第7話 入学後
ベルナールお兄様にエスコートをしていただいた、最上級に幸せな入学式にわたしが参加しているとき。
乙女ゲームのシナリオ通りに王太子殿下とヒロインが出会っていたらしい。
学園の生徒さんたちのうわさ話をまとめると、ヒロインさんの名前はエーヴ。
なんでも元平民で、最近男爵家の養子になったため、貴族としての常識は皆無だとか。
で、そのエーヴ嬢、貴族学園の広い敷地で迷子になっていると、入学式をさぼろうとしていた王太子殿下と出会い、そして恋に落ちたとかなんとか……。
わー、実に捻りのないスタートねえ。
木の上から降りられなくなった子猫を助けようとして、ヒロインも木登りをして、そしてその木から降りようとしたときに、足を滑らせて落ちて、たまたま通りかかった王太子殿下がヒロインを助ける……くらいのエピソードはないのだろうか?
いやいや、これも、ありきたりで使い古されたエピソードだけど。
もうちょっとこう……なんかの工夫がほしいなあ……なんて。
まあ、王太子殿下とヒロインの出会いなんてどうでもいいか。
わたしはぼんやりと、教室の窓から外を見る。
わたしが在籍している淑女科の教室は、学園の中庭に面していて、窓から薔薇の咲き乱れている花壇とか、噴水池とかが見える。
ちなみにエーヴ嬢は一般科の生徒。
校舎も違えば、カリキュラムも違う。お昼休みの休憩時間だってずれている。
だから、わたしと学園で出会うこともほとんどない……はずなんだけどね。
シナリオの強制力とか的に、わたしがなにもしなくても、エーヴ嬢は「いじめられた」とか言って、王太子殿下に泣きつくのだろうか?
……まあ、今から考えていても仕方がないか。
王太子殿下の紳士科とも、一般科の校舎は離れていて、会う時間はあんまりないと思うんだけど、合わせる努力をしているのか、それとも授業をさぼっているのか、今、まさに、王太子殿下とエーヴ嬢が噴水の近くのベンチに座り、唇が触れそうになるくらいに、顔と顔を近づけて、なにか笑いあっている。
へー、そんな普通の少年っぽい笑顔も、王太子殿下はできたんだ。初めて見たわー……なんて。
わたし、王太子殿下の意地悪い顔とか不機嫌な顔とかしか見たことないからなあ。ま、どうでもいいわね。ガンバッテ、オフタリノ、アイデモ、フカメテチョーダイヨ。
そんなふうに、いちゃいちゃしている王太子殿下とエーヴ嬢を放置していると、淑女科の、他のご令嬢たちから「あの……、レベッカ様は王太子殿下の婚約者でいらっしゃいますわよね? あれ、よろしいのですか……?」と尋ねられることもある。
そんなとき、わたしは「王太子殿下との婚約は王命で、仕方なく承諾したものなのです。解消なり白紙に戻すなり、できるなら、そうしたいと願っています。なので、殿下がどこの誰と、どんな関係を結ぼうと、わたくし、関心がないのですわ」と返事をする。
ご令嬢がたはびっくりするんだけどね。
わたしとしては、王太子殿下のそばに、自分からわざわざ近寄って行きたくない。
エーヴ嬢にも近寄りたくない。冤罪とか、そういうの、嫌だもの。
というわけで、誰かに王太子殿下のことを聞かれたら、嫌いですよーと、答えておくことにしている。
万が一にでも、婚約者だから好いているとか、関係を良好なものにしたいなんて考えているとか、誤解されたくない。
あの王太子殿下はわたしの敵ですからね!
