二度目ともなれば慣れたものである
夕方五時半。それがホズミくんの定刻のようで、その日も玄関先から声がかかった。プレイ途中のゲームをほっぽり出して急いで屋根裏に引き上げるナツキの慌てようと言ったら、いい笑いものである。
猫又は隠れ場所に困ってあたふたしていたので、猫の姿に戻って大人しくするよう勧めてから、ホズミくんを招き入れた。
話は変わるが、コピーアンドペーストとは素晴らしい技術である。
対象を選択した状態で左手小指をCtrlキーに押し付け、そのままCキーを打鍵。あとはコピー先へカーソルを移動してから小指をそのままに、Cキーを打鍵した指でVキーを押す。
たったそれだけでそっくりそのまま写し取る事ができるのである。大学時代はいちいちマウスを右クリックしてからコマンド選択していたものだが、新入社員の頃、同期の爽やか太郎の余計なお節介により我が身に吸収されてからは業務の効率を非常に向上させてくれた。
本当はキーを押す指がどうのこうのとも言っていたがそれは聞き流した。どうせデスク作業など最初の頃か報告書類の作成くらいのもので、ほとんどは現場業務なので関係はなかろう。
そんなことを言っているうちに、爽やかくんは出世し現場を離れ、涼しい本社で悠々過ごすことになったので、ショートカットキー一つで出世街道が変わるあの会社はやはりどこかおかしい。
なぜこんな話をしたかと言えば、特に意味はない。話は変わると言ったからには話は変わったのである。
決して戸を開けた先にいたホズミくんが昨日と全く同じポーズで、全く同じ柄の丼を手にしていたことは関係ない。
ほれ、よく見れば丼の中身も何やら差異が見受けられるではないか。
「ホズミです。お食事をお持ちしました」
「メニューは」
「冷やしたぬきうどんです」
「君の家はうどん屋か蕎麦屋なのかい?」
物を食わせてもらう身で文句など言えようはずもないが、そんなつもりでなくとも自然と疑問が口からまろび出た。
いかん、彼には礼節を持って接すると決めたつもりだったのだが、妖怪どもの相手ですっかり気が緩んでしまったか。
そういうわけではありませんが、と罪もないのに何やら申し訳無さそうにするホズミくんに気さくなジョークとして、明日は丼物にでもしてくれ、親子丼だとなお良い、などとのたまいながら彼を招き入れた。
翌日本当に親子丼を持ってきたときには、流石の僕も閉口したものである。
−−−
それから暫くうどんに舌鼓を打ちながら、ナツキがほっぽり出したゲームをホズミくんに勧め、それを一生懸命鳴いて止めようとする猫又の姿を眺め過ごした。
終いにはナツキまでもが天井裏から天井を鳴らし抗議の意を示してきたのには呆れたものである。お陰でホズミくんの中では僕が元気なネズミとルームシェアしていることになってしまったではないか。
ゲーム機もソフトも元々は川田の私物であろうに。自分は勝手に使っておきながら人には使うなと言うとは、傲慢なことである。
逆に、自分は関係が無いというのに懸命に庇いたてようとする猫又は見上げたものである。見上げたものであるから、ホズミくんを送り返す間も猫の姿のまま侍らせることにした。
もしまたアヒルを頭に乗せた大女に出逢ったとしても、猫の姿であれば襲われることもあるまい。
「しかし田舎の夏はすることがない。昨日今日と同じ川に出向くことしかしてないが、ホズミくんは一体どう過ごしているのだ」
ホズミくんは礼儀のなったいい子ではあるが、自分から積極的に話題を振ることは多くなく、僕がこうして大人の対応力を見せてやることにしている。
無論、することはただの雑談であるが。ただそれにも関心してくれるものだから、やはりいい子である。
「川って、あそこの森の中のですか? 凄いですね、ちょっと歩くのに。僕は別に……家で宿題をしたりですかね」
宿題か。もう何年も聞くことのなかった単語であるが、家でダラダラとゲームばかりする幽霊娘に聞かせてやりたい単語でもある。最も、やってもあの娘には提出先がないのだが。
「ホズミくんも偉いではないか。宿題なぞ出さぬとも怒られるだけで済む、と開き直る者も多いが、ちゃんとやったぞと人に言えるものが一つでもあることは良いことだ」
「ほんとに最低限ですけどね」
「その最低限が肝要なのだ」
腕を組みながら偉そうに語り、うんうんと唸って見せる。
周りがチャランポランな妖怪や年下ばかりだからか、ここに来てからというものつい偉そうな口ばかりを叩いてしまっていた。
しかし僕もそれなりの学歴を修め立派な会社に所属する身である。今現在休んでいるからと言って、全く何も語る資格がないということもなかろう。
そう自らを擁護しながらちらとホズミくんの顔色を伺えば、それはどこか見た覚えのある顔だった。
飲みの席で上司の若い頃自慢を聞かされる同期達に、あるいはその後帰宅して覗いた鏡のその先に、幾度と見たその疲れを覆い隠そうとせんばかりの顔色が、思い上がる僕をどれほど諌めたことか。
「ところで勉強ばかりも疲れるだろう。明日辺り釣りでもどうだね」
ああ、これも今夜一杯どうだ、今度ゴルフでもどうだと、それが求められてもいないということに気付きもせず優しさの顔で誘う上司と変わりあるまい。
ままならないものである。いかがしたものか。
僕は今度は違う意味合いでうんうん唸りだす寸前だったのだが、
「釣りですか。いいですね」
彼も案外、乗れる口である。
−−−
では明日昼過ぎに、とホズミくんと約束を交わし、いいでありますね、と羨ましそうに喉をゴロゴロ鳴らし始めた猫又をも一緒に連れて行くと約束した、胸沸き立つその帰り道。
「旦那、あの、ちょっと待っていただけるでありますか」
「どうした」
猫又の耳がピクピク、鼻もヒクヒク動く。元々彼は事前回避のためのセンサーとして護衛についてくれていたので、何かの気配を察知しているのであれば邪魔は出来ない。
僕は小声で聞くだけ聞いて反応を待つことにした。無論、危険が迫っていると言われた途端脱兎の如く逃げ出す所存である。
「あの、非常に申し上げにくいのでありますが」
「既に囲まれたか」
「いえ、そうではなくて」
自前のシックスセンスでどうにか探り出せまいかと周囲に意識を向けようとした途端、即座に否定される。赤っ恥である。赤っ恥であるが猫又に責任はないので、恥を表に出さぬよう追求する。
「ならどうしたというのだ」
「あの、ご自宅に例の大きなおばけが来てるでありまして、ナツキ殿が……」
「よし。奴が帰るまで時間を潰そう」
踵を返してホズミくんの家にでも遊びに行こうかとしたところ、旦那、旦那、ナツキ殿を助けて欲しいでありますと、人型に変化して縋りつく猫又に泣き落とされ、致し方なく帰宅することにした。
早く早くと先を歩いて急かす猫又をなんとか宥めて猫の姿に戻し、家にたどり着けば庭からキャーキャーぽーぽー。
雨戸を挟んで騒ぎ立てる幽霊少女と頭にアヒルを乗っけた大女。
僕はその片方、雨戸をガタガタと大きな音を立てて揺らす大女の、
「雨戸が壊れるッ!」
膝裏に、勢いよく手刀を繰り出した。
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