ヒヨ子とは騒々しいアヒルである

 昨晩同様、居間に上げた元大女と机を挟んで座る。これまた昨晩同様、大女は申し訳無さそうに頭を垂れ、僕はその頭頂部に乗ったアヒルを睨む。


 昨晩と違うのは、机の脇にナツキと猫又がいて、その視線が元大女の足と机の上を行ったり来たりしていること。そして。


「で? これはどういうことだ」


「えっと、あの、これはですね……?」


 元大女がやたらと流暢に喋ること。


「まず、これは何だ」


「えっと……靴、です?」


 だん、と大きな音が鳴り、三人共にビクリと震え上がる。僕が思わず机を叩いてしまったがために。


 いかん。いくら妖怪相手で相手に明確な過失があるからといって、暴力的な態度はよろしくなかろう。大人として、怒りを沈め冷静に対処しなければ。


 大きな音を立てた机の上には、足が乗っていた。僕が繰り出した手刀をまともに食らい、女の足からすぽんと脱げた足だ。


 足がもげたように見えたため、その時は我が手刀がホンモノの刀が如き切れ味を発揮してしまったと己の潜在能力に恐怖したものだが、なんということはない。この足に見えるものは足に見せかけただけのシークレットブーツだったのだ。


「つまり貴様は、わざわざ危険な妖怪に化けるべくこいつで背丈を偽装したと、そういうことだな?」


 カンカンカンカン。僕が靴を小突くリズムに合わせて、まあ、えと、そういうことに、なります、と返事を被せてくる。


 貴様とセッションするために小突いているのではない。怒りの所作だ。ノってくるんじゃない。


「では貴様は一体何の怪異なのだ」


「えーっと……そう! 実はアタイは九尾の妖狐様の眷属なんです! 九尾様は義理人情に厚いお方ですので、眷属であるアタイに手を出すとそれはもう大変なことにですね」


「ていうかラムネちゃんよね?」


 今思いついた言い訳であることが透けて見えるのでどう黙らせようかと、そう僕が思案している間に割って入ったのはナツキであった。女がギクリと震え上がって押し黙る。


「ラムネちゃん?」


「アタイ、ビッグになる! って都会に出ていった化け狸の子よ。ラムネのビー玉を舐めるのが好きな子だったからラムネちゃん」


「違うんですよ! ほら、ビー玉とかおはじきとかってなんとなく舐めたくなるときがあるじゃないですか! 偶々その瞬間を見られちゃっただけで……ハッ!?」


 ナツキにベラベラと言い訳を並べているかと思えば、ふと勢いよくこちらを向くラムネちゃんとやら。しまったという顔。語るに落ちるとはこのことであろう。


 これまでの寡黙さは何だったのかとばかりに語る度失言を侵す狸に言いたいことは山ほどあるのだが、まず最初に言わねばならぬのは。


「狸が妖狐の眷属などと、誇りはないのか」


「ぴぎゅっ」


 奇声をを漏らしたかと思えばポンっと煙を吹き出す。机の上の靴が土くれに変わりボロボロと崩れた。煙が晴れる。


 中からは顔を両手で覆い、シクシクと泣く小さな狸が登場した。


 全くもって、哀れなやつである。



---



「アタイ、人を驚かすの苦手なんです。口裂け女のフリとかもしたことあるんですけど、可哀想な迷子の子だと思われてあやされたりして」


「それが都会に出ることにどうつながる」


「狸仲間を見返したかったんですよぉ! 最近はちょっとしたイタズラで困らせるくらいのことしか皆しないから、すっごい怖いオバケに化けて沢山人を怖がらせれば一目置かれると思ってぇ!」


 狸はそんなことを、感情あらわに語ってみせた。浅はか。なんとも浅はか。家業から逃げ親を見返さんと上京し、下手な歌を路上で披露して警官に注意される自称ミュージシャンが如き浅慮である。


「大丈夫だった? 皆心配してたわよ。保健所に連れてかれたりしてるんじゃないかって」


「つ、連れてかれてないもん! 呼ばれたけど逃げたもん!」


 ナツキの純粋なる思いやりは狸の心の深いところに小気味よく突き刺さったようである。


 顔を赤くし必死に弁明する狸は気の毒だが、周囲の反応などそんなものであろう。スタッフの仕事も碌にこなせぬ癖にステージを見上げては俺もいつかあそこに立つのだと嘯くアルバイト君も、休憩室でよく親と思われる電話先と口喧嘩をしていた。


