第4話 エミリィではなく、エミリとして
元の世界でわたしは死んだようで、それで女神様によってこの世界に転生させてもらったこと。
ファーストフード店の店員みたいな口調……は、通じないだろうから、すごく気楽な感じで「ふぁいとぉ」とか、女神様に言われたこと。
なのに、転生したと思えばすぐに婚約破棄を叫ばれて、なにがなんだかわからないうちに国外追放となったこと。
これまでのすべてを、わたしは話しては泣き、泣いては目を擦り、そして、息を整えようと深呼吸をしてはまた話す……というのを繰り返した。
「落ち着いてから、あとでゆっくり話してくれればいい」
アドウェール様はそう言ってくれたけど、わたしは、今すぐにでも体と心の中に残っている辛さや怖さと言ったものを、話して、そして泣いて、全部吐き出してしまいたいたかった。
ひっくひっくと泣きながらのわたしの説明なんて、聞き取りずらかっただろうに。それでもアドウェール様もサラも、根気よく聞いてくれていた。
「そうか……では、あなたの体はイーディス・エミリィ・トラウトン侯爵令嬢のもので、その体に入っているのがイチノセエミリ嬢の魂……ということになるのだろうか?」
「た、たぶん……ひっく、そんな、カンジ……ひっく。あ……」
要約されて、今更ながらに気が付いた。
わたしの体は死んだ。
魂だけが、イーディス・エミリィ・トラウトンの体に入った。
「じゃあ……イーディスの、元々の、魂……は……」
わたしにはイーディス・エミリィ・トラウトンの記憶はない。
けれど、わたしがこの体に入るまで、イーディス・エミリィ・トラウトンは生きていたはずだ。本当に誰かを虐めたりしていたのか、冤罪なのかはわからないけれど。あのオレンジ色をした髪の王太子殿下の婚約者として、過ごして、生きていたことは確かだろう。
「どう……なったの、イーディスの魂は……。わたし、が、この体から、イーディスの魂を、追い出した……?」
ぞっとした。
わたしが、誰かに何かをされたのなら、怖くても、苦しくても、耐えた。
だけど、そうじゃなくて、わたしが、イーディスの魂を……この体から追い出したのなら……。
ひゅっと、息を呑む。
もしもこのわたしの考えが正しいものならば。
「わたしが、イーディスの魂を……殺した……ことに、なる……の?」
そんなつもりがなくても。
結果的にそうなったのだけだとしても。
心が真っ黒に塗りつぶされる。ぐしゃりと、潰されたような気になった。
もしもそうなら……、わたしが、イーディスの魂を殺したのなら……気楽に転生人生を頑張るなんて……無理だ。
「いや、それは違うと思う」
だけど、アドウェール様はきっぱりと言い切った。
「アドウェール……様……」
「オレはあなたの話を聞いただけだ。当然証拠も根拠もない。だから、これは、客観的な考えではなく、直感的に言っているに過ぎない。だが、あなたが、イチノセエミリ嬢の魂が、イーディス・エミリィ・トラウトン侯爵令嬢の体に入ることで、イーディス・エミリィ・トラウトン侯爵令嬢の魂が消滅するというのなら、その、転生を司る女神は、そんなに気楽な口調や言葉で、あなたを転生などさせるのだろうか?」
「あ……」
「もっと……、こう、なんだろう? 気楽に楽しんでくれというカンジだろう? 女神とやらが話したことは」
「あ……はい……」
ご一緒に『さまぁ』はいかがですか……とか。
ラッキーとか。
スマイルは、ゼロ円的な笑顔で、気楽にふぁいとぉ……とか。
転生によってイーディス・エミリィ・トラウトンを殺してしまったなんていう重たい運命と、女神様の口調の軽さは……同列に、並ばないような、気が、する。
そう願いたいだけかもしれないけれど。
「根拠のない推測を述べてしまうが。グウィリム・モルダー・ラングトリー王太子殿下に婚約破棄を告げられたイーディス・エミリィ・トラウトン侯爵令嬢は、その時点で、心が壊されたのではないか?」
「心が……壊された……ですか?」
「ああ。体は生きてはいるが、心が死んだ。イチノセエミリ嬢。あなたの魂が転生に耐えうるほどに強いというのなら、逆に、イーディス・エミリィ・トラウトン侯爵令嬢の魂は、婚約破棄に耐えきれないほど弱かったのではないかと……オレは、思う」
「魂が、弱い……」
「そうだ。あなたが殺したのではない。グウィリム・モルダー・ラングトリーが、イーディス・エミリィ・トラウトン侯爵令嬢の魂を殺した。体は生きてはいたが、心は、魂は、死んだ。そこに、あなたの魂が入ったのではないのかと……」
リサイクルとリユースは、わたしの魂と……そして、イーディス・エミリィ・トラウトンの体の両方だったのか。
わたしの体は死んだ。魂は生きていた。
イーディス・エミリィ・トラウトンの魂は死んだ。体は生きている。
生きているその二つを合わせて、今のわたしにした。
「まさに、再利用して、新しいものを作った……ってこと……?」
なんだそれ。
でも、それが本当だったら。
……わたし、このイーディス・エミリィ・トラウトンの体で……生きて、いいの……?