「王城で、わたくしが、王太子妃教育の一環として、王太子殿下とお茶などをご一緒する機会も、これまで幾度もあったのですが。そんなときは王太子殿下は、わたくしに、蜘蛛入りのお茶ですとか、芋虫が乗せられたケーキなどを出されるのです。そんなことをされて、わたくしが殿下のことを好きになるはずはありませんよねえ。積極的に嫌っておりますが、婚約は国王陛下からのご命令ですから。わたくしのほうから破棄も白紙解消もできなくて」
悲壮感なく、さらっと伝える。
だけど、これを聞いた人たちは、びっくりしちゃうのよね。
「え、えええっ!」
ご令嬢がたの顔が青ざめる。そりゃあねえ、お嬢様がたは蜘蛛だの虫だのは嫌だろう。わたしだって嫌なくらいだからさ。
「まあ、繰り返し何度も、そのような目に遭っていたので。だいぶ慣れましたが……。わたくし、正直に申し上げますと、わざわざ王太子殿下のそばに自分から寄って行って、そのような不愉快な目に遭いたくないです」
「王太子殿下が……、そのような酷い児戯を……なさるのですか?」
信じられないと、ご令嬢たちが言う。
まあ、そうよね。王太子云々は置いといて、貴族学園に入学するような年齢の人間が、レベルの低い嫌がらせをするとは、にわかに信じがたいだろう。
「ええ、わたくし、殿下には嫌われておりますし、わたくしも嫌いなんです。皆さまにはご心配をおかけして申し訳ありません。ですが、あちらの二人のことは、できるのならば、見ないふりでもしておいてくださいませんか」
「なぜ……ですの?」
お、果敢にも問いますか、今後令嬢たち。
「王太子殿下が、あちらの方との恋愛遊戯に夢中になっていれば、わたくしに対する嫌がらせに、時間を割くことも忘れるでしょうから。そうすれば、わたくしも心置きなくこの学園で、学ぶことができますからね」
学園に入学して、なにが良かったかって、王太子殿下との交流の時間が減ったことよ。
わざわざ王城に行かなくても、毎日のように学園でわたしと王太子殿下が交流しているのだから、放課後まで呼び出さなくてもよいって、国王陛下たちが判断されたみたい。
だから、わたしは授業後、うきうきとモンクティエ侯爵家の自宅に帰る。
ベルナールお兄様と一緒に夕食! あ、いや、お父様もお母様もいらっしゃるけど。
学校の課題や王城の家庭教師からの課題も、自室でのんびりと片付けられる。更に、わからないところなんかがあったら、ベルナールお兄様に教えてもらうことだってできるのよ!
あー、しあわせ。
転生してよかった。
まあ、このしあわせも、断罪までの短い期間なだけかもしれないけれど。
いいや、あんな王太子殿下とはさっさと縁を切って、ベルナールお兄様との幸せな暮らしを永遠に続けるのよっ!
そのために、頑張れわたし!
というわけで、放課後は学園なんかに長居しないで、さっさと帰るに限るのだ。待っててね~ベルナールお兄様♡
……なのに、今日は運悪く、王太子殿下の側近たちに取り囲まれた。
「王太子殿下からのご命令だ。これを明日までにやっておけとのことだ」
渡されたメモ。
そこには「建国時における我が国の政治体制、法律に関してのレポート。提出期限は明日」みたいな内容が書かれていた。
しかもすごくキタナイ字で。
「……なんですの、これは?」
差し出されたメモをじっと見つめてから、側近たちに問いかける。
「書かれている通りだ。そのレポートを明日までにということだ」
「書かれている文字は、わたくしとて読めますわ。わたくしが聞いているのは、どうしてこんなものをわたくしが行わなければならないのか、ということです」
「だから、殿下からの命令だ」
わたしは溜息を吐いてから、聞いた。
「学園の授業での、提出課題かなにかですか?」
「そういうことだ。教師に叱られるような、無様なものは書くなよとのことだ」
へー……。ということは、だ。ローラン・デル・ラモルリエール王太子殿下ご本人か、もしくはこの側近の誰かが、教師に叱られるような無様なものを作成済み……ということなのかしらね。
無能殿下の側近は、やっぱり無能なのかしら。
国王陛下はそれなりに有能なかたのはずなのに。
うーん、一人息子に対する愛で、目が曇っているのかな?
それともシナリオの強制力のせい……とか?
