第6話 噂とは、都合の良いように作って流すものである
とにかくわたしには何が何だかわからない。
蚊帳の外というかなんというか。
この世界に転生してからというもの、訳が分からないことだらけで、なにか逆におかしくなってきた。
……そう思えるのはアドウェール様の元で、安心して暮らしているからなのかしらね。転生したばかりで、国外追放されたときなら、もう嫌だって、いろいろ諦めてどうでもよくなっていたかもしれないわね……。
ふふっと、思わず笑ってしまったら、ロイさんという黒髪の男の人が頭を下げてきた。
「すみません、エミリ様。なにからご説明を差し上げたらよいでしょうか……ええと、まず、自己紹介かな? 僕はロイです。サラの双子の兄で、アドウェール様の側近です。これまできちんとご挨拶できずにいて申し訳ないです」
「え、あ、はい。あ、いいえ。えっと、わたし、エミリ・イチノセです」
お互いにペコリと頭を下げあう。
「まあ、僕たちも、フィングルトン王国の常識というか、当たり前すぎることだったので、そのあたりを、エミリ様にご説明差し上げていなかった気がするんですが……。エミリ様、フィングルトン王国に王族の皆様が何人いるとかは……」
「聞いていないです」
まあ、アドウェール様が王族の人で、そのアドウェール様のお住まいで暮らさせていただいている……で、特に不都合はなかったしね。
「そうですよねえ……」
ロイさんはちらとサラを見た。サラは、ごめんなさいとばかりに顔をしかめる。
「いやいや、すみません。王族の皆様が誰で何人のかたがいらっしゃるかとかは、僕たちにとっては……たとえば、太陽が東から上って西に沈みますよとか、そのレベルなので……ええと、サラも説明することを失念していたのでしょう」
ロイさんが説明してくれたのは、王族の皆様、つまり、アドウェール様のご家族についてだった。
まず、フィングルトン王国の国王陛下には王妃様とご側室のかたという二人の妻がいる。ブランドン・S・フィングルトン第一王子殿下とアドウェール様は、ご側室の息子ということで、さっきのダニエル・A・フィングルトン第二王子が王妃様の息子とのことだった。
「まとめて言うと、うちの国には三人の王子がいます。ブランドン第一王子は、優秀ですがご側室の息子。ダニエル第二王子は学園での成績はまあまあですが、性格に難あり。馬鹿の中に混ぜておけば馬鹿になり、まっとうな人間の中においておけば、そこそこ善人になるという、環境に左右されるタイプですね。神輿として担ぎ上げられれば、自尊心は天高く舞い上がっちゃう系で……」
「……政争とか、起こりそうな感じですね……」
「まあ、実際そんな感じです。うちの国のまっとうで優秀な貴族はだいたいブランドン第一王子派閥です。ダニエル第二殿下を支持しているのは王妃様のご実家、それに、ダニエル第二殿下を傀儡にして、裏でいろいろやっちゃおうっていう野心家の阿呆どもですね。あ、アドウェール様は王位継承権は放棄してブランドン第一王子殿下の補佐についています」
「あ、そうなのね……」
三つ巴ではないのね。
ブランドン第一王子とアドウェール様が一緒の派閥で、敵対しているのが、さっきの白頭のダニエル第二殿下……か。
「まあ、アドウェール様も王様を狙えるだけの身分とカリスマは持っているんですが……」
ロイさんが、ちらりとアドウェール様に視線を流した。
「面倒」
「ですよねー」
ロイさんは、仕方なさそうにへらりと笑った。
「長子で、頭も良くて、采配も上手いっていうか、腹黒いわ人使いの荒いわ身内は大事にするわのブランドン兄上がいるのに。なんで、兄上を押しのけてオレがトップに立たないといけないんだよ」
ええと……アドウェール様、お兄さんのことを……誉めてます? 貶してます?
「まあいいですけどねー」
「ブランドン兄上の下で、ふらふらあちこち楽しんで使いまわされているのがオレには合ってんだよ」
ああ、楽しんでいるのか。だったら兄弟仲は……良いのよね?
