食えたものではあるまいが
「そういえば、今日はナツキちゃんは居ないんですね」
「あ? ああ、まあそのうち顔を出すであろう」
ホズミくんが帰り支度を整えながら振ってきた話題にはおざなりな返事を返してしまったが、花札でコテンパンに負かされたことは特に関連性はない。
「そうですか……一昨日いきなり知らない人が混ざってきて、嫌な思いをさせてしまったのではと思ったのですが」
「そんな繊細なやつではないので気にする必要はない。打ち解けるまでは難儀するやもしれんが、まあ気長に気にかけてやってくれ」
先程まで少年の顔つきで花札に興じていたホズミくんの苦笑は、すっかり元に戻ってしまっていた。まあ、こちらも時間をかける他あるまい。
「夕飯も二人分お持ちした方が良いですかね? すみません、山田さんのことしか聞いていなかったもので」
「いや、自分でどうにかするだろう。これまでだってそうしてきたのだろうしな」
僕がそう言うと、ホズミくんは実に不思議そうな顔をした。
「山田さんか川田さんの親戚の子とかじゃないんですか?」
「いや、ここの子だと聞いているが……そう言えば、君ももう何度も帰省して来ているのだったな。これまでに会ったことはなかったのか?」
「はい、一度も……そもそもこの集落に子どもなんていないと思っていたので」
思えば、この時におかしいと思うべきであったのかもしれない。
「まあ、これほど人が少なく家同士離れていれば、知らぬことの一つや二つはあるだろうな」
ただ僕は、何も気にせず、そう流してしまった。
「そうかもしれませんね……では、また夕食時に来ます」
「ああ、ホズミくん、花札を忘れているぞ」
「置いていきます。ナツキちゃんが来たら遊んであげてください」
この辺は本当に、あの娘にも見習ってほしいところである。
ホズミくんが帰ってしばらくすると、ナツキが天井をすり抜けて降りてきた。すり抜けも浮遊も出来るこの幽霊少女は律儀に玄関を出入りしたりはしないためいつからいたのかはわからぬが、恐らく最後の会話は聞いていただろう。
「今度会ったらちゃんと礼を言うのだぞ」
「うっさい。それより、やるんじゃないの?」
話をはぐらかすように、ナツキは仕舞われてさほど時間の経たぬ花札を取り出し、対戦の準備を始める。
こちらは先程まで散々遊んでいたのだが……しかし拒否したとて他にやることがあるわけでもない。
「いいだろう。負けたら素直に彼に礼を言え」
「はっ、あんた、あたしに勝てるつもりでいるの?」
実に挑戦的な笑みだ。いちいちムキになるほど幼くはないのだが、調子に乗った若造の鼻をへし折ってやるのも大人の責務であろう。
そう。僕はただ、責務を果たしただけである。
「あがりだ。花見で一杯」
「ちょっと! 降りる気!? 勝負しなさいよ!」
「馬鹿め。攻めるばかりが戦いではないのだ」
「あんたさっきまで絶対こいこいしてたじゃない! 嘘つき!」
そこから見ていたのか。であれば気づいてもよさそうなものだが、こいつは全く分かっていない。
先程までは相手がホズミくんだから勝負に出ることをやめなかったのだ。もっと言えば彼が保守的な性格だったからである。
この手のゲームは二人で保守に走りちまちま競うより、五光を奪い合って食いつぶしあうより、攻めと守りに分かれて戦略の幅を広げたほうが盛り上がるというものだ。
どうせそうだろうと思ったら案の定、ナツキは攻め気に満ちた勝負師であった。であればその隙をちまちま突いてやることで、小さい役を重ねて逃げ切るか大きい役で逆転するか、という勝負に持ち込みつつ、ストレスを与えて判断力を奪うこともできる。
「萩に猪もらうぞ」
「あっそれ……!」
そして相手の狙い札を意味もなく奪って邪魔をするのも忘れないでいると、さらに追い込むことが出来る。
「タネ五。あがりだ」
「うぐぐぐっ……あんた戦い方がみみっちいのよ! ちゃんと戦え!」
「勝ってから言え」
それにしても、ホズミくんと比べるとなんとやり易いことか。これほど思い通りに動いてくれる者もそういまい。
ただ一つ計算外のものがあったとすれば、それはこやつの負けず嫌いの程度であった。
ナツキはホズミくんが夕食を届けに来るギリギリまで何度も再戦を希望し、彼を送り返して帰ってきた時にもまた再戦の準備を万端にして待ち構えていた。
これは下手をすれば負けてみせるまで寝かせてもくれぬであろうと察した僕は、しかし八百長する気も更々ないので、ヒヨ子に一時的な人型への変化の許可を出し、ナツキの相手を丸投げした。
が、それで稼げた時間はわずか数試合分であった。なにせヒヨ子が尋常でなく弱いのである。
運もない。考えも浅い。その癖ナツキ以上に欲深く点を狙おうとする。
それで勝てようはずもない。あまりにも相手にならぬので、矛先が再び僕に向く前に、仕方なく鈴を使って猫又を呼び出した。
「そういうわけで、済まないがナツキの相手をしてやってはくれぬか」
「それは構わないでありますが……いいので?」
「何がだ」
「その、花札をするとなると、変化が……」
しまった。そうであった。ヒヨ子の前であの姿に変化させるわけにはいかない。決して変化しないようにと自分で言い聞かせておいて何たる不覚。
「なんですか? しーくんの変化ですか? そういえばアタイ見たことないですねぇ」
しまった! 阿呆が食いついてしまった!
「ダイジョーブですよ! 本職のアタイに見せるのは恥ずかしいかもしれませんが、絶対笑ったりしませんから!」
そういう問題ではない。ないのだが、しかしどうする。
(他の姿に変化することは出来ぬのか? せめて大人姿に)
(すみません! 変化は不得手で、人の形はあれしか……)
「はーやーく! はーやーく!」
密談を交わす我々を手拍子で急かすヒヨ子。実に苛立たしい。もはやわざとこちらの平静を阻害しようとしているようにすら見えてくる。
ナツキにアイコンタクトで助けを求めるも、早く変化したら? と何も分かっていない目で返される。くそう! この危機を理解するには奴はお子様すぎる!
ええい! 仕方あるまい!
「では変化させるが、決して襲うなよ」
「アタイをなんだと思ってんですか!?」
「いいか!? 絶対だぞ!?」
憤慨するヒヨ子にそれ以上の勢いでキツく言い聞かせると、僕は猫又の方を見て頷いた。
それを見て猫又が変化を始める。
もごもごと膨張する猫の肉体。一定のところでそれが落ち着くと、今度は次第に収縮し、人の形を作り上げる。
美幼女と見紛うほどの、美少年の姿を。
「改めまして、猫又と申し――」
「キャーーーー!?」
途端、名乗りを待たずヒヨ子が悲鳴をあげた。
「え? しーく、え? ま? は?」
駄目だこれは。目がイッてしまっている。とても平静ではない。
これはいけない、僕が守らねば、と二人の間に入ったが、それでも変わらず奴の蕩けた瞳は猫又だけを見つめている。
「あの、ボクの変化、どこかおかしいでありますか……?」
「変だなんて! そんな! ただ、えーと、その……っ」
そして奴は真顔で言い放った。
「とりあえず、お姉さんと一緒にお風呂入りませんか」
そうして、いろいろどうでも良くなったナツキは僕に再戦を挑むことはなく、猫又との数戦で満足して屋根裏に帰っていった。
猫又は実に聡明で、本気でやれば僕ともいい勝負ができるであろうが、ナツキとの勝負は接待試合に努めた。
これがまた実に巧妙で、猫又の手札が見えていなかったナツキは実力での勝利だと本気で信じているだろう。
ヒヨ子はメンダコの餌にした。
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