第3話 転生二年後

 この世界に転生してから約二年が経過。わたし……レベッカは十四歳になった。

 わたしは転生したことを、誰にも話さず、「頭を打ってから、曖昧になったことが多くて……」などとレベッカとしての記憶がないことを誤魔化しつつ、今日まで何とかやってきた。

 いや、意外になんとかなるものだ。

 とりあえず、貴族の令嬢としての生活にもだいぶ慣れた。

 薔薇の花びらを浮かべた高貴な紅茶とかにも、顔が引きつらなくなってきたよ……。

 ああ、でも、爆音と戦闘ロボットが恋しいなあ……。

 優雅一直線のこの世界には、ヒーローも悪役も、爆音もない。

 あ、悪役は、そのうちわたしがなるんだったっけ。

 とにかく、貴族の娘の生活は、家庭教師と一緒にお勉強。屋敷の外に出るときは、お母様と一緒のお茶会。もしくは王城に赴き、将来の王太子妃としてのお勉強。あとは刺繍にダンスの練習。その繰り返し。

 転生したからのこの二年間、王太子妃教育とかで、割と頻繁に王城にいくから、わたしは王都にあるモンクティエ侯爵家のタウンハウスでずっと生活をしている。お父様やお母様は時折領地に戻ったりもしているけど、わたしは領地に行ったことはない。

 あ、領地は王都か馬車で二日くらい。

 お父様とお母様が領地に行って、不在になっても、タウンハウスには侍女やら家令やら、使用人たちがいっぱいいる。なので、ネグレクトとかでは全然ない。むしろ逆。いたせりつくせりの優雅な生活。

 んー、でも自由に外出とかはできないで、スケジュールは決まっているから、どっちかっていうと、優雅な牢獄って感じ。

 牢獄って言っても、モンクティエ侯爵家はむちゃくちゃ広いので、閉塞感はないけどね。

 ああ、このお屋敷が、どのくらい広いかっていうと……、例えば食事用の部屋。そう、この屋敷には朝食用、昼食用、夕食用、客人を招いた晩餐用などなど、食事専用の部屋が複数あるのだ。

 ちなみにティーサロンなんかも別にある。食事専用の部屋ではお茶はしない。なんだったら、食事のあと、場所を移して紅茶やコーヒーを嗜む……なんてことをする。

 どこの部屋でお茶を嗜むのかとかも、季節とかによってさまざまだ。

 冬の場合は暖かな暖炉の部屋。夏は涼しい北側のサロン。晴れた日には、薔薇の庭を眺める部屋。お抱えの小規模な管弦楽団に演奏をさせて、音楽を楽しみながらお茶をいただくための部屋……。

 転生前のわたしの家は、ごく一般的な中古マンションだった。

 わたしだけの部屋が欲しいな。もうちょっと広い家に住みたいな。宝くじが当たったら、一戸建ての新築に引っ越したいなーなんて思っていたけどね。

 ここまで広い家は、住みたいどころか想定もしてなかったよ……。

 で、今わたしはお父様とお母様と一緒に朝食専用の部屋にいる。

 東側の壁の窓から朝日が差し込んできて、部屋を明るく照らす……。

 テーブルにかけられている真っ白なテーブルクロスの上には、銀のカトラリー。メッキとかステンレスじゃないんだよっ! 本物の、銀! 使用後は執事がせっせと磨いているから、朝日を反射するくらいにキラッキラ……。

 おおう、マジか……とか、無意味につぶやきたくなる麗しさ。そこにもっと麗しいお父様とお母様がやってくる。

「おはようレベッカ」

「おはようございます、お父様、お母様」

 使用人に椅子を引いてもらって、わたしもできる限り優雅に見えるよう、ゆっくりと座る。

 聞くところによると、夜会なんかで大はしゃぎをして、昼まで寝ている貴族はとても多いということなのだけれど、お父様とお母様はきちんと朝に起きてくる。

 でも、朝食はたいてい午前八時とか九時とか。

「あまり早く起きると、準備をする料理人や使用人たちが大変でしょう」

 お母様、お優しい……っ! 

 美人で優しいって、ホント非の打ちどころのない美魔女だなっ!