「ま、そんなこんなで、ラングトリー王国なんかから、あっちの王太子殿下の元婚約者をうちの国に追放したから好きにしろ、なんていう、超テキトウな通達が来た時に、アドヴェール様がブランドン第一王子殿下に命じられて、あなたを助けに行ったわけなのだが……」
「な、なるほど……」
納得。
「ちょっと遅かった……すまなかった」
そりゃあ、もう少し早ければ、川なんて泳いで渡ることもなかったでしょうけれど。それは、アドウェール様が悪いのではなくて、いきなり国外追放なんて言ってきたあのオレンジ髪のなんとかという隣の国の王太子が悪い。
「今、ものすごく助けていただいていますから、感謝しかありません」
サラにも、アドウェール様にも。本当に助けてもらっている。
「そっか?」
「はい」
「なら、良いのだが……」
わたしは改めて、アドウェール様に頭を下げた……ら。
「ざっと、超ざっくりな説明ですけど。そんなこんなでエミリ様、そして、アドウェール様」
「なんだ、ロイ」
「はい、なんですか?」
「お二人の婚約式とか、結婚式とか。そのあたりいつにします? そろそろこの東の離宮だけではなく、南の離宮を根城にしているダニエル第二王子殿下や王城の国王陛下のところまで、エミリ様のうわさは流れちゃっているんですよ」
だから、わざわざダニエル第二王子殿下が、ここまでやってきて、エミリ様を見に来たんでしょうねーと、ロイさんは続けた。けど……。
「は?」
「へ?」
誰と、誰が、なんだって……?
こ、婚約? それに結婚式?
う、うわさって……なに?
「ある日突然に、婚約破棄をされて、国外追放となった悲劇の侯爵令嬢。その侯爵令嬢を救ったのが、追放先の国の第三王子だった。二人は一目会ったその日から、恋という名の感情に支配され、そして……」
「ちょっと待て、ロイ。なんだそれは」
「僕とサラがこの東の離宮に流した噂です」
「おいっ! サラ、お前もか……っ!」
「す、すみませんアドウェール様……。その、あの……」
アドウェール様が疲れたように、執務机に突っ伏した。
「……サラは、良い。どうせロイに丸め込まれだんだろう」
「申し訳ありません……」
深々とサラは頭を下げるけど……ええと、サラ? わたしとアドウェール様を一番近くで見ているサラが、どうして、わたしとアドウェール様を恋仲なんていう根も葉もない噂を広めるの……っ!
い、いや、その。たしかにアドウェール様にはお世話になっているけど。素敵な人だとは思うけど。わたし、今、環境に適応するのが精いっぱいで。色恋沙汰なんて、キャパ超えてるんですけどぉおおおおおおっ!
顔を赤くしながら、サラを睨めば、サラは目線で「ごめんなさい」と言ってきた。
「ロイ……。お前、どういうつもりでそんな噂を流している……?」
「まあ、一つは十九歳にもなって婚約者もいないアドウェール様にどなたか可憐なご令嬢を……とか思った、僕の側近としての老婆心ですかねー」
「うそつけ……」
「王位継承権を放棄したとはいえ、そんなものどうとでもなる。第一王子と第二王子が潰しあって共倒れにでもなったら、この国の次の王はアドウェール様だ」
「そんな無意味な仮定はあり得ない。ダニエル第二王子はあっさりくたばるだろうが、ブランドン兄上は地獄の底からだって這いあがって王位を取るぞ」
ブ、ブランドン第一王子殿下って……どういう人なのか……し、ら。
会いたいような、会いたくないような。
でも、アドウェール様のお兄様なので、いつかご挨拶は……しないといけないような……気がする。べ、べつに、こ、婚約とかそういうカンジじゃなくって、お世話になっていますってだけなんだけどっ! あああ、わたし、なにを自分で自分に言い訳しているのかしら……。
内心あたふたしているのを、なんとか抑えているうちに、話は進む。
「まあ、そうですけどね。世の中にはそう思わない阿呆も多いんですよ。相変わらず、アドウェール様宛にお見合いの話が山のようにやってきます」
「うぇ……」
「そこで、エミリ様のご登場となるわけです。命を助けられれば恋に落ちるのが常道というもの。ラブロマンスの王道でしょう」
「……ロイ、お前、恋愛小説の読みすぎか……」
「いえいえ、参考資料ですよ。人の気持ちのサンプルケース、恋愛小説は役に立ちます」
「そうかよ……」
あ、この世界には恋愛小説なんてものがあるのね。今度貸してもらおう。
そもそも、わたし、ここに案内してもらったのは、何か軽い読み物でもと思ってたのが発端だったのだけど。ええと……。
ちょっと今、口を挟んでいいかどうか、迷っていたら。
ロイさんが、顔を引き締めた。
「冗談はともかくとして、真面目に話しますけど。隣国から追放された元侯爵令嬢を、この国の第三王子が保護している。きちんとしないとアドウェール様もエミリ様も、うちの国や隣の国のごちゃごちゃに巻き込まれますよ。まともに、意思やなんかを表明しておいてくださいね。すくなくとも、ブランドン第一王子殿下には、エミリ様をどうしたいのか、ちゃんと筋を通しておかないと……」
「……仮の話だが、ラングトリー王国が、エミリを返せと言ってくる可能性は……」
「あると思いますよ?」
「ええっ⁉ どうして⁉」
ロイさんはあると思うと言ったけど、どうして? わからない。だって、追放されたのよ?
