無精児

七瀬紬希

無精児

人は死が決まった時、最初は案外あっさりと認めてしまうものだ。特に泣き喚いたり、嘆き苦しんだりすることはない。なぜこんなことが言えるかというと、

 そう、僕が余命宣告されたからだ。


 「あなたはおたふくによる無精子症を発症しました。よって一か月後、指定の場所までお越しください」

 何が起こっているかすぐに分かった。要は国からすると子供を産めない大人は死んでくれ、みたいなことだ。

 でも結局こんな政策がとられたのは、少子高齢化のせいだ。そこに食糧不足が重なってもう国民全員を養えない状態まで陥った結果、こうなってしまったのだ。しかもこれに従わなければ指名手配犯になって「安楽死」から「死刑」になるそうだ。かなり恐ろしい政策だ。ただそう考えるとここまで丁寧に手紙を送ってくることに対して腹が立つものだ。ただ今まで生きることに一切の執着がなかった自分にとっては、特に一大事というわけでもなかった。

 当日までは意外と長かった。ただそこまでどうしてたかといわれると、特に記憶に残ることはしていなかった。生に執着されていないことを感じて、ほっとしたようながっかりしたような、少し苦く感じた。

 送られてきた書類の内容を確認し、今まで住んでた家に礼を言う。親はすでに他界していたため、連絡を入れるなどは一切なかった。

 落ち着いて電車に乗る。だんだん緊張してきた。今この場で乗り合わせたほかの人は、すぐ近くにいる人が今日死ぬだなんて思ってもいないのだろう。だんだん強くなる恐怖を抑え込み、できるだけほかの乗客に溶け込むようにして駅を後にした。

 駅から指定の建物まではかなり近かった。というか見えていた。まさか途中で逃げるのを阻止しているのだろうか。だとしたら相当考えつくされていて恐ろしい。

 敷地内に入る。特に何もなく死んでいくんだと少々寂しくなっていたその時。

 どこかから鳴き声が聞こえる。どうしても気になってあたりを見回すと、壁にもたれかかり座って泣いている女性がいた。20代前半ぐらいだろうか。

 「あの、どうかしましたか?」

 「…たくない」

 「…え?」

 「死にたくない」

鮮明に聞こえる「死にたくない」。誰もが思っていることなのだが、彼女からは暗い、禍々しいオーラさえ感じた。政府への反抗の意なのだろうか。

 不意に彼女を「助けたい」と思った。初めて自分に「彼女を助けてそばにいたい」という生への執着を感じた。

 「こっち来て」

僕は泣き続ける彼女の手を掴みできるだけ敷地内から遠くへと走った。走って、走って、とにかく走った。

 「…あの、さっきはありがとうございました」

ちょうど裏路地に出たあたりで、彼女が口を開いた。

 「いや…僕の方こそ、急に走らせたりしてごめん」

咄嗟に謝ってしまう。悪い癖だ。

 「でもこれじゃ僕たち指名手配犯だ」

 「それもいいんじゃない?」

 「…へ?」

流石に驚いた。喜んで法を犯す人がいたとは…。

 「まあ…そうかも、しれないな。どうせ戻っても死ぬだけだし。ここで生きるってのも」

 確かに死にたくない彼女にとっても、彼女を守りたい僕にとってもいい話だ。

 かくして僕と彼女の生活が始まった。


 「昨日行われた安楽死実行にて、3名の逃亡者が確認されました。警察は指名手配犯として捜査を進めています」

 早速ニュースになっている。しかし今はそんなこと気にしている暇はない。住む場所を探さなくては。商店街を二人で歩く。するとひとつの居酒屋に着く。僕の行きつけだった店だ。店主もわかってくれるはずだ。

 「ここなら何とか住まわせてくれるかも」

 「よかった。これで少しは安心するよ」

早速店の中に入る。事情を説明すると、最初は驚いていたが直に受け入れてくれて、居酒屋の奥にある部屋に住むことになった。

 「いいけど、せめて店の手伝いくらいしてくれよ。罪犯してるやつを止めるんだから」

 「わかってますよ」

そう返事をしたものの、正直居酒屋のバイトを給料なしはかなりきつい。

 「ま、あんたはいろいろ手が届かない作業でもやってくれ。姉ちゃんのほうはホールやってくれると助かるねえ」

 「なんでですか?常連は僕だし、細かい対応もできるはずですけど…」

 「だって姉ちゃん可愛いから客が増えるじゃん」

 「…利益考え店のかただの変態ジジイかどっちなんですか」

こんな他愛のない会話をしているが、現在朝の3時。眠くてろくに頭も働かない。

 「まあとりあえず今日一日はそんな感じで頼むよ」

 「…わかりました」

彼女はまだ起きてこない。そういえば名前もまだ知らないままだ。ただここで一生暮らすなら、時間を空けてゆっくり聞けばいいか。なんてのんきなことを考えていた。崩れる幸せのことなんて知らずに。

