無垢とはかくも強力である

 お転婆幽霊に家を荒らされては困るので、そろそろ帰るかと片付けを始めるとぬらりひょんに止められた。


 ぬらりひょんはどこからともなく謎の鈴を取り出し、ちりん、と鳴らすと、一分か二分かした頃、猫が現れた。


 猫の顔などよくわからない僕ですら美人な子だと唸るほど、きれいな顔立ちの黒猫だった。毛並みや歩き姿にも品があり、いい家柄の飼い猫だと言われても信じてしまうであろう美猫だった。


「山で迷ったり、また変なのと出くわしたりしても良くありませんからな。案内をおつけいたします」


 僕に鈴を渡しながらぬらりひょんがそう言うと、ぐにゃり、と黒猫が歪み、膨張する。今度はするすると収縮していったかと思えば、ナツキよりいくらか幼い黒髪ショートの美少女、いや美幼女が姿を表した。猫の耳と尻尾が生えている。猫娘というやつだろうか、と僕は思ったが、実態はまた違う妖怪であった。


「ご紹介に預かりました。猫又であります」


 猫又。これまた有名な妖怪である。猫の姿では一本に見えていた尻尾は、変身後は二つに割れていた。


「この子が危険な化け物に対抗できるというのか?」


「ボクは鼻が効きますので、戦えはしませんが避けることが出来ます。……それでは不足でありますか?」


 上目遣いで潤む目を向けながら、不安そうに聞いてくる猫又の仕草や声にやや引っかかりを覚えた。


「不足はない……が、もしかしてオスか?」


「ええ。この通りオスであります。ボクの変化、どこか変でありますか?」


 一層不安そうな顔をする猫又を見ていると、心配な気持ちが湧いてきた。美少女と見紛う美少年。庇護欲をそそる振る舞い。あざとらしい猫耳に尻尾。


 その筋のお姉さんに見つかろうものなら連れ去られること請け合いだろう。少なくとも僕は、彼を都会へ連れて行きたくはない。


「……耳と尻尾は、隠しなさい」


 かろうじてそれだけアドバイスすると、耳と尻尾がグネグネとうねり身体に吸収されていった。


 僕は夏の間、一人で出歩く時は猫の姿でいることを徹底させた。その上であの妖怪大女を最も警戒した。子どもを狙う妖怪だという話でもあったのだ。警戒して然るべきだろう。


「安心してください。ボクが無事に送り届けるでありますので」


 自信満々にそう言い放つ猫又を見て、僕が守らなければと決意を固めた。決して絆された訳では無い。決して。


 僕の意気込みに反して、帰り道はひどく安全なものだった。途中の雑談で危険な存在について猫又に聞いたが、命に関わるような存在はあの大女くらいのもので、あとは機嫌さえ損ねなければ害をなすことはないそうだった。


 その機嫌も、何百年と生きているものが多く、性格も大らかなので余程のことがなければ問題ないとのことだった。実際、特に危険な目に遭うことはなかった。


 化け物より、マムシや毒キノコなど、普通に山にある危険に気をつけろと注意されたくらいなので、妖怪共は余程お気楽な存在のようである。


 家に帰ると、これまたお気楽そうな幽霊がじとりと睨めつけるような目で出迎えた。かと思えば、隣の猫又を見て頬を綻ばせた。


「なんだ。しーくんも一緒だったの」


「しーくん?」


「あだ名よ。いいでしょ別に」


 猫又の頭を撫でるナツキに、幼い少年だからか、とは言わないでおいた。代わりに変な目を向けないように、というと、汚物を見るような目を向けてくる。失礼極まりないことだが、冷静に考えればお互い様であったかもしれない。


「ばーか。そもそもあたし、好きな人いるし」


「幽霊も恋愛をするのか」


「恋する女の子も死ぬのよ」


 それだけ言うと、猫又を撫でるのをやめ、そっぽを向いて古い携帯ゲーム機に興じ始めた。


「そんなことより、あんたもうあちこち開けっ放しで寝るのやめなさいよ。また変なの来ても知らないわよ」


「もしかして、昨日はお前が閉めたのか」


「そうよ。ヤバいのが来たから閉めといてあげたの。それなのにあんた、木刀で倒すってどういうことよ」


 呆れ顔でそう言われたが、木刀で殴られるなどナツキだって嫌だろう。僕だって嫌だ。化け物だって例外ではないのだろう。きっとそれだけのことだ。


「そんなことより、お前どこから見ていた」


「天井裏」


 僕はすぐさま確認しに行こうとしたが、ナツキの必死の抵抗を受けた。乙女のプライバシーがどうのと喚くナツキと家主としての権利がうんぬんと言い聞かせる僕でしばらく言い争ったが、最終的に猫又に止められた。


「旦那、邪魔にならないようでありましたら、どうか好きにさせてあげて欲しいであります」


 ナツキから僕を引き離すと、猫又はそう懇願した。


 甘やかしすぎるのも良くないであろう、と言っても、それでもと頑として上目遣いでのおねだりを続ける猫又に、ついには僕が折れた。


 純粋無垢なる少年の瞳の破壊力が如何ほどのものか。僕はその時、思い知ったのだ。

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