魂の片割れは田舎に居たようである
名前など、それそのものに大層な意味や価値があるわけではない。名付けで一生が決まるわけでもなければ、その人のあり方を定めるものでもない。
だというのに、人はそれに意味を見出そうとするものである。
それが自分を表すものなのだと、その意識から逃れきる事ができる者はおそらくそう多くはあるまい。大体がそこに一つのアイデンティティを見出す。
それが前向きなものであればまだ良いが、コンプレックスの要因となってしまう例が一体どれほどあるか。
また、例え本人が気にしていなくとも周囲が過剰に反応する場合もあろう。キラキラネームなど付けられようものなら、これはいいネタを見つけたとばかりに執拗につつかれるのはもはや宿命である。
かく言う僕も、学生時代はそれはそれはイジられたものであった。
山田空。悪い名前ではなかろう。だが当時の旧友たちときたら、やれ「どんだけ高いとこ好きなんだよ。馬鹿なの? 煙なの?」だの、「陸地なんだか空なんだかはっきりしろ」だの、「山田空海なら陸海空制覇出来たのにな」だの、「真言宗を開こうぜ」だのと好き勝手に言ってくれた。
だが別に特段それが嫌だったわけでも、コンプレックスだったわけでもない。鬱になってからは僕の名前は本当はソラではなくカラと読むのではないかなどと考えたこともあったが、それとこれとは関係がない。
いじめられていたわけでもあるまいに、旧友とのじゃれ合いで心を痛めるほどに繊細だったつもりは、少なくとも当時はなかった。
では何故今更そんな話をするかと言えば。
「で、こちらはホズミ……すまない、ホズミ何くんだったか」
「そう言えばきちんと名乗っていませんでしたね。
片割れを見つけたからである。
−−−
その日の昼過ぎにホズミくんは家へ来た。川釣りの約束を果たすためである。
彼の来訪を誰より心待ちにしていたのはおそらく猫又であろう。尾をピンと立て我先にと玄関に向かってから、ふと思い返したように振り返る姿はなんとも愛らしかった。
そして、その姿に心打たれたのか、素っ気なさを装いつつも付いていきたいのを隠せぬようにチラチラこちらを伺いながら「いってら」と吐き捨てるナツキを小脇に抱え、僕は猫又を追って家を出た。
「すまない、待たせただろうか」
「いえ、それより、あの」
「ああ、これはナツキ。生意気なせいで友達が出来ない引きこもりの子だ。仲良くしてやってくれるとありがたい」
「何テキトーな紹介してんのよ! というか降ろしなさい! おろっ、降ろせー!」
ナツキがあまりに暴れるので、耐えかねて手を離すと、ナツキはべちゃりと地面に落ちた。そして空気を裂く音が聞こえるほどの勢いで立ち上がったかと思えば、むくれた顔でそっぽを向き、「ふん!」と力強く吠えた。
そんなだから友達が出来んのだ。
「ロクに食事が喉を通らないって言うから気を遣ってよく煮たうどんを出してくれる相手に、次は親子丼がいいなんて言う無神経のくせに」
何やらナツキが聞き捨てならないことを呟いた気がする。睨みつけてみたが、一向にこちらを見ようとしない。
「えっと……」
我慢比べといこうか、などと思い始めたところだったが、ホズミくんの困惑した声を聞いて頭が冷える。そうだ、まずは紹介を済ませるべきであろう。
「ああ、済まない。で、こちらはホズミ……すまない、ホズミ何くんだったか」
こうして、僕は魂の片割れを見つけ出したのである。
僕らは紹介を済ませると、川に向かって歩き出した。
道中の空気は悪い。未だにナツキがぶんむくれているせいである。
それはまあどうでもいいとしても、ホズミくんすら何やら訝しげな目でこちらを見てくる。
先程、感激のあまり手を握り込んでしまったせいであろうか。否、違うはずだ。ホズミくんは魂の友との固い握手に眉をひそめるような男ではない。
その証拠に、ホズミくんの視線は僕と言うより、僕の頭頂部に注がれていた。僕の頭頂部にしがみつく、黄色いゴムの塊に。
僕はそれに気づいていながら、あえて無視をした。彼には悪いと思わないでもないのだが、そのやり取りは既に、今朝方済ましているのである。
−−−
釣りをするには何が要るか。無論、竿と餌である。では僕がそんな物を所持しているか。当然、所持しているわけはない。
おもちゃ箱もかくやといった様相の平屋の収納にも、そんな気の利いたものは無かった。ひょっとこの仮面など置いておくくらいなら釣り竿の一つでも置いておけば良いものを、川田という男はそういった細やかな気遣いに欠けるのである。
文句を言おうが駄々をこねようが無いものはない。と来れば必然、持っている者に借りなければならぬ。
そうして僕にはホズミくんが来る昼過ぎまでにわざわざ一度川に出向き、戻ってきた後、ホズミくん等と再び川へ向かうという二度手間を踏む必要が生じてしまったのであった。
寝起きでありながら既に億劫な心持ちでいる僕に玄関で話しかけてきたのは、靴箱上の小粋な置物としてすっかり風景に馴染んだヒヨ子であった。
「旦那様、こんな早くからお出かけですか〜?」
虫の居所が悪い時に聞く此奴の能天気極まる声は、悪虫の居る悪所にぺたぺた手汗を擦りつけられるようである。
しかしこちらは寝起きでいちいち八つ当たりするほどの活力も湧かぬ。
「今日はホズミくん等と釣りに出るのでな。そのための竿を借りてくる」
目すら合わさず簡潔に答えさっさと家を出ようとしたのが、まさか悪手であったとは思いもよらなんだ。
ヒヨ子は視界外という隙を的確に突き、トノサマバッタにも引けを取らぬ驚異的な跳躍をもって我が頭に鎮座せしめると、高らかに宣言した。
「アタイもお供します!」
悪虫が増えた。
「ええい来るな! 貴様、この僕にゴムのアヒルで着飾る阿呆になれと言うのか!」
「嫌です嫌です! 仲間はずれは嫌……いだだだだ!? 無理やり引っ張らないでください!?」
「痛いのはこちらだ! 髪にしがみつくでない!」
玄関先での攻防は数分の後、禿げ上がるよりは事情の知らぬホズミくん一人にヘンテコファッションセンスの持ち主であると誤解される方がまだ傷が浅かろうと判断した僕が、矛を収める形で収束した。
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