 

 しばらくの間は居酒屋で生活した。そのうち彼女のことについていろいろと分かってきた。

 本名は瀬尾菜摘。27歳。安楽死の会場につくまではずっと会社でサラリーマンとして働いていたらしい。最初あった時とは雰囲気ががらりと変わって、しっかり話すということも分かった。ちなみに酒癖が強い。

 仕事が終わると、僕らはよく酒を飲んだ。くだらない話から今後の話まで幅広く話をした。いつだったか、子供がいれば幸せだったかもしれないなんて話したこともあった。だがそんなことは決してない。ないからこそであったのだ。

 少し雨が降る中、今日も瓶を捨てに行く。ここ一週間で居酒屋の客が飲んだビールの空き瓶だ。これが僕の朝の日課なのだ。

 それにしても、毎度毎度重い。この先もし何もなく安泰な生活をしていたら一生持たないほどの重たさだ。

 薄汚れたゴミ捨て場に重い袋を置いたら、いつもならすぐ帰る。

 ―そう、いつもなら。

 そこには泣いている少年がいた。服は汚れていて、鳴く声もか弱い。

 「なあ、どうしたんだよ」

声をかけるが返事がない。はじめは虐待から逃げてきた子だと思った。だが違った。いや、あながち間違いではなかったのかもしれない。この子は「国の虐待」から逃げてきたのだ。

 それは服を見たときに分かった。服には安楽死実行の時に使われる整理番号の書かれたシールが貼られていた。そして少し前のニュースを思い出す。

 「…まさか三人目の逃亡者って君か?」

少年は答えない。

 「だったらなんで泣いてるんだ?」

普通逃げてくれば安心。無駄死にすることなくむしろ笑うはずだ。しかしこの子はなぜ泣いているんだ。少年はまた答えない。

 「取り敢えずうちに来いよ。…とはいっても僕も借家だけどね。安心するよ、こんなところよりも。ここ寒いし」

 もっとコミュニケーション能力をつけておくべきだった。こんなんじゃただの怪しい人だ。誘拐犯なんかと間違えられて警察に追われれば、それこそ無駄死にすることになる。

 「…まあ、僕も君と同じなんだけどね」

ぼそっとつぶやいたその言葉が、少年に何かを感じさせたみたいだった。それまでうつむいていたが、少し顔を上げた。そうだった。この子も僕たちと同じだった。僕たちと同じように恐怖を感じ、同じようにやり場のない怒りや悲しみを持っているのだ。

 「別に迷ってもいいよ。明日も来るから」

そういってゴミ捨て場を去ろうとしたその時。少年は僕の服の裾をつかんで。

 「…おじさんについて行っていいの?」

 「…おじさんじゃなくてお兄さんだ」

なんやかんやあって、我が家に家族が増えそうだ。とはいっても、僕は彼女と結婚してないし、子供も産めないのだが。

 

 「ただいま」

いつもはこの時間だとすでに客がいる店内も、今日は誰もいない。定休日は実に気持ちがいい。

 「おかえりー、って…そこの子誰?」

彼女が裏から顔を出すと驚いた表情で少年を見つめた。

 「あ…なんか道端に座ってたから連れて来た。僕たちと同じ安楽死会場から逃げてきた子みたいで」

叱られるなり、驚いて腰を抜かすなり、どうなるかとひやひやしながら様子を伺った。しかし。

 「…もしかして、うちの子ってやつ…?」

意外にも嬉しかったらしい。なんか母の日に花束でも持ってきた気分だ。

 「まあそういうことになるね、。この子も家に戻ると政府につかまっちゃうし。ついてきたいって言ってたから」

 目を輝かせて彼女は「初めての子供だー!」って叫んだ。正直僕には理解が追い付かなかったけれど、つられて叫んだ。こうして正式に我が家に家族が増えた。子供ができたのだ。その喜びを二人噛みしめた。


「…続いてのニュースです。一か月前に逃走した三人は現在も見つかっていません」

 見飽きたニュースだ。何せ真相を知っている事件で、その真相が自分だからだ。犯人を知ったうえで読む推理小説のように、それはそれはつまらない。

 僕はテレビを消して、買い出しに出かけることにした。


〈買い出しメモ〉

 ・枝豆(塩味の大容量のやつ)

 ・豆腐

 ・ピーナッツ

 ・刺身盛り合わせ

こういう仕事に携わっていると、見たくない裏まで見えてしまう。居酒屋のメニューって全部スーパー産だったのか…。

 買い物を終わらせ店に着くと、すでに客でにぎわっていた。酔っぱらって絡んでくる客を交わし、厨房に向かう。冷蔵庫に買ってきたものを入れたら、二階へ急ぐ。これにて僕の仕事は終了。ゆっくりおやつを食べながらゆっくりするのだ。

