第4話 ちょっと待って。あなたはまさかブラック様?

 モンクティエ侯爵家の玄関ホール。

 高校の体育館なんて、五つか六つ入ってしまうんじゃないかと思われるほどに広いそこに、馬車が到着した。

 屋敷の玄関の外に到着……じゃないのよこれが。我が家のお屋敷の玄関ホールは、六頭立ての馬車も、そのまま中に入っちゃうのよ……。広い……。

 そして、馬車のドアが開かれて、優雅に下りてきた一人の青年。

 肩と胸の間くらいの長さの、黒くてまっすぐな髪を、細めの赤いリボンで一つにまとめている。背は高く、ほっそりとしている。眼鏡の下の切れ長の瞳は群青色。

 わたしはその姿……いや、お顔を拝見した途端、雷に打たれたようなショックを受けた。

 ブラック様だ……。

 いや、違う。よく似ているけど、別人だ。

 まず、ブラック様は、眼鏡キャラではない。

 全体の雰囲気も、全然違う。ブラック様は長身で筋肉質な美丈夫。こちらの青年は線も細く、優美な感じ。

 着ているものだって、ブラック様は光沢のある黒のロングコートだった。

 こちらの青年は、ブリティッシュスタイルのスーツ……っていうのかな? ほら、えーと、イメージ的にイギリス紳士御用達! みたいな。上部が立体的なシルエットになっていて、ウエスト部分も高めの位置で絞られており、高さのある胸元とのメリハリが逆三角形を描くことで、スタイリッシュに見えるのも特徴……てな感じ? 

 実のところ、よくわかっていないんだけど、転生前にお父さんがテレビを見ながら絶賛していた、とある紳士の国の王太子殿下の衣装に似ているわ……って、そんな感じ。とにかくなんていうのか、上流階級の、優雅な生活をしてきているのが所作に現れるような、そんな上品な品格が漂っているわ。

 ブラック様本人ではないけれど、ブラック様にもしも双子の兄弟って言われたら納得できるくらいに似ているだ。

「おおっ! ベルナール、よく来たな」

 お父様が、嬉し気に、その方を迎え入れる。

 えっ⁉ こ、このかたが、ベルナール様なの……っ!

 わたしは思わず神に祈るように両手を組んで、その手をぎゅっと握ってしまった。

 ああ……、ベルナール様からわたしの目が離せない……。

「お久しゅうございます伯父上。これからはよろしくお願いします」

 ああ……、微笑みを浮かべたそのお顔……。ブラック様はめったに、というか、全然微笑まなかったけど……。なんて素敵なの……。ブラック様が微笑むと、こんな感じになるのね……。

 生きていて、良かった。

 ご本人ではないとはいえ、ブラック様に酷似した方の、その微笑み。なんて尊いの……。

「はっはっは。もうベルナールは我が家の跡取り、つまりわたしの息子だ。伯父ではなく父と呼んでくれ」

「そうですね……。では、父上。改めましてよろしくお願いします」

「うむ」

 満足そうに頷くお父様。

 そして、ベルナール様は、今度はお母様のほうに向きなおった。

「では、デルフィーヌ伯母上も、母上とお呼びしてもよろしいでしょうか」

「ええ、もちろんよ。ベルナール、今日からはわたくしたちは家族です」

「はい、よろしくお願いいたします」

 軽く頭を下げてから、ベルナール様は今度はわたしのほうにゆっくりと歩いてきた。

 ああ……。なんということなの……。ベルナール様が、わたしに、わたしだけに、ほほ笑んでくださっている……。心臓が止まりそう。いえ、わたしの息は確実に止まった。

 わたしは、この笑顔を見るために転生したのかもしれない……。

 世界中が、薔薇色に染まったみたい……。

「やあ、レベッカ。会うのは三年ぶりくらいかな……。おぼえているかい? ベルナールだよ。今日から君の兄になる」

 三年ぶり⁉ 

 ということは以前にわたしというか、レベッカは、このかたにお会いしたことがあるの……っ⁉

 き、記憶……っ! 

 レベッカの記憶がわたしに残っていないかしら……っ⁉ 

 ブラック様に酷似した方の、三年前ということは少年時代。

 そ、そんな貴重なお姿が記憶に残っているのなら……はうわっ! 

 悶えて、この場で転がりまくってしまうわっ!

 だけど、レベッカ記憶はわたしには全く残っていないのだ……。くそう、残念。

 だけど、ありがたいことに、体が覚えているというか、身についた所作っていうべきなのかな? ダンスやマナーとかに関しては、勝手に体が動くのよ。淑女の礼とかいうやつも、ピタッと決まる。頭を下げたまま、微動だにしないのよ。このレベッカの体は……。そのくらい、繰り返し、徹底的に体に教え込まれたのもしれない。貴族、恐ろしい……。

 だから、転生してからずっと、完全な記憶喪失というのではなくて、ちょっと記憶にあいまいなところがある……程度で、なんとかごまかすことができていたのだ。

 それにレベッカはまだ十三歳。

 学園に通う前だったし、お父様とお母様、それにこの屋敷の使用人たちくらいとしか交流がなかったようなのだ。

 他家のご令嬢とはお茶会とかもしたけど、仲の良いお友達というよりは、互いに家を背負ってけん制しあう仲程度。

 えーと、高校のクラスの、仲は良くないけど、クラスメイトだから、ちょっとお互いに気を遣いつつ、話す子……って感じでしかなかったし。

 だから、転生した十二歳からこの一年間。いろいろなことを笑顔でスルーして、ごまかしきれないことは「記憶が……あいまいで、あまり覚えていなくて……すみません」とか言ってきて、それでなんとかなったのだ。

「あ……、申し訳、ございません。わたし……わたくし、あの、王城で倒れて、頭を打って以来、その、以前のことはあまり詳しくおぼえておりませんもので……」

「そうなのか……」

 すまなかったねと、ベルナール様が、わたしに向かって頭を下げた。

「いえ……、わたくしこそ、ごめんなさい」

 下を向いて、しゅんとしていたら、ベルナール様はわたしのすぐそばで片膝をついた。

 わたしを上から見下ろすのではなく、下から見上げて、そうしてわたしの手をそっと取ってくださった。

「気にしなくていいんだ。それよりも私たちはこれから兄と妹になるのだから。改めて関係を作っていこう」

 兄っ! なんていう美しい響きっ!

「は、はいっ! ベルナールお兄様……っ!」

 わたしは反射的にそう言ってしまった。

 はわわ……。

 いきなりのお兄様呼びはご不快ではなかったかしらどうかしら……!

 わたしはドキドキとしてしまったけれど。ベルナールお兄様は嬉しそうに微笑んでくれた。お父様とお母様も微笑まし気に、わたしたちを見つめている。

 ……しあわせって、ここにあったんだわ。

 もう、ここから動きたくない……。

 このまま時間を止めてほしい……。

 本気でそう思った。

 けれど無情にも時は進む。

 ベルナールお兄様が我がモンクティエ侯爵家にやってきてから一年後、わたしと、あの王太子殿下が学園に入学する年になってしまったのだ……。



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