが、そこで取り扱っているようなものではないんです。そんなものがここに二つもある。不思議じゃないですか?」


 そう言われると不思議なような気がしてくるが、それを言えばそもそもアジだのタコだのペンギンだのが釣れる時点で、という話になる。


 そこにないはずのものが釣れているということ自体はもう既に分かっていたことだ。それは彼も分かっているだろうが……彼の所持品と瓜二つのものだったので縁を感じる、ということもあるのだろうか。


「指輪の方は、覚えはあるか?」


「いえ……ただ、お祭りの屋台でよくこういうの見かけますよね。光る指輪」


「あまり祭りに出かけることがあるわけではないからよく知らぬが、そういうイメージはあるな」


「お祭りといえばまだ先ですが、東京に帰る少し前の日に街の方でお祭りがあって、その日だけは例年そこまで遠出するんです。その時、同じものがあるか調べてみましょうか?」


「せっかくの祭りだろう。そんな余計なことを気にせず存分に楽しんでくるといい」


「では、たまたま見かけることがあれば、お教えしますね」


 彼はそう言うと、僕の渡した二つのガラクタと元々彼が持っていた鍵を自室に仕舞いに行った。人がいいというか、気が利きすぎるというか。それが彼の美点であろうが、たまには年相応に我儘の一つでも言って欲しいものである。


 ウチなど幽霊もアヒルもワガママばかりだと言うのに……おっと、そうだ。それで一つ、思い出すことがあった。


「ホズミくん、先程商店があると言ったな? どんな物が買えるのだ?」


「あそこですか? ここらのお年寄りが主な利用客なので日用品が多いですけど……何かご入用ですか?」


 部屋から戻ってきた彼に質問を投げれば、相変わらず先回りするような回答を返してくる。ここでこれこれの物が欲しい、などと言えば、「じゃあ僕が買ってお届けしますよ」などと返されるであろう。


 ただ、今回はそういうわけにはいかない。


「僕が、というか君が欲しい物があるかと思ってな。食事を届けてくれたり、花札を貸してもらったりしている礼が出来ればと思うのだが」


「そんな、お気になさらないでください」


「まあそう言うな。たまには大人ぶりたいのだ」


 どちらかと言えば、こういう時に彼がどんな物を選ぶのか興味があるという気持ちの方が大きいのだが、それは言うまい。


 ホズミくんはしばらく申し訳無さそうに唸った後、やや間をおいて苦笑した。


「それなら一つ、お願いしていいですか?」


「ああ。任せるがいい」


 こうして、彼とその商店まで出かける予定ができた。何をねだるかは当日のお楽しみということである。


 その時ついでに、ナツキも連れて行って礼をさせようか。花札での勝負は僕が勝ったので素直に礼を言うという話にはなっているのだが、あやつはホズミくんが来る時間になると忽然と姿を消し逃れようとする。


 とは言え、ホズミくんの前で超常的な事象を自重しようとするくらいの良識があることは釣りの時に分かった。何も告げずに連れ出し、無理やり引き合わせれば強引に逃げようとはするまい。

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