 しばらくごろごろしていると、母さんと子供がやってきた。

 「おとうさんボードゲームしようよ」

どうやら今日は店じまいが早く、みんな暇していたらしい。早速ゲームをやることとなった。

 結局かなり長い時間やっていたらしく、外は暗くなっていた。

 ふと涙が頬を伝った。

 「どうしたの?」

 「いや、ちょっと、ね。一応僕ら犯罪者だからさ。いつこの関係が崩れてもおかしくないって思うと、どうしても…」

 「大丈夫だって。だって、私たちは家族だよ?絶対そんなことはない」

 「おとうさんとおかあさんとはずっと一緒だよ?」

 なんやかんや家族に励まされ、少し不安の種がなくなったような気がした。

 子供を寝かしつけると、店長に飲もうと誘われた。せっかくの機会だとすぐに首を縦に振った。

 今日は星空のきれいな夜だった。店のベランダから星を眺めながら飲むビールはやはり最高だ。

 「なあ。絶対ここから離れんなよ」

 「何言ってるんですか。離れませんよ」

 「ならよかった」

急に変なことを行って来たから動揺した。この人はいつも急なのだ。

 「一つお願いがある」

 「何ですか急に」

店長の顔が真剣になる。

 「俺は明日出頭する」

 「…は?」

思わず耳を疑った。店長は何も罪を犯していないのに、なぜ…。

 「あんたたちを匿っておくのも立派な犯罪なんだってさ。俺はもう我慢ならねえんだ。自分が毎日醜く思えてしまう。居場所は適当にはぐらかしておくから。この店を頼んだ」

 「ほんとに急に何言ってるんですか?」

 「いいだろ。これは俺の人生だ。俺に決定権がある」

 「でも、店長がいなくなったら、」

 「待った、みなまで言うな。気が変わらないうちに自供したいんだ」

 「でも、」

 「そろそろ寒くなってきたな。中入るか。お前も風邪ひかないようにしろよ」

 店長は暗闇の中に消えていった。

 明日がこんなに怖くなったのは生まれて初めてだ。


 「ちょっと散歩に行こうか」

 次の日の朝、僕は家族にそう提案した。みんな喜んで支度をし、家を出た。

 「そういえばおじさんは?」

 「なんか明日から旅行に行くんだって」

うまくごまかして、さらに歩く。近くの公園へとやってきた。しばらく子供を遊ばせて、昼頃一度家に帰った。

 ―しかし、僕らの家はもうなかった。

 「放火犯かねえ、いやあねえ」

 「でもここ犯罪者一家が住んでいるらしいわよ。むしろ制裁って感じでいいじゃない」

 近所の人が口々に言いあっている。

 「なにこれ…。」

 「おとうさんぼくたちのいえは?」

 言葉が出ない。2月の昼。僕たちは路頭に迷うことになった。


 「ちょっと家を探すために、しばらく公園に住もう。ほら、毎日遊び放題だよ」

 「やったー!おとうさんありがとう!」

 感謝されることはしていないし、むしろ子供の無邪気さに付け込んだ悪い大人だ。なんだか申し訳なくなってきた。

 「大丈夫なの?」

 「まあ、何とか。スーパーで段ボールはもらえるし」

 「何とか乗り越えるしかないのね」

 「だね」


 夜になって、本格的に冷えてきた。子供は日中遊びすぎたせいですぐに寝てしまった。お母さんも相当疲れていたのだろう。起きているのは僕だけになった。

 「…続いてのニュースです。…」

 それにしても、本当にあの人自首したんだな。今頃何してんだろうか。

 いい寝顔してるな、二人とも。子供が産めなくたって幸せはあるんだ。

 ああ、だめだ、寝ちゃだめだ。寒さで死んでしまう。二人を守るためには、何とか起きてなくては……

 起きて……まだ死ねない……


 「続いてのニュースです。今日男性が『先日逃走した三人を匿っていた』と自首したことがわかりました。なお、現在地については黙秘を続けていて、現在も捜索中です。……」

 

 「おーい、大丈夫かい?……ん?なんだ?」

 「どうしたんだ?」

 「なんか呼びかけても返事がなくて。寝てるんですかね?」

 「……いや、これ、死んでるよ」


 僕は最期に夢を見た。

 僕らは幸せに暮らしている。何不自由なく。

 しかしそこに世間の目が入って来て、生活が一変する。

 僕らに居場所なんてない。やがて周りは悪魔と化していく。ひたすらに暴言を吐く。この国にいらない人、子供の産めない価値のない人間、そして犯罪者……。

 いつしか僕らは底のない暗闇に落ちていく。

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無精児 七瀬紬希 @Hiyori-Haruka

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