第5話 貴族学園入学前日


「はああああああああ……」

「おやおや、レベッカ。淑女ともあろうものがため息とは」

 小言のように言いながらも、ベルナールお兄様の群青色の瞳は、今日も優しさと高貴さに満ち溢れていらっしゃる。

 世界が輝いて見えるわ。ああ、眼福……。

「べルナールお兄様!」

「サロンでお茶でもどうかと思って、誘いに来たのだが……」

「嬉しいですわ、お兄様。ぜひ、ご一緒させてくださいませ」

 大声で即答したいところだけれど、わたしは、ゆったりおっとりとした優雅な口調を心掛けて、完璧なる優美な笑みキープする。

 心の中では、飼い主に「散歩」と言われた大型犬のように、大きな尻尾をぶんぶん振り回しているけどね!

「良かった。では行こうか」

 差し出してくださった手に、わたしの手を重ねる。

 ふふふ……。

 ここが少女漫画の画面なら、きっと薔薇の花びらでも背景に散っているに違いない。

 ああ、なんてしあわせで、優美な世界。

 このまま時が止まれればいいのに……。

 ベルナールお兄様に出会ってから、わたしは百万回はそんなことを思っている。

 わたしはベルナールお兄様にエスコートをしていただきながら、ベルナールお兄様と一緒にサロンに向かった。

 ああ……、ベルナールお兄様に触れている、このわたしの手を、一生洗いたくない。

 いやいや、洗わないで、汚くなった手で、ベルナールお兄様に触れるなんて、言語道断。万死に値するわっ!

 ゆっくりと歩いていく我が家の屋敷の廊下は天国へ階段のよう……。世界のすべてが光り輝いているみたい……。

「で、どうしたんだい? 先ほどはため息など吐いていて」

 あー……。ベルナールお兄様にため息を見られたなんて、淑女失格。

 ううう、とわたしは下を向いた。

「……明日は、学園の入学式ですから……」

「入学が嫌なのかい?」

 学園が嫌なわけではないのよ。わたしは頭を横に振る。

 乙女ゲームのシナリオが始まって、断罪一直線なのが嫌なのよね。それに……。

「だって、ベルナールお兄様が学園にはいらっしゃらないから……」

 すねた口調でわたしは言ってみた。

 本当だったら、たった一年だけではあるけれど、わたしとベルナールお兄様は一緒に学園に通えるはずだったのだ。わたしたちは二歳違いだから、わたしが新入生、ベルナールお兄様が最上級生でね。

 だけど、ベルナールお兄様は、我がモンクティエ侯爵家の跡取りとしての勉強に励みたいからと、学園の単位は先に取得してしまったのだ。最終学年で学ぶべき内容の試験はすでに受けてしまって、合格済み。在籍はしているけれど、授業には出なくてもいい状態。あとは卒業式に参加すれば、それでご卒業……。

「優秀なお兄様の頭を恨みますわ……。一年だけでもご一緒に学園に通いたかった……」

「そうか……」

 嬉しそうにベルナールお兄様はお笑いになって、それからわたしの頭を撫でてくれた。

 なんのご褒美ですかっ! お兄様大好きですうううううううっ!

 最初はブラック様に似ているから好きになった。

 でも今は違う。

 ベルナールお兄様がもしもブラック様に似ていなくても、きっと本気で大好きになったと思う

 本当に素敵なのよ、ベルナールお兄様は。

 まずね、とにかくスマートなの。

 ここは乙女ゲームの世界だから、男性は女性をエスコートするのは当たり前。ベルナールお兄様はそのエスコートをするしぐさがなんていうか、優雅かつ自然。気負ったところが全くない。

 いかにも「女性のためにエスコートをしていますよ」という感は全くない。エスコートをしているのではなくて、呼吸同様に身についているのだ。

 それから、知性と教養があって、その上で醸し出される本物の上品さもお持ちだ。

 あ、お父様もそんな感じの上流階級特有の、生活にあくせくしない、心や懐に余裕のある男性なんだけど。

 たとえて言うのなら、お父様は「ダンディ」で、ベルナールお兄様は「ジェントルマン」かなあ……。単純に優しいというだけではなく、相手を尊重する姿勢があるから、思いやりのある対応もできる。そういう感じ。

 そんなお兄様の妹が、がさつではだめだ。

 ベルナールお兄様が我が家にいらしてからの、この一年。わたしもできる限り「本物の淑女」に見えるように、すんごいめっちゃくちゃがんばった!