わからないけど、追及してもどうしようもないし。
まあ……いいか。わたしは心の中でにやりと笑う。
あからさまな反撃は、きっとできない。
だけど、これはチャンスだ。
ローラン王太子殿下に対して、サクッと、ちょっとだけ嫌がらせをしてやろう。ふっふっふ。
課題を引き受けたふりをして、やらないで済ますのではない。
無様なもの? 書かないわよそんなの。
完璧にこなしたうえで、チクチクとした嫌がらせをしてやるのだ。ふっふっふ。
わたしは無言でそのメモを受け取った。
引き受けるとも引き受けないとも言わないで。
で、そのまま職員室へと向かう。
放課後の職員室には、結構大勢の教師がいた。
教師に質問をしに来ている生徒なんかもちらほらといる。わたしは職員室中に響き渡るように、良く通る声を出す。
「失礼いたします。ローラン・デル・ラモルリエール王太子殿下に『建国時における我が国の政治体制、法律に関しての課題』を出された先生はいらっしゃいますか?」
すると、一人の初老の教師が、わたしのほうにやってきた。
「王太子殿下だけでなく、一般科の授業で行った小テストで、基準点に達しなかった者たちに対し、そのレポートを出すように言ったが」
「ああ、そうですの。では、先生にお尋ねいたしますが、こちらのレポートは何文字程度のものを書き上げればよろしゅうございますか? また、形式に決まりはございますか? 書き上げる内容は、教科書レベルのものでよいのでしょうか? それとももっと専門的に詳しく書くことを望まれているのでしょうか?」
王太子殿下の側近たちに聞けばよかったような内容。
それを、わざと、職員室で、しかも担当の教師に尋ねる。
「あ、いや、教科書をまとめればいいだけの簡単なレポートなのだが。だが、あなたは一般科の生徒ではないですよね?」
「あら、名乗りもせずに、失礼いたしました。わたくし、淑女科一年のレベッカ・ド・モンクティエですわ」
「あ、ああ……殿下の婚約者の、侯爵家のご令嬢……ですな」
「はい。それで、先ほど、ローラン・デル・ラモルリエール王太子殿下の側近の方々が、わたくしのところにやってきまして。このメモ用紙だけを渡されたのですが……」
そう言って、わたしは先生にメモを見せる。
わたしが出まかせを言っているのではなくて、ちゃんと指示を受けた証拠もありますよ、のアピールだ。
誰が書いた文字とかはわからなくても、こんなにキタナイ字。少なくとも王太子殿下の婚約者である令嬢が書いた文字ではないことだけはわかるでしょう。
先生はちょっと顔をしかめられた。
「……わたくしの淑女科ではこのようなレポートを出されたことはなく。それで、どの程度のレポートを、どのくらいの分量で書けばいいのか、形式に指定があるのかないのかなども、まったくわからなかったものですから。いっそ先生に直接お尋ねしたほうが、きちんとしたもの王太子殿下にお渡しすることができると考えまして」
お手数をおかけいたしまして、申し訳ございません……的な風情で、先生に軽く頭を下げる。
職員室にいた先生がたは、ひそひそと何かを言い合っているし、この先生も、驚いたように目を見開いている。
「課題は、モンクティエ侯爵令嬢が行うべきものではなくて、王太子殿下や、小テストで基準点に達しなかった者たちが、自分で行うべきで……」
「ええ、わたくしもそう思いますわ。自身で考えて、自身で行わねば、学問など身につきませんものね。ですが、わたくしも、ローラン・デル・ラモルリエール王太子殿下の側近のかたからとはいえ、殿下の課題をやれと言われたのですから……、わたくしの立場では、お断りもできず……」
困った顔を作り、わざとらしく、ため息までを吐いてみせた。
「そ、そうですか……」
「今ここで、わたくし、その課題に関してのレポートを書き上げますわ。内容的にそれで問題はないか、先生、確認をしていただけます? 王太子殿下の側近のかたが、わたくしに『教師に叱られるような、無様なものは書くな』と命じたものですから。けれどわたくしが書くものが『無様』かどうかは、わたくしには判断がつきませんもので」