「あのですね、エミリ様。ラングトリー王国の王太子は、あなたに冤罪をかけてでも、レナという娘との真実の愛を貫き通したかった。だけど、そのレナなんていう小娘に、王太子妃が務まると思いますか? 元平民で、今は男爵令嬢のようですが、貴族の令嬢として真っ当な教育も受けたことがない小娘ですよ?」
「あ……」
「事実、隣国では、グウィリム・モルダー・ラングトリー王太子殿下の判断は間違えだったという声が上がってきています。愛する小娘を娶りたいのなら、政務ができるイーディス・エミリィ・トラウトン侯爵令嬢を手放すのではなかった。侯爵令嬢に王太子妃としての政務を行わせ、レナという娘とは愛だけを育めばよかったのに……とね」
冗談じゃない。
そんなの嫌だ。
さっと、顔を青ざめさせえたわたしに、サラがそっと寄り添ってくれたけど……。
怖い。
あんな国に行きたくない。
わたしは、この国で、ようやく足を地につけて歩き出したというのに……。
「怖がらせてしまってすみません。まだ、そんなことは実際には起こってはいませんが、可能性としてはゼロではないのです」
「い、いや……。あんなところ、わたし、行きたくない……」
「大丈夫だ」
アドウェール様がきっぱりと言ってくれた。
「ですが……」
「大丈夫。安心しろ。ちゃんと守るから」
「アドウェール様……」
だけど、わたしなんかのために、国と国の関係が悪くなったら?
「あ、アドウェール様に、ご迷惑をかけるのは……いや、です」
たくさん親切にしてもらった。
守ると言われて、わたし、転生してから初めて安心して眠ることができた。
自分の安全のために、アドウェール様に迷惑をかけたくない。
「まだまだ状況は切羽詰まってないんだろ、ロイ」
「はーい。すみません怖がらせて。未来の可能性の一つとして、心に留めておけばいいって程度です」
「でも……」
今、話した仮定が、未来で起こるかもしれない……。
どうしよう。
わたし、どうしたらいいのだろう……。
「ロイ、サラ」
「はい、アドウェール様」
「先手必勝だ。さっきのお前たちが流した噂な。追加で捏造を加えるぞ」
アドウェール様は考えるように少しだけ黙った。
サラもロイさんも、何も言わずにじっとアドウェール様が次に口を開くのを待っている。
「……ラングトリー王国の王太子グウィリム王子の婚約者であったイーディス・エミリィ・トラウトンは、国外追放され、国境の橋を渡ることができずに、川を泳いだ。ここまでは事実。橋にたむろっている破落戸崩れの者たちも、ラングトリー王国の兵どもも、見ている」
「はい、そーっすね」
「イーディス・エミリィ・トラウトンはご令嬢だ。川など泳げるはずはない。流されて、溺れた……が、彼女を助けようと、勇敢な少女が現れ、死にかけたご令嬢をなんとか川から引き揚げた」
「ん? なんすかそれ」
勇敢な、少女? そんなのいたっけ? わたし、一人で泳いで岸に上がったんだけど。
「良いから黙って聞け。で、だ。勇敢な少女は、たまたま近くにいたオレ……第三王子を引っ張ってきて、ご令嬢が川でおぼれていると通達してきた。その勇敢な少女とご令嬢をオレは、この東の離宮に連れてきて、少女と共にご令嬢を看病したが……彼女は残念ながら、亡くなった。ロイ、東の離宮近くの墓地にでも、イーディス・エミリィ・トラウトンの墓を作っておくように」
「はーい、偽装ですね。外枠だけ作って、同じ年ごろで同じ髪の色の遺体が出たら、そこに埋葬すればいいっすね」
「不要かとは思うが一応な。で、その勇敢な少女は、不思議なことに、イーディス・エミリィ・トラウトンと面差しも年齢も似ていた。不思議な縁ではあるが、オレがその少女と一緒にイーディス・エミリィ・トラウトンを助けようとしたことで、オレとその少女……エミリ・イチノセは懇意になった……とまあ、そんな筋書きを流せ。サラも、いいな?」
「はい」
「かしこまりましたー」
な、なんか、すごい捏造されているんですけど……。
「いいか、エミリ・イチノセはイーディス・エミリィ・トラウトンではない。実際それも、事実であるのだしな」
うん、半分は事実だ。
この体は……もともとイーディス・エミリィ・トラウトンのものだけど、魂はわたし、一ノ瀬エミリのものなんだし。
うんうん、と納得していたら。
「それでだ、エミリ」
「は、はい?」
アドウェール様は立ち上がって、わたしの近くまでやってくると、ちょっとだけ顔を赤らめて。それからわたしの手を取って、言った。
「エミリの身を守るために、偽装ではあるが、エミリをオレの婚約者としても、構わないだろうか?」
「へ?」
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