第8話 父と兄と弟と


 例えば、20から12を引くという単純な計算。

 これをどうやって解いているかといえば、0から2は引けないから、十の位から1借りてきて、10引く2で答えは8……というふうにわたしは計算しているんだけど。

 というか、日本の小学校ではそう教えられるよね?

 でも、フィングルトン王国というか、この世界の計算方法は少し違うらしい。

 0から2は引けない。だから、20からまず1を引いて19という数字にする。

 9と2を比べると、9のほうが大きいから、引ける。9引く2で7になる。十の位は1引く1なので、十の位はなくなる。さっきの9引く2で7になったこの数に、最初に20から1を引いたので、7に1を足す。で、答えは8になる。

 二桁程度の計算なら間違えることもないんだろうけれど、これが十万とか百万の位になると……計算はめんどくさいよね。というか、最初に1引いたこと、忘れそう……。

 実際、アドウェール様はこの「数を後から戻す」というのをよく忘れてしまうらしい。

 で、間違え多発……。書類のやり直しになるらしい。

 税計算とかの書類だと、もう間違えたところだけを直すのではなく、最初から全部書き直したほうがマシなレベルなんだそう。

 十進法というのは日本もこの国も同じだけど、筆算というものも、この世界にはなかった。

 九九に至っては、暗記しているのではなく、九九の本があって、そこに1×1から999999999×999999999みたいな計算の一覧が印刷されている。で、その本を見ながら数字を当てはめるって……。その本を誰かが使っていたら、その人が使い終わるまで、別の人はずっと待っているって……。

 効率悪いわ……。

 九九なんて、九の段まで暗記していれば、本など見ずとも計算できるのに。

 そんなことを言ってしまったら、急遽わたし、算数計算講座を行うことになってしまった。

 小学校の時の記憶を掘り起こして、わたしが小学生の時に学校の授業で習った算数の四則計算のやり方を教えた。

 アドウェール様とロイさんだけに教えるだけのつもりだった。

 なのに、しばらく経って……アドウェール様の書類ミスが、大幅に減った。

 たまに一つ二つは間違うこともあるけれど、ほぼないと言っても過言ではないくらいになった。ロイが狂喜乱舞するほどに減ったらしい。

 アドウェール様ご本人は、ミスがないことに呆然とした。

「いや、エミリの計算方法はすごい。このオレが計算ミスをしていない……」

 そ、そんなに計算ミスしていたのですか……。

 そして、再チェックするロイの業務時間も減り、ダブルチェックだかトリプルチェックだかをしている文官さんたちの業務時間も減り……。永遠に増え続けるかと思われていた、アドウェール様の執務机に積み重なっていた書類が……ほとんど片付けられた。

 アドウェール様付きの文官さんたちとロイが、涙ながらに喜びの舞を踊っている……。

 うわあ……。

「いやあ、エミリ様っ! あなたは天使です女神ですっ! 見てくださいこの机っ! 書類が全て片付けられましたっ!」

 ひゃっほーいだとか、ヒャッハーだとか言いながら、スキップをしているロイと皆さん……。

 で、「あの計算ミスを増産するしかできなかったアドウェール様すら、ミスをしなくなった計算方法を、我々にも伝授してくださいっ!」と大勢に詰め寄られて。

 わたしはなぜだか東の離宮で算数講座なんていうものを開催するようになってしまいました……。

 そして、わたしが教えた計算方法をマスターした文官さんたちによって、東の離宮の皆様の作業スピードは更に格段にアップしたそうな……。

 徹夜続きで、書類を片付け続けていかなくてはならなかった職場が、なんと週休二日、おやつ付きに変わりましたよっ! と、喜ばれた……。

 そ、そんなに……。

 ま、まあ、お世話になっているぶんの、お返しが、少しでもできたようでわたしも嬉しかった。

 でも、ミスがかなり減ったとはいえ、ゼロになったわけではないらしく、チェックは必要で。

 それから、アドウェール様がミスをしているのはどうもかけ算の計算みたいなのよね。

 だから、ロイに頼んで、『ネイピアの計算棒』と呼ばれる昔の計算具を作ってみた。

 高校生の時に、授業で木を削って作ったことがあったから、作り方は覚えている。

 えーと、どんな仕組みの棒なのかといえば、まずね、0から9までの細長い棒があるの。で、それぞれの棒にはかけ算の九九が、上から順に書き込まれている。九九の答えには二桁のものもあるでしょ。で、棒に書かれている一の位と十の位は斜線で分けられているのよね。ここが重要で、斜線のおかげでうまく桁が上がるように、数字を配置してあるの。