「そうよ、だから、がんばって」
女神様から言われた気楽な口調が、どこからともなく聞こえてきたような、気がした。多分気のせい……というか、幻聴かもしれないけど。
でも、転生前にたしかに女神様から言われたんだ。
「理不尽な困難や苦難が、突然降りかかってくるのが人生ってものです。平坦な道なんてない。だけど、それを乗り越えれば、きっと明るい未来が待っています。だから、どうぞ、自分のしあわせを目指して進んでいってね。『断罪』を乗り越えて、『ハッピーライフ』とか、善いことを推奨して、悪いことを懲らしめるとか。理不尽な相手に鉄槌をとか。復讐に燃えるのもいいと思う。あたしの好みはすっきりさっぱり爽快感のある『ざまぁ』だけど。でも、お客様のしあわせはお客様が決めていいよ」って。
それにわたしは「はい」って答えた。
だって、自分の人生、やるしかない……って。
諦めたらそれで終わりだ……って。
わたしは手の甲で、ごしごしと目元を拭った。
大きく息を吸って吐き出して……、そうして顔を上げた。
わたしの顔を、心配げにのぞき込んできてくれているアドウェール様。
困難や理不尽が降りかかってくるのが人生でも、アドウェール様やサラのように、助けてくれる人だっている。
大丈夫。
わたしは大丈夫。頑張れる。
「ありがとうございますアドウェール様。それから、サラも」
まだ、ぎこちないけれど、それでもわたしは二人に笑ってみせた。
「この世界のこと、何も知らないから。迷惑をかけてしまうけれど、ご厚意に甘えて良いですか? 助けてもらって、看病してもらって……それだけでも感謝してもしきれないくらいなのですけど。わたしが、この世界で生きていけるように、ご助力を願ってもいいですか?」
厚かましいかもしれない。
もう十分に助けてもらっていると思うのに、更に援助を求めているようで。
だけど、アドウェール様もサラも、笑顔でわたしに答えてくれた。
「もちろんだとも。ただ一つだけ、あなたに聞いておきたいのだが……」
「はい? なんでしょう?」
「あなたのことは何と呼べばいいだろうか? イチノセエミリ嬢? それともイーディス・エミリィ・トラウトン嬢だろうか?
「あ……、名前……」
わたしは少しだけ、考えた。
この体はイーディス・エミリィ・トラウトンのものであるのだから、その名を名乗ったほうがいいのかもしれない。だけど、あのオレンジ髪の王太子から「貴様はもう侯爵家の令嬢ではない」と言われたし、イーディスの父親であるはずのトラウトン侯爵とかいうやつからも、イーディスはトラウトン侯爵家の人間ではないとされたみたいだったし。
だとすると、トラウトンを使わない、イーディス・エミリィの名で生きていくの?
うーん……。なんかちょっと違う。イーディス・エミリィなんて、わたしの名前ではないみたい。
わたしはわたし。日本で生まれて育った一ノ瀬エミリ。その名前を捨てたくない。
「わたしの名前は一ノ瀬エミリです。一ノ瀬が苗字……家名です。エミリが名前。この世界ふうに名乗るとエミリ・イチノセ、ですね」
「そうか。エミリ・イチノセ嬢。うん、ちょっと変わっているが、良い名だな」
「ありがとうございます、アドウェール様」
「ではあなたのことはこれからエミリ嬢と呼ぼう」
「嬢……は、いらないです。エミリでいいです」
「そうか……、いいのか……」
なぜだかアドウェール様の頬が、少しだけ赤くなった。
わたしはこのとき、まだ、この世界の常識を知らなかった。
サラに対して、「さん」や「様」などの敬称をつけなくて良かったから、敬称をつけないで呼ぶのが一般的なのかと思っていただけだったのだが。
まさか、王族の男性が、女性……令嬢に対して、「嬢」をつけずに呼び捨てにすることに、意味があっただなんて。
本当に、わたしは、このときは……まだ、知らなかったのであった。
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