 もう帰ってこい。いや、俺はここで夢を叶えるのだ。そんなやり取りを何度繰り返していたか。


「で、結局逃げ帰ってきたわけか」


 意固地になって潰れることなくこうして戻ってきただけ、この狸は利口な方であろう。


「だ、だって! 自然は大きい公園とかにしかないし! 下水は汚いし! 落ち着いて暮らせる場所もなければ、畑もないから食べるものも全然ないんですもん! 都会こわいんですもん!」


「よしよし。もう大丈夫だからね。また皆でメンコしようね」


「何ですか! なっちゃんだって怖がってたくせに! アタイをバカにした皆と一緒に、ネットで調べたオバケに化けたアタイを怖がってたくせに!」


「あんなのオバケ以前に不審者じゃない!」


 ついにはナツキとまで口喧嘩を始めてしまった。猫又が心配そうに二人を交互に見つめている。可哀想だからやめてあげなさい。


 ああ、いや、そうであった。不審者と言えば、一つ聞いておかねばなるまい。


「アレは幼い子供を狙うものだと聞いたが。何故そんなものに化けておきながら大人である僕を狙った」


「えっ成人してらしたんですか?」


「ナツキ。木刀」


「ぴぃっ!?」


「持ってこないわよ。やめたげなさい」


 やめられるものか。奴は言ってはいけないことを言った。加えて女子小学生を盾にする鬼畜の所業。もはや許してはおけぬ。ナツキの後ろで震えてないで前に出ろ。ぶった斬ってやる。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!? で、でも大丈夫ですから! アタイ、顔が幼ければイケますから!」


「狸鍋にしてやる」


「美味しくないです! 美味しくないですぅ!!」


「やめなさいって。大人げないわよ」


 ぐぬ、その言葉は卑怯である。子どもに大人げを語られそれでも引かないとなると、まるで本当にこちらの方が未熟なようではないか。こんなやつを放置すれば猫又にも危険が及びかねないというのに。


 どう考えても正義はこちらにある。こちらにあるがしかし、それを他者に押し付けた瞬間それが正義でなくなることがわからぬほど愚かではないので、致し方なく、怒りを鎮めて椅子に深く腰掛け直す。


 するとようやく安心したように、狸がナツキの後ろからそろそろと這い出てきた。


「うぅ……都会は多様性に寛容なのに……これだから田舎は……ショタが嫌いな女の子なんていないのに……」


「世の婦女子に謝れ」


「アタイだって腐女子ですけど」


「貴様の脳みその腐敗具合など聞いてない」


 音のみの会話であるのに理解できてしまう自分が嫌であった。脳内で総受けにしてやるだのとぶつくさ言っているので間違いではあるまい。うむ。やはりこやつには罰が必要であるようだ。


「よし貴様。危険な化け物に扮し周囲を徒に混乱させた罪を償う気はあるか」


「ふ、ふん! 化け狸が人を怖がらせて何が悪いんですか! そんな脅しには屈しませんからね!」


「そうか。狸鍋が望みか」


「なんなりとお申し付けください」


 ナツキのワンピースの裾を震える手で握りしめながら凄んでみせたかと思えば、僕がガタリと音を立てて立ち上がっただけでコロリと態度を変える狸。最初からそうしておけば良いものを。


「では、アヒルに変化しろ」


「はい? アヒルですか?」


「人の姿のとき、頭に乗せていただろう」


「はぁ……」


 狸は、旦那様はこんなのがお好きなのかぁ、などとぶつぶつ言いながら煙を吹き出し、ポンと変化してみせる。うむ。どこからどう見てもアヒルである。湯船に浮かべればさぞ風情のあることだろう。


 これだけ愛嬌のある姿であれば徒に混乱を振りまくこともあるまい。


「よし、ではしばらくの間はその姿で過ごすがよろしい」


「へぇっ!?」


「ラムネちゃんなどという可愛らしいあだ名もその姿には似つかわしくなかろう。今日から貴様はヒヨ子だ」


「アヒルですけど!? いや狸ですけど!!」


「改めてよろしくね、ヒヨ子」


「狸ですけど!!」


 うむ。既にナツキにも受け入れられたようだ。本人は何やらぷりぷりと怒り、猫又は何やら不憫な目を向けてはいるが、そのうち慣れるであろう。


 こうして、アヒルを頭に乗せた危険な大女はただのアホのアヒルと化した。


 大女のままでいさせる選択肢などはなかったが、これによって僕は、アヒルを肩や頭に乗せ、美猫を侍らし、時折浮いたり念動力を発動したりする少女とこれといった特徴のない常識的な少年を連れ歩く事になってしまった。


 人目のない田舎であったから良かったものの、これで東京など練り歩こうものならSNSで即座に拡散されてしまうほど、さぞかし奇妙な集団であっただろうと思う。

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