『ネイピアの計算棒』のすごいところは、複数桁同士の掛け算や割り算、更には平方根を求める計算ができるところよね。

 いやあ、昔の数学者はすごいものを考え出したのねーって、すごく感心した記憶があるわ。

 作り上げたものを、算数講座で披露したら……「神の道具かっ!」と、絶賛されてしまった……。

 えーと、わたしが発明したものではなく。昔の偉い人が作って、昔に使われていたものでしかないのだけれど……。

 で、この『ネイピアの計算棒』、なぜだかわたしの名前の『エミリ・イチノセの計算具』として現在、東の離宮に広まっている……。

 どうしよう。

 これを発明した昔の数学者の大先生に申し訳ないというか……。せ、世界が違うから、許してもらえるかしら……。

 アドウェール様は「ブランドン兄上にも献上しよう」と、木の棒ではなく、象牙を削った、すごい立派なものまで作らせていた。

 金箔で装飾までしているよ……。

 実用品なのに、美術品みたいになってきている……。

 すんごいウキウキしながら、 装飾とかにもこだわっているアドウェール様。

 無意識だろうけど「兄上、喜んでくださるかなー」なんてぼそりと言って、ロイに温い目で見られていた。

 アドウェール様、お兄さんのことが、そうとう好きなのね。

 なんて、わたしはのんびりと、思っていた。



     ☆★☆



さて、 アドウェール様は東の離宮、ぱっつん白い髪のダニエル第二王子は南の離宮。そして第一王子であるブランドン殿下は西の離宮に住んでいる。

 王都の中心にある王城にお住まいではないのかと聞いたら、王太子となった後ならば、王城に住めるが、立太子する以前は離宮にしか住めない……とのことだった。

 ん?

 第一王子と王太子って違うの?

 わたしはそんな疑問を持った。

「ああ、第一王子、第二王子というのは、長男、次男程度の意味でしかないんだ」

「へえ……」

「ブランドン兄上は、王太子として第一候補ではある。だが、周囲がどう見ているかはともかく、父王が、まだブランドン兄上を王太子として指名はしていない。もちろん第二王子を王太子にするとも言っていないのだが……」

 ということは、王太子未定。

 決まっていないということで……。

 ううむ?

「まあ、ブランドン兄上が側室である母の子、第二王子が正妃の子。そのあたりの忖度やら政治的配慮やらなんやらというよりは……父王が、いろいろ企んでいる……というのか……」

「だから、第一王子対第二王子で水面下で政争勃発とか……」

「父王が狙っているのはそれだろう。争え、そして、残った有能なものが王位を継げと……」

「うわ……」

 平和なところにあえて乱を起こしてどうするのよ。

 フツーに第一王子を王太子に指名していれば、良いじゃない。

 わたしなんかはそう思うんだけど……。

「父王の考えはよくわからんが。優秀な者が国をけん引すればいいのだから、その有能さを示せ……ということなのだろう。事実、オレが王位継承権を放棄した後は、オレに対してお声はいっさいかからなくなった」

「は?」

「時間を取って会う対象から除外された。オレは、ブランドン兄上の持ち物の一つになり下がった……と、父王は判断したらしい」

「はあ⁉」

 なんだそれ。

 父と子でしょう? 

 親子でしょう?

「父からすれば、資格があるのに王位を望もうともしないヘタレらしいぞオレは」

 アドウェール様はけらけらと笑うけど。

 ちょっと待て、アドウェール様のお父さんの国王陛下。

「ブランドン兄上の腰ぎんちゃくで、金魚の糞……とも言われたな」

 なんだとおっ!

「男なら天下を目指せ……と、そういう思想に傾倒しているんだよ、父上は。ご自分はなんの困難もなく、敵もいないまま、すらーっと王になったからな。歴史上の英雄とか、そういうのに憧れているんだ。『戦って勝て』だの『群雄割拠』だの『貴種流離譚』だのが大好物で……」

「あ、阿呆だ。せっかく平和なのに、わざわざ乱を起こそうとしているなんて……」

「まあ、な」

 アドウェール様は苦笑するけど、なんて迷惑な王様だっ!

「男は冒険小説が好きでーっすなんて、物語を読んで楽しんでいるのなら別に個人の趣味の範囲だけど。自分の国と、自分の息子たちをわざわざ争わせるようにして、王位を勝ち取れなんて。ばっかじゃないのっ!」

 不敬かもしれないけれど、思わず叫んだ。

 第二王子なんて、朱に交われば赤くなるようなタイプなんでしょう?