 だから、わたしもたいてい侍女たちに朝の七時くらいに起こされる。起きて、顔を洗ってもらって、着替えをさせてもらう。

 最初は気恥ずかしかった。下着から、なにからなにまで脱がしてもらって、着せてもらうのだ。

 最近はもう慣れたけど。それにこの世界の貴族の服は、とてもじゃないけど自分一人では着ることができる仕様にはなっていない。

 毎日が、日本にいた時の七五三の時の着付け気分。

 今日は屋敷に家庭教師が来る日なので、ドレスではなく、ワンピース。

 ワンピースと言っても、日本で着ていたような薄くて軽くて洗濯機で洗えるようなものじゃあない。

 たとえてみるなら舞台衣装。重厚かつ重いのよ……。

 例えば、今、わたしが着ているのは、真っ白なゴブラン織りのワンピース。

 黄色と金色の糸で、ものすごく細かい刺繍がスカートの全面に施されている。そこに、ビーズの代わりに宝石をアクセントとしてプラスされて、袖や襟やスカートのすそなんかにも、てんこもりの白いレースにリボンにフリル。

 更に、ワンピースの下は、パニエっぽい下着が何枚も重ねて着せられている。ワンピースのスカート部分がふんわりと広がって、童話の中のお姫様みたい……というか、ワンピースの色が黒だったら、マジでゴシック・アンド・ロリータ衣装。

 ちなみに髪も、縦ロールに巻かれて、ヘッドドレスで飾られている。ますますゴスロリ感がアップだよ。

 これを着て走るなんて、絶対に無理。

 熱いし、動きにくいし。腰もぎゅっと締められているのよね……。ああ、Tシャツとジーンズが懐かしいよ……。

 せ、せめて、髪の毛の、ドリルみたいな縦ロールだけでも明日からはやめてもらおう。うん、そうしよう。ふんわりとした地毛を整えてもらうだけにしたい。

 で、朝からこんなに着飾られて、食べる朝食も、ものすごい。

 白パンに、肉料理3品、魚料理3品、ワインとエール。

 この世界では、十歳以上なら、子どももお酒とか飲んじゃうんだよね。きれいな水を長期保存する技術がないから。水分は、お酒にして保存が基本。あ、あと、沸かした水っていうか湯冷まし。

 あ、もちろんお酒はアルコール度の低いものだけど。ジュースとか、子ども用の飲み物とかって、特にないの。飲み物と言えば、酒かお茶か水。で、食事の時にはお茶は出されない。お茶というのは、食事の後に、サロンに移動して、そちらで嗜むものなのだ。

 トーストにジャム塗って、牛乳でかきこんで終わりとかじゃないの! 朝からガッツリ飯! これがこの世界の貴族の常識!

 で、昼食。

 我がモンクティエ侯爵家の昼食は、午後十二時から二時の間。

 その間に適当に済ます、ではない。食べ始めてから食べ終わるまで、軽く二時間はかかるほどの、朝食よりも大量の、すごいご飯。しかも一品一品が手の込んだ、見た目も麗しい品ばかり。毎日が、ホテルのディナーか晩さん会のメニューである。

 それを、朝食と同じくワインやエールか湯冷ましの水で流し込む。

 口をつけないと、料理人たちが「このおかず、お嬢様は好まないのか……」と落ち込んじゃうから、意地でも一口は食べる。

 だけど、当然、大量の食べ残しが出る。

 もったいないお化けがでるわ……っ!

 捨てるのではなく、残りは使用人が食し、それでも余れば貧民たちに施すというのだから、セーフなのだろうか……。

 もう、日本人としての感覚も揺らぎそう。

 ここまでで、もうお腹は膨れに膨れている。

 養豚培養所かモンクティエ侯爵家は……っ!

 どうしてお父様もお母様も、こんなに食べていて太らないの……っ!

 というわけで、午後のわたしはモンクティエ邸のお庭なんかをひたすら歩く。そうでなければ家庭教師に習ったダンスの練習だ。

 ダンスといっても、お貴族様の、優雅なダンス。えっと、ソシアルダンスとか言うのかな、こういう踊り。指先まで優雅に、口元には微笑みを……なんて、しんどいわ。ダンスのレッスンが、戦隊ヒーロー番組の、エンディングの歌に合わせて踊る、ヒーローダンスだったらいくらでも踊れるのにいいいい……っ!

 そして、更に、更に。晩餐までもがあるんだよ……。マジかこの食事量。

 そうして、今日も今日とて、イケオジのお父様と美魔女のお母様と、軽やかな会話を楽しみながら、大量の食事をもりもりと摂取するのだ……。貴族ってすごい……。

 もうごはんなんて、お茶漬けだけでいいよ! 

 ファーストフードの朝のセットで十分だ‼ 

 こんな大量のおかずはいらん! 

 求む、卵かけご飯……っ! 

 猫まんまでもいいよ……っ!

