誰がなんと言おうとこれは川釣りである
ヒヨ子を頭に乗せ川へと出向けば、予想通りぬらりひょんが釣り糸を垂らし、ぬぼーっと呆けていた。
頭の中がすっからかんであることを前面に押し出したその表情は、僕の姿を認めると、その頭上を見てにちゃりと歪む。
「おや、今日は随分と装いが華やかですな」
「やかましい。元を辿れば貴様の監督不行き届きのせいでもあるのだぞ。なにがインターネット発祥の妖怪だ、ただのアヒルではないか」
「狸ですってば!」
ぬらりひょんの皮肉に僕が噛みつくと、その僕にヒヨ子が噛みついてくる。いちいち相手にしてられぬと僕が無視を決め込めば、これまた連動するようにぬらりひょんも僕の文句を聞き流す。
「子細は猫又殿にお聞きいたしました。随分個性的なあだ名をお付けになられたようで」
「語呂がよかろう」
「そんな理由なんですか!?」
いちいち会話を遮ってぴいぴい鳴かれて鬱陶しい。黙らせるべく、拳でぽかりと押し潰した。頭上から「ぴぎゅう!」と間抜けな音が鳴る。
すると「うぅ……横暴だぁ……」との恨み言を最後にしばらく静かになった。これはいい。ホズミくんの前で喋ろうとしたらこれで黙らせるとしよう。
「そんなことはどうでもいいのだ。ぬらりひょんよ。午後からホズミくん等と釣りをするので、竿を貸してはくれまいか」
「それはいいですなぁ。えぇ、えぇ。構いませんとも。それでしたら、ここいらは他の者も寄り付きますので、もう少し上流でされるとよろしいかと」
ぬらりひょんはどこからともなく三本の竿を音もなく取り出すと、そんな案と共に差し出してきた。細い竹のようなしなる棒の先に、針付きの糸が括り付けられているだけの簡素な釣り竿である。人数までは伝えていないのだが、気の利くやつだ。
「うむ。そうしよう。それから、小豆の爺はおらぬのか」
「餌でしたら、儂が頂いた分からお分けいたしましょう」
ぬらりひょんはこれまた音もなく掌いっぱいの小豆を取り出すと、こちらの掌に潜り込ませてくる。
こんなもので本当に釣れるのかと訝しんではいるのだが、そんな僕の目の前で、ぬらりひょんは実に立派なアジを釣り上げてみせた。
何かしらの妖術が働いているのではないかと思っているのだが、実績を突きつけられては文句を言うこともできず、また、うねうねした幼虫なんぞを針に突き刺すよりはいいだろうと見逃している。
「うむ、かたじけない。かたじけないついでなのだが、どうにか連絡が取れるようにはならんか? 一日に二度も家と川を往復するのは面倒なのだが」
「通信機器なんぞ持っとりゃしませんのでなぁ……ご足労おかけしますが、この時間はいつもここらにおりますので、どうしても面倒であれば猫又殿でも遣いに走らせてくださいな」
「それは彼に悪いであろう……貴様も大概暇だな」
「この時間は畑仕事やらで人が出払っている家が多いですからなぁ。昼頃になれば仕事をするのですが」
「無銭飲食を仕事と称すな」
ただの放蕩爺かと思いきや、ぬらりひょんらしいこともどうやらしているらしい。人として注意をしないわけにはいかないが、一切の仕事を休んでいる身としては指摘をされ返しては辛いので、吐き捨てるように告げるとそのまま背を向け立ち去ることにした。
ひとまず、竿と餌さえ手に入れば用は済んでいるのである。
−−−
そうして手に入れた竿を、ぬらりひょんの勧め通りいつもより上流の川岸に着いてから皆に振り分けた。
本来は僕、ホズミくん、猫又の分で三本のつもりだったのだが、一度家に帰り昼寝を挟んだあと、再度僕の頭髪にしがみつくようにして無理についてきたアヒルのせいで猫又を人の姿で連れて来る事が出来なくなった。
こんなのの前に少年姿の猫又を差し出せばどうなるかわかったものではない。
幸いなことに、と言ってよいものか、猫又も今日になって急に遠慮しだした。代わりに心配そうにナツキに付き従っている。
仕方がないので、猫又の分の竿はナツキにやることにした。無理やり連れて来られたのが余程気に食わないのか、一言も返すことなく奪い取るようにしてそれを受け取ると、僕らから少し離れて糸を川へ垂らす。
どうやら釣り自体はやりたいらしい。面倒な娘である。
「これで本当に釣れるんですかね……?」
「パン屑で釣れる魚もいるのだから小豆で釣れる魚もいるだろう。知り合いの爺も釣り上げていたし、釣れぬことはないはずだ」
やはり常識的なホズミくんには受け入れがたいようであるが、まあ、釣れなければあとで文句を言えばいいだけである。
釣りをする時間の大半は瞑想に費やされるのだから、釣果などはおまけなのだ。だいいち、釣れたところでそれをどうこうする道具も知識も持ち合わせはなく、川へ還す他ないのだから。
そんな考えに反して、糸を垂らして五分も経たぬうちにホズミくんの竿に反応がきた。
「うわ」
掛かったことへの驚きというよりは本当に小豆に魚が食いついた事実に引いたような声を出しながらも、ホズミくんの手つきは丁寧に糸を引き寄せ釣り上げる。
糸の先でプラプラ揺れているのは、ぬらりひょんが釣り上げたのと同じような、黄色がかったヒレを持つアジであった。
「これ、アジ、ですよね……」
「ああ、立派なアジだな」
「あの」
「どうした、初の釣果だぞ? 誇るといい」
「アジって淡水魚でしたっけ……?」
やはりこの小豆には不思議な妖術が練り込まれているようであった。生態系を無視して魚を釣り上げるどころか、教養人たる僕にその異様さを気付かせないとは……恐ろしい妖術である。
「ホズミくん……これは、川に棲む川アジというアジだ」
そんな動揺はおくびにも出さず、僕は言い放ってみせた。決して揺るがぬ真摯な瞳でものを言い切ってしまえば、意外とすんなり受け入れられる。社会で学んだ叡智の一つである。
「川、アジ……?」
「川アジだ」
ホズミくんの表情は尚も納得しきれぬものであったが、僕が決して主張を曲げぬと悟ると、しばらくピチピチ暴れる川アジを見つめた後、そっと川へ逃がした。
許せホズミくん。それが大人になるということである。
「ねえ……ちょっと、ねえ!」
何やらナツキも騒ぎ出したが、今ホズミくんに嘘を教え込む責任と超常なるものに巻き込んでしまう責任とを天秤にかけ、片方を背負う覚悟をしているところなのだ。ナツキなんぞに構っている暇は……。
「タコ釣れたんだけど!?」
つられて目を向ければナツキが突き出す糸の先に、彼女の拳ほどの大きさのメンダコが食らいついていた。
もう釣りなど止めてしまおうか。
計画を途中で放りだしたことがないという、数少ない僕の誇りの一つを打ち砕いてしまいそうなほど、目の前の光景は珍妙であった。
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