パワハラ上司の進化先は魔王である

 平屋にぽつんと取り残された僕は、まずそろそろと家中を散策した。


 電気、水道、ガスは通っていた。風呂もトイレもあった。冷蔵庫も、布団も。生きるに足りる設備と道具は揃っているようだった。欲を言えば、エアコンも必須アイテムとして設置されていれば、どれほど快適な日々になっていただろうかと思う。


 収納という収納を片っ端から漁れば、木刀だのひょっとこの仮面だの訳のわからぬおもちゃも出てくる。ただ、その時僕が必要とするものは麦茶を作るための冷水筒のみであったため、関係のないものはそのまま放置した。


 次の日のために冷水筒二つに麦茶のパックを放り込み、蛇口を捻って水に浸し、冷蔵庫に放り込むと、それだけでやることがなくなったので、その日の僕はそのまま適当な広間に布団を敷いて寝ることにした。


 そう言えば、食事は何者かが面倒を見てくれると川田が言っていたが、実際に来たのは二日目以降のことであった。なぜ初日は来なかったのかは不明だが、今思い返しても、あの日の僕ではどうせ喉を通らないだろうから、出て来たところで無駄にしてしまったであろう。



−−−



 夜半、僕は妙な時間に目を覚ました。いつもの病の症状ではなかった。騒音がしていたのだ。


 外から聞こえる騒ぎ声。その大きさと煩雑さは、こんな田舎には似つかわしくない程の人数であることを僕に想像させた。何やら楽器の音もするので、奇妙な祭事でも催されているのだろうと思っていた。


 部屋の時計が指し示していたのは、たしか午前二時を少し過ぎた時刻だったと思う。


 こんな時間になんと迷惑なことだ。一言文句を言わねば気が済まない。僕にそんな勇気と怒りが湧いてきたのは、病ゆえか、寝ぼけているがゆえか。恐らくは寝ぼけていたのだろう。


 まともに思考も回らぬままふすまを開け放ち縁側に飛び出した僕。丘の下、家が建つ地面より五メートルほど低い位置。眼の前を通る一本の太い農道。そこには、それまで一度も見たこともない光景が広がっていた。


 百鬼夜行。そう呼ぶのが適しているであろう。


 這い進む骨の巨人。飛び交う人魂。空を舞う火の車。粗末な楽器を打ち鳴らし、妙な奇声をあげ歩き回る、獣。無機物。人もいるようだと思えば、飛ぶ頭に伸びる首。


 テーマパークのパレードもかくやといった様相で練り歩く魑魅魍魎を目に、ああ、ついに僕の頭もいかれてしまったのだと思い、しばらくの間、夢でも見ているような心地でただ眺めた。


 どんちゃん、がやがや。

 どんちゃん、わいわい。

 どんどこ、ぺこぽこ。

 どんどこ、ぴゅうぴゅう。


「やかましいッ! 何時だと思っているッ!」


 夢なのだとしても、いや僕の夢であるのならば尚更。これほどの騒音被害を前に何故僕が黙っていなければならないのだ。


 あまりの喧しさにようやく回り始めた頭で謎の怒りを弾き出した僕は、化け物たちに怒鳴りこんだ。



−−−



 庭先で仁王立ちの構えをとり、ふんぞり返る僕の前には老爺が一人。


 怒鳴る僕を見て化け物たちはパレードをピタリと止めると、しばしの間ざわざわと何やら話し合い、先頭から代表は私ですとばかりに躍り出てきたのがその老爺であった。


 暗闇の向こうに見た時は今時不良漫画でしか見ないような立派なリーゼントだと思った頭は、髪の毛など既に抜け去っている禿頭であった。頭蓋骨の前頭部が前に肥大しているのだと、近くで見てようやくわかった。


「なんだ貴様は」


「ぬらりひょんでございます」


 高圧的態度で接する僕に怯えた様子で答える化け物。額には冷や汗が浮かんでいた。化け物に舐められてはいけないと社内でも屈指のパワハラ上司のモノマネをしたのだが、効果覿面のようである。


「ぬらりひょんとは、後頭部がフランスパンが如く肥大しているものではなかったか。何だそのリーゼント頭は」


「そういう者もおります。親族には、縦に長い者も円盤状になっている者も、左右両側に伸びている者もございます」


 個性であります。決して偽物ではございません。


 そう訴えるように必死に話す様子を見て、優位に立てていることを実感した。気分は悪くない。人間社会ではとてもではないが、そうそう味わえるものではないだろう。


「して、なんだこの騒ぎは。眠れぬではないか。我が眠りを妨げるだけの正当な理由あってのものであろうな」


 調子に乗ってパワハラ上司を飛び越え魔王と化そうとしている僕に、ぬらりひょんは必死に事情を説明した。


 ぬらりひょんによれば、化け物たちは普段、慎ましやかに生活しているそうなのだが、観光や帰省で村に出入りする人間が多くなる夏は活動が活発になるそうだ。


 特に存在が人間ありきの化け物は張り切っており、民家に勝手に上がりこむ妖怪である自分も例に漏れないのだと語るので、僕の家には勝手に上がらぬようきつく言い含めた。僕の家ではなく借り物であるということは、この時全く気にならなかった。


 さらに話を聞けば、化け物たちは毎年、その夏人々を驚かせるためのキックオフミーティングのようなものを行い、その流れで高まった気持ちを宴会で消費するのが習わしとなっていて、今まさにそのように過ごしている最中だったという。


 そんなことは人の居ないところでやるがよろしい。ここでやることで僕に迷惑をかけていい理由にはならない。


 僕がそう吐き捨てると、ぬらりひょんはひどく困った顔をした。


「この辺りしかもう人間の目につかない区画は残っていないのです。ここも空き家だと思っていたものですから。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、今日ばかりは勘弁していただけないでしょうか」


「それでは僕が眠れぬではないか」


「ではご一緒してはいかがでしょうか。人間にも、飲んで騒いで街を練り歩くような風習はございましょう?」


 揉み手をしながら卑しく機嫌を窺ってくるぬらりひょんは気に障ったが、その提案は興味深いものであった。どうせ夢なら乗ってやるのも一興だろう。普段控えている酒も、夢の中なら無礼講だ。たしか僕は、そんな風に考えていたと思う。


「よし、酒をもて」


 僕はぬらりひょんに導かれるまま化け物の列に加わり、化け物の振る舞う酒を飲み散らかし、近くの化け物にちょっかいをかけながら誰もいない田舎の道を歩き回った。


 記憶が飛ぶほど飲んだのは、僕の人生で初めての出来事であった。

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