 そんなことを心の中で叫んでいたら、今日のお父様は「そうだ」と思いついたように言い出した。

「レベッカの王太子の婚約者としての教育も順調だと、国王陛下からお褒めの言葉をいただいたぞ」

「まあ、陛下から?」

「ああ。レベッカはなかなか優秀だと。特に算術は素晴らしく良くできているとお褒め頂いた」

 ……そりゃあねえ、日本の小学校レベルの算数だもの。足して引いて掛けて割って終わり。

 因数分解とか方程式とは、ないみたいなんだよね、この世界。元女子高生のわたしにしてみれば楽勝よ。

 でも、お父様とお母様がニコニコしていらっしゃるから、わたしも「ありがとうございます」と素直にお礼を言っておく。

「そこで、だ。レベッカはもう未来の王太子妃、王妃としての道を歩みだしている。とすれば、我がモンクティエ侯爵家の、今後のことも、そろそろ考えなければならない」

 ん? 今後のモンクティエ侯爵家? なんのこと?

「そうね……。レベッカは一人娘ですものね」

「ああ。本当ならば、王太子殿下の婚約者などお断りをして、レベッカに婿を取らせ、この家を継いでもらうはずだったのだが」

 そ、そうしてくださいお父様っ!

 わたしは思わずその言葉に縋り付きそうになった。

「王太子殿下はお優しいのですけれど。失礼ながら、執務能力には、やや難があるということでしたものね」

 いやいやちょっと待ってお母様。バカ王太子殿下には、優しさの欠片もないですから!

 とは主張できず、わたしは黙々と食事をする。

「だから、我が娘、優秀なレベッカが婚約者として王太子殿下をお支えすることになったのだが」

「オリヴィエ、お心は決まったのですか?」

 イケオジのお父様は「ああ」と、お母様に向かって頷いた。

「我が弟の三男、ベルナールを我が家の跡継ぎとして、養子にもらうことになった」

 えーと、三男? 

 お父様の、弟の、息子さん……。

 ああ、つまりレベッカの従兄か従弟ってことね、そのベルナールって人は。

「次男のニルスではなく、三男のベルナールになったのですか?」

 お母様が首を傾げた。

 えーと、お父様の弟さんの、次男と三男。

 まあ、長男は、お父様の弟さんの家の跡継ぎとして、年功序列的には次男を養子にもらう感じだと思うのだけれど。

 何か問題でもあるのかな?

 わたしは食事の手を止めて、お父様をじっと見た。

「ああ、ニルスはどうも領地経営には向かないようでな。貴族学園の一般科を中途で退学をし、先月から騎士団の見習いになったそうだ。本人も、学園にいるよりは、体を動かすことのほうが向いていると言っていた」

「そうですの……」

「それから、貴族学園で在籍している経営科での成績だな。ベルナールは定期試験では、常に五位以内に入る好成績を取っているそうだ」

 我が国の貴族学園は四つのコースに分かれている。

 わたしが入るのは淑女科で、王太子殿下は紳士科。淑女科や紳士科の授業についてこられない生徒や平民の人なんかは一般科というコースに入れられる。

 反対に、成績の良い生徒は、教師の推薦を経て、経営科に進むことができる。いわゆるエリートコース。そこで上から数えて五番以内っていうのは、相当な頭の良さだ。

「まあ! 長男のロドリクもかなり優秀だったと聞いていますが、ベルナールもですの……。では、我が家は安泰ですね」

 えっと、つまり、こういうこと? 

 わたしが、王太子殿下の婚約者となって、一応将来は王家に嫁に行く。

 ……まあ、どうせ婚約を破棄されるんだけど、そんなシナリオに沿った未来はお父様のお母様も当然知らないし。

 で、モンクティエ侯爵家の子どもはわたし一人しかいない。

 継ぐ者がいない。だから、お父様の弟さんの息子の、ベルナールとかいう名の人を、我が家の跡継ぎとして、養子にもらう……ってことか。

 あー……養子なんてもらわずに、わたしが王太子の婚約者を辞めて、このわたしにモンクティエ侯爵家を継がせてよー……なんて言っても無理だろうな。

 だって、わたしは乙女ゲームの悪役令嬢。

 それで、来年わたしが入学するはずの貴族学園で、あの王太子殿下はヒロインに出会い恋に落ち、そしてわたしが断罪される……って、ところまでは決まっているんだものね。

 あー、嫌だ。

 モンクティエ侯爵家にそのベルナールとかいう人が、養子に来るなんて、どんどんどんどんわたしが婚約破棄されて、断罪される運命に流されて行っているみたい。

 ま、婚約破棄は望むところなのだけど。断罪ってどうなるのかなあ……。

 頼みの綱は、女神様が叶えてくれる願い事、なんだけど。

 さすがに、婚約自体を取り消しにして……という願いは叶えられないようだからなあ。

 はあ……と、ため息を吐いたわたし。

 だけど、だけどっ! 

 そのベルナールとかいう人、いえ、ベルナールお兄様に出会って、わたしの運命は、人生は、変わったのだっ!



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