 元々このレベッカの体には、淑女としてのしぐさが身についていた。

 礼の角度もピタッと決まるし、ダンスなんかも優雅に踊れる。

 それは、わたしが転生する以前の、レベッカ本人の努力の結果だと思うのよね。

 で、わたし、これまでは、そのレベッカの体が覚えているしぐさをなぞっているだけの、お嬢様のふりをしていたのだ。

 だけど、お嬢様のふりなんて、金メッキみたいなもの。しばらくはごまかせても、いつか剥がれ落ちる。

 ベルナールお兄様という、本物の紳士の妹が、金であってもメッキでは駄目だ。

 礼とはなにか。

 品格とは何か。

 単に形通りに頭を下げるだけじゃない。一片通りのマナーや教養では足りない。

 目指すのはあふれる品格。洗練された上品さ。

 ……と言っても、戦闘と爆発と、巨大ロボにまみれていたわたしが、いきなりそんな「本物の淑女」になんて、なれるはずがない。

 だからまず、心がけたのは話し方。

「このお菓子、美味い!」とか「マジうざい」とかなんて言葉を、お嬢様は使わないだろう。

 乱暴な言葉は使わない……のは無理だから、阿呆な王太子殿下を、心の中だけで罵るときだけ使う。音声に出して発言はしない。

 で、ベルナールお兄様や、お父様やお母様と話すときには綺麗な言葉を心掛ける。

 大声や早口ではなく、落ち着いたトーンで丁寧に話すのもポイントね!

 身のこなしも大事だ。

 姿勢を良くする。物を取る時や置く時もとても丁寧に行う。優雅に、上品に見えるように。

 幸いと言ってはなんが、わたしには淑女教育のためのプロフェッショナルが何人もつけられているのだ。我がモンクティエ侯爵家のお抱えの家庭教師だけではなく、王城で受けさせられているお妃教育。その妃教育の教師なんて、この国の最高峰のマナー教師だ。すんごく厳しいけれど、望むところよ。

 転生させられた直後は、どうせ婚約破棄されて、断罪される運命のわたしが、マナーなんて学んでも無意味とか思って、及第点さえ取れればいいやとテキトウに授業を受けていたんだけれど。

 ベルナールお兄様に出会ってからのわたしは、心を入れ替えて、淑女教育を受けだした。

 もはやわたしはこの国一番の淑女と言っても過言ではない。

 いや、そこまでは言いすぎか。

 でも、わたし本人の、もともとの中身はともかく、完璧な淑女の立ち居振る舞いはできるようになったのよ。

 これもすべて、ベルナールお兄様の妹としてふさわしくありたいから。

 なんだけど……。

 王妃様、国王陛下にうちの両親は「将来の王太子妃、王妃としての自覚が出てきたようだ。立ち居振る舞いが以前に増して、優雅になった」と喜んでいる。

 王妃様なんて「ローランのために、淑女教育を完ぺきにこなしているのね」とか思っている。

 冗談じゃあない。

 あんなバカ王太子殿下のために、なぜこのわたしが努力せねばならないのだっ!

 わたしの努力はベルナールお兄様のため! 

 いや、わたしがベルナールお兄様にふさわしい淑女になりたいからだっ!

 と言っても、爆炎と爆音の世界を忘れたわけではない。

 国内視察の途中で、鉱山なんか見た時には、素で萌えた。

 うわああああああ! 戦隊ヒーローの、戦闘シーンにピッタリの場所!

 青く晴れた空、切り立った崖。その下で、敵と戦うヒーローたち。うなる鉄拳、放つ必殺技! 

 ああ、この崖を、ダイナマイトで吹っ飛ばして、その爆炎と共に、ヒーローたちが、スーパージャンプとか決めたらかっこいいのにいいいいい!

 なんて、淑女の仮面をかぶりながら、わたしは心の中で、盛大にきゃあきゃあ叫んでいたの。

 聖地巡礼に萌える気持ちがわかりました……。

 閑話(それは)休題(ともかく)。

 ということで、わたしはベルナールお兄様にエスコートをしていただき、優雅に談笑しながらサロンに向かっている。

 ああ……、ベルナールお兄様は、歩くお姿もお美しい。

 なんだっけ、あ、そうそう。

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」なんて言葉があったよね。そんな感じで優美で優雅。

 もちろん女性的ではなくて、男性的な、知性や教養に裏打ちされた上品さだけど。

 所作も綺麗。言葉遣いも美しく、ゆっくりと丁寧な口調で話してくれる。

 あのバカ王太子殿下は、ベルナールお兄様の爪の垢でも飲んだらいいと思う。ちょっとはベルナールお兄様を見習えってーのっ!

 まあ、あの阿呆がベルナールお兄様のレベルに達するのは、数百年あっても無理か。

 婚約者同士の交流の一環とかで、わたしが王城に行かなくてはならないときは、あのバカ王太子は相変わらず、わたしの紅茶に芋虫とか入れてくるし。幼稚園児並みの、低レベルな嫌がらせだよね。

 一国の王太子のくせに、紳士としての振る舞いも知らないのか。

 王太子の教育係って、王太子殿下に何を教えているのやら。

 ま、あんな王太子殿下が将来どうなろうと、どうでもいいんだけどね!

 だけど、わたしはこれから先の未来で、あんな阿呆に断罪されて、なにかの罪を負わされるのだ。

 理不尽だけど、わたしの断罪に、ベルナールお兄様が巻き込まれないように、細心の注意を払わなければ……。うっかりキレて、王太子殿下をぶんなぐってはいけないイケナイイケナイ……。

 わたしは、ベルナールお兄様と幸せなお茶をいただきながら、心の中でそう思っていたのだった。


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