 だったら、幼少の時から第一王子と一緒に育てて、お兄さん尊敬してます~って感じに洗脳でもしたら、なーんにも問題なく、第一王子が王位を取って、二人の弟は、王となった兄を支えますー、平和ですーってなったでしょうに。

「ま、人は、ないものを求めるのかもしれんな。平和続きだからこそ、戦乱の世に憧れる……」

「いやいや、アドウェール様。憧れるだけならいいですけど、現王が、その憧れのままに、地に乱を起こすような種をまいちゃっているのはどうかと思いますよ。迷惑するのは平民です」

 戦争ダメ、絶対反対……な、平和主義でなくたって、争いごとは嫌だ。

 平和に生きていければそれでいいじゃないですかぁ……って言いたくなる。

「ま、大丈夫だよ。父王はある意味阿呆……夢見る少年の心をお持ちだけど、ブランドン兄上は優秀だから」

「そう……なんですか?」

「ああ。ブランドン兄上に、さっさと王位を取ってもらって、父王には引退してもらう。なに、父だって、政争の果てに、ご自分が追放される運命だって、受け入れてくれるに違いないからな」

「……そーですかぁ?」

 黒幕気取って、自分だけは安全圏から争いを見物っていう、そういう阿呆タイプじゃないかなあ。仮にもアドウェール様のお父さんなんだから、あまり悪口は言いたくないけど。

「うん、まあ、だけど、そんな感じだから、オレの婚約者とか、恋人とか、そういう相手を父王から押し付けたりしないで、自由に、というか、放置されているから、オレはそれだけでいいよって」

「え、あ……」

 そういえば。わたし、東の離宮で第三王子であるアドウェール様に保護されているうえに、仮の婚約者だのになっているのに。

 ……アドウェール様のお父様である国王陛下からは、なにも言われていない。

 息子の婚約者に会わせろとか、お前など第三王子の婚約者として認められるかとかも、なーんにも。

「さっきも言った通り。父王にとってオレは、もう、顧みるに値しない、無価値な存在で、ブランドン兄上の単なる持ち駒。だから、気にされていないんだよ」

「そんな……」

「で、だ。父王は、どうでもいいんだけど、そのブランドン兄上がエミリに会いたいって言ってきているんだ」

「えっ! あ、はい……」

 いづれ、会う日が来るとは思っていましたが。

 それでも、いざお会いするとなれば、緊張する。

 今から胸がどきどきしてきましたよ……。

 そうして、お会いしたアドウェール様のお兄様でいらっしゃるところのブランドン・S・フィングルトン第一王子殿下は……。

 これぞ、物語の中の王子様っ! とでも言いたくなるような、知性と自信に満ちた、ものすごい美青年だった……。

 ああ、いや。アドウェール様が美形ではない……ということではないの。

 ちゃんと兄弟って、一見してわかるくらいには、ブランドン第一王子とアドウェール様って似てはいるし。

 髪の色もね、赤系統の色は同じ。

 でも……なんというのか、覇気が違うというのか、気品というものがあるというのか……。

 ええと、基本的には堂々たる勝負を好むのだけれども、政略や謀略の有効性も熟知しているから、時と場合によっては非情な決断を下す冷徹さも備えている……とかそういうカンジ?

 まあ、何はともあれ、この人が王様になるのなら、安心って気がする。

うん、アドウェール様が早々に王位継承権を放棄して、第一王子の治世を支えようって思ったのにも納得というカンジ。

 そんなふうに、不躾に、ブランドン殿下をじーっと見ていたわたし。

 アドウェール様にぐいぐいと腕を引かれて「……兄上は、すでに婚姻しているぞ」などといわれてしまった。

 あ? ああっ! そういう意味で見ていたんではないですよっ!

 見惚れたとか一目惚れなんかじゃあないですよっ!

「いえっ! 第一王子殿下の横に立つなんて、そんな胃が痛くなるような立候補はしたくありませんっ!」

「え?」

「アドウェール様が、なんかかこう……隠しているけど、実は兄上大好きって感じを醸し出していらっしゃったので、納得だなというか」

「うおっ⁉ え、ええええええ、エミリ、いきなり何をっ!」

「ほら、計算棒を作らせる時だって……」

「あ、あああああああ……」

 顔、赤らめてますけど、アドウェール様。

 今更ですよー。なんて。

 アドウェール様は、わたしより、ブランドン第一王子のことが好きなのかなーなんて。嫉妬なんて、してませんよ。ええ、してませんとも……。ちょっと、思っただけで……。




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