わたくしは、職員室の隅を借りて、ささっとレポートを書く。
教科書に掲載されている範囲の内容でいいのなら、既に暗記済みだ。参考資料など、調べる必要もない。
ものの五分程度で、わたしはレポートを書き上げた。
「こちらで、過不足はございませんか?」
先生は驚いてわたしを見た。
「不足など、まったくありませんな。いやいや、このレポートは素晴らしい。教科書や参考文献など、なにも見ずに、しかもこの短時間でここまでのものを書き上げるとは……。さすが淑女科、いや、あなた様なら経営科に行っても十分やっていけるのではないでしょうか」
「ありがとうございます。ですが、淑女科でご令嬢の皆様と交流することも、将来のために必要なことですので」
「そうですか……」
「それでは内容に不足はないようですので、これをわたくし、ローラン・デル・ラモルリエール王太子殿下の側近に渡しいたしますわ。王太子殿下も、きっと、わたくしのこのレポートを手本として、ご自分で課題を行ってくださるでしょうから」
教師に礼を言って、にこやかにわたしは職員室から去った。
ふふ……。
別に教科書レベルのレポートなんてすぐに書くことはできる。そのレベルの課題でしかないことも、推測くらいできた。
でも、わたしがわざわざ職員室まできて、担当の先生にわたしのレポートを見てもらったのは、課題の内容なんかを確認するためじゃあない。
本当の目的の一つは、わたしの筆跡、わたしの文字を、先生に見てもらうため。
さっきわたしは王太子殿下も、きっと、わたくしのこのレポートを手本として、ご自分で課題を行ってくださるでしょうから」なーんて、先生に言ったけど。あの阿呆王太子殿下は、そんな面倒なことは、絶対にやらない。
多分、そのまま提出する。
あ、表紙にご自分の名前くらいは自分で書くかしら? それすら側近にさせるかしら?
事前にわたしの文字を見せておけば、王太子殿下が自分で課題をやらないどころか、わたしが書いたものを書き写すことさえしなかったということが、わかるでしょう。
もう一つは、わたしが王太子殿下の命令を、拒否することなくきちんと行いましたよというアピールね。
ふっふっふ。
王太子殿下に直接「課題はご自分でなさったら」なんてことも言わない。
やらないとか、ごねたりしない。
はいどうぞ~、ご命令通りに王太子殿下の課題は、ご命令通りにちゃーんとやりましたよ~。
だけど、王太子殿下がご自分でやらなかったことを、バレないようにこっそりとやっておけ、なんて、命じられていませんでしたからね~。余計なことを言われないように、わたしは無言でメモを受け取ったのだしね、ふっふっふ。
で、きちんと、わたしが代わりに行ったと、先生方にもわかるように、してやりましたとも!
文句があるならベルサイユにいらっしゃ……じゃないか。指示は的確に出しなさいよ。
で、この件がどうなったかというと……。
わたしの予想通り、バカ王太子殿下は、やっぱり表紙だけ、ご自分の名前に書き変えて、あとはわたしが書いたままで提出した。中身を書き写すことすらしなかった。
あ、それをやったのは殿下の側近たちのほうね。わたしが書いた内容を、そのままそっくり書き写して、提出したみたい。
つまり、まったく同じ内容のレポートが、複数人分、提出されたのよ。
先生は、怒るというか呆れて、王太子殿下たちに、直接小言を言うのではなく、それぞれの親に、今回の顛末を、書面で通達したようだ。
しかも先生は「今後は他者の書いたレポートを書き写したり、そのまま出したりするのではなく、きちんと自分頭で考えて、つたなくとも自分で課題はこなすように」なんて文面も書き加えたらしい。
で、皆さん、親御さんから、相当怒られたらしいわね。
王太子殿下も陛下から怒られたらしい。
王太子殿下はわたしを怒鳴りつけにやってきたけど、知らないわ。
だって、わたし、言われたとおりに課題レポートを書いただけだもん。めんどくさがる殿下が悪い。
ふふふ。ざまーみろ。
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