釣りはもう当分やらぬ
働いていた頃、と言うとまるで昔のことのようであるが、ついこの間まで、五日も働かされた疲れがたった二日で取れると思っているのはなぜなのだろうと、それはもう本気で社会の仕組みに首を傾げていた。
実際には仕事場次第でコロコロ休日が変わるのに合わせ、これ幸いと休日出勤も混ぜ込まれ、もはやいつが休日かそうでないのかもよく分からなくなっていたので、五日働いて二日休むというサイクルすら破綻していたような気がするのであるが。
しかしどうやら、山中を歩き回ったことによる筋肉痛程度なら、二日休めばすっかり完治するらしい。
朝起きて、何やらびしょ濡れになって「死ぬかと思ったんですけど!?」と憤慨する生臭いヒヨ子を洗面台で洗ってやると、着替えを済まし、釣り竿を返しに川に出かけた。
ここに来てから山と川と家にばかりいる気がするが、他に行く場所がないのだから仕方があるまい。
すっかり慣れた足取りで山を進むと、木々の先に二人の爺が見えた。どうやら幸いなことに、今日はお揃いのようである。
「おや、旦那。おはようございます」
その片方、小豆色の着物を着た方を、僕は川へ蹴り落とした。
「またですかいな!」
「やかましい! 貴様のせいでホズミくんに余計な嘘をつく羽目になったではないか!」
水から上がりながら何を言っているのかさっぱりわからんという顔をする小豆洗いに、この間の釣りで何があったかを懇切丁寧に説明してやった。
「何より気に食わんのはコレだ。なぜホズミくんが海洋生物で、ナツキが軟体動物で、僕がガラクタなのだ。どうせ妖術をかけるのであればマグロでも釣らせてくれればよかろう」
「旦那のほうが川へ引きずり込まれそうな話ですな」
「黙っていろぬらりひょん。今は小豆の爺と話しているのだ」
余計な口を挟むぬらりひょんをじとりと睨めつけると、昨日釣ったガラクタ類を小豆洗いに突きつける。
なんで持って帰ってきた、捨ててこいと怒るナツキを無視し、文句を言うまで絶対に捨ててなるものかと死守してきた物達だ。イヤーピースだけはそれでもどこかへ消え失せた。そのうち埃にまみれて出てくるであろう。
「そんなもんあっしの知ったこっちゃありませんよ。あっしが出すのはただの美味しくて栄養満点なだけの小豆ですから」
「ではなぜいるはずのない生物が釣れるのだ。ぬらりひょんだってこいつでアジを釣り上げていたぞ」
「総大将がおかしいんですよ。旦那等でもそうなったなら、竿の方がおかしいんじゃないですかい?」
そうなると、犯人はこちらになるわけだが。ぬらりひょんの方へ視線を移す。すっかり僕という存在に慣れたらしい此奴は、いくら睨んでも飄々とした態度を崩さなかった。
「儂がお渡ししたのもただの竹竿ですが、おかしなこともあるものですなぁ」
「貴様、何か隠しているだろう」
「いえいえ何も。気になるならここで再度何か釣ってみては如何ですかな? どうせ何も釣れやしやせんので」
安い挑発だ。だが乗ってやろう。今日はなんだか、何かが釣れるという確信があった。証拠を突きつけてやる。
僕はぬらりひょんに返したばかりの竿の一本を再び借り受け、小豆洗いにひと粒の小豆を出させ、針の先につけると川へ投げ込んだ。
川の流れに従いそよそよと揺らぐ糸の先を一心に見つめる。ここ一番の集中力を発揮している自覚があった。川の底まで見通しているかのような感覚。満ちる全能感。
――――くる。
確信を抱く。同時に竿を引き上げようとすると、これまでにない重量に竿が大きくしなる。
「そら見たことか! やはり何か仕込んでいるな! これで妙ちきりんな生物であったなら、貴様らどんな言い訳を」
言い終わる前に、ばしゃりと水しぶきを上げて獲物が釣り上がった。
針を咥えていたのはペンギンであった。
ペンギンはぺっと針を吐き出すと、遠い空へと飛んでいった。
−−−
異常は認められたものの、結局その原因が竿にあるのか、餌にあるのか、ないとは思うが、釣り手にあるのか。判別がつかぬので、爺どもには言い逃れられてしまった。
気味が悪ければ釣れたものはこちらで引き取るとぬらりひょんは申し出たが、証拠を隠滅されては困ると断固拒否した。せっかく仲良くなったメンダコが引き取られてはヒヨ子も寂しかろう。
平屋に帰り、小豆洗いからくすねてきた小豆を金魚鉢に放ってそれをむしゃむしゃ食らうメンダコを眺めていると、縁側の方からヒヨ子の声がする。
「あーっ! 帰ってきましたね! 帰ってきたんでしょ! 早くこっち来てください!」
いつもいつも騒がしいやつだ。今度は一体何をやらかしたのか。
呆れつつ声の方へ向かえば、朝でかけた時のまま、てるてる坊主がごとく庭先に吊るされたヒヨ子がいた。
「流石のアタイも二連続で水責めに遭った挙げ句逆さ吊りにされるとは思っていませんでしたよ! 早く下ろしてください!」
「ちゃんと乾いたか」
「乾いたかじゃないんですよ! 二度とあんな乱暴な洗い方しないでくださいね!」
「気持ちよさそうに眠りこけたではないか」
「き! ぜ! つ! してたんです!」
洗うならお風呂場で労るように背中を流してですね、なぞとまだ寝言を言っていたので、そのまま吊るしておくことにした。
昼過ぎにやってきたナツキに下ろしてもらってからは奴の膝でさめざめと泣いていたが、数分で泣き疲れて寝落ちすると、夕方頃に起きては「今日のご飯はなんですかねぇ」と呑気に独りごちた。
簡